ドクターストップ
強くなりたい。ふと思った。きっかけは間違いなく藁い草に憑依された時の体験だろう。
まるで風と一体になったかのような疾駆。翼を得たかのような躍動。目まぐるしく移り変わる景色に翻弄されることなく陸と空を制する開放感。
なるほど、このゲームに夢中になるプレイヤーが一定数存在するのも頷ける話だ。現実では体験出来ない超人的なムーブが出来るのはこのゲームの数少ない強み。僕も自分の意思でその感動を味わってみたいと思った次第である。
液晶の格闘ゲームやアクションゲームでもそうだ。直感的な操作でガチャガチャやるのが楽しいと感じる人もいるだろう。しかし、動画で見る計算し尽くされた芸術的な操作を見てしまうと、あれだけキャラクターを動かせたらどれほど楽しいだろうと感じ入ってしまうものだ。今の僕はそれである。
操られていたとはいえ、肉体の感覚は生きていた。トッププレイヤーが見ている景色を体感したことでちょっとした欲望が鎌首をもたげたのだ。
廃人達の動きを気持ち悪いムーブだと思っていた。正直今も思っている。しかし、それは潜在的な羨望からくる妬みだったのではないか。無い物ねだりをするのはみっともないから蔑むことで心の平穏を保つ。そんなある種の逃避だったのかもしれない。
向き合おう。僕もスキルを使い熟したい。天地を縦横無尽に駆け回りたい。僕はそんな所感を滔々と述べた。
「……話は、分かった」
重々しく頷いたシンシアが真剣な眼差しでこちらを見つめながら歩み寄る。ふっと呼気を吐き出して瞑目。ギギッと重たい両開きの扉を開くようにゆっくりと瞼を上げたシンシア。両手でガッと僕の両肩を掴み一言。
「考え直してくれッ……!」
えぇ? そこは快諾してくれるところじゃないの?
了承してもらうこと前提で話を進めていた僕はちょっと面食らった。まさかの拒否である。普段から隙あらば一般人を戦闘用ロボに改造しようと目論んでいる廃人連中の二番手が、まさかの拒否である。なんでさ。
「酷くない? 僕はただ」
「言うな! それ以上は言うなッ!」
発言すら許されないというのか。抗議の視線を向けたところ、瞳孔が開きかけのキマった視線を返された。なんなのさ。
「考えを改めるんだ。でないと私はお前を殺さなくてはならなくなる」
話はいよいよ拗れ、なにやらよく分からないポイントに不時着した。一手打ち損じれば終わりの胴体着陸さながらの緊迫感だ。
エンジンに引火寸前のシンシアを安心させるよう努めてにこやかな笑顔を浮かべる。僕の両肩を掴んでいる手にグッと力が込められた。僕は諭すように言う。
「シンシアが何を心配してるのか分からないけど……僕が君達を脅かす筈がないだろう。そうだね……頭のおかしいプレイヤーから身を守るのって大事でしょ? 自衛のためだよ。それに移動の都度人に担がれてる現状もあんまり心地良いもんじゃないしさ。分かるだろう?」
「手がつけられなくなる前に殺すしかなくなると言っているんだ。街の復興はようやく半分終わった。これ以上の停滞は看過しかねる。なぁ、ライカン、お前は今のままでいい……!」
「手がつけられなくなるって……大げさだなぁ。【踏み込み】と【空間跳躍】を使い熟せるようになりたいだけなんだよ。ちょっと早く動いたり、不意打ちでやられることがないように鍛えたいってだけなんだ」
荒い呼吸を吐き出したシンシアの両腕がガクガクと震える。フラフラと後退り、そのままガクリと崩れ落ちてペタンと尻餅をついた。肺を圧迫されたかのように呻く。わなわなと震え上がり、蒼白の表情を引き攣らせて蚊の鳴くような声で漏らした。
「れ……レイドボス……!」
「どういう反応なのそれ?」
話にならないシンシアを無視してフレイヤたんに顔を向ける。見てくれだけは愛らしい顔が苦悶に耐えるかのように歪んでいた。眉間には深いシワが刻まれ、遠くを見るように細められた目はひくりと痙攣している。こんなに年季を感じさせる渋面を浮かべた幼女はなかなか見られないよ。
「思うに、バランスだ。力関係の均衡が崩れるのは余計な動乱を生む。過ぎたるは及ばざるが如しと言うだろう」
「えぇ? そんな大袈裟な話? 僕はちょっと強くなりたいなーって思っただけだよ?」
「それがそもそも良くない。お前は相手が誰であっても簡単にキルを取れる。が、逆に誰であってもお前のことを簡単にキルできる。そういう力関係があるから辛うじて大事に至っていない。お前はいま、その天秤をいたずらに傾けようとしている」
バリトンボイスで僕を非難するフレイヤたん。なぜ僕は責められているのか。僕はこれ見よがしに首を傾げて心底理解できないことをアピールした。
「……この前の事件の二の舞いは勘弁願いたいと、そう言っている。為す術が無かった……あれは悪夢だ。トラウマになるかと思ったぞ。タチが悪すぎる。二度と繰り返してはならないんだ。考えを改めろ」
「だからあれは操られてただけなんだってば。特別な理由がない限り僕が自分からあんなことするわけ無いでしょ」
「……爆炎から飛び出して来た時のお前、笑ってたぞ?」
いやね? 確かに途中からなんか豪快なアトラクションみたいで楽しいなーとは思ったけどね? それは自由に動き回る感覚が楽しかったのであって、けして廃人やレッドネームを相手取って無双したのが気持ちよかったとかそういうんじゃないんだよ。けしてね。寧ろ僕が強くなれば万が一のときに皆を守れるんじゃないかな? 僕は僕が愛他主義的であることを切々と説いた。
「……ロリコンはな、鋼の理性を持ち合わせていないと駄目なんだ」
「は?」
「ノータッチの原則。分かるだろう? 手を出せば犯罪者に身を窶す。倫理と条例は敵に回せない。決められた範囲内で愛し、信仰し、崇拝する。それがあるべき姿だ」
「??」
「いつだってブレやすい輪郭の線上に立たされているんだ。俺も、お前も。この位なら大丈夫だろう、は危険信号だ。立ち位置を見返してみろ。つまらない欲は……身を滅ぼす」
「???」
「なあ、ライカン」
慈愛の笑みを浮かべたフレイヤたんがポンと僕の肩に手を置いた。
「道を誤るな」
「フレイヤたんも大概狂ってるよね」
常識人だと思ってたのにこれだよ。『先駆』の教育はどうなっているんだ。削ぎ落とした人間性の隙間を何で埋めればこうなるのか。興味は尽きないが、積極的に知ろうとは思えない。触らぬ廃人に祟りなし。
「結論を言ってよ」
「協力しかねる。このゲームを終わらせる訳にはいかない」
「……シンシアは?」
「考え直せ。そう言ったはずだ」
はぁ。僕はため息を吐いた。
僕は今まで廃人連中に最大限協力してきたというのにこの仕打ちはどうだ。彼らはどうやら戦闘マシーンになる過程で返報性の原理というものを何処かへ落っことしてきてしまったらしい。恩を仇で返すなんて外道の所業だ。僕は親指と中指を擦り合わせながら最後のお願いをした。
「どうしても駄目?」
問いの答えは剣閃だった。
眼の前のフレイヤたんが消えたと思ったら全てが終わっていた。視認出来ない程に研ぎ澄まされた体捌き。首からブシュッと赤が散る。致命傷だ。
続く衝撃に身体が浮く。心臓を貫く一撃。万が一の討ち漏らしが無いよう殺意を乗せた捻り込み。シンシアのダイナミック辞表突きだ。僕はコポリと口からポリゴンを吐いた。鈍い輝きを宿した刃が赤に染まる。
「諦めてくれ、ライカン。お前に力は似合わない」
それっぽいことを言って誤魔化したシンシアがガッと剣を引き抜いた。楔を失った僕はドチャリと血溜まりに倒れ伏す。
廃人め。まるであてにならない奴らだ。義に悖る行為を恥とも思わぬ社会不適合者の集団め。かくなる上は――――
▷
「強くなりたい? いいよー! あはっ!」
セカンドオピニオン成功。待ってるといい廃人連中め。僕の正義を甘く見たことを後悔させてやる。
▷
草原でシリアから戦闘訓練を受ける運びとなった。
シリアはテンションの幅によってその時々の戦闘力が変わるものの、並みのプレイヤーなど歯牙にもかけないセンスを有していることは間違いない。
ただ、格上に噛み付くのが癖みたいになっているためほどよく屍を晒す。雑魚狩り専門の看板を背負っているのはそれが理由だ。お手本のような噛ませ役と評していい。
「じゃあちょっと飛んでみて」
カツアゲのようなセリフで促されたので、職業を剣士に変えた後に粗末な剣を取り出して握った。目を閉じて得物を握ったときの重心の変化を意識する。
イメージするのは狼だ。靭やかな後肢から繰り出される力強い疾駆。獲物の喉元に喰らいつく俊敏な跳躍。勝利を誇示する月への咆哮すらも脳内に描き上げる。集中している。スッと目を開きスキルを発動した。
【踏み込み】! そして【空間跳躍】! からの剣ブンッ!
ゴロゴロと転がった僕は勢いが止まったのを確認してからすっくと立ち上がる。服に付着した土と草をパッパと払って問いかけた。
「どうかな?」
「うーん。なるほどねー?」
納得したのかしてないのか判然としない間延びした声を出したシリアが顎に人差し指を当てて小首を傾げた。虚空を見つめてたっぷり十秒。今度は逆の方向にコテリと小首を傾げてうんうんと唸る。
よしと一つ頷いたシリアがわざとらしい笑みを浮かべた。
「この話はなかったことにしよっか?」
「なんで?」
なんでさ。いくらなんでも匙を投げるのが早すぎるでしょ。シリアはわざとらしい笑みをそのままに軽い調子で言った。
「いやさぁ、なんて言えばいいのかなー? 四則演算も出来ない保育園児に連立方程式の解き方を解説してって言われた的な? そんな理不尽さがあるよねー。ぶっちゃけさぁ、どうしようもないよね。あはは」
……なるほど。ヤブ医者だったか。これだから雑魚狩り専門医は駄目なんだ。僕はサードオピニオンを決意した。
「そっか。じゃあもういいよ。シリアよりも強い、シリア、よりも、強いノルマキさんに今度教えてもらうから」
「それ次言ったら念入りに殺す。あとノルちゃんさんに頼るのはやめなよ。かわいそうだよ? 現実でたっぷりストレス抱えてるのに、ゲーム内でまでストレス与えたら泣いちゃうよ?」
ふざけたことを言ってくれる。戦う企業戦士はそんなことで涙を見せるわけが無い。
「シリアに頼んだのが間違いだったんだ。じゃ、これで」
「多分どれだけ頑張っても無理なんじゃないかなー? ユリちゃんも、それからアイツもみんなスキル使うとへっぽこになるし。多分ペナルティ悪用組はどこかで脳波が悪さしてるんだよ。ふわちゃんもそうじゃないかなー? 下手っていうんじゃなくてねー、なんだろ、理解できてないって感じ」
ペナルティ悪用組とかいう汚名に塗れたグループに僕を編入するのはやめろ。冗談にもなってない。
……だけど、確かに。ユーリもみずっちも身体能力は並以下だ。共通点はペナルティの悪用。なるほどね。
キルペナ踏み倒しなどと呼ばれる僕の力は高潔な正義がシステムに認められた結果によるものだ。断じてペナルティの悪用ではない。だが、先に挙げた二人と僕は共通点が多い。とすると、僕は……。
「僕もやろうと思えばキルペナ付与とかセクハラペナ付与っていう反則技を使える可能性がある……そういうことなのか?」
「まって? 軽々しく化け物になろうとするのやめて? ついこの間レイドボスになったのにまだ満足してないの?」
「だからレイドボスってなんなのさ」
「いやさぁ、全プレイヤーの力を合わせてもお話にならないとかありえないでしょー。近中遠に隙無しとか普通にバグレベルだからね? 爆弾の在庫が無くなるまで為す術無いじゃん。ナーフ案件だよ。このチーター」
酷い評価だ。チーターって。僕は操られてただけだって何度言えば分かるんだ。僕は憤慨した。
「はぁ……。つまりシリアも僕に協力する気は無いってことだね。もういいよ」
「うーん……手段を選ばなくていいって言うなら、一つだけ教えてあげられることがあるよ?」
「さすがシリアだ。僕は君を信じてたよ」
僕は手のひらを返した。返しかけた踵を元に戻す。僕は穏やかな笑みを浮かべることで強くなるためには手段を選ばないストイックさを持ち合わせていることを誇示した。
「そんな高度なテクニックは要らないよ? ちょっとした工夫の一つだから。こうして、こう!」
僕の目の前に現れたのは等身大鬼さんスタンプだ。視界を埋め尽くさんばかりの位置に現れた緑肌の筋肉質に目を奪われていると、投げナイフが僕の首の薄皮一枚を裂いて飛んでいった。……まるで反応できなかった。
「スタンプ目隠し。単純だけど、隙をついて殺すにはもってこいの技だねー。前にも見せたでしょ? 意識の空白を意図して作り出せるってのは結構便利なんだから」
……なるほど。確かにこれは強力だ。
突然目の前を覆われて硬直。そして直ぐ後ろからは致命の刃が迫ってくる。相手の動作を視界に収められないため回避は困難。正面切っての戦闘では通用しなさそうだが、闇討ちをするにはこれ以上は無い技だろう。
でも正直思ってたのと違う。僕はがっかりした。
「……確かに強いけど、僕はできれば身体能力がアップする方法を知りたいんだよね」
「えー? それはもう諦めなよ。ライちゃんはへっぽこ。これはもう覆しようがないんだからさぁ。第一、この方法を使ったってライちゃんが倒せるのは雑魚か中堅くらいだからね? そもそもの身体スペックがゴミでもそれなりにやれるってだけだから。私とか廃人連中に通じるような戦法なんて簡単に身につくわけないじゃん。下手っぴが高望みするのはみっともないよ?」
……言わせておけば言いたい放題言ってくれる。少し僕を見くびり過ぎじゃないかな?
僕はザッと足を開いた。剣を大きく後ろに引いて構える。それは一撃離脱の構えだ。一駆けで斬り伏せる。意思を構えに乗せて言った。
「随分と馬鹿にしてくれるけど、僕だってシリアのやり方を何度も見てきた。結果はやってみなければ分からないよ?」
「……へぇ? 言うね。面白いじゃん。来なよ。思い違いを正してあげる。もしも私を獲れたら褒めてあげるよ?」
気まぐれな猫のような、人を喰らう前の妖怪のような笑みを浮かべたシリアが短剣を構えて腰を落とす。本気だ。こちらも本気で行く。
深呼吸を一つ。吹き抜ける一陣の風が今は少し鬱陶しい。目を細め、唇を湿らせる。僕の集中を悟ってか、シリアがますます笑みを深くした。度肝を抜いてやる。僕はスタンプを繰り出した。
[超イイネ!]
僕は剣を捨てて大型爆弾を取り出して高らかに指を打ち鳴らした。息を飲むような声がスタンプの向こう側から聞こえる。ああ、シリア。君は本当に肝心なところで詰めが甘い。油断の笑みをのぞかせる。僕が本気を出したところで君に勝てるわけないだろう。だからこうする。僕を侮るからこうなるんだ。君はここで死ね。
「ライちゃブッ!!」
シリアは死んだ。窮鼠猫を噛む。どんなに不利に追いやられても最後に勝つのは正義なんだ。よくよく覚えておくといい。
スタンプ目隠し戦法。中々にいい収穫だったと言えよう。僕を見捨てた廃人にちょっと披露してみるのもいいかもしれないね。僕は灰と化した雑草を躙りながら街に向かって歩みを進めた。




