第1章の32 真実
勇輝が攫われてから三日間、彼らは学校にこなかった。だが転校したとか退学したという話も聞かない。
勇輝は日々苛立ちを募らせていた。護身用とか言われて渡された銃の重さにも慣れ、憂さ晴らしにためしに撃ってみようかなと誘惑に駆られる。だが本当に弾が出たら怖いので思い止まる。
それを何度か繰り返していた。
そして四日目、勇輝は悠々と午後から登校した。
歩は前日からバイトと称してスパイ活動に出かけて行った。
(あいつら、もう来ないのかな……せっかく、掴みかけたのによ)
勇輝は校門を抜け、何気なく視線を屋上にやった。いつもならあそこでさぼっている時間帯だ。
「あっ」
勇輝は銀色の光を見るなり走り出していた。
(間違いない、あれは弥生だ)
全力で階段を駆け上がる。
(やっと見つけた!)
勇輝は荒々しくドアを開けた。その音に驚いた弥生が顔をこちらに向ける。その瞳が悲しげに揺れた。
「弥生!」
弥生は勇輝を見るなりふっと視線を落とした。
「……一人、か?」
勇輝は息を落ち着かせてからそう訊いた。
弥生はフェンス際に座っている。他に人影は見当たらなかった。
「うん……」
勇輝は深呼吸をし、気を静めてから口を開いた。
(今しかない……)
「……訊きたいことがあるんだけど」
「なに?」
弥生は優しい表情で勇輝を見ていた。寂しさと覚悟が入り混じった優しい表情で……。
「なんで、俺のことをはるゆきって呼んだんだ?」
はるゆきは彩がつけたあだ名だ。彩以外知るはずがなかった。
勇輝の震える声に、弥生は何も言葉を返さなかった。
「……彩が、彩が消えたことについて、なんか知ってるよな」
(彩が言っていた彼女は、弥生だ)
弥生は黙って、髪を指に絡ませた。弥生の背後に彩が浮かび上がる。
髪に指を絡ませるのは困った時の彩の癖だ。
初めて会った時から妙な親近感があった。
それは、弥生のしぐさがどこか彩に似ていたから……。
「彩……」
(彩がいてくれたから道を踏み外さずに済んだ自分がいた)
高校に入って、毎日あれまくっていた勇輝を学校につなぎとめたのは彩だった。
ことあるたびに絡まれて、最初はうざいと思っていた。
でも、いつのまにかそれが楽しくなって、寂しさまで感じるようになっていた。それが愛しさに変わるのに、それほど長い時はいらなかった。
(彩がいたから笑えてた自分がいた)
勇輝が喧嘩で勝っても負けても、傷の具合を心配をされ、強制的に手当てをされた。
散々わがままを言われながら、いつもそばにいて多くの話をした。
(彩は、いつも俺の傍にいたんだ。それを、弥生が奪った……)
遊園地へ行った日。あの日からすべてが狂った。
彩のいなくなった日常。勇輝は何度彩の名を呼びそうになったかわからなかった。
その度にいないことが思い知らされる。
「私が殺したって言ったら、どうする?」
その言葉が発せられた瞬間、悲しみや後悔や怒りが込み上げてきて、勇輝は知らない間に内ポケットへ手を伸ばしていた。
「許さない!」
拳銃を弥生に向ける。黒いそれが目に入り、勇輝は自分の行動に自分で驚く。
弥生は拳銃を見ると、すっと立ち上がり勇輝に近づいた。弥生は先ほどから全く表情を変えていなかった。
(俺は……何を?)
興奮からか恐怖からか、拳銃を持つ手は小刻みに震えている。
弥生は拳銃を掴むと自分の胸に引き寄せた。
「殺すなら殺して。それで勇輝の気が晴れるなら……勇輝には私を殺す資格がある」
(資格…? 人を殺すのに、資格なんてない)
無意識に勇輝は弥生の言葉を否定した。
なのに指は引き金から離れない。弥生が安全バーを引いた。
かちり、と不気味な音が寒空に吸い込まれる。
勇輝の手の中の拳銃が急激に冷たくなっていった。
(俺は、弥生を殺したいのか……? それほどに、弥生が憎いのか?)
勇輝は弥生を見るのが怖くて、目を伏せた。唇を強く噛む。
沈黙が流れる。痛く、息の詰まる沈黙だ。
「……違う、俺は弥生を殺したいんじゃない。俺は、ただ知りたいんだ」
(彩は俺を選んでくれた。あいつのことを俺しか覚えていないなら、俺はあいつのことを知らなきゃいけないんだ……)
「でも、怒ってる。私を憎んでる」
勇輝はぐっと奥歯を噛みしめた。
「あぁ、憎いよ。怒ってるよ……でも、違うんだ」
(俺は……)
「俺は……俺自身が憎いんだ」
胸の奥から熱いものがこみ上げてくる。
(何も気づかないふりをした自分。後回しにして、逃げてた自分。そして、全てを弥生のせいにして楽になろうとした自分)
勇輝はそっと拳銃を手放した。
乾いた音を立てて拳銃はコンクリートに転がる。
「勇輝……」
弥生はしばらく黙りこみ、やがて口を開いた。
「弥生。俺は、本当のことを知りたいんだ」
弥生はそう、と呟いた。その表情はどこか悲しげで、それでいて安心したようでもあった。
(私の……負けね)
「私は十年前、敵に捕まって彩の魂の中に封じられたの」
ぽつりぽつりと紡がれていく言葉に、勇輝は耳を傾けた。どんなことが語られてももう驚かない。
魔術を見た後では、すべてが真実のように思える。
「気づいたら彩の中にいた……年月が経つほどに意識がはっきりして、彩の声が聞こえるようになったんだ」
“私、彩っていうんだけど貴女だれ? 結構前から私の中にいるよね”
初めてかけられた声はとても気安くて、覚醒も間もなくて戸惑っていた弥生を安心させた。
「彩と一緒に、たくさんのことをした。笑ったり泣いたり怒ったり……ずっと、あのままでも良かったのに」
(勇輝に出会ってからの彩は楽しそうだった……)
「なのに、一年前から枷が急に緩み出した」
弥生は十年なんてでたらめだと、思っていた。
「気を抜いたら弾き出されそうで」
弾き出されたら、弥生の器として存在していた彩も消えてしまう。
「なんとか引き延ばそうとしたけど。無理だった……」
勇輝はずっと俯いていた顔をあげた。その目には涙が溜まっている。
それを袖口で乱暴に拭う。
「ごめんね……勇輝」
それが今言える精一杯の言葉。
勇輝はゆっくり首を横に振った。
「弥生が、悪いんじゃない」
(本当は、分かってた。それでも誰かのせいにしたかったのは、俺が弱かったから……)
「ありがとう……弥生が好きで彩を消したわけじゃないって分かって……よかった」
「勇輝?」
勇輝はにっと笑った。怒りも憎しみも悲しみも、全てを包める笑顔だった。
「彩は、俺に笑って、て言ったんだ。だから俺はそれを守る」
それが彩の最後の願いだ。
「……彩は、最後までお前のことを言っていた。“はるゆきはちょっと乱暴だけど弱いとこがあるから、何かあったら守って欲しい”と」
(彩……そんな時まで俺の心配かよ)
「不良、舐めんなよ。俺は、彩に心配されるほど弱くない」
(これからもっと強くなる。だから、安心して笑って逝けばいいんだ)
「そうだね」
二人は笑みを交わし合い、一人の女の子を胸に描いた。
「ありがとう。これだけ聞けたら十分だ」
「うん。私も、最後に伝えておきたかったから」
弥生の言葉に、勇輝は少し寂しそうに訊く。
「もう、会えないのか?」
「私たちは任務でここに来たから」
「……じゃぁ、俺が会いにいく。お前らの家に遊びにいくから」
勇輝は住所教えろよ、と言い残すと階段を下りて行った。
購買で彩と食べた菓子パンでも買おうかと考えながら。
悲しみを抱きながら。でもどこか晴れやかな気持ち。
勇輝はポケットの中にある携帯電話のストラップに触れた。
(彩……)
思いはまだ、口には出せない。伝える相手のない感情は、時の流れにまかせ未来へとつながっていく。




