獣の皮を被った人の皮を被った獣
自宅でせっせと花火玉を作っている。『花園』プレイヤーからなけなしの爆薬と少しばかりのお金を譲ってもらったので大型爆弾三つ分くらいは作れるだろう。
これが最後の爆弾作成になる。そう考えると、日常の一部となっていたこの作業にも感慨というものが宿るものだ。
特殊爆薬調合によって弾けるように光を発するよう調整した星と呼ばれる火薬の玉を、半円状の容れものに等間隔に並べていく。
現実であれば乾燥やら大きさの調整やらで職人の腕が試されるらしいが、VRではシステムが代行してくれるので煩わしい過程はスキップできる。奥深さが損なわれているかもしれないが、専用の機材がないので致し方なし。
星と爆薬で満たされた半円状の容れもの二つをカポッと合わせて円型にする。そのままぐるぐるとテープを巻き付ければ空を彩る花火玉の完成だ。彼岸花のような尾を引く鮮烈な赤をイメージして作った新作である。
「銘は……幽世渡し、にでもしようかな」
引退前の遺作ということになる。それらしい名前にしてみるのもまた一興というものだ。
銘がシステムに認められ、大型爆弾というアイテム名が幽世渡しへと変貌を遂げる。命が宿った瞬間のようで達成感のある一時である。
ポンポンと花火玉を叩いていると、対面でボケっと何かしらの動画を見ていたであろう人物が口を開いた。
「なんか前に作ってたやつとちげぇな。随分凝ってるみてーだし、力作か?」
スターライトことホシノである。
指折りの出会い厨である彼は日課である新規のナンパを敢行しようとしたところ、激戦区と化した噴水広場前で無事射殺されて僕の自宅に流れてきた。
面白がって追ってきたクソどももここなら容易に近寄らないだろうとはホシノの談である。避難所扱いかよ。
「前に作ってたのは、多分、周囲を吹き飛ばすために爆薬を詰め込んだやつかな。あれは爆薬をありったけ詰め込めば完成だったからね。これは花火玉だから手間がかかってるんだ。それなりの力作だよ」
「おぉ! 前に言ってたやつか! はぁ〜。これがねぇ……外から見たら普通の爆弾と見分けつかねぇな」
ホシノが真っ黒な外装の爆弾をツンとつついた。中に入っている爆薬がカラと擦れるような音を出した。
どうしようかな。僕はほんの少し迷い、一つ頷くと幽世渡しをホシノに差し出した。何がなんだか分かっていない様子のホシノに言う。
「これ、ホシノにあげるよ」
「は? マジで? つか、何で? どういう風の吹き回しだよそれ」
「この前あげるって約束したしね。ホシノなら悪用しなさそうだし」
「おいおい、お前まだ人の心とか失くしてなかったんだな……この前唐突にハシゴ外された時は悪魔かなんかだと思ったけど、しっかり人間だったわ」
「あげないよ?」
「ジョークだってジョーク! 有意義に使わせてもらうわ。サンキューな!」
うきうきで花火玉を受け取ったホシノは、興味深そうに角度を変えて眺めたり持ち上げてみたりした後、笑みを浮かべてインベントリへと格納した。ホシノへと物権の譲渡が完了した証だ。
このゲームでは自身の所有物を他人に譲渡する際、渡す意思と受け取る意思が必要になる。双方の意思が合致したその時、はじめて物権は他者へと移ることになる。
脳波。このゲームでことあるごとに出張ってくるシステムだ。
高い精度を誇るそのシステムは、あやふやになりがちな所有物の譲渡に関する線引きを明確にする。あげるという意思さえあれば、たとえ口約束であろうとも契約は成立する。あとになって返してと言っても権利が戻ることはない。
全くもって理解不能な超技術だ。脳波とは何なのか、ついぞ理解できなかったな。
盗難防止のロックがかかっているため、他人の物をインベントリに入れることは出来ない。それすなわち、幽世渡しがホシノのものになったという証左である。
もしもいま、ホシノが幽世渡しを取り出して着火したらこの家もろとも僕は吹き飛ぶだろう。
まぁホシノなら問題ない。僕はホシノの出会いにかける熱がどれほどのものか知っている。そんな無駄遣いはしないという信頼に近い確信がある。メディア進出を果たすほどの悪質さは伊達でも何でもないのだ。流石だぜ。
インベントリに載っている名前を見たのであろうホシノが眉を顰めた。
「かくりよ、渡し? 幽世って何だ? あんまり縁起良くなさそうだな」
「簡単に言うと、まぁ、あの世のことだね」
「おいおい物騒すぎんだろ……。プレイヤーキルのことしか考えてねぇ奴にしか見えねぇぞ」
そんなつもりは無かったのだけど、ものは捉えようということだろう。死をペナルティが付く一つの現象と見るか、現し世からの旅立ちと見るか。その違いだ。
「意味についてはそのうちわかると思うよ」
「お前のことをあの世に送ってやるぜ! っていう意味にしか捉えられないのは俺の感性が未熟なのかねぇ」
「芸術っていうのは往々にして作者の死後に評価されるものだからね。そのうちわかるよ、そのうち」
「ま、実際に使うときを楽しみにしておくわ」
「使う時が来なくて死蔵されることになりそう」
「るせぇ! ほっとけ! 俺は絶対に諦めねぇぞ!」
僕は『花園』連中とシリアにだけ引退すると伝えている。あんまり言い触らすのも違うと思うしね。それに、知られたら面倒なことになりそうなプレイヤーもいる。
特にあっさんあたりは引き止めてきそうだ。このゲームに文字通り命を賭けていそうなあの廃人は、自分にとって有用な人材に対して異様な執着を見せる。
検証勢の依頼を断らないのも、新規の保護に積極的なのも、最終的に自分の利に収束するからだ。
現実を生理現象の消化とwikiの閲覧をする場と割り切った廃人の行動原理は単純で、故におぞましい。レベル上げが困難な火薬師なのに高レベルであるという立場は、廃人が本気になるに足る要素を秘めている。
大型爆弾を使用して新エリア開通に貢献したことだってある。なまじ実績がある分、引き留めようとしてくる可能性も上がるというものだ。ことあるごとにレベル上げを推奨してくるあの廃人と顔を合わせるのは、作戦開始の時間まで避けておきたい。
だがしかし、今日は夜の日だ。
夜は一般プレイヤーにとっては視認性が落ちて狩りがしにくくなるので不人気であるが、それは取りも直さず狩り場の独占の好機である。
効率の二文字を神聖視する廃人にとって、夜の日は邪魔が入らないボーナスステージのようなものだ。
特に今は銃器解放で浮かれているプレイヤーが市街地を舞台に夜間戦闘を繰り広げている。フィールドは普段より輪を掛けて人が居なくて快適なはずだ。
今頃は伸び伸びとモンスターをジェノサイドしていることだろう。そう思っていた。油断しているわけではなかった。ごく当たり前の結論を導き出したはずだった。
玄関の鍵がピッキングされると同時、バンとドアが開け放たれギュンと接近してきた影が一つ。
発注ミスで中割を忘れたアニメのような人外の動きをする人物を、僕は一人しか知らない。
あっさんはなんの前触れもなく現れた廃人に目を白黒させているホシノに一瞥もくれず、椅子に座っている僕をじっと見下ろした。
闇を煮詰めたような黒目。死んだ魚のような目。シリアの時といい、どういう脳波を感知すればシステムがこのような表現を出力するのか。
あっさんの口が開く。
「何を企んでいる」
あっさんは、この廃人は、一体どこまで……。
痕跡は残していないはずだ。情報操作もした。何を辿ってその結論に至ったのか、まるで予想がつかない。それは人には無い優れた嗅覚で獲物を追い詰める猟犬のような野生。
化け物め。これだから廃人は。僕はすっとぼけることにした。
「いきなりやってきてなんなのさ。言い掛かりにしても酷すぎるでしょ」
「花園が動いている」
「何の話かわからないな」
「シリアが大人しくしている理由がない」
「段階を踏んで説明してくれない?」
「お前がこのまま引き下がるはずがない」
「あっさんは僕を何だと思ってるのさ」
「嫌な予感がする。これまでとは比べ物にならないほどの」
駄目だ。話にならない。この廃人は断片的な証拠とこれまでの経験に裏打ちされた推測で限りなく正確な予知を実現している。そしてそれが間違っていることを疑っていない。
最もタチが悪いのは、それが全き正解であることだ。何だ。何なんだこいつは。その才能を他に活かせよッ!
この廃人は民度向上のためとはいえ、街を破壊することを許容しないだろう。効率が落ちるからだ。
街の復旧にかかるカネも物資も莫大な量になることが予想される。その資源を、時間を、お抱えの生産職につぎ込んでいたら得られる経験値はどれほどになるか。そういうそろばん弾きが達者でないと一線級の廃人には至れない。
だからといって、街を壊れたままにしておく選択肢はないだろう。新規プレイヤーがドン引きするのは目に見えている。
あっさんはこの世界を存続させるために新規の保護に積極的だ。同時接続者数はネトゲの寿命のようなものである。なんならレッドプレイヤーが萎え引退することすら好ましく思っていないはずだ。
計画の全容を知れば確実に妨害されるだろう。対策は練ったのだが、まさか作戦開始前に接触してくるとは思わなんだ。どうする? どうすればいい?
「おい、急に何なんだ一文字様よぉ。モンスターばっか相手にしてたら人に対する礼儀作法も忘れちまったのかぁ? ライカンがんなことするわけねぇだろ。今まで色々やらかしてきたけど、一線を超えたことがあったかよ? えぇ?」
ホシノ! やはり持つべきものは友である。
椅子を蹴立ったホシノはチンピラのような口調と歩法であっさんに歩み寄り、その肩へと手を掛けた。
あっさんが身を翻す。抜くても見せぬ早業で肩に置かれた手を弾くと獣のように身を屈め、流れるような手捌きで五指を揃えた両手をスゥとホシノの鳩尾へと添えた。あっさんの両手がブレる。
「かッ、は……」
ホシノがビクンと痙攣し、そのまま白目を剥いてドシャリと崩れ落ちた。現世に遺した未練を手繰るかのように宙へと震えた手を伸ばしていたホシノであったが、再度大きく痙攣すると、天寿を全うした虫のように動かなくなった。ホシノォ! 何しに来たんだお前ぇ!
「あっさんて、ほんとに人間?」
「スキルさえあれば誰にでも出来る」
出来ないよ。そんな拳法もどき初めて見たよ。
冗談ではなく本気で言っているのだろう。極限まで遊びを削ぎ落とした能面のようなツラがじっとこちらを窺っている。一挙一動余さず観察し、過去と照合することで情報を精査する廃人の特殊技能だ。
それはモンスターの予備動作から次の行動を予測するかのように、人のクセや言動から策や嘘を見透かしてくる。居心地の悪い視線だ。僕は努めて柔らかな笑顔を浮かべた。
「僕は何も……企んでなんていないよ。そうだ、爆薬が足りてないんだよね。暇なら採掘してきてよ」
「……」
「まあ、無理にとは言わないけどさ」
「……」
「それより、こんなところで油売ってていいの? せっかくの夜なのに。まだレベルを上げてないジョブが沢山あるんじゃないの?」
「嘘をついていないと誓えるか?」
「僕の正義に誓おう」
真偽の程を量るようにじっとこちらを見つめる視線を真っ向から受け止める。ついでに穏やかな笑みを浮かべてやると、これ以上の問答は不毛と悟ったのであろう廃人がギュンと家から出ていった。まったく、嵐のような奴だ。
僕は腹の底に溜まった不安を吐き出すようにため息をついた。当面の危機は去ったが、このままではいつボロを出すか分からない。時間までログアウトしておこう。
その前に。僕はユーリから譲り受けた秘策その1をインベントリから取り出した。
それはコミカルな表情をした着ぐるみだ。カートゥーン調の狼を象ったそれは、高レベルの裁縫師であるユーリ謹製の逸品である。
機動性を大幅に削るが、分厚いそれは並の防具よりも高い防御力を誇る。数発のヘッドショットなら耐えられるため、ログイン時の無防備な状態でも頭を撃ち抜かれる心配がない。
おまけにプレイヤーネーム隠蔽機能もあるらしい。こんななりをしているが、意外と高性能である。本邦初公開であるらしく、一目でその性能を見抜くのは難しいであろうとはユーリの談だ。
銘は狼少年装束。僕に渡すときに名付けたというが、酷い悪意を感じざるを得ない。まるで僕が嘘つきみたいじゃないか。ふざけた話だ。
着ぐるみを装備する。防具の作りに忠実な処理がされているのか、視界が狭くなる。こりゃ戦闘には向かないな。動きも若干重くなった。
あまり良くない着心地に辟易しながらメニューを操作してログアウトを実行する。光の粒が立ち昇っていく。
いよいよだ。次にログインするその時こそ、僕がこの世界で為した全てを披露する時だ。柄にもなく少しばかり興奮している。
「これで全て……終わらせよう」
つい感極まってポツリと呟いてしまった。独り言のつもりだったのだが、少々失念していたことがあった。
「……あ? お前、なんだ、その恰好……」
ホシノがいたのすっかり忘れてたよね。
あっさんの寸勁もどきで気絶していたホシノがこちらを這ったまま見上げていた。いつの間にか復帰していたらしい。しまったな……秘策を目撃されてしまった。
僕は少し悩んだ挙げ句、ログアウトを中断し、小型爆弾を取り出して着火した。着ぐるみ内で指を鳴らしても着ぐるみの指の先から火が出る親切設計だ。匠の計らいだね。
「おい、お、お前……っ!」
そのままテーマパークで風船を手渡す着ぐるみよろしく爆弾を差し出した。目撃者は消さないとね。
「お前やっぱ狂っ」
巻き起こった爆発が悪を滅ぼす。罪状は、まぁ、不法侵入ってことで。
ポリゴン爆散したホシノを追うようにして僕もログアウトする。せっかくカッコつけたのに、ホシノのせいで気勢が削がれてしまったので僕はリテイクした。
「これで全て……終わらせよう」
作戦開始まであと五時間。それで全てが終わる。
僕は目を閉じてこれまでの追憶に思いを馳せながらこの世界から離脱した。




