第6章の10 のんびり過ごすのもたまにはいいよな
暁美は本部の廊下を歩いていた。
腕にはまだ包帯が巻いてあるので、暑いが長袖を着ている。
本部の廊下を行く人たちは皆忙しそうで、暁美が幹部と気づくものは皆無だった。
(気づかれない方が気楽でいいわ)
実際幹部の顔を全て覚えているのは本部の中でも護衛を務める部署だけだ。
暁美は挨拶を返しながら目的の場所へと歩く。その部屋の守衛が暁美の姿を見るとびしっと背を伸ばした。
以前来た時と人は違うが、雰囲気は同じ。
さっと敬礼をして、扉を開けた。
暁美はふわりと微笑んで、扉の向こうへと入っていく。
通称控えの間と言われる場所には、ソファーと机、取次の者のための椅子と机以外には何もない。
「暁美さま。ご無沙汰しております」
女性が立ち上がり、暁美を迎える。
「隊長はいる?」
「はい。どうぞ」
女性はすっと隊長室の扉の前へと進み、ノックをした。扉の向こうから低い声が聞こえる。
「暁美さまがいらっしゃいました」
女性はそう告げてから、ゆっくりと扉を開いた。自身は横に下がり、暁美に礼を取る。
暁美が隊長室へと足を踏み入れると、音もなく扉が閉められた。
「ご無沙汰しております」
暁美は隊長の前まで進むと丁寧に礼を取る。
龍牙は書類を置いて、気楽にしてくれと言葉をかけた。
「今回は災難だったね。傷はもういいのかい?」
暁美の負傷はいち早く隊長の耳に入った。
傷が癒えた頃に呼ぼうと思っていたのだ。
「はい、心配をおかけいたしました。その日に彼らが来て、錬魔くんが治してくれました」
暁美は苦笑して続ける。
「でも、主人の目をごまかすためにまだ包帯は巻いたままなんですけどね」
「そうか。無事でよかった」
龍牙はやんわりと相好を崩し、目尻に皺を作った。だがその表情はすぐに硬いものになり、隊長の目を暁美に向ける。
「それで、誰がやったんだ?」
部屋の空気が引き締まる声。隊員に手をかけた者は許さないと目が語っている。
「背の高い、若い男でした。顔に見覚えはなく、名もわかりません」
「だが見当はつくだろう」
そう龍牙が言うと、暁美は少し視線を落とした。龍牙は顔の前で手を組み、じっと暁美を見る。
「そうですね……。如月が統括する地区の組か、その他私怨の者か……」
暁美個人として誰かに恨まれた覚えなどさらさらない。あるとすれば如月がらみとならざるをえない。
「それと……黒騎ですかね」
最後に暁美は言いにくそうにそう付け加えた。
可能性は低くない。だが、その中の誰かまでは予測できない。
「それはありえるな。最近彼らの如月に対する接触は多いから」
黒騎の情報は優先事項の高いものとされているが、未だに深く探れずにいる。隼が集める細切れの情報と、零華の報告が何よりの情報源だった。
「はい。彼らが私を誰と思って襲ったのかはわかりませんが……」
幹部の暁美としての顔か、勇輝の母親としての顔か、それとも……。
暁美は考えを巡らし、最近の自分の行動を思い出すが普段と変わらない日常。
どこかで敵に情報が漏れる場面もなかったはずだ。
「そうだな。ここ最近は幹部としても動いていなかったはずだが」
「しばらく辺りを警戒してみます」
「あぁ、用心をしてくれ」
静寂が会話に一呼吸をつけ、龍牙は手を組みかえた。
「その黒騎のことなのだが、この間レガーシアを倒したと報告を受けたが君はどう聞いている?」
報告には零華が来た。だが報告は事の始まりと終わりのみで、詳しいことはわからなかった。その後錬魔からも少し話を聞いたが、曖昧な返答しか得られなかったのだ。
如月は基本的に情報を出したがらないが、必要最低限は報告をしてくる。それをしたがらないということは、言えない何かがあるということだった。
「そうですね。私も詳しくは聞いていません。ただずいぶん苦戦していたようです」
暁美が如月を訪ねることは少なくなったが、外で零華や癒慰とお茶をすることはある。一カ月に数度は店巡りを兼ねて会うのだ。
その場で如月の報告も世間話に交えて受けていた。
この一カ月、二人の表情はあまり明るいものではなかった。申し訳なさそうな表情を浮かべたこともある。
「おそらく、私にも言えないことだったのでしょう」
何も言わず。何も聞けなかった。
「そうか……。だがこれで残るはアフランとサクリスか」
龍牙は記憶していた二人の幹部の名を口にした。
「そうですね。まだロビナシアが現れたとは聞きませんし」
「何時出てくるかわからん。本来なら如月は本部にいて欲しいのだが」
今回のレガーシアも現れたのは突然だった。
安全のためにも彼らには本部にいて欲しいが、拒否するのが目に見えている。
「この問題については私たちが直接手を下せないのが歯がゆい。エリーの言葉さえなければ、全軍を持って黒騎を潰すのだが」
龍牙の目が細められた。
黒騎とは龍牙隊を組織した当初から摩擦があった。それが表面化したのが冷戦における異空間戦争。終結後黒騎は表社会に出てこなくなり、ぶつかることはほとんどなくなったが確執はまだ拭えない。
「そう、ですね……」
暁美も冷戦当時の惨状を思い出し、顔色を曇らせた。
暁美が続きを口にしかけた時、思い出したように龍牙が言葉を発する。
「そうだ、君の息子のことで君に言わなければいけないことがあったんだ」
突然の話題転換に、暁美は虚を突かれてはぁと気の抜けた返事をした。
(勇輝……?)
そして勇輝が何かしたのかと頬がひきつりそうになる。
龍牙は一瞬、言いにくそうなそぶりを見せたが話し始めた。
「美月が言っていたのだが、彼が自分の過去に疑いを持っているらしい。何でも生後一カ月以前の記録がないことを知ったそうだ」
龍牙ははっきりと言い切ることはせず、伝聞の形にとどめた。それでも、暁美の顔が強張ったのを龍牙は見逃さなかった。
「あの子が……過去を?」
「詳しい経緯は知らないが、美月は前世の記録がないのはありえないと言っていたよ」
暁美はただ龍牙を見返し、言葉も出ない様子だった。
龍牙は暁美を気遣うように、優しく声をかける。
「そんな顔をするな。彼は君の息子だろう。それに違いはない」
「……はい」
暁美は視線を落とした。
(勇輝……)
初めて小さな赤子を抱きかかえた時のことは今でも鮮明に思い出せる。可愛い光のような子だった。
「隊長……」
暁美が何かを言おうとしたその時、背後からノックする音が聞こえた。
「申し訳ありませんが、隊長、もうすぐ会議の時間です」
扉越しに女の声が聞こえる。
その言葉に龍牙は時計を見やり、あぁと声を返した。
「すまないね。もう少し話を聞きたかったが」
「いえ。私はこれで失礼します」
暁美はすっと礼を取り、出ていこうと身体を反転させようとした時、龍牙のやわらかい声が届く。
「気にするな。全ては運命に定められている」
暁美は一度立ち止まり、
「はい」
と返した。龍牙に背を向けたままのその顔に浮かぶ表情は、苦しそうであり寂しそうであった。
静かに扉が閉まる。
暁美はゆっくりと歩き出した。行きよりも足が重くなった気がする。
(勇輝……。まだ、あと少し時間はある。まだ……)
暁美は口元を引き締めて歩いて行く。家族が暮らす、家へと帰るために。
暁美が本部を出た頃、勇輝たちは学校にいた。夏休みが終わり、始業式となったのである。
始業式にまじめに出たのは零華と癒慰だけで、勇輝と秀斗は屋上でサボリ、弥生と錬魔は如月にいた。
残暑厳しく、屋上で昼寝をするには厳しいが、そこは秀斗お得意の空間魔術で二人の周りだけ快適な温度に下げている。
屋上のテントはいつの間にかなくなっており、如月には床のタイルを開けるといけるようになっていた。
ますます秘密基地のようになってわくわくした勇輝である。
秀斗は俺の案だぜと胸を張った。
現在二人はごろりと横になってぼうっと空を見ている。蝉が近くにいるのかうるさい。
「久しぶりに学校にくると面倒だよな」
「やっぱサボるのが一番だよね」
面倒といえども学校にはいる、どこか真面目な二人である。
「教室にいないと思ったら、ここにいたし」
屋上のドアが開く音がしたと思えば、知った声が聞こえた。
二人がそちらに視線をやると、呆れた顔をして歩が戸口に立っている。
「歩来たんだ」
勇輝が起きあがって、よっと手を軽くあげた。
歩はおぅっと気だるげに返し、勇輝へと近づいた。
「うおっ、涼しい」
近づくと急に体感温度が下がって、歩は目を丸くする。そしてすぐさま隣で寝転んでいる秀斗に目をやった。
「すげぇだろ」
「外でもクーラーか、いいな」
歩は勇輝の隣に座り、興味深そうに辺りを見る。目には見えないがどこかに空間の境目があるのだろう。
「夏休みはどうだった? 満喫したか?」
歩が勇輝にそう問いかけると、勇輝は微妙そうな顔をした。
「楽しかったこともあるけど、ごたごたのほうが多かった」
夏休みの半分以上レガーシアの一件で潰れてしまった。全体的にどたばたした記憶しかない。
(三途の川も渡りかけたしな)
よく言えば盛りだくさんの夏休みであった。
「お前らしいな。何時でももめ事に巻き込まれる」
「そういう歩は?」
ちょくちょくメールをしていたが、返信が返ってこないこともあった。
「バイト三昧、スパイ三昧」
歩はうんざりとした顔で乾いた笑みを浮かべた。この夏は今まではなかった海外の仕事が入って来た。それも一国だけではない。
(この夏で世界一周した気分)
実際各大陸に一度は潜入した。
誰かの嫌がらせとしか思えなかった。
「歩もけっこう大変だったんだ……」
歩の表情からこれ以上訊いてはならないと勇輝は別の話題を探す。
「勇輝、暁美さんはもう大丈夫なのか?」
勇輝が何を話すか考えていると歩がそう尋ねた。
すぐに怪我のことだとわかった勇輝はこくりと頷く。
「もう治ったよ。てか歩知ってたんだ」
「スパイ舐めるなって」
それもそうかと勇輝は笑う。
そこから話は日常的なものへと移っていき、秀斗も加わってわいわいと話す。
昼休みになると零華と癒慰が加わり、皆で昼食を食べることになった。勇輝と癒慰が作ったお弁当を広げて、遠足気分だ。
「こうやって外で食べるのもいいですね」
「食後のデザートにアイスもあるんだよ~」
「豪華だな」
至れりつくせりなお弁当に歩は感動を覚えていた。一人暮らしなのでほとんど購買のパンを食べていたのだ。
そして感動と同時に威圧感に身を小さくする。周りには美男美女三人。
(やっぱ俺この中に入るのムリ)
秀斗一人なら心は持つが、三人となると心の水はカラカラだ。美形の上に牙軍、そしてメンバーである弥生は鷺のお気に入り。
心休まる要素がない。
(あの中に溶け込むあいつはすげぇよ)
歩はデザートのアイスを食べている勇輝を見て、心の中で溜息をつくのだった。
「ほら、歩も食べろよ」
と投げられるアイス。
「サンキュ」
勇輝はアイスを食べながら夏休みにあったどうでもいいような話をしゃべる。
それに歩は相槌を入れ、ツッコミもいれた。
だらだらと、昼休みは過ぎていく。
そして放課後、勇輝は一度家に帰ると言って歩と帰っていた。
見馴れた街。下校する学生の制服姿。たこ焼き屋から漂う誘惑する香り。
以前の勇輝のあたり前。
それに今の勇輝は懐かしさを感じていた。
(そーいや最近ここ通ってなかったよな)
学校が終わればそのまま如月に行っていた。
彼らに会う前は、歩とぶらぶらと街を歩いてゲームをしたり買い食いをしたり。
「なんか不思議な感じ。俺もお前も、フツーの高校生じゃないんだよな」
突然感慨にふけったような勇輝の言葉に、歩は吹き出しそうになった。
「なんだよそれ。俺ら不良やってた時点でフツーじゃねぇし」
「それもそっか」
目を合わせて二人で笑う。
「センチメンタルな勇輝なんて気持ち悪ぃ」
「うるせぇな!」
怒る勇輝は子犬が吼えているようで、また歩のツボを刺激する。
勇輝は爆笑する歩に鉄拳制裁を加えた。
「痛ってぇ……。ほんと可愛くねぇな」
「可愛くなんてなりたくないし」
もう十分可愛いという言葉はさすがに飲みこんだ。これ以上制裁を受けたくない。
しばらく無言のまま歩き、歩がそういえばと勇輝に話しかける。
「過去がうんぬんっていう悩みはもういいのか?」
昼からこれが訊きたかったのだが、如月のメンバーがいたので訊けなかったのだ。
「あぁ……よくわかんない。どたばたしてて、あまり考えられなかったし」
未だに、心の中に巣くっている問題ではある。だがそのことを考えると同時に出てくる顔たちもある。
「でもまぁ、俺は俺ってことで今のところはいいかなって」
今の勇輝を必要としてくれている人たちがいる。それでだいぶと救われた。
「そいつはよかった。あんな時間に電話よこされるはもー嫌だからな」
「あ……まじすいませんでした」
歩は根に持つタイプなのを忘れていた。
勇輝は今度何かをおごろうと頭にメモしながらにぎわう街を歩いていく。
たまにはこんなものもいいなと思いながら。




