第6章の20 秘められた鎖
暖かい人のぬくもり。柔らかさを感じる人との距離。心地よい眠りを味わっていた弥生は、異変を察知して目を覚ました。
目を開けると同時に耳に入る、呻き声。
そして先程よりも強く抱かれている体。それは少し、痛みすら感じるほど強く硬い。
「姉様……」
鎖羅の顔は見えない。寝ている間に、体が下がってしまったようだ。
「ここから……出たい」
鎖羅の力ない呟き。
弥生は言葉を発さずに、鎖羅の腕に手を添える。
鎖羅に意識はない。悪夢を見ているのか、うなされ、うわごとを呟く。
経験で、知っている。だが、どうすればいいのかは未だに分からない。
弥生には、言える言葉がなかった。何を言っても嘘のようで、慰めようとするたびに虚しくなる。
「姉様」
だから呼びかけ、手を添えることしかできなかった。
昔は、なぜ鎖羅が苦しんでいるのかわからなかった。ただ姉が楽になるのならと、側にいた。
だが今は、胸の奥が重い。何か、名前の分からない何かが姉から伝わるようだ。
「暗い……暗い」
弥生は鎖羅の腕を優しくさする。少しでも、苦しみが和らぐように。
「殿、下を……」
弥生がはっと顔を上げた。わずかに見えた義姉の表情は苦しそうで、弥生は起こしてしまおうかと掴む手に力を入れた。
「殿下……」
鎖羅のうわ言はいつも似たようなものだった。
暗い、怖い、狭い、逃げられない。それを繰り返すばかり。
「姉様?」
殿下、と口にしたのは初めてだ。
(姉様は、何を見ているんだ……)
夢か現か。
鎖羅の呻き声が止まり、表情がすっと柔らかくなった。
弥生がほっと胸を撫で下ろすと同時に、鎖羅は目を開ける。
「ん……弥生か。今はどれくらいだ?」
弥生は首を巡らせて時計を探すが、この部屋にはなかった。弥生がいた頃もなかったが、まだ置いていないらしい。
弥生は窓の外に視線をやり、
「夜に少し入った頃だ」
と答えた。
「そうか……阿修羅と、秀斗は?」
「阿修羅は寝ている。秀斗は散歩だ」
鎖羅はそうか、と返すと弥生を抱き寄せる。 鎖羅の求める抱き心地。そして弥生も居心地がよい。
「姉様」
「ん?」
「……その、あまり得意ではないが、苦しいのなら何か、手伝いを」
弥生は途切れ途切れに、まるで不慣れな言語を話すかのように言葉を紡ぐ。
そんな弥生が愛おしく、鎖羅は優しく弥生の頭を撫でる。
「何、大したことはない。だから、そんな顔をしなくてもいい。私が死ぬみたいだぞ」
そう苦笑交じりに言われて、弥生は初めて自分が表情を変えていたことに気がついた。
だが、自分がどのような表情をしていたのかが分からない。
鎖羅はワシャワシャと弥生の頭を撫で、頬をムニッとつまむ。
「いい表情をするようになったな。もっと可愛くなっているぞ」
頬を遊ばれている弥生はむっとした表情を浮かべた。遊ばれているのはおもしろくない。
(……ずいぶん、人に近づいたな)
鎖羅は名残惜しそうに頬から手を離し、少しずつ変わる弥生の表情を楽しむ。氷騎にいたころの弥生にも表情はあったが、単純な喜怒哀楽が主で、複雑な表情をすることはなかった。
その成長が嬉しく、心配にもなる。
「姉様?」
じっと見つめられ、弥生は不思議そうに首を傾げた。
「……いや、喉が渇いたなと思ってな」
「何か持って来ようか」
「レモネードが飲みたい」
鎖羅の注文に、弥生は少し笑った。昔を懐かしむような、暖かい笑い。
「阿修羅に言おう。あれは阿修羅しか作れないからな」
鎖羅は昔からレモネードが好きだった。裏山からレモンを取って絞り、阿修羅が絶妙なバランスで蜂蜜を入れる。
弥生も何度か飲んだことがあるが、実においしかった。スッキリしていて甘さが追ってくる。
「まずはレモンを取りに行かなくてはな」
野生なのか、誰かが植えたのかは知らないが、裏山にはレモンの木があった。そのほかにもりんごや桃など様々な果物の木がある。
「あ、姉様はここにいてくれ。私が取って来るから」
不安定な時の鎖羅は、かなり力加減が下手になる。弥生が氷騎に入ってすぐの頃、鎖羅の調子を元に戻すために狩りに出かけることになった。体を動かせば、欝屈とした気分も飛んでいくだろうと。
結果、遭遇した熊は食べられる所を残すことなく塵となった。地割れが十メートルにわたって続き、その場にいた全員が青ざめた。
それから、不安定な時は部屋から出さないことに決めたのだ。
「我も外に出たいのだが」
「……いや、中で、私と話をしないか?」
言葉のやりとりが苦手な弥生は、なんとか鎖羅を押しとどめようと頑張って言葉をひねり出す。
鎖羅は少し考え、ふむと頷くと弥生をぎゅっと抱きしめた。
「弥生がそう言うなら、共寝だな。たくさん話してもらおうか」
鎖羅の目は逃がさないと、光っている。どれから聞こうか舌舐めずりをしているように見えてしまった。
「あの……姉様」
お手柔らかに、と言おうとしたところに天の助けとばかりにドアが開いた。
弥生がそちらに顔を向けると、黒い影。
阿修羅が変わらず眠そうな顔で入って来た。
「見事な抱き枕だな」
阿修羅は弥生の状況を見て、そう呟いた。
昨夜固いと文句を言われた阿修羅としては複雑な思いになるが……。
「阿修羅、姉様はレモネードを飲みたいそうだ」
「あぁ。そう言うと思って秀斗にレモンを取りに行かせている」
お前が言いそうなことぐらい分かると、阿修羅は椅子に座って鎖羅に目を落とす。
(こう見ると、何かの動物のようだな)
ベッドから目線だけを上げ、取られまいとするように弥生を抱いている。
ただ可愛い小動物ではなく、肉食系にしか見えないのが残念だったが。
義姉妹は阿修羅を加えて話をし、夜もとっぷりと深くなった頃、秀斗が帰って来た。
廊下を走る慌ただしい音が聞こえ、ドアが開くと同時に声も飛び込んでくる。
「俺を殺す気ですか!」
ぜーはーと肩で息をする秀斗の手に握られた二つのレモン。
「生きて帰って来ているじゃないか」
飄々と阿修羅が返せば、
「猪は突進してくるわ、熊には追いかけられるわで散々だったんですけど!?」
と、秀斗は息を巻く。
夜の山は獣の領域。常人であれば生きて帰ることはまず不可能。
秀斗は障壁で攻撃を防ぎながら、全力で山を駆け上り、下ったのだ。熊の爪が目の前に来た時は死ぬかと思った。熊如きに破られるはずないと分かっていてもだ。
氷騎の敷地に入った途端追撃を止めるのだから、小賢しい。
「まぁ、ご苦労だったな。少し待っていろ、今作って来る」
阿修羅は椅子から立ち上がり、秀斗からレモンを受けとって出ていった。
秀斗は阿修羅が座っていた椅子に座り、ぐったりと身を預ける。
「疲れた~」
秀斗はお馴染みの抱き枕姿を見て、はーと息を吐く。
「鎖羅~、俺にもわけて、ぐっ」
秀斗が言い終わらないうちに、弥生は月契を召喚し、鞘がついた刀身で秀斗の鳩尾を強打した。
秀斗に背を向けているにも関わらず、一寸の狂いもなく鳩尾を捉える。
「や、弥生……」
全く防御ができず、秀斗はしばらく丸くなって痛みをやり過ごす。
そうこうしているうちに阿修羅が戻り、鎖羅と弥生が起きあがった。
阿修羅が一人ひとりグラスを手渡していき、自分も一つを取った。
鎖羅は受け取るとすぐに飲み始め、満足そうに微笑む。弥生も久々に飲むレモネードを味わっていた。
秀斗は苦労の味がするぜと飲んでいる。
「いい甘さだ。甘くてうまい」
鎖羅は全部飲み干すと、グラスを阿修羅に突きかえした。そしてまた横になる。
弥生が飲み終え、グラスを戻したのを見ると、弥生をベッドの中へと引き込んだ。
「姉、様……」
驚いた弥生は身を硬くして鎖羅を見る。
「鎖羅、ほどほどにしておけよ」
阿修羅は空になった四つのグラスをお盆にのせ、そう釘をさすと部屋から出ていった。
その後すぐに秀斗も部屋を出たが、すでに廊下に阿修羅の姿はない。
(……あの人歩くの速いからな)
厨房を目指して秀斗は歩く。
そして厨房に着けば、阿修羅はグラスを拭いているところだった。
几帳面なところのある彼は、グラスをきれいに拭くと戸棚にしまっていく。最後に小瓶をしまうと秀斗に目を向けた。
「どうかしたのか?」
何か言いたいことがあれば、後ろからじっと見てくるのは昔から。
「あの、訊いてもいいですか」
「なんだ?」
秀斗はほんの少し、間を置き切りだした。鎖羅を見て、気になったことを。
「前に、阿修羅さんは鎖羅さんの鍵を持っていると言いましたよね」
高度な封印の術を行った際に術者の体内に現れる鍵。封印を解くにはその鍵が必要になる。
「あぁ」
「それは、鎖羅が不安定になるのと関係があるんですか?」
秀斗は新月が近づくと、急激な発作に見舞われる。鎖羅も周期的に不安定になる。
術をかけた方とかけられた方という違いはあるが、気になってしまう。自分がお世話になった人であればなおさら。
阿修羅はシンクにもたれると、少し考えるそぶりを見せた。
「……さあな。関係があるかはわからん。俺も魔術には明るくはないからな」
「そうですか……」
秀斗はどこか残念そうに呟くと、押し黙った。そこに今度は阿修羅が問う。
「お前は、まだ鍵を返さないのか?」
「……俺自身。何時返せばいいのか分からないんですよ。弥生がこれを必要としているかさえ」
秀斗は大人しく眠っている胸の奥の鍵に意識をやる。鍵は小さな塊で、解き放たれる時を待っているようだ。
「秀斗。弥生が分かるのはお前だろう。お前が判断しろ」
秀斗は顔を引き締め、はいと頷いた。
「あの、阿修羅さんは返さないのですか?」
その問いに、阿修羅はゆっくりと首を横に振った。そしてゆったりと秀斗の方へと歩く。すれ違いざまに、ぽんと秀斗の頭に手を置いた。
「あの鍵は返せない。あいつが死ぬまで俺が持っている」
そう、確認するかのように言って通り抜けて行った。その声には覚悟の響きがある。
(阿修羅さん……)
迷っている自分と、揺るぎのない阿修羅。秀斗は息を思いっきり吸い込み気分を入れ替える。
「俺が弥生を守らないと……」
秀斗は鎖羅の部屋へと戻っていった。そろそろ弥生と交代しなくてはいけない。
阿修羅は厨房を後にし、自室でコーヒーを飲んでいた。窓際に置かれた洒落た机と椅子のセット。ガラスの水差しに入れられたコーヒーが上に置かれている。
阿修羅の部屋は、鎖羅の部屋よりも物が多く、部屋のあちこちに彼が気まぐれで拾ってきた物がオブジェとして置かれている。
それは何かの石であったり、錆びた銃であったり。
阿修羅はしばらくコーヒーを味わっていたが、ドアがノックされる音に首をドアへと向け返事をした。
ドアを開けて入って来たのは、弥生。秀斗と思っていた阿修羅は、いささか虚を突かれたような顔した。
「珍しいな。鎖羅は大丈夫なのか?」
基本、弥生は鎖羅と共にいる。不安定な時はなおさら。
「あぁ。だいぶ良くなったから秀斗に預けて来た」
鎖羅側にいても、重く苦しいものが伝わって来ることはなかった。今は眠っているが、表情も良くなっている。
「一杯飲むか?」
阿修羅が持っているグラスを軽くあげると、弥生が頷く。阿修羅は簡単な空間魔術でグラスを取り出すと、コーヒーを注いで弥生に手渡した。
二人は軽くグラスを上げ、飲み干す。勇ましい、武人の飲み方。
空になったグラスを机に置くと、弥生は阿修羅に視線をやる。彼が椅子に座っていることで目線は少し下になる。
「阿修羅。尋ねたいことがあるんだが、いいか?」
阿修羅は表情を変えなかったが、内心では驚いていた。弥生が自分に何かを訊いてきたことは、記憶にない。二人がどういう人間で、なぜここにいるのかも彼女は問わなかった。一方の秀斗はうるさいほど質問攻めにしてきたので、少々躾をしたことを覚えている。
「なんだ」
質問の検討をつけながら、阿修羅は答えた。
「姉様のことなんだが、あれには何か原因があるのか?」
その問いに、阿修羅はますます驚き、表情に出しそうになった。弥生が人に関心を向けな事は、それほどの衝撃。
「……阿修羅?」
押し黙った阿修羅に弥生は答えられないことなのかと、声をかけた。阿修羅は弥生が気にしている様子に現実かと疑いたくなった。
それほど、氷騎にいた弥生は人に関心がなく、感情をあまりださなかった子どもだったのだ。
「あぁ、すまん。少しぼおっとした。……鎖羅のことだったな」
阿修羅はどう話すべきか頭で組み立て、話す内容をまとめた。グラスを机に置き、弥生の顔を見る。適当にはぐらかすことはできるが、弥生は納得しないだろう。
「弥生。お前は何故鎖羅がここに来たか知っているか?」
「……たしか、仲間を死なせたからだと言っていた」
「……そうだ。それで、俺と鎖羅はここに来た」
阿修羅は言葉を切り、表情を曇らせた。頭は自ずとあの頃の記憶を引き上げてくる。
「ここからは、鎖羅には絶対に言うな。いいか?」
「あぁ」
そう前置きすると、阿修羅は話しだした。阿修羅しか知らない、鎖羅の話。
その高い戦闘能力を生かし、常に前線にいたこと。阿修羅とも何度か同じチームになり、共に戦ったこと。黒騎での鎖羅の話を簡単にし、聞いている弥生はどこか楽しそうにしている。
そして話は黒騎を出た時になった。
「鎖羅はな、幹部の護衛もすることがあったから、かなり上の情報を持っていてな。黒騎を出る時にその部分の記憶を封じたんだ」
弥生はわずかに目を大きくし、記憶、と反芻した。
「鎖羅は知らんがな」
「そのせいで、姉様は具合が悪くなるのか?」
「あぁ、軽い副作用だ。封印をしたのがちょうどこの頃でな。数日すれば治るんだが……」
そうか、と弥生は納得がいった様子で呟くと、改めて阿修羅の顔を見た。
「姉様が、今幸せならいい。一緒にいる」
弥生はそう満足気に言うと、姉様の側にいると踵を返した。阿修羅は黙ってその背を見送る。
(姉妹そろって……)
阿修羅はグラスにコーヒーを注ぐと、ぐいっとあおった。
コーヒーは阿修羅が纏う服の色と同じ黒。
闇のように、深く澄んだ色をみせる。
阿修羅は明け方になるまで飲み続け、うとうとしかけたところに鎖羅が全快したと秀斗が告げに来たのだった。
この後、睡眠不足で機嫌の悪い阿修羅に秀斗は躾を受けました。
神名の裏話
お久しぶりな感じです。ネタがありませんでした。そーいえば、と思い出したのが…
彼らの年齢。
4年で1歳にするか、5年で1歳にするかを迷ってた時期があるんですよね。最初は4年で1歳でした。いろいろタイミングが合わなくなるから止めたんでした。
そのせいでボツになったネタをどうぞ。
秀斗 「あー、俺ら見た目同じでも、けっこう歳は上でよ」
零華 「私たちは4年で1つ歳を取るんです」
勇輝 「え……何、そのオリンピック」
お粗末様でした。




