第2章の7 月光に浮かぶ鳥の影
勇輝が弥生となかなか接触を図れないでいたころ、鷺が主宰するパーティーの日となった。
ぎゃーぎゃーと煩い秀斗は癒慰の植物の蔓で縛りつけられ、妨害しようとも身動きが取れない。
弥生は一人、部屋で身支度を整えていた。正装に身を包み、鏡でその姿を確認する。
(これをはおるのも久しぶりだな)
鏡に映る自分は、あのころと同じだ。
彩の魂が体から抜けて、意識が戻ったような感覚になった。いや、眠っていた自分が全て覚醒したのだ。
彩との時間は全て覚えている。勇輝とのこともだ。今思うと正気の沙汰ではなかった。
(この私があのような下等な者と共にいたとはな)
彩との約束を今さら違えるつもりはないが、いざ斬るとなればためらわないだろう。
弥生は招待状を持って部屋を出た。
玄関ホールで癒慰と零華と二言三言交わしてから屋敷を後にする。
その姿を見送った二人はは思わず呟いた。
「結局あの格好でいっちゃったね」
「ドレスを着せたかったのですが……」
二人は同時に溜息をついた。
招待状によると、会場は本部ではなくどこかのホテルの広間のようだ。
弥生は人目につかないように身軽にビルの間を駆け抜けていった。屋根つたいに飛び移ることも容易にやってのける。彼らの中で弥生が一番身軽なのだ。
弥生が外の世界にでるのは久しぶりだ。学校へは行ったが街を歩いたことはない。
だが夜の街を駆けるだけでその変貌ぶりは見てとれる。外灯は闇を無くし、ネオンの光は休まる心を無くした。人が、街が二十四時間動き、世の中が刻一刻と変わっていく。
(浅ましいな)
弥生にはこの発展が主義に反するのか、鼻で笑うと加速した。
ほどなく目的のホテルが見え、弥生はそれを上から下まで見た。
そこはこの町で一番の高級ホテルとして名高いところで、政治家や富裕層に利用されていた。
建物全体がライトアップされ、玄関にはいくつもの高級車が横付けされている。薄明かりに浮かびあがる庭園もきちんと手入れが行き届き、噴水の音が通りゆく者の視線を奪う。
一歩中に足を踏み入れれば、まばゆいほどの装飾が施されており、贅を尽くしたという表現がよく似合った。ソファー一つを取っても一級品に間違いなく、部屋の隅には珍しい花が惜しげもなく飾ってある。
だが華々しい雰囲気の割には静かすぎた。
弥生はそれらの装飾品には目もくれず、まっすぐフロントへと向かった。
弥生の存在に気づいた従業員がにこやかに話しかける。その変わった服装を前にしても表情一つ変えないあたりにこのホテルの指導の徹底さが伺えた。
「お客様、本日は当館貸し切りとなっております。失礼ですがご招待状はお持ちでしょうか?」
まさかの全館貸し切りにしたらしい。
相変わらず考えることは分からんな、と思いながら弥生は招待状を出す。
「弥生様ですね。ようこそお出で下さいました。会場は五階です」
弥生の羽織を見ても何一つ表情を変えないことからして、彼女らは一般人らしかった。
弥生は警戒を解き、招待状を懐へしまうと階段へと向かった。
「あの、エレベーターがございますが」
「いい」
弥生は赤い絨毯が敷かれた階段を上がる。
外と関わった時間があまりにも短かかったため、正直エレベーターの使い方がわからなかったのだ。
階段をよく見れば手すりの細部にまで装飾が施されている。階を上がるごとに彫られている文様が変わっていく。
五階の文様には鳥があしらわれていた。
そこそこのスピードで上がっていたのに弥生は息一つ乱さない。
(鳥か……悪くない趣味だ)
弥生は視線をその先へと向けた。階段を上った正面には大きな扉があり、半開きになっていた。
あれが会場だろう。その証拠に隊員服を着ているものが立ち話をしている。
こちらに進んでくる弥生に気づいた隊員達は反射的に礼を取った。弥生は一瞥すらせずに会場に入っていく。
そして弥生の姿が見えなくなると囁きあった。
「おい。今の誰だ?」
「知らねぇよ。でもあの羽織来てたぜ?」
「だよな……けど牙軍に銀髪の女なんかいたか?」
「わかんねーよ。俺だって牙軍の顔全部覚えてるわけじゃねぇし……」
二人は顔を見合せて同時に首をかしげた。
「ま、美人だったけどな」
「あぁ、美人だったな」
そして、会場の中でもざわめきが生まれていた。誰もが遠巻きに弥生を見ている。
弥生はそんな視線も気にせずに、目的の人物を探した。
周りに視線を巡らすと、隊員服を着ている者も多いが、多くの女性がひらひらと動きにくそうな服を着ていることに気がついた。
(動きにくそうな服だな。あれが正装なのか?)
癒慰がたまにそういうのを着るが、もっとフリルが多い。
もしかするとあれが二人の言っていたドレスという物なのかという考えにたどりつく。
行く前に二人が着ろ着ろとうるさかった服はそういう感じで、弥生は頑として拒否した。
何かあった時に戦えない、その一つの理由で。
弥生が首を巡らせていると、人ゴミのなかに灰色の頭が見えた。
男は人に囲まれて話をしていた。詰襟の服に薄茶色の羽織をはおっている。
胸には彼のチームを表す紋章が入っており、その姿は抜きんでて目立っていた。
そしてさらに彼を目ださせるのが灰色の髪に鋭い切れ長の目。歳の頃は二十代後半で、すらりとした立ち居振る舞いは計算された美しさだった。
そんな彼の下へ次から次へと人が挨拶をしてくる。隊員服を着た彼らも同じ紋章を付けていた。
このパーティーは日頃の感謝と親睦のためにと全国に散らばる諜報員を集めて開かれた。それと同時に組織意識を高め、裏切りを防ぐという狙いもある。
だが彼はいささか飽きていた。ここには部下だけではなく協力してくるお得意様も招いてある。
そのためまったく気がやすまらない。こちらも相手の弱みを握っているが、相手もこちらの情報を知っているからだ。牽制し合い、均衡を保つ。
それに疲れてきた彼は、先ほどから部屋に引きさがる機会をうかがっていたのだ。
ふと、にわかに辺りがざわめき始める。
「あら、何かあったのかしら」
ワインを片手に談笑をしていた老婦人がざわめきのほうへと顔を向けた。
辺りにいる人が一歩、二歩と下がっていく。そうして現れた人物を、鷺は信じられないといった面持ちで見た。
「や、弥生……」
鷺の口から思わず言葉がこぼれる。
そして彼の表情は先ほどまでの仮面ではなく、驚きと嬉しさが入り混じった、彼本来の表情だった。
最後に会ったのは十年前、あれから弥生は少し大人びて美しくなっていた。だがその雰囲気と表情はあのころと何一つ変わらない。
「来てくれたのか」
来るはずがないと思っていた。あの招待状すら届くか怪しかったのだ。まして、弥生が人間の集まる場所に姿を現すとは考えられなかった。
「あぁ」
「――来い」
鷺は踵を返して、手近なドアから出た。弥生もそれについていく。
「いいのか? 話をしていたようだったが」
「かまわない。迷惑な依頼をされてて困っていたところだったから」
そして鷺は一つの部屋ドアを開け、中に入った。どうやら鷺の部屋らしい。
鷺は明かりをつけ、弥生にソファーに座るよう促した。そして自分は向いに座る。
「鷺か?」
弥生はまじまじと目の前の男を見たあとにそう訊いた。弥生が疑問に思うのも無理はない。十年の歳月は人を容易に変えてしまう。今の鷺にはあのころの少年らしさは残っていなかった。
「あぁ、俺だよ。十年経ってんだ。外見くらい変わるさ」
そうかと呟く彼女はあまり変わっていない。
彼女だけではなく、彼らも、ではあるが……
「しかし、その格好で来るとはな。少し驚いたぞ」
弥生の服装はデザインこそ違うが鷺が着ているものと同じだ。裾の長い羽織に一見すれば軍服のようなデザインの上着、そしてショートパンツ。しかも寒い冬だというのに足を露出している。
しなやかな足は美しく、羽織で半分は隠れると言っても、パーティーに来るような格好ではない。
「お前だって同じじゃないか」
「俺は男だし、主催者だからな……」
ドレスぐらいなら貸すぞ、と言いかけて止めた。下手に女の格好をさせて変な虫がこれ以上増えては困る。
「ならせめてレギンスでもはけ。さすがに寒かっただろう」
「まあな、外が冬だったことを忘れていた。しかし、レギンスとはなんだ?」
外の季節が冬だということすら気にしない弥生が、世の中の流行を気にするはずなかった。
「まぁいい。それで何の用だ? お前がここに何の目的もなく来たわけじゃないんだろ?」
鷺はゆったりとソファーに身を預けた。
十年が経とうとも違和感などない、目の前にいるのは弥生のまま、銀の髪に男のような物言い、そして人を射抜く冷徹な目、昔と何一つ変わらない。
(歩の奴、騙されてるな……まぁ、あいつが狼狽する様も面白いからもう少し待つか)
「私がいなかった十年間のことが知りたい。外も中もずいぶん変わったようだからな」
鷺は弥生の要求を聞くと、頭を整理した。様々な情報を組立、取捨選択をする。それを数秒で終わらせると話し出した。
「まず中のことから。ま、見てのとおり世界が平和になっても龍牙隊は存在している。ただ組織としてはずいぶん小さくなったけどな。今牙軍でいるのは一、二、八、俺の零とお前らの四だ。五、六、七、九、十は引退、もう四十過ぎの奴らばっかだからな。半分は幹部へ、もう半分は表で生活してる」
牙軍とは異能を持ったもの達の総称で、その強さによって一から十の階級に分けられる。特殊部隊として零である情報部があり、弥生たちは四の階級を与えられている。牙軍は独自の小隊を持つことができ、それが如月だった。
「そんなにいたのか」
ぼんやりと知っている顔を思い浮かべる、弥生は自分より上の階級としか会ったことがなかったためその数は少ない。会ったというよりは半ば強制的に連れて行かれたのだが……
「残っている牙軍もほとんど代替わりしてる。お前が知っている奴で言うと、綾覇が鎌堂二で朧月夜と改名して後を継いだ」
鎌堂二は二番目の階級の名だ。弥生は以前負けた相手を思い出して眉根をひそめた。
「似合わん名だな」
「あと、美月さんは相変わらずだ。中はこんなもんだな。外は……これはお前らがひきこもったころから言った方がいいよな……ってことは二十年前からか」
鷺は脳内にある情報を遡っていく。二十年前というと、彼は十歳にも満たなかった。
「まず、ソ連が解体してロシア連邦になった」
「あの国が解体? そんなことがあるのか」
ソ連は冷戦の二大国の内の一つで、弥生の記憶にもしっかりと残っている。弥生自身その冷戦に身を投じていた。
「あぁ、今世界に明確なリーダーはいない。アメリカも強いが昔ほどの力はないし、核の火種が燻ってる状態だ。戦争はないが紛争は絶えない」
冷戦中は情報工作や暗殺、破壊が主な任務だったが、最近は警察捜査の協力や要人の護衛の任務が増えた。
「まだ争いをやっているのか」
「まぁな……人間界の動きはざっとこんなもんだ……本部に詳しい資料があるがいるか?」
本部の資料室には世界中の情報がある。民間から国家機密までその種は多岐にわたる。
「あぁ。他の奴に読ませたい」
「わかった。後で届ける」
一度話を終わらせると鷺は弥生の表情を改めて見た。
初めて会ったのは二十年以上前、あの時も何を考えているのか読めない表情だった。そして戦場でのみ薄く笑う……
「お前は、何も聞かないのだな」
鷺は弥生の声に現実に引き戻された。
言っていることの検討はつく。いなかった十年のことだろう。
「俺は、お前が帰ってきてくれただけでいい」
それに弥生に記憶がないことはすでに聞いていた。無理に探り出すのは鷺の主義に反する。
「借りを作ったままというのは嫌なのだが」
鷺は少々不愉快そうな顔をしている弥生を見て、昔から貸し借りが嫌いだったことを思い出した。
「そうだな……何か礼がしたいのなら、如月に行けるようにしてくれ。資料を届けるにも異空間に閉じこもられたままでは困る」
彼らが住む屋敷はそのチーム名から如月と呼ばれる。
鷺は何度かそこに行こうとしたが、本部内にある四剣琅の区画は無人で、繋がっているはずの扉も無限ループを繰り返すだけだった。
「ならばこれをやろう」
そう言って弥生が懐から出したのは掌に乗るほどの玉だった。全体に銀色がかかった水晶のようで、ところどころ黒い模様が入っている。
鷺はそれを受け取るとまじまじと見た。
「それを持って死堅牢の区画にある一番奥の扉をくぐればいい」
鷺は彼の能力ゆえに、多少なら普通ならざるものの気配を感じることができる。
その玉が持つ空気は弥生が身に纏う物を同じで、手の平から伝わる力からもそれが自然界にあるものではないことが分かった。
「ありがとな、弥生」
これで何時でも如月に行ける。殴りたい時に秀斗が殴れるようになった。
「私の用はそれだけだ」
「なら少しパーティーを楽しんでいけばいい。紹介ぐらいはする」
弥生はすっと立ち上がってドアへと歩きだした。
「下等な奴らと慣れ合うつもりはない」
弥生はそう言い捨てると出ていった。
「人間嫌いも相変わらずってわけか」
鷺は手の内で貰った玉を転がした。そして脳裏に報告の中にあった一人の少年の姿が浮かぶ。昂乱の一件に関わったとされ、牙軍の間でも話題になった。
(近いうちに会えるだろう。その時は……)
鷺は玉をぐっと握りしめた。
(歓迎してやらないとな)




