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第3章の18 星と月は闇を鮮やかに彩る

 大切な人は死んでも守り通せ。それは、秀斗が阿修羅に教わったことの一つだった。

 若いはずなのに成熟しすぎていて、飄々と捉えどころのない彼に秀斗はよく遊ばれていた。だが彼はとくに秀斗にかまっていたわけでもなく、むしろ放置していた方だった。

 そして思いだしたかのように構いにくる。

 それでも、鎖羅と弥生の稽古を見に行く時は必ず付いてきていた。鎖羅がいれば彼は動く。阿修羅の基準はいつも鎖羅だった。


(それも憧れた理由の一つだったけどな)


 秀斗は夢と現実の狭間で、先ほどまで見ていた懐かしい夢の余韻に浸っていた。真っ白な世界。現実が近かった。


(阿修羅……さん)




 秀斗はパチリと目を開けた。目に飛び込んできたのは見知らぬ天井。いや、どこか見覚えがあった。ただ記憶が遠すぎる。

 そして顔を横に向けると、先ほどまで夢で会っていた人が目の前にいて、心底驚いた。


「うえぇっ! 阿修羅さん⁉」


 驚きすぎて、変な声が出たのにも呼び方が昔に戻っていることにも気付かない。

 慌てて身を起し、わたわたと何かを言おうと口を動かすが、肝心な言葉が出てこなかった。


「正気に戻ったか?」


 阿修羅は感情のこもっていない眼差しで秀斗を見た。


「あ」


 秀斗は気を失う前の自分を思い出して、間の抜けた顔になった。ついでに我を失っていた間に勇輝が叫んでいた言葉も思い出して急に恥ずかしくなった。


「早とちりしてすんませんでした」


 潔く謝り、頭を下げる。


「その癖は昔と一緒だな」


 阿修羅が呆れた声でそう言った。昔から秀斗は思い込んだら一直線のところがあったのだ。


「……あはは」


 秀斗はすーっと視線を逸らし、半笑いを浮かべる。そして視線を少し落として、


「……阿修羅さんは、俺の血のこと知ってたんですね」


 と呟いた。

 知っていなければ、ああも簡単に対処はできないはずだ。


「まあ、視てしまったからな」


 それが阿修羅の目のことを指しているということはすぐに分かった。


「ですよね」


 だが彼はそれを他言しない。そこもまた、彼という人を分かりにくくしていた。

 秀斗はしばらく視線を下に向けていたが、その視線はすぐに阿修羅に戻った。阿修羅の出現で機能マヒを起こしていた脳がやっとここに来た理由を引っ張り出してきたからだ。


「弥生は! 弥生はどうなった⁉」


 阿修羅は遅い、と一言述べてから現状を説明し出した。


「まだ二人は帰ってきてない。だが生きてはいる。おそらくどこか別のところに飛ばされたのだろう。今お前の仲間の数人が探している」


「けど弥生は闇に!」


「鎖羅がいる。あいつなら闇化を止める方法を見つけられる」


 秀斗はそう言われて言い知れぬ安心感に包まれた。すっと肩から力が抜ける。


「それに、弥生が死んでいないのはお前が一番よく分かっているはずだ」


 阿修羅の言葉に秀斗は力強く頷いた。秀斗には弥生を感じることが出来る。

 二人の間に沈黙が流れた。秀斗は気まずくなってしばらく俯いていたが、覚悟を決めたように阿修羅と目を合わせる。


「あの、阿修羅さん……あの時は、勝手に出て行ってすいませんでした!」


 秀斗はぎゅっと目を瞑って阿修羅に頭を下げる。それは、秀斗が氷騎を出てからずっと気にしていたことだった。

 恩を仇で返すようで、心苦しかったのだ。

 阿修羅は表情を和らげて、秀斗の頭に手を置いた。

 驚いた秀斗が顔を上げる。


「お前が元気ならそれでいい」


 秀斗はきょとんと阿修羅を見つめ、嬉しさを顔で弾けさせた。子犬が主人に甘えるように嬉しそうに笑っている。

 阿修羅はぐりぐりと頭を撫でまわして、にっと口角を上げた。自信たっぷりな、彼の笑い方。


「それに俺はお前に出て行かれたなど思っていない。散歩させているだけだ。その気になればさっさと連れ戻すからな」


 咎めるような口調。だが、それは彼の心とは逆であることを秀斗は知っている。


「弥生を置いては帰れません」


 だから安心して自分の思いを語れる。受け止めてくれると分かっているから。


「お前……まだ弥生のことを追いまわしているのか」


 先程までの真剣な声とは打って変わり、呆れはてた声だ。


「守ってるんです。阿修羅さんだって、鎖羅が心配だから近くにいたくせに」


 秀斗も負けじと言い返す。昔は何度もこのやりとりを繰り返していた。


「愛しいからな。それで、お前はまだフラれ続けているのか?」


 秀斗の思いが届かないことは大前提のようだ。


「ほっといてください。阿修羅さんはどうなんですか」


 秀斗は拗ねたように口を尖らせて、阿修羅に話をふる。


「現状維持だ」


「え、まだ告白してないんすか?」


「ほっとけ」


 昔は日常的だったやりとり。二人の挨拶に似た物だった。二人はしばらく昔に戻ったように感じていた。


「阿修羅さん……不器用ですもんね」


「生意気だぞ。あまり度が過ぎると閉じ込めるからな」


 何処にという目的語を抜いたのはわざとだ。

 秀斗は顔をひきつらせて、苦笑いをする。

 蘇ってくるのは闇に彼曰く可愛い魔獣と共に閉じ込められ、反省させられた記憶だ。


「冗談です!」


 阿修羅は必死な秀斗の顔を見て笑い、ポンポンと頭を軽く叩いて離れた。


「そのヘアバンド、なかなかいい趣味をしている」


「でしょ」


 秀斗は嬉しそうにそれに触れた。

 彼はこのことについて全て知っているのかもしれなかった。

 彼の目は、過去は映さず、また感情を読むこともできない。だが、全てを色で把握することが出来、それを繋ぎ合わせることで理解するのだ。

 これをつけることになった理由。それを知った上で気遣ってくれていると思うと、嬉しくなる。

 阿修羅はすっと席を立った。


「俺はお前が起きたとあいつらに伝えに行く」


「どーもでーす」


 秀斗が出ていく阿修羅に軽く手を振る。

 阿修羅は扉の前で一度振り返った。


「秀斗、お前は弥生を守れよ。それと、弥生が望めばその鍵……返してやれ」


 虚を突かれたような秀斗の顔を満足そうに見て、阿修羅は扉を開けて出て行った。


「マジ? そこまでバレてんの?」


 今さらながら、阿修羅を怖いと思った秀斗だった……。




 森の中で土を踏む音が聞こえる。たまに人が話す声も混じっている。ザッザと足早に彼女は歩いていた。


「義姉様《ねぇさま》、一人でも歩ける」


「どの口が言う。さっき立てばふらふらだったではないか」


 土を踏む音は一つだけ。鎖羅が大地を踏みしめ、弥生はその背に背負われていた。

 弥生は拗ねたように顔を横に向ける。


「でも……」


「妹なら可愛く甘えていろ」


 妹を出されれば弥生は何も言えなくなる。

 鎖羅の温もりを感じながら、弥生は勇輝に言われた言葉を思い出していた。鎖羅を知ろうとしなかったのではないか。その言葉が今になって身にしみる。


(まさかあんな奴に気づかされるとは)


 鎖羅のことについて弥生は多くを知らない。それは教えられなかったのではなく、知ることを避けていたのだと気づいた。

 弥生は、鎖羅の艶やかな髪を眺めながら、ぽつりと呟いた。


「あの時見た義姉様は、何だったのだろうな」


 弥生の脳裏に冷たく笑う鎖羅がよぎる。胸がとたんに締め付けられ、傷が痛んだ。


「さあな。少なくとも我ではない……」


「義姉様ではないなら、いい」


 弥生は黙ってその肩口に頬を埋めた。それを知れただけでよかった。


「……温かい」


 久し振りに感じる人の体温。弥生はそれに酔うようにそっと目を閉じる。


「人の傍にいるのもいいものだろ?」


「……あぁ」


 鎖羅は屋敷へと歩みを進める。そしてふと、屋敷いるだろう人たちを思い出した。


「そう言えば弥生、お前には仲間がいるのだな」


 弥生ははっと目を開けて、鎖羅の横顔を覗いた。その表情は少し不安げに揺れている。


「あの、義姉様……」


 その声を聞いて、鎖羅はくすりと笑みを零す。弥生はきょとんと鎖羅の笑い顔を見た。


「安心しろ。お前の仲間に手は出していない……我もさすがにそこまではせぬ」


 弥生はほっとして、表情を和らげる。その表情を鎖羅が振り返って見た。鎖羅は口角を上げ、前に向きなおる。


「弥生。お前は強くなったな」


 唐突にそう言われて、弥生は目を瞬かせたがすぐに伏せた。


「……義姉様には勝てない」


「技術ではない。お前は昔、自分のためにしか剣を振るえなかった。だが今は、仲間を守るために振るえるようになった」


 弥生は仲間と言われて、わずかに照れた表情をする。無言の中で同じ苦しみを分かち、心配の中で弥生の思いを尊重してくれたかけがえのない仲間。弥生は彼らの顔を思い浮かべ、無性に会いたくなった。さんざん怒られることは目に見えていたが、それさえ嬉しく思える。


「本当に、強くなったな」


 鎖羅はしみじみとそう呟いた。


“弥生は強い。だが弱い”


 それは鎖羅が秀斗に言った言葉。あの時の弥生は何もかもに怯えて剣を振るっていた。心が置き去りにされ、弱さを隠すために強くなろうとしていた。

 怯えしか映さない弥生の剣を心配して鎖羅は剣術を教えたのだ。

 だが今の弥生は仲間を守ることに対して迷いも怯えもなかった。


「私は、あいつらが好きなんだ……」


 弥生は独りごとのようにそう呟き、鎖羅の肩口に頬を埋めた。まるでその表情を悟られまいとするように。


「いい仲間を持ったな」


「……あぁ」


 鎖羅の体温も、歩く振動も不思議なほど弥生を安心させた。弥生はそっと目をつむる。


(あいつらに、謝らないとな……)


 弥生はぽつんとそう思うと同時に眠りへと誘われていった……。


「……寝てしまったか」


 鎖羅は急に重くなった背中と、聞こえてくる規則正しい呼吸音から弥生が眠りに落ちたのを感じた。


「まぁ無理もないか」


 鎖羅は弥生を背負い直すと、まっすぐ屋敷へと向かう。


(なぜ我は弥生をあれほど憎んでいたのだろう)


 あれほど憎んでいたはずなのに、今は微塵も残っていない。


(何か……ひっかかるな)


 鳥のさえずりに耳を傾け、違和感を考えながら歩いていると、突然しげみから音がした。

 鎖羅はそちらに体を向け警戒する。音はどんどん大きくなり、草が揺れる。続いて人影が見えた。


「やっと見つけたぞ」


 背の高い草をかき分けて進んできたのは、錬魔だった。鎖羅は彼が弥生の仲間だということに気づいて警戒を解く。

 だが逆に錬魔は警戒を強めた。火煉を発現し、弥生の容態を視る。問題がないと分かるやいなや、鎖羅に近づいて弥生を引き受けようとした。


「誰が男に弥生を触らせるか」


 だが鎖羅に冷たくあしらわれ、錬魔は不愉快さを隠さずに言い返す。


「俺としては敵の、まして闇に触れられているのは耐えられんな」


 両者の間に火花が散り、一触即発の雰囲気が作られる。


「何を偉そうに」


「俺は医者だ。患者を保護する義務がある」


 二人はしばらく睨みあい、やがて鎖羅が折れて弥生を錬魔に渡した。弥生が好きだと言った仲間を信じてやることにしたのだ。


「大切に扱え」


 錬魔は鎖羅の言い方と弥生の闇化を止めたこと、さらにはここまで背負ってきたことに対して、何があったと聞きたかったが意地が邪魔をした。

 二人は無言のまま並列になって歩く。弥生は何も知らずに錬魔の背中で眠ったままだ。

 しばらく歩くと、鎖羅が口を開いた。


「お前は医者と言ったな。今回弥生の月の覇動が消えたのは何かの病か?」


 鎖羅は真剣な表情でそう訊いた。一方の錬魔は信じられないものを見る表情で鎖羅の顔を食い入るように見る。


「何も、知らないのか?」


「あ?」


「だから、闇のくせに何も知らないのかと言っている」


 鎖羅はふんと鼻を鳴らして嘲笑うかのように言葉を返した。


「それが魔術に関することならば我は全く知らぬ。我は魔術界のことも魔術のことも教わらなかったからな」


 鎖羅は不快そうに眉をひそめた。

 言葉の奥にある深さに気づいた錬魔は、苛立たしげに舌打ちをした後、抑揚のない声で話しだした。


「闇の子という存在を知っているか」


 鎖羅は唐突だな、と呟いて記憶を探る。


「あの他の種族でありながら闇の血を引く者のことか?」


「そうだ」


 鎖羅はだからなんだと言いたげな表情だったが、すぐにハッと気づいたように目を見開いた。


「……まさか、弥生がそうだと言うのか?」


 錬魔がふっと自嘲気味に笑う。


「弥生だけじゃない……俺たち全員が、だ」


 鎖羅ははっと息を飲んだ。つまりは、目の前にいる錬魔も闇の血を引いていることになる。その覇動は全く感じられないにも関わらず。


「普通の人には感じ取れないほど微弱な闇だ……だが、確実に俺たちを蝕む。その果てがあれだ」


 その内容が何を意味するのか、鎖羅はすぐに理解した。


(だから、弥生はあれほど闇を恐れていたのか……)


 鎖羅は口の中で信じられないと呟いた。


「そんなもの、噂話にすぎぬと思っていた……現実に、あったのか」


「あぁ。俺たちは純血の家庭に生まれた異端児だ」


 錬魔の闇の子を語る声はどこまでも冷たく、自身さえも見下しているようだった。


「それは、闇が憎いだろう」


「あぁ……」


 おそらく彼ら全員がもし作為的に自分たちを闇の子にした人物がいれば、すぐにその怒りをぶつけに行っただろう。だが、闇の子は突然変異。怒りは自分たちへ向けるしかなかった。


「……すまぬ、我は何も言えぬ」


 鎖羅は辛そうに顔を歪め、視線を落とした。

 錬魔がその表情を見て、わずかに戸惑いの色を見せる。


(これが本当に、あの鎖羅か?)


 錬魔が鎖羅を見たのは一度だけ。あの寒い夜だ。あの時の鎖羅は冷酷さを感じさせ、錬魔は憎しみを抱いた。これが自分たちを苦しめる闇だと。

 だが隣にいる鎖羅は彼の仲間と同じように話をし、同じように表情を変える。


(……ちっ、闇は敵だ。それでいいはずだ)


 錬魔は雑念を振り払おうと一度頭を振り、弥生を上に背負い直して歩調を速めた。

 仲間が待つ屋敷へと……。




 暗い部屋に、笑い声が響いた。く、く、くと喉の奥で笑っている。部屋が暗すぎて、人の輪郭は闇に溶けて見えなかった。


(力が漲る。これで魔術が使えるぞ)


 男は満足そうな笑みを浮かべて椅子に背を預けた。暗くて分からないが、その椅子は豪華な装飾が施され他より高い位置にあった。

 それは玉座。だが装飾華美なそれもその男が座るとなんの不思議もなくその部屋に収まっていた。男の足もとからは絶えず闇が生まれ部屋を満たしていく。


「楽しそうですね」


 突然別の声が気配とともにその部屋に降り立った。だいぶ若い男の声だ。


「サクリス、人間界で潜伏していろと言ったはずだが?」


「少し暇が出来たので陛下の顔を見に来たのです」


 男は彼の主人がいる方へと歩を進めた。視えているかのように階段を上がっていく。そして玉座の前まで近づくと、片膝をついた。


「陛下、いつになれば光を滅ぼせるのですか? 幹部は俺で最後と聞きましたが」


 王と崇められる男は頬杖をついて口角を上げる。


「あぁ蛇の頭は揃った。そう焦るな……ロビナシアが目覚めぬことには、な」


「てか、アフランはともかく、影が少なくないっすか?」


 男はすぐに口調を砕けさせた。これが彼本来の話し方なのかもしれない。


「アフランはじきに帰ってくる。影には少し仕事をな。決戦は近い、力を蓄えよ」


「はっ」


 男はかしこまって、立ち上がると一礼して階段を下りていく。彼が部屋から出ていくその瞬間、外からの光が彼の白い髪に反射した……。


なんか出てきたね、怪しい人影……。


次回ついに「エピローグ」

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