ACT.3 Chap.2
Chap.2
「わたし、あなたを殺すなんてしたくありません」
二人で並んでバラのアーチをくぐりながら、流惟はそう口を開いた。サイプリスはわずかに目を伏せる。穏やかな微笑が崩れることはない。
「殺してもらわなくては困ります―――ルイ、私を助けてください」
「殺すことが助けることだなんて、悲しすぎますよ。ほかに何か方法があるはず―――」
「もしそんなものが」
流惟の言葉を遮ったサイプリスの声は、ひどく冷ややかだった。けれど向けられた目は柔らかなままであったから、その格差に流惟は少なからず困惑を見せる。
「もしそんなものがあったのだとしたら、わたしはとっくに見つけていたでしょう。このような身体になって以来、何も遊んで過ごしてきたわけではないのですから。それにそのような方法は、ない方がよいのです」
わたしは罪を償うべくして今、ここにいるのですから。
流惟は思わず泣きそうになるのを押し殺して、彼の横顔を見つめた。サイプリスは何か、深い悲しみに囚われているようにも見える。それは誰か、大切な人を失った時のひどく陰鬱とした空元気にも似ている、と思った。
―――あのときのわたしに似ているんだ、
流惟はふとそう思い、ますます彼を死なせたくはない、と唇を噛み締めた。
「さあ、つきました」
「わぁ……!」
サイプリスの声に我にかえった流惟は、目を見張って呟く。
アーチを抜けたそこに広がっていたのは緋一色。種類も形もさまざまなバラが咲き誇るその奥には、大小おびただしい数の墓石が見えた。
「気味が悪いでしょう」
サイプリスが嘲笑する。一歩その中に踏み込むと落ちたバラの花弁が舞い、むせ返るほどの香が鼻をついた。
「ここにあるバラの花弁は全て、赤くなるんです。どんな種類のものを植えても、植えた当初はたとえ白くても、二、三日すると赤くなってしまう」
サイプリスは花弁を一枚摘み上げる。流惟は近くの墓に歩み寄った。
「このお墓はサイプリスさんが……?」
「うん。あぁ、でも全部ではありませんけれどね」
サイプリスが微笑する。ごっ、と風が吹いた。赤い花吹雪。
「呪われているんでしょう。この墓の下には、わたしが殺してしまった人たちが眠っているから……だから彼らの憎しみが、バラを赤く染め上げる」
流惟はサイプリスを見た。彼の顔は透けるように白い―――否、青い。具合はよくないのだろう。
休んでいなくてよいのか、と問おうとしたが、言葉にすることはできなかった。彼の表情はこの世に別れを告げているように見えて、何も言えなくなってしまったのだ。
流惟は手持ち無沙汰になって辺りの墓を見渡した。ほとんどがグレーの石で作られたもので、正面には横文字でその墓石の下の人物の名が刻まれているようだ。そんな中にあって、ひとつだけ白い墓石が目に留まる。たくさんの墓石の最奥に、それは少しはなれて建てられていた。流惟はそれに近づこうと足を踏み出す。
「―――痛ッ」
右手の甲に鋭い痛み。見れば、バラの棘で切ってしまったらしく、少量の血が出ていた。
「ルイ、大丈夫ですかっ?」
慌てたように駆け寄ってきたサイプリスは、流惟の手の甲を見ると、ハッと立ち止まる。見る見るうちに顔は青ざめ、喘ぐような吐息に変わった。
「サイプリス……さん?」
心配そうに流惟が声をかけると、彼はひとつだけ大きく深呼吸をした。すぐにサイプリスは呼吸を整えると、己のシャツの袖を破って流惟の手をとる。
「気をつけてください。あなたの綺麗な肌が傷ついてしまうのはなんとも口惜しい」
壊れ物でも扱うかのような手つきで、彼は慎重にシャツの切れ端を流惟の手に巻きつけた。
「あ……、ありがとうございます」
「屋敷に戻ったらちゃんと手当てをしましょう。―――そう、ナユタさんは医者なのでしょう?」
「はい、わたしのうちの近くの病院の院長先生なんです!」
流惟は誇らしげに頷いて応える。サイプリスは目を細めて口元に笑みをたたえた。
「素晴らしい―――まだ若いのに」
「先生は、本当に優秀なお医者さんらしいです。おうちも何代も前からずっと医者の家系らしくて」
すごいですよねぇ、と繰り返す流惟にサイプリスが頷いて見せれば、自分のことを褒められたかのように顔を綻ばせた。
「ルイとナユタさんはずいぶんと親しいようですが、お付き合いは長いのですか? 」
「わたしがまだ幼稚園のころ―――わたし、交通事故に遭って、那由多せんせのおうちの病院に運び込まれたんです。そのとき、先生はまだお医者さんにはなってなかったんですけど。わたしに輸血をしてもらって」
少し照れくさそうに笑った流惟は、
「だから」とはにかんだ口で続けた。
「先生ってば、ずっと過保護なんですよ。わたしの親なんかよりずっと心配性で!」
「ルイは大切にされているんですね」
サイプリスはそう言うと、すっと手を伸ばして流惟の髪を梳く。その仕種は実に自然で、流惟は頬が熱くなるのを感じた。サイプリスは贔屓目なしに美しい顔立ちをしていて、思わず見惚れてしまう。彼の金髪は陽光に透けてかがよっており、時折吹く風になびいていた。―――容貌はそう、天使のよう。
「わたしが血をもらったのは、那由多先生だけじゃないらしいんですけどね」
「……と言いますと?」
サイプリスに促され、流惟は頷いて続けた。
「わたしが事故に遭ったときに居合わせた人が、病院までついてきてくれたらしくて。ちょうどその日は前日に他のオペがあって、わたしと同じ血液型の血が足りなかったらしいんです。那由多先生のだけでは足りなくて、その人も血を分けてくれた、と聞いています」
流惟はサイプリスを見た。その手術に立ち会った看護婦によれば、それは色が白く、絵画の中から抜け出たように美しい青年で、物腰も柔らかく文句のつけようがない人だったらしい。
なんだかサイプリスに似ているな、と流惟は胸臆でそんなことを考えた。
サイプリスはどうしてか切なげに目を細めて流惟を見つめると、
「傷は、」
「え?」
「その事故で負った傷は、残ったりはしませんでしたか?」
言いながら髪に触れてくる彼の、右の手のひらにある痣は、バラの形に似ている。
「額に少しだけ残っていますけど、ほとんど見えません。―――あの、サイプリスさんは、その痣……」
「これですか?」
サイプリスは流惟に右手を差し出した。それをまじまじと見つめた流惟は頭の上で、彼が笑った気配を感じる。
「わたしがヴァンパイアとなった証……でしょうかね。わたしはこの痣を負った日に、このような罪深い身体となったのです」
そう言った声は自嘲じみていたけれど、彼の目はひどくいとおしげに己の手のひらを見下ろしていた。
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