第6章の9 雷太鼓が鳴り響き……
無機質な廊下を走る。
知らせを聞いたとたん、秀斗が病院へと空間をつないだ。龍牙隊の者が利用する病院は一つだけ。
最悪の結果を想像してしまう頭。
もしかしたら自分たちのせいかもしれないという恐ろしい不安。
未だに信じきれない心。
受付で教えられた部屋へと彼らは走った。
胸内に膨らむ不安を抑え込みながら。
「母さん!」
がらりと扉を開けてみれば、ベッドの上に人が横たわっていた。傍らに付き添う父親の姿。
「母、さん……?」
病室は、異様なほどに静かだった。父親は驚いた表情を浮かべたが、すぐに沈痛な面持ちになる。
ざわっと、恐怖に近い不安が勇輝の身体の中を駆け巡った。
「勇輝……。母さんな……」
父親はちらりとだけ勇輝を見て、すぐに母親へと視線を戻した。言いにくそうに、言葉を選んでいるようにゆっくりと言葉を紡ぐ。
母親の白い顔。ぴくりとも動かない。
勇輝は顔を強張らせて母親のもとに駆け寄った。
「母さん! 嘘だよね!?」
母親の目は固く閉じられ、何の反応も帰ってこない。まるでもう勇輝の声は届いていないかのように。
「つい、さっきだったんだ……」
父親はベッドの向かいに立っており、顔を手で覆って肩を震わせていた。
(まさか……本当に?)
勇輝の不安が絶望に変わる。
「嫌だ! 母さん!」
勇輝は崩れ落ち、布団をかけられた母親の身体に顔を伏せた。無意識に握りしめた拳は白くなり、手のひらには爪が刺さっている。
その感覚すら、勇輝にはない。
「こんなことって……あるかよ」
悲痛な勇輝の声に、部屋の入口に立っていた魔術師五人も目を伏せる。
「こんな、急に……」
と、癒慰が声を震わし、零華が慰めるように肩に手を置いた。
「暁美さん……」
秀斗はぐっと唇を噛んで、感情を押し殺す。
「許さない」
地を這うような声に、秀斗はぞっとして隣に立つ弥生を見た。彼女は月契の柄を手が白くなるほど握りしめ、暁美だけを見ていた。
その身から溢れ出るのは殺気。
髪が少しくすんでいた。
錬魔は辛そうに口元を押さえ、赤い瞳で暁美を見る。
「やっと、会えたのに……」
勇輝の声が震えた時、布団の中から二本の腕がにょきっと伸びた。
その光景に魔術師四人は目を点にする。
(……え?)
そしてその手は縋りつく勇輝をがばっと抱きしめた。
「もう、可愛いわね勇輝!」
ぎゅーっと抱きしめ、頭をわしゃわしゃと撫でる。
勇輝は突然のことに、茫然として動けなかった。今、何が起きたのか理解できない。
勇輝が事態を理解できたのは、大爆笑する父親の笑い声が聞こえてしばらくしてからで、恥ずかしさで顔を真っ赤にした勇輝はまず父親に殴りかかったのだった。
「で、結局のところ怪我はどーだったの?」
椅子に座ってふてくされている勇輝がそう母親に尋ねる。父親は勇輝の鉄拳をまともにくらい、看護師に付き添われて治療を受けに行った。
「なんてことはないわ。ほんのかすり傷よ。ただ避ける時に足をひねっちゃって、そっちのほうが痛いわ」
「そのようですね。傷を見てもかまいませんか?」
火煉を発現させている錬魔がそう尋ねる。
彼はその能力ですぐさま暁美が元気なことに気づき、笑いを押し殺して事態を見ていた一人である。一通り笑った後に、勇輝に睨まれた。
「えぇ、お願い」
暁美が服の袖をまくると包帯で巻かれた腕が出てきた。
勇輝はその怪我を見て、辛そうに顔を強張らせる。もしかしたらと思うと、心臓が冷える。
「勇輝はそっち向いていろ。医者以外が見ていいものじゃない」
勇輝はこくりと頷いて、後ろを向く。
錬魔はするりと包帯を解いて、眉をひそめた。傷は確かにかすり傷だった。
このままでも十分治る。
錬魔は青い花にそっと触れ、力を流し込んだ。
「勇輝、もういいぞ」
そして勇輝が振り返った時には、傷はどこにもなくなっていた。
「やっぱすごいな、錬魔」
「どうということはない」
無表情の下に照れを隠しながら、錬魔の治療は足へと移る。足の状態を見た錬魔の頬がひくついた。
「……どんな避け方をしたんですか?」
足の捻挫の方が腕の裂傷よりひどいとはどういうことか。
「覚えてないわよ。ただ猛烈な痛みが走ったわね」
むしろ開き直ったような暁美の言い方に、錬魔は無言で青い花に触れた。心の隅で、この親にこの子ありかと思いながら。
「暁美さん。誰がやったんです? すぐにでも首を取りにいきます」
ずっと黙っていた弥生が口を開いた。
弥生の表情は氷のように冷たく、瞳には静かな怒りが宿っている。
暁美はそんな弥生を見て、困った子ねと小さく微笑む。
「誰かはわからないわ。買い物の帰りに、人の気配がしたと思ったらもうやられてたの。後姿は少し見たんだけど……」
暁美は錬魔の治療を受けながら、その時の状況を話す。
「どんなやつですか?」
弥生の瞳に鋭さが増した。
「背の高い男だったわ。それしかわからない」
「犯人に心当たりもないのですか?」
今度は零華がそう尋ねる。暁美が襲われたと聞いて心中穏やかではないのは彼女も同じだった。
「失礼ね。私はあなたたちと違って恨まれるようなやり方はしないわ」
それは恨む人すら残さないということかと勇輝は尋ねそうになるのをぐっと堪えた。ここで深く掘って恐ろしいものを掘り当てたくない。
「手掛かりが何もねぇってのは歯がゆいな」
秀斗は険しい表情で歯がみする。
「暁美さんを傷つけたものは許さない。必ず、殺す」
殺気立つ弥生を見て、暁美はため息をつくとゆっくりと立ち上がった。
痛みは全くない。
スタスタと弥生の前まで歩くと、パチンとでこピンを放った。
その行動に、見ていた回りは目を丸くした。
された本人はきょとんとしている。
「弥生ちゃん。すぐにそうやって報復を考えるのはやめなさい」
「でも……」
弥生は何か言いたげに言葉を口にしたが、暁美の顔を見てすぐにひっこめた。
暁美は微笑んでいた。でこピンの構えをとかずに……。
「私は生きてる。それでいいじゃない」
弥生は未だに不満そうだったが、しぶしぶ引きさがる。
暁美は弥生の頭を優しく二度撫でると、ベッドへと戻った。ベッドに腰をかけて、彼らを見る。
「今日はもう遅いから、帰りなさい。私は明日には退院して家に戻るから」
怪我が治ったからね、と暁美は笑う。
「わかりました。また何かあったらすぐに知らせてくださいね」
零華がそう答え、そっと弥生の背中を押した。危険な子は強制送還である。
「何時でも如月に遊びに来てください。もう心配かけないでくださいね」
癒慰もひらひらと手を振って弥生の隣についた。弥生は固められる身の周りに不満そうだが何も言わない。
「もともと戦闘をなさる身体ではないので、無理はなさらないでください」
錬魔が真面目な表情でそう言うと、暁美はわかりましたと苦笑いを浮かべた。
「てことで、暁美さんを頼んだぜ勇輝」
彼らの最後を歩く秀斗が振り返ってばいばいと手を振った次の瞬間、彼らの姿は忽然と消えたのだった。
「……ふつーに置いてかれた」
言われなくても残るつもりだったが。
「勇輝」
暁美が優しい声でそう呼びかけると、勇輝はどこかふてくされた表情のまま顔を向けた。
「ごめんね、心配かけて」
「ほんと……心臓止まるかと思った」
心は正直だった。母親のことを疑っていたのが嘘のように動転し、心配した。
「ありがとうね」
暁美は穏やかに笑い、
「そうそう勇輝、そこの冷蔵庫から箱を取ってくれる?」
と椅子の傍にあった冷蔵庫を指差した。
勇輝は冷蔵庫から言われた箱を取り出す。
少し潰れた箱は、よく見馴れたもので。
「誕生日おめでとう」
勇輝が箱を開けると、デコレーションケーキが出てきた。
「それかばったら足をひねっちゃたのよね」
ケーキを切りながらそう言った母親に、勇輝は呆れ顔でその一つを掴む。
「こんなのどーでもいいのに」
ケーキ一つで命を落とされてはかなわない。
「何言ってんの。もう何年もあんたの誕生日を祝えてなかったんだから」
母親の寂しげな表情を見て、勇輝はもう一つとケーキに伸ばした手を止めた。
「もう、十八なのね」
「母さん……」
勇輝が何か言おうとした瞬間、がらっと扉が開いて父親が入って来た。
右ほほに湿布を貼っている。
「あれ、あの美形軍団は?」
父親は残念そうにきょろきょろと部屋を見回した。
「みんななら帰ったよ」
美形軍団って……と思いながら勇輝が答えると、父親はえっとおもちゃを取り上げられた子どものような顔をした。
「あの美人たちをもっと見たかった……!」
しまったと父親は実に悔しそうだ。
願望を隠そうともしない父親をもう一発殴っておくかと勇輝は拳を握る。
「おっ、ケーキか。そういや今日は勇輝の誕生日だったな」
父親は机の上にあるケーキを見つけて、おっと表情が明るくなった。
父親は毎年ケーキを買ってきたが、勝手に食べて終わりという簡素な誕生日だった。
上機嫌で寄って来て、父親はひょいっとケーキを掴みとる。
「うん。うまいな」
(ほんと、この人は自由だよな)
勇輝は父親だけにケーキを食べさせるかと、一つ二つと食べていくのだった。
久しぶりにそろった家族は、病室でのハッピーバースデー。
勇輝はそれも悪くないかと、口の中を甘さでいっぱいにしながら思うのだった……。
ところ変わって如月では、ホールに暇そうな顔をした彼らがいた。
夕食を食べ終え、食休み中である。
「結局勇輝君の誕生日お祝いできなかったね」
癒慰が食後の酒を飲みながら残念そうにそう言った。
「だな。暁美さんが無事だったのはよかったけどよ」
プレゼントは各自の部屋に置かれたまま。
いつか渡す機会があれば渡そうということになった。
「それでもしばらくは弥生が荒れるだろうな」
錬魔は殺気を迸らせていた弥生を思い出して表情を曇らせる。
仲間を傷つけたものには死を。
それが如月を結成してから弥生が行っていたことだった。
だが今回は手掛かりがほとんどない上に、暁美からストップをかけられている。
鬱憤が溜まって荒れるのが目に見えていた。
「ここは俺の出番だな」
と秀斗が得意げに胸を張った。親指をぴんと立てている。
「頼むぞ。屋敷に被害は出させるなよ」
八つ当たりはまず秀斗にいく。秀斗自らが当たられに行くという表現が正しいが、そのおかげで全体の被害は激減するのだ。
ぽつぽつと今後について話していると、弥生に夕食を届けに行っていた零華が帰って来た。その表情がうかないのを見て、三人はやっぱりと気を重くする。
「すでに嵐か?」
錬魔がそう尋ねると、零華はどこか困惑しているような表情を浮かべて首を横に振った。
「それがとても大人しいのです。ただぼぅっと外を見ていて、りんごも食べようとしませんでした」
その報告に三人はえっと言葉を詰まらせる。
「素振りとかもせず?」
「剣の手入れも?」
秀斗と癒慰が畳みかけるようにそう訊くが、零華は何もと答えるだけだった。
「よほど暁美さんの言葉が効いたのでしょうか」
「……何にしても、荒れてねぇのはいいことだけどよ」
秀斗はどこか信じられない気持ちでそう呟く。
「なんか怖いわね」
癒慰の言葉に三人は一斉に頷いた。
如月の夜も深まっていく。
一つの不穏分子を残したまま。
確実に時は流れ、事態は動いていくのだった……。




