第2章の13 何事も準備が大事
翌朝、秀斗は制服に着替えて弥生の部屋を訪れた。たまには学校に行こうと思い、その前に弥生の顔を見に来たのだ。
昨日の鷺との一件が気になっているというのが大きいのだが……。
トントン、と軽いノックをして、くぐもった声が聞こえるとドアを開けた。
そして机の椅子にもたれている弥生を見つけたが、すぐに用件を切り出せなかった。
弥生が寝起きだとかそんな理由はではない。
弥生は常に早起きで、身なりも整っている。学校に行く気などさらさらないはずなのに、制服を着ていた。それも引っかかるが問題は弥生が今やっていること。愛剣、月契の手入れ。
(うわ~嫌な予感がするぜ)
弥生の剣は刀鍛冶が打ったような普通の剣ではない。弥生の力自体が具現化し、剣の形をとったものだ。だから刃がかけることも剣が折れることもなく、手入れをしなくても錆びるということもない。
弥生がそれにも関わらず月契の手入れをしている時は、弥生の気が高ぶっているか、大きな戦いが起こる前だ。
「なぁ弥生。お前鷺に何を言われた?」
弥生は剣の具現化を解くと秀斗に視線を移した。
「お前には関係ない」
秀斗は弥生の瞳の奥にちらりと灯った憎しみの火を見逃さなかった。
(そうか……黒騎か)
秀斗は察しをつけると重い口調で言う。
「一人で殺ろうとするなよ」
「お前に何ができる? 戦う術を持たぬお前が」
秀斗は自分の手を見た。昔は守りたいもの全てがこぼれおちたほどの小さな手も、今は大きくなった。
そしてぐっと力を入れて握った。
「確かに俺は弥生みたいに強くない。でも、お前を守ることはできる」
弥生は小さくそうか、と呟くと窓から空を見上げた。今宵は下弦の月、魔術の方が強い状態だ。身体能力はだいぶ落ちているだろう。
「なら、さっさと学校へ行け。今日は愉快な一日になるぞ」
弥生はそう言うとすっと口角を上げた。それを見た瞬間、嫌な予感が走って秀斗は回れ右をする。
愉快の内容を訊きたいが、薄ら笑いを浮かべる弥生が怖くて訊けない。
(早く学校に行かねぇと)
弥生の愉快は他人にとっての迷惑と恐怖であり、大抵血の雨が降る。
今までの経験からそれを知っている秀斗は、早足で学校へと向かった。
弥生は人のいない廊下を早足で歩いていた。途中脇の廊下に入ったり、ドアを開けたりと複雑な進路を取っている。彼の部屋はこの屋敷の中でも一番入り組んだ所にあった。
弥生は他より一回り大きい扉の前に着くと、ノックもせずに入った。忘れたわけでもなく、その必要がないことを確信していたからだ。
開けた部屋は暗く、ほとんど日の光が入っていない。
弥生は暗い中でもお構いなしに部屋の隅にあるベッドへと歩いた。
そこではこの部屋の住人、錬魔がまだ眠りの中にいた……。
錬魔は朝が弱く、その上夜は遅くまで起きているのが常で、日が高く昇ってからではないと起きてこなかった。机の上に散らばる本や器具などを見るに、昨日も遅くまで研究をしていたらしい。
弥生は布団をかぶって寝ている錬魔の脇で少し考えるそぶりを見せたが、おもむろに月契を出現させた。
それを逆手に持つと、ためらいもせずに錬魔めがけて突きおろす。
剣先は錬魔の髪を掠め、ベッドに突き刺さり、顔の数センチ横に穴を開けた。それと同時に錬魔は飛び起き、敵に向けて手刀を繰り出す。
そして敵の姿が目に入ると、その手を寸前で止め、目をしばたかせた。
「……めずらしいな。お前が起こしにくるとは」
起こし方については追及しない。直接喉元に突き立てられなかっただけまだましなほうだ。
「学校へ行く。用意をしろ」
「学校? なんであんな人間だらけの場所にいかないといけないんだ」
錬魔はぼうっとする頭を必死に起して返答する。
「鷺が今日、死堅牢の区域にある二三の組が高校に攻め入ってくると言った」
その言葉で眠気は吹き飛んだ。
(とうとう来たか)
錬魔は苦々しい顔をした。
龍牙隊はヤクザを多く傘下に持ち、それらを統括することも大きな任となっていた。よって牙軍の階級ごとに地区が割り振られ、そこにある組を従わせて秩序を保たなくてはいけない。
しかし今は欠番も多く、一つの小隊が複数の地区を管理しているのがほとんどだ。
如月はこの十年活動を停止していたので、死堅牢の地区は夜一星が管理していたのだが、復活したことにより死堅牢の地区は夜一星の管理からはずれたのである。
その隙を狙って、あわよくば死堅牢を倒してこの地区の覇権を握ろうと複数の組が動き始めた。
「……わかった。着替えたらすぐにいく」
「私は先に行っている」
「わかった」
弥生は踵を返すと、扉から出て行った。
錬魔は髪をかき上げてベッドから降りた。
(ヤクザ相手か、やりにくいな)
錬魔は頭を起こすため、カーテンを開けた。開いた窓から心地よい風が部屋の中の空気を掻きまわした。新鮮な空気を吸って錬魔は肩の骨を鳴らした。軽く筋肉をほぐし、本日の戦闘に備える。
手早く着替えて身支度を整えると、抽斗から小瓶を取り出した。中に入っていた丸薬を二粒口に放り込み噛み砕く。
緊急用にと作っておいたもので、朝食に最適な栄養とカロリーが取れる。戦闘のためのエネルギーを補給し、錬魔は学校へ向かうため体の向きを変え歩き出した。
赤い髪が、赤い線を引くように揺れ、風が錬魔の背中を押すように吹いた。




