第6章の24 迫りくる影
「奇跡だ……」
ざわざわと周りが騒がしい中で、勇輝はぽつりとそう呟く。
「零華……様」
勇輝の中で零華が神に昇格した瞬間であった。
本日はテスト返し。一日かけて二日分のテストが帰って来る。
その一科目めが帰って来た時、勇輝はぐっと喜び溢れる拳を握った。
苦手な数学が二十点上がっていたのだ。周りに人がいなければ狂喜乱舞で踊っていただろう。
そして次々にテストが返却され、それに一喜一憂するクラス全体。
秀斗もどうだとテストを見せつけてき、勇輝も応戦して勝負を楽しんだ。
零華は涼しい顔で当然の結果ですと二人の点数を見て言う。
そんな零華を二人はありがとうございましたと休み時間の度に崇めていた。
そして最後のテストが帰って来、机の上にテストを並べた勇輝は冒頭の言葉を呟いたのだった。
「うっわ~、なんだよ勇輝。この裏切り者」
席に近づいてきた歩が、これ見よがしに並べられたテストを見て呻く。歩は赤点こそなかったが、どれもギリギリだ。
「零華様のおかげですから。そういや弥生はどうだった?」
勇輝は斜め前に座る弥生にそう声をかけた。
「悪くは、なかった」
「弥生ちゃんは全部九十点超えだよ~」
弥生の前に座っていた癒慰がすごいでしょっと自慢げに言う。ちなみに癒慰も同じぐらいは取っていた。
「はっ?」
それに驚く男三人。勇輝、秀斗、歩の声が一つになった。
「弥生って……頭いいの?」
以前勝負した時、化学は恐ろしい点数だったが他は自分と似たりよったりだった。
心のどこかで仲間だと思っていたのだが。
「弥生! 俺ら一緒に零華のしごきに耐えた仲間じゃねぇか! 同じだと思ってたのによ~」
付き合いの長い秀斗のほうがショックは大きいようで、信じられないとぶつぶつ繰り返している。秀斗の中にある弥生は、いつも剣の鍛錬をしているイメージで、頭を使うところなど想像できない。
「弥生ちゃんはもともと頭はいいですからね。今までやっていなかっただけで」
そう言う零華は平均九十八点で、その内五つは百点を取っている。まさしく神か、鬼か。
先程から黙ってこのやりとりを見ている錬魔も平均プラス十点以上はマークしていた。
ホームルームになり、担任の葉月から頻発する集団催眠事件への注意が呼びかけられて解散となった。この学校の生徒も被害にあったらしく、厳重に注意された。普通科も一日早く終業式を行うらしい。
「よし、帰ろ~」
勇輝は葉月がホームルームの終わりを告げるなり、そう言って立ち上がった。
今日は如月でゆっくりするつもりだ。昨日は両親の喧嘩が収まった後、酔った父にからまれひどい目にあった。つい鳩尾に拳を入れて沈めてしまったが、仕方ない仕方ない。
「勇輝君~、久しぶりに私の部屋でお茶しない? 見せたいものがあるんだけど」
にっこり笑う癒慰に、本能が危険を告げているので丁重に断る。
「今日は俺もそっちにお邪魔するわ。リーダーに報告しないといけないし」
かばんにテストを小さく折りたたんで入れながら歩が言った。家に帰ったら即ゴミ箱行きだ。
「あら、お茶会に混ざっちゃう?」
「あ、歩ならいいんじゃない?」
「……へ?」
新たな被害者が生まれそうになった時、
「さっさと帰るぞ」
と苛立たしげな声が聞こえてきた。
三人を急かした弥生はもう歩きだしており、後ろに錬魔が続く。返されたテストはどこへやったのか。二人はいつも通りの手ぶらだ。
「はいはーい」
勇輝たちも歩きだそうとしたが、足を止めた。弥生が足を止め、険しい視線を注いでいたからだ。
「弥生ちゃん?」
癒慰が不審に思って声をかけ、視線の先を追った。彼らも釣られて視線を追う。
その先には一人の生徒がいた。同じクラスの男の子。クラスでは普通の茶髪に赤メッシュ。顔は見たことがあるが、名前は知らない。
不良たちはすでに教室を出ており、生徒もまばらだ。
「何だ?」
弥生が鋭い声で詰問する。
生徒はニッと笑って軽く手を揚げた。
「やっほ~、久しぶり。サクリスだぜ、覚えてるか?」
サクリス。その名に一気に彼らの間に緊張が走る。弥生が月契を出しそうになるのを、錬魔がその手を掴んで抑えた。
「弥生ちゃんはおっかないね~。ここでやるつもりはないって」
「何をしに来やがった。てか、お前が本体か?」
秀斗が弥生を守るように、弥生の前に出た。
「残念。これも俺の手駒の一つ」
「あら、おしゃべりができるようになったんですね」
「まあな。俺も日々進化してるってことさ」
サクリスはどうだと言わんばかりのドヤ顔で、挑発するような視線を向ける。
「用件を言え」
「はいはい。弥生ちゃんはせっかちだなあ」
弥生の眼光がさらに鋭くなると、サクリスはわかったわかったと本題に入った。
「ゲームしようぜ。題して俺探しゲーム。明日、でかい花火があがったら開始な」
サクリスは彼らの都合など気にせず、人の悪い笑みを浮かべてゲームの説明を続ける。
「俺の手駒はざっと五千? ちょっと把握しきれてねぇけど、その中から俺を探せたらお前らの勝ち。全員やられたら俺の勝ち。OK?」
ルールは単純明快。ただあまりにも分が悪い。五千対魔術師五人プラス一人なら、一時間もあれば片が付く。大規模魔術で殲滅すればいいだけの話だ。
だが敵は一般人。死なせるわけにはいかない。
「それは少しフェアではありませんね。五千人の影に隠れるとはとんだ腰ぬけだこと」
言葉の駆け引きにおいて、零華の右に出るものはいない。皆零華に事の成り行きを任せる。
侮辱されたサクリスは不愉快そうに眉を動かした。少し考えた後、よしとサクリスはこう提案する。
「じゃぁ、俺仮面つけとくわ。ヴェネチアーンなやつ。ただ、十人はフェイク入れとくからな」
「それでいいでしょう」
「交渉成立ってことで、明日を楽しみにしてるぜ。んじゃな~」
サクリスが軽い調子で手を振り、手を下ろした瞬間顔から血の気がさっと引いた。
「あ、あ、あ……皆さん! お、俺は、え、なんで、え」
突然顔面蒼白になってうろたえだす生徒を見て、
「操られていた間の記憶はないんですね」
と零華が冷静に分析した。
「なんでもな」
「早くどけ」
勇輝のフォローを遮って、弥生が非常にも冷たく言い放つ。
「はい! すいませんでした!」
生徒はビシッと直立して、一目散に逃げ出した。勇輝はその背中に憐みの視線を送る。
「俺、まずリーダーに報告してくるわ」
歩もそう言って血相を変えて教室を飛び出していった。
「私たちは明日に備えて、下準備をしておきましょうか」
サクリスとのゲームは彼らの考えていた最悪の事態と同じ。それの対策に移らなければならない。
「絶対あのムカつく顔を殴ってやる」
それぞれ闘志を胸に秘めて如月へと帰るのだった。
カツン、カツンとリズムよく足音が大理石の廊下に響く。軽い足取り、サクリスは久々に戻った本体で黒騎の本部を歩いていた。
機嫌は上々、鼻歌までついている。
(なんの取り柄もねぇ身体だけど、使いなれた身体はやっぱいいよな)
サクリスは彼らの祖国であるグランオスクリタ帝国で英雄とされている者の一人だった。
天つ人との戦争において、数々の武勲を立て最後は王のために散った誇り高き武人。
その性格は親しみやすく、こと女性には目がなかった。囲った女性は百人以上。こちらも伝説となっている。
(ま、こいつがただの人間だったから、簡単にのっとれたんだけど)
過去に二度王の元に戻ったが、能力者は自我が強く完全に屈服させることはできなかった。
今のサクリスは器の人格を支配した思念体。強大化した支配能力は、他者へも有効となった。
器の魂が英雄の魂を屈服させ、共存する融合体とは対極をなす。
サクリスが大きな扉の前に着くと、扉を守る者たちが一礼して扉を開けた。
玉座の間は暗く、蝋燭の灯りがぼんやりと玉座を浮かび上がらせている。はっきり見えなくとも感じる威圧感。そして湧きあがる王への畏怖と忠義。
サクリスは玉座へと続く階段の下で跪き、臣下の礼を取った。
王の傍には仮面をつけた男が控えている。
「第四の頭、サクリス。報告に上がりました」
「話せ」
重厚な響きを持つ王の声にサクリスは身を引き締め、口を開いた。
「舞台が整いました。明日、実行に移します」
王は愉快そうに口角を上げ、サクリスを見下ろす。
「そうか、天つ人を滅ぼせ」
「仰せのままに」
そしてサクリスは顔を上げ、にぃっと笑う。子どもがいたずらを思い付いたかのように、無邪気な笑み。
王に向ける表情としては不敬と咎められかねないが、王も側に立つ従者も咎めることはなかった。元の性格は、何度器を変えようが変わりようがない。
「陛下、若輩の頼みなのですが、影を十人ほどお貸し与えていただけませんか。それと、騎士団長と同様の仮面も十ほど」
「ほう……いいだろう。愉快な喜劇を期待しているぞ」
「必ずや。それと、如月と龍牙隊に関する報告書はこちらに。後で目をお通し下さい」
サクリスがすっと紙束を前に差し出すと、従者が階段を下りてきて受け取った。
「では、陛下に栄光のあらんことを」
サクリスはもう一度礼を取ると、すっと立ちあがり玉座の間を後にする。
そして扉の前に来た時、どこからともなく十人の仮面をつけた男女が現れた。誰も彼もが黒の服に身を包み、無言でサクリスに視線を向ける。
「陛下、ありがたく使わせていただきます。さて、ちょっと遊びに行きますか」
サクリスは遊び人の表情を貼りつけて、十人を率いて出て行った。扉が閉まり、静寂が舞い戻る。
従者はサクリスからの報告に目を通し、必要なものを王に伝えていく。
「やはり思念体は使えますね。入手が難しい情報も多く集まっています」
そして従者はある一文に目を留め、思わず声を上げた。慌てて主君に謝り、報告をする。
「くちなし姫、エリーが子どもを身ごもったという証言があったそうです。噂程度でしか分かりませんでしたが、事実の色合いが強くなりましたね」
「あぁ、光の口なしか」
王は愉快そうに目を細めた。その表情は楽しそうでありながら残虐で、憎悪が見て取れる。
「およそ二十年前とあるので、無事成長していてもまだ幼子ですね」
王は喉の奥で笑い、狂気に満ちた目を輝かせた。
「赤子に何ができる。奴らを葬った後でじっくり探しだせばいい」
「承知いたしました」
従者は王の言葉に頷き、影の一部を光の子どもの捜索に当てることにする。
「それと、継承の儀だな」
王の重みのある言葉に従者の肩がピクリと動いた。仮面のせいで、その表情まで伺いしることはできない。
「そろそろ、ですか……」
「あぁ。この身体もそう長くはない」
「では、準備を進めてまいります」
従者は美しい所作で礼を取り、暗闇に消えていった。
継承の儀は複雑な魔術であり、発動には細かい条件がある。早くても数カ月はかかるのだ。
(我が弟の魂を受け入れた阿修羅なら、この身体よりは幾分ましだろう)
王は帝国への忠誠と、闇の血への愛を誓い、王族であることを放棄した彼を頭に浮かべ、静かに目を閉じるのだった……。
もうすぐ200話だな……。
何か企画をやりますかねぇ