ACT.4 Chap.4
4
「サイプリスさん、」
半身を起こした流惟が背後から声を掛けると、サイプリスは小さく身体を跳ねさせて彼女を振り返った。昨晩のこともあってかサイプリスの顔面は蒼白で、見るからに体調が悪そうだ。流惟は慌てて立ち上がると、サイプリスをベッドに腰掛けさせた。
「今の話を聞いていたのかい?」
「あの……、ごめんなさい。盗み聞きするつもりはなかったんです」
申し訳なさそうに肩を落とすと、サイプリスは流惟の髪を優しく梳いた。相手が那由多ならば子供扱いをするなと憤慨するところであるが、サイプリスではそうもいかない。
「気にしなくてもいい。―――ルイにも話さなければならないことだったのだから」
「……昨日の夜、サイプリスさんが倒れるまで……夢を、見ていたんです」
「夢……?」
「たぶんあなたが、リョウさんを殺してしまった夜のことだと思います。この部屋で、あなたが男の人の血を―――」
「嗚呼、」
瞑目したサイプリスは、組んだ手を額に当てて深く息を吐いた。そのたびに彼の腹の底に潜む孤独が吐き出されるように思えた。
―――これは触れてはいけないことだったのかもしれない、と流惟は小さく息を飲む。
「夢とはいえ、怖い思いをさせてしまったね。だけれど、それでよく分かっただろう? 私はおぞましい化け物なんだ。同情はいらないよ」
「サイプリスさん、」
流惟は泣きそうな顔をしてサイプリスの手を握る。彼は少し驚いたように顔を上げた。
「ありがとう」
「―――え、」
「わたしのこと、小さいときに助けてくれたのはあなただったんですね。わたしの天使は、あなただった」
「天使?」
首をかしげたサイプリスの黄金色の髪が、肩口を静かに流れる。差し込んだ朝陽を受けたそれは彼の背負う悲しみに反してあたたかで、やさしい。
驚きを隠さない碧い瞳に凝視されると、恥ずかしくて、少し、居心地が悪い。
「あの事故のことはほとんど覚えていないけど―――その綺麗な髪の色だけ、今でもまだ目に焼き付いているんです。きっと、それまで見たことがないくらい綺麗だったから、記憶に残っていたんでしょうね。後から思い出しては、ああ、わたしは天使に助けてもらったんだって嬉しくなっていました」
はにかんだ流惟はすぐに表情を曇らせる。目には見る間に涙が浮かんでくる。
「だから、今度はわたしがあなたを助けてあげたい、と思ったけど……今も、思っているけれど、わたしには、あなたを殺すことなんて出来ないから……っ、」
「ルイ……」
「わたしを助けてくれたときから、あなたは死を望んでいたんですか? あなたが死ぬために、わたしに血をくれたんですか?」
聞いたところで流惟の身体にサイプリスの血液が流れていることに変わりはない。どんな理由にしろ自分を助けてくれたこの心優しいヴァンパイアに、流惟は心から感謝をしている。
それでも問わずにはいられなかったのは、記憶の中の金髪が―――あまりに神々しく清らかで、とても死を望んでいたようには思えなかったからだ。
「こんなことを言ったところで信じてもらえるか分からないが、あの時私は、リョウを亡くして以来初めて、誰かを救いたいと思ったんだ」
サイプリスは真摯な眼差しを真っ直ぐに流惟に向けて口を開いた。そうして固く組んでいた指をほどいて、流惟の額の、薄く残る傷跡に這わせる。
「私はリョウの子孫がやっているという病院を捜していた。だけれど迷ってしまって途方に暮れていてね、幼い君が私に声を掛けて、自分が案内してやると、私の手を引いてくれたんだよ。君は覚えていないようだけれどね。歩き出した時、君が被っていた帽子が風に飛ばされた。君は私の手を離して、道路へ飛び出して―――」
サイプリスの顔が苦しげに歪む。事故に遭ったのは私なのに、彼の方がずっと痛そうだ、と―――流惟は彼の手を握る手に、力を込めた。
「血まみれの君を見て、私は恐ろしくなった。失われていく顔色が、血が、あの時と―――リョウをこの手にかけてしまった時と同じだったから。そして、絶対にこの子を死なせてはならないと、思った」
大窓の外の世界は清々しく晴れ渡っていた。木の葉についた朝露が光を反射して輝いている。―――それは君の涙に似ているね、とサイプリスは流惟の頬を親指で拭った。
「泣かないで、ルイ。私はこの日を待っていたんだ。ナユタが言うように、優しい君には辛いことかもしれない。それは重々承知だ。だけれどね、私はこの数十年来忘れていた人間らしい気持ちを思い出させてくれた君に、殺して欲しいんだ。あの事故の直前に、君が私を案内しようとして握ってくれた手は、とても温かかった。その温かい手によってもたらされる死ならば―――きっと、苦しみはない」
そう言いながら静かに頭を撫でるサイプリスは、悲しげに、幸せそうに、微笑んでいた。
流惟は目を伏せてむせび泣きながら、サイプリスに抱きつく。彼の肩口に押しつけた顔にも、首に回した腕にも、彼の体温は伝わってこない。だけれど背中を優しくさすってくれる手は、どうしてかとても温かいのだ。―――込み上げてくる途方もない苦しさを、切なさを、もどかしさを、どうすることも出来ずにただ泣きじゃくった。
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