第1話:二つの医術と『鑑識の眼』
登場人物(第1話時点)
* 東野 葵
* 23歳。最難関医大をトップクラスで卒業し、医師免許を取得。難病を鍼灸で克服した体験から鍼灸師の道へ。解剖学・病理学の知見と、高水準の刺鍼技術を持つ。異世界転移に伴い、体内を全方位から透過・鑑定できるスキル『鑑識の眼』を得る。
* 李 翔鳳
* 古代王国の皇子。冷酷無比で知られるが、原因不明の胸の劇痛発作に苛まれている。葵の常識外れの医術とその胆力を買い、彼女を後宮の専属医官に抜擢する。
【本編】第1話:二つの医術と『鑑識の眼』
「東野、本気なのか? 最難関の医学部を首席クラスで出ておきながら、研修医に行かず鍼灸の専門学校に入り直すなんて」
指導教授の呆れたような、けれど惜しむような声が、今でも耳の奥に残っている。
二年前。私は現代西洋医学の限界と、東洋医学の奇跡を同時に体験した。
原因不明の神経難病。全身を襲う激痛と急速に進行する麻痺。大学病院の最先端MRIも、血液検査も、あらゆる投薬治療も私の痛みを止めることはできなかった。絶望の中、母に連れられて向かった小さな治療院で、老鍼灸師が打った一本の銀鍼。
それが、詰まっていた気血を一気に開通させ、嘘のように私を激痛から解放してくれたのだ。
西洋医学は、体を画像や数値に分解し、解剖学的に構造を把握して命を繋ぐ学問。
東洋医学は、目に見えない気血の流れを整え、人間が本来持つ自己治癒力を引き出す術。
『構造を知る頭』と、『流れを整える手』。
その二つが揃って初めて、救える命がある。
医師免許を手にした私は、迷わず鍼灸の世界へと飛び込んだ。
——けれど、まさかその決意が、時空を越えた見知らぬ世界で試されることになるとは思いもしなかった。
◇
雨上がりの骨董品店で手に入れた、龍の刻印がある古びた銀鍼。
それをケースから取り出した瞬間、視界がぐにゃりと歪んだ。
突如として鼓膜を刺す激しい雷鳴。
鼻をつく、生臭い鉄の匂いと香炉の煙。
次に目を開けたとき、目の前に広がっていたのは見慣れた東京の街並みではなく、朱色の巨大な柱と金色の瓦が連なる、見渡す限りの広大な古代の王宮だった。
「曲者だ! 捕らえよ!」
地響きのような怒号と共に、金属の鎧を纏った男たちになだれ込まれる。ジーンズに白衣という私の姿は、彼らにとって気味の悪い異端の服に見えたのだろう。わけも分からぬまま、冷たい石畳へと力任せに組み伏せられた。
「待て」
制止の声を上げたのは、黒地に金の刺繍を施された豪奢な衣を纏う男だった。
冷酷な双眸が私を見下ろす。この国の皇子、李 翔鳳だ。
「その奇妙な身なり……どこから紛れ込んだ鼠だ」
「違います! 私は通りすがりで——」
言いかけたその時、翔鳳の顔が凄惨な激痛に歪んだ。
彼は突如として胸を押さえ、その場に崩れ落ちるように膝をついた。
「皇子様!?」「御医を呼べ! 早急に!」
侍医や側近たちが血相を変えて乱れ飛ぶ。
私は押し倒された石畳の上から、鋭い観察眼で彼の状態を注視した。
顔面の顕著な蒼白、頸動脈の不規則な跳ね、額の脂汗、そして紫に変色していく唇。
(急性心筋虚血……! 冠動脈が激しく攣縮を起こし、心原性ショックを起こしかけている!)
心電図もカテーテルも硝酸薬もない。
そう思った瞬間——私の瞳の奥で、カチリと何かが噛み合う音がした。
(……な、なにこれ……!?)
視界が明瞭な光に包まれる。
翔鳳の衣服や皮膚が嘘のように透過し、彼の胸郭の内部が、色鮮やかな『立体ホログラム』となって私の視界に浮かび上がったのだ。
骨格、心臓の脈動、冠動脈の走行、正中神経の走り、そして経絡を巡る「気」の流動まで。
まるで、最新鋭の3D-CTスキャンと東洋医学の経絡図を融合させたかのようなグラフィックが、私の意志に合わせて拡大され、全方位360度から自在にスライスして読み取れる。
視界の端には、エラーを示すように赤く点滅する血管の塞がりがくっきりと表示されていた。
『鑑識の眼』——。
時空を越えたことで私に宿った、患者の体内を全方位から鑑識・鑑定するチートスキルだった。
(冠動脈の左前降枝が狭窄を起こしてる! 血管の詰まりも、神経の位置も、ツボの正確な深度も……全部“見えて”いる!)
どれほど優れた解剖図譜も、生の体内の動きには敵わない。そして何より、この映像の意味を完璧に診断・理解できるのは、最難関医大で病理と画像を学び抜いた私だけだ!
「動かないで! 離しなさい!」
私は身体を捻り、動転していた兵士の拘束を振り払った。胸ポケットから飛び出した銀鍼ケースをひったくり、翔鳳のもとへ駆け寄る。
「な、なにをする!」「皇子に触れるな、不敬者!」
シャキィンと音を立てて、数本の剣が私の首筋に突きつけられた。
しかし、私の目は一切ブレなかった。
「黙って!!」
私の一喝に、息を呑む兵士たち。
「私は医学を修め、人体の構造を知る者です。そして……かつて絶望の中にいた私を救ってくれたのは、この一本の鍼でした。医の心得を持つ者として、目の前の患者を見捨てる選択肢はありません!」
首筋に刃を当てられたまま、私は手にした銀鍼を翔鳳の左手首のやや上——内関の穴へ、躊躇なく刺入した。
『鑑識の眼』で透過された視界の中で、銀鍼の先端がミリ単位の誤差もなく、正中神経の直上、もっとも効果的な深度へと吸い込まれていく。
(内関への的確な刺激で迷走神経の異常興奮を抑制、冠動脈を開通させる!)
さらに袴の裾を強引にめくり、膝下の足三里、そして頭頂の百会へと、間髪入れずに鍼を通す。
「……得気……届いた!」
鍼がツボの核心を捉えた瞬間、透過視界の中で赤く点滅していた血管の痙攣がスッと解け、滞っていた血流が一気に開通していくのが見えた。
「……っ、ぐあ……っ!」
翔鳳が深く重い息を吐き出す。
次の瞬間、彼の荒かった呼吸が急速に整い始め、紫だった唇に健康な朱色が戻っていった。
「な……御医の薬すら効かぬ『胸痛の発作』が……」「一瞬で……!?」
周りの兵士や侍医たちが、信じられないものを見る目で固まっていた。
翔鳳はゆっくりと立ち上がり、自身の胸に手を当てた後、不思議そうに私の手の中にある細い銀針を見つめた。
「……お前、名を何という」
「……東野 葵。医師であり、……鍼灸師です」
翔鳳は冷徹だった瞳にかすかな興味の色を浮かべ、不敵な笑みを漏らした。そして私の腕を捉える。
「葵と言ったか。その怪しげな技法、そして余の命を救った度胸……気に入った。貴様を本日より、我が後宮の専属医官とする」
「はい!? 私は元の世界に帰りたいんです!」
「帰る場所などどこにもない。……拒めば、即刻不敬罪で処刑だ」
「な……っ!?」
理不尽な脅迫に抗議しようとしたが、翔鳳の体内に再び視線を向けた私は、息を呑んだ。
発作は収まったはずなのに、彼の胸の奥深く——心臓の背後にある「霊脈」の根元に、黒く渦巻く謎の異物(毒か、あるいは呪いか)が燻っているのが、『鑑識の眼』に映し出されたからだ。
(この人の身体……ただの発作じゃない。もっと恐ろしい“何か”が潜んでる……!)
「分かったわよ……。その代わり、私の治療には一切文句を言わないでね」
こうして、現代医学の知識、東洋医学の技術、そして神の眼『鑑識の眼』を持つ私の、命がけの後宮生活が始まったのだった。




