第四話 悩み
アリアが過去のことを話してくれてから一夜明けた早朝。
もっと分かりやすく言うと、アリアがアリシラの魔法教室を受ける日の早朝だ。
ロズウェルは起きるといつもの黒色の燕尾服に身を包む。主よりも質素だが、それでいて品位を損なわないような代物だ。
しっかりと襟をただし、服に皺などがついていないかを姿見の前で確認する。
問題は見当たらないので、姿見の前から離れ部屋を出る。
ロズウェルが向かうのはアリアの部屋だ。
アリアの部屋に向かいながら少し考える。
昨日の、アリアの過去の話の事だ。
ロズウェルは、表面上は澄ました感じだったものの、内心では困惑していた。
アリアの中身が元々は男であったことも。アリアが予告した二年後に迫る大戦のことも。そして、その大戦で自身の身に降りかかる、死の運命のことも。
正直、どれも予想外の話しすぎて頭の整理が追いつかなかった。だが、自分を信じて話してくれたアリアが自分の困ったような表情を見たらどう思うかなど、聡明なロズウェルには十分考えが及んでいた。だからあの時は、自分にとっては何でもないという風を装ったのだ。
だが、実際は一夜が明けても困惑は収まらず、アリアの部屋に向かう少しの間でさえも思考せずにはいられなかった。
ロズウェルとアリアの部屋はさほど遠くはない。いざというときのためにすぐ駆けつけられるように隣室ではないが、なるべく近い部屋を使っている。まあ、王城内でいざというときなどこないとは思うが、念には念を入れてだ。
そんな少しの距離の間の思考を頭の片隅に押しやり、ロズウェルはもう一度自身の身だしなみを整えると、ドアをコンコンと、丁寧にノックする。
「アリア様、ロズウェルでございます」
『ん~。ど~ぞ~』
「失礼します」
寝起きなのか、若干間延びした声がドア越しに聞こえてきた。
入室許可をもらい、一言入れた後ドアを開ける。
中では、寝間着から普段着に着替えたアリアが椅子に座ってボーッとしながら、今にも閉じそうな目蓋を頑張って開かせていた。
着替えはすましていたがアリアの顔は眠たそうであった。恐らくは、起きたのでとりあえず着替えた、と言ったところだろう。もしくは身についた習慣が寝ぼけながらでも着替えをすませたのかもしれない。
「おはようございますアリア様」
「おはよ~ロズウェう~」
眠くて舌が回らないのか、ロズウェルの名前を最後までちゃんと言えていなかった。
そんなところも愛らしく思えて、ロズウェルは微笑む。
こんな仕草を見ているからか、中身が男だとはどうしても思えない。
それに、今はちゃんと女の子だと自分で言っていた。女の子として扱わないで、男の子として扱ってくれとも言われていない。ならばそれで良いではないか。可愛いのだからそれで良い。
中身が男の子ということの問題をさらっと解決したロズウェルはアリアを部屋に置いてある化粧台の前まで連れて行くと櫛で優しく髪をすき始める。
ちょろんとはねていた寝癖が見る見る内に直っていく。寝癖があっても可愛さはそこなわれなかったが、寝癖がおさまった方がやはり可愛い。
ロズウェルに櫛で優しく髪をすかれ、アリアは時折「うー」だの「あー」だの気の抜けた声を発している。
そんな様子がやはり愛らしく思えてしまい、思わず頬を緩める。
眠気が勝ってしまっているのか、そんなロズウェルの様子に気付いていない様子のアリア。
「アリア様、随分と眠たそうですが夜更かしでもしたんですか?」
「ん~?うん。まだ見ぬマシナリアに思いを馳せていたら眠れなかった」
遠足前夜の子供のようだなと思ったが、考えてみれば、普段は大人びているからよく忘れがちになるがアリアはまだ子供であった。
それに、ロズウェルも騎士学院に通っていたとき、初めての校外演習の日は楽しみで眠れなかった。あの頃は、強くなることに必死だったので、遠足よりも遠征の方が楽しみであったのだ。一般の人とは少しだけ楽しみにするイベントが違うが、まあそれはいいだろう。
「マシナリアに赴くまでに一週間あります。王城の者に訊いてみるのも良いでしょう。文献も図書館にあると思いますよ」
「そ~だな~そ~しよ~かな~」
眠たげに間延びした声で答えるアリア。これは多分意識が覚醒してもこの会話の内容は覚えていないだろう。
そんなことを考えながらも、アリアの身だしなみをきちんと整える。
従者として、いやもうこの際執事でも良いかもしれない。格好も丁度燕尾服だ。従者というよりは執事だ。
次から身分を名乗るときは執事と言おう。
「終わりましたよアリア様」
「おお~ありがお~」
お礼の最後に小さく欠伸をするアリア。
「それでは、朝食をとりに行きましょう」
「は~い」
返事をしたアリアは椅子から立ち上がるとふらふらとしながらもドアまで向かう。
ロズウェルはアリアが転びそうになったときに体を支えるために、アリアの少し後ろをついて行く。
結局、アリアは食堂に向かうまでに二回転びそうになっていた。
○ ○ ○
朝食を済ませたあと、ロズウェルは王城内の仕事を手伝っていた。フーバーからは国賓のような扱いだから、戦闘以外の仕事なんかはしなくていいと言われているが、今日まで一度も戦闘をしていないロズウェルは、何もしないのを申し訳なく思っているので城内の仕事を手伝っているのだ。
今日は、新米騎士の訓練相手をかって出た。
王城より少しだけ離れた演習場にロズウェルはいた。ロズウェルの周りには苦悶の表情で地面に倒れる新米騎士達がいた。
今し方までやっていたのは乱取りだ。
ロズウェル一人に対して、新米騎士三十人だ。
本当は、乱取りはもう少し後になってからやろうと思ったのだが、新米騎士の一人が乱取りを強く所望してきたので、急遽乱取りをする事になったのだ。
その乱取りを所望した新米騎士は、自分と同い年であるロズウェルに剣を教わるのが気に食わなかった。そのため、ロズウェルに恥をかかせてやろうと考え、乱取りを所望した。三十対一であれば流石のロズウェルも多勢に無勢だと考えたのだ。
だが、結果はこの通り惨敗。新米騎士の悪巧みは力によってねじ伏せられたのだが、そんなことはロズウェルの知るところではなかった。
ロズウェルはひれ伏す騎士一人一人に近づき悪いところだけを言っていく。
悪いところだけを言って、自分で試行錯誤させるために改善点をあえて言わないのだ。教えるだけが指導ではない。
「あなたは踏み込みが甘いです。あなたは攻守の切り替えが少しだけ遅れています。あなたは打ち込みが軽いです。あなたはーーー」
そうして、一人一人の悪いところを言っていくと最後に締めの言葉を入れてその日は少し早いが解散となった。皆、体力がもつ限りロズウェルに突貫していったので、もうくたくたなのだ。これ以上は訓練にならないと判断してのことだった。
悔しげな顔をする新米騎士達をそのままに、ロズウェルは演習場を後にした。
「ああ、ロズウェル君」
王城の廊下を歩いていると、後ろから声をかけられる。振り向くまでもなく声の主が誰なのかがわかる。
振り向いた先にはロズウェルの予想通りの人物が立っていた。
「これは、シスタ様。おはよ、いえ、時間的にこんにちは、ですね」
「ああ、そうだね。もうお昼時だからね。こんにちはだ」
爽やかな笑顔でロズウェルに返事を返すシスタ。
「今日も、お加減はよろしいのですか?」
「ん?ああ、大丈夫だよ」
そう言いながら、右手で腕の通っていない左袖をぶらぶらと振る。
「それならば良かったです。マシナリアに向かうまでにもう少し時間がかかりますが、ご容赦ください」
「ああ、その件で君とアリア様に相談しなければいけないことがあるんだよ」
「相談、ですか?」
「うん、相談」
「…分かりました。それでは、私はアリア様を捜してまいります。どちらにむかえばよろしいですか?」
「そうだね…小会議室が空いてるからそこにしようか」
「分かりました。それでは」
ロズウェルはシスタに一礼すると、アリアを捜しに向かう。
相談したいこととは何なのだろうと考えながらも、アリアを捜す。
今回のマシナリア訪問にシスタもついて行く。これは、シスタたっての要望だ。自分の事だから他人任せにするのは心苦しいらしい。
だが、シスタは怪我人だ。それで、やはり自分は行けない、と言った類の相談であればロズウェルはそれを快諾する。もともと、ロズウェルはシスタには王都に残ってほしかったのだ。予定としては、マシナリアでは魔工技師を捜して、王都で魔工義手を作って貰おうという予定だ。魔工技師が王都に来れば採寸も、シスタの体に合わせた細かい調整も王都で出来る。そのため、わざわざシスタがマシナリアに赴く必要などないのだ。だが、シスタは、自分の腕を作るのなら自分の気に入った人がいいと言った。暫くは、いろんな案を出して話し合ってみたが、結局はロズウェルが折れてシスタの同行を許可した。アリアは睡魔に負けたのか気づいたらソファーで寝ていた。
まあ、そんなこともあったので、シスタが残るというのであれば、ロズウェルはそれに苦言を呈す事はしない。
だが、シスタの様子からしてそういった話ではないのであろう。
となれば、マシナリアで何かきな臭いことでもあったか。それとも、王都付近で何かが起こりそうなのか。
いくら考えても答えは出てこず、仮に答えが出たとしても、答え合わせをしてくれるシスタがいないのであれば意味はない。とにかく、早くアリアを捜さなくてはいけない。
そう考えながら王城の上品な廊下を歩く。
庭とつながっている渡り廊下に差し掛かったところで、アリアを見つけた。アリアはベンチに座っており、その隣にはロズウェルも何度となく面識のある、アリシラが座っていた。
二人はなにやら話しているらしく、その話に熱中しているためか、二人をうかがうロズウェルに気付いていない様子であった。
ロズウェルは楽しんでいる二人を邪魔するのも不粋だと思い、声をかけることをせず二人を見守る。シスタを待たせることになるが、シスタならば優しく笑って許してくれるだろう。
楽しそうに話をしている二人を…主にアリアを見てロズウェルは頬を弛める。
二人の姿は、優しいお姉さんが年の離れた妹に、子供が好きそうな物語を話している、と言ったようであった。アリシラの言葉に時折何かを訊いている姿は、ロズウェルの考えをよりいっそう肯定するようであった。
時折浮かべる驚愕の表情や笑顔、呆けたような顔。そのすべてが愛らしく、そして愛おしい。
その姿を見てロズウェルは思う。
(アリア様のためであれば死んでも悔いはないかもしれない…)
アリアが予知した自分の死。そして大戦の事。
後で訊いたのだが、その大戦は甚大な損害をもたらしたが王国側の勝利で幕を閉じるらしい。
何百、何千もの人の命を落とす。その中の一人になってしまうかもしれないロズウェル。
それが、アリアを庇ってのことであればいい。祖父もそうして死んでいったのだ。アドリエ家の一員として、何の悔いも残らない。
そんなことを考えていると、不意に視線を感じた。
見ると、アリアとアリシラがこちらを見ていた。どうやら話の最中に気付いたようだった。
アリアは、アリシラと二、三言葉を交わすとぴょんっとベンチから降り、こちらにとてててと可愛らしく走ってきた。
思わず頬が弛むが、これまでアリアの相手をしてくれたアリシラにそのままさようならと言うわけにもいかない。感謝の念を込めて一礼する。アリシラが手を振って返すが苦笑をしているのが雰囲気だけで分かった。
「ロズウェル、何か用があったのか?」
ロズウェルの元まできたアリアは開口一番にそう訊いてきた。
「ええ。なんでもシスタ様が相談があるとのことですので、お呼びに参りました」
「そうか、それじゃあ行こうか。…っとその前に」
アリアはくるりと振り返るとアリシラにぶんぶんと勢いよく手を振る。
そして、満足したのか、勢い良く振る手を止めてロズウェルに向き直る。
「行こっか」
「ええ」
アリアに促され、ロズウェルは小会議室へとアリアを案内した。
 




