表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/26

ACT.3 Chap.2



Chap.2



「わたし、あなたを殺すなんてしたくありません」

 二人で並んでバラのアーチをくぐりながら、流惟はそう口を開いた。サイプリスはわずかに目を伏せる。穏やかな微笑が崩れることはない。

「殺してもらわなくては困ります―――ルイ、私を助けてください」

「殺すことが助けることだなんて、悲しすぎますよ。ほかに何か方法があるはず―――」

「もしそんなものが」

 流惟の言葉を遮ったサイプリスの声は、ひどく冷ややかだった。けれど向けられた目は柔らかなままであったから、その格差に流惟は少なからず困惑を見せる。

「もしそんなものがあったのだとしたら、わたしはとっくに見つけていたでしょう。このような身体になって以来、何も遊んで過ごしてきたわけではないのですから。それにそのような方法は、ない方がよいのです」

 わたしは罪を償うべくして今、ここにいるのですから。

 流惟は思わず泣きそうになるのを押し殺して、彼の横顔を見つめた。サイプリスは何か、深い悲しみに囚われているようにも見える。それは誰か、大切な人を失った時のひどく陰鬱とした空元気にも似ている、と思った。


―――あのときのわたしに似ているんだ、


 流惟はふとそう思い、ますます彼を死なせたくはない、と唇を噛み締めた。

「さあ、つきました」

「わぁ……!」

 サイプリスの声に我にかえった流惟は、目を見張って呟く。

 アーチを抜けたそこに広がっていたのは緋一色。種類も形もさまざまなバラが咲き誇るその奥には、大小おびただしい数の墓石が見えた。

「気味が悪いでしょう」

 サイプリスが嘲笑する。一歩その中に踏み込むと落ちたバラの花弁が舞い、むせ返るほどの香が鼻をついた。

「ここにあるバラの花弁は全て、赤くなるんです。どんな種類のものを植えても、植えた当初はたとえ白くても、二、三日すると赤くなってしまう」

 サイプリスは花弁を一枚摘み上げる。流惟は近くの墓に歩み寄った。

「このお墓はサイプリスさんが……?」

「うん。あぁ、でも全部ではありませんけれどね」

 サイプリスが微笑する。ごっ、と風が吹いた。赤い花吹雪。

「呪われているんでしょう。この墓の下には、わたしが殺してしまった人たちが眠っているから……だから彼らの憎しみが、バラを赤く染め上げる」

 流惟はサイプリスを見た。彼の顔は透けるように白い―――否、青い。具合はよくないのだろう。

 休んでいなくてよいのか、と問おうとしたが、言葉にすることはできなかった。彼の表情はこの世に別れを告げているように見えて、何も言えなくなってしまったのだ。




 流惟は手持ち無沙汰になって辺りの墓を見渡した。ほとんどがグレーの石で作られたもので、正面には横文字でその墓石の下の人物の名が刻まれているようだ。そんな中にあって、ひとつだけ白い墓石が目に留まる。たくさんの墓石の最奥に、それは少しはなれて建てられていた。流惟はそれに近づこうと足を踏み出す。

「―――痛ッ」

 右手の甲に鋭い痛み。見れば、バラの棘で切ってしまったらしく、少量の血が出ていた。

「ルイ、大丈夫ですかっ?」

 慌てたように駆け寄ってきたサイプリスは、流惟の手の甲を見ると、ハッと立ち止まる。見る見るうちに顔は青ざめ、喘ぐような吐息に変わった。

「サイプリス……さん?」

 心配そうに流惟が声をかけると、彼はひとつだけ大きく深呼吸をした。すぐにサイプリスは呼吸を整えると、己のシャツの袖を破って流惟の手をとる。

「気をつけてください。あなたの綺麗な肌が傷ついてしまうのはなんとも口惜しい」

 壊れ物でも扱うかのような手つきで、彼は慎重にシャツの切れ端を流惟の手に巻きつけた。

「あ……、ありがとうございます」

「屋敷に戻ったらちゃんと手当てをしましょう。―――そう、ナユタさんは医者なのでしょう?」

「はい、わたしのうちの近くの病院の院長先生なんです!」

 流惟は誇らしげに頷いて応える。サイプリスは目を細めて口元に笑みをたたえた。

「素晴らしい―――まだ若いのに」

「先生は、本当に優秀なお医者さんらしいです。おうちも何代も前からずっと医者の家系らしくて」

 すごいですよねぇ、と繰り返す流惟にサイプリスが頷いて見せれば、自分のことを褒められたかのように顔を綻ばせた。

「ルイとナユタさんはずいぶんと親しいようですが、お付き合いは長いのですか? 」

「わたしがまだ幼稚園のころ―――わたし、交通事故に遭って、那由多せんせのおうちの病院に運び込まれたんです。そのとき、先生はまだお医者さんにはなってなかったんですけど。わたしに輸血をしてもらって」

 少し照れくさそうに笑った流惟は、

「だから」とはにかんだ口で続けた。

「先生ってば、ずっと過保護なんですよ。わたしの親なんかよりずっと心配性で!」

「ルイは大切にされているんですね」

 サイプリスはそう言うと、すっと手を伸ばして流惟の髪を梳く。その仕種は実に自然で、流惟は頬が熱くなるのを感じた。サイプリスは贔屓目なしに美しい顔立ちをしていて、思わず見惚れてしまう。彼の金髪は陽光に透けてかがよっており、時折吹く風になびいていた。―――容貌はそう、天使のよう。

「わたしが血をもらったのは、那由多先生だけじゃないらしいんですけどね」

「……と言いますと?」

 サイプリスに促され、流惟は頷いて続けた。

「わたしが事故に遭ったときに居合わせた人が、病院までついてきてくれたらしくて。ちょうどその日は前日に他のオペがあって、わたしと同じ血液型の血が足りなかったらしいんです。那由多先生のだけでは足りなくて、その人も血を分けてくれた、と聞いています」

 流惟はサイプリスを見た。その手術に立ち会った看護婦によれば、それは色が白く、絵画の中から抜け出たように美しい青年で、物腰も柔らかく文句のつけようがない人だったらしい。

 なんだかサイプリスに似ているな、と流惟は胸臆でそんなことを考えた。

 サイプリスはどうしてか切なげに目を細めて流惟を見つめると、

「傷は、」

「え?」

「その事故で負った傷は、残ったりはしませんでしたか?」

 言いながら髪に触れてくる彼の、右の手のひらにある痣は、バラの形に似ている。

「額に少しだけ残っていますけど、ほとんど見えません。―――あの、サイプリスさんは、その痣……」

「これですか?」

 サイプリスは流惟に右手を差し出した。それをまじまじと見つめた流惟は頭の上で、彼が笑った気配を感じる。

「わたしがヴァンパイアとなった証……でしょうかね。わたしはこの痣を負った日に、このような罪深い身体となったのです」

 そう言った声は自嘲じみていたけれど、彼の目はひどくいとおしげに己の手のひらを見下ろしていた。







.

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ