第6章の6 暴風警報発令
勇輝は激しく後悔していた。弥生に隊員服に着替えろと言われた時、すでにあれ? と思ったのだ。そして如月を出る直前に誰に会いにいくのかとそろっと訊いたところ、
「美月だが?」
一番会いたくない人の名前が出てきたのだった。
「やだやだやだやだ!」
駄々をこねる子どものように如月の戸口にしがみつく。身体の半分は如月、もう半分は本部にある状態だ。
「俺美月さんだけには会いたくない!」
「だがあいつしか過去を視る能力を持った奴はいない」
それを冷ややかな目で見る弥生。
「美月さんに会ったら何されるかわかんないもん!」
「そのために私がいる。お前一人で会わせるか」
以前美月が如月に迷惑訪問をした後、あまりに怯えた勇輝を見て零華と癒慰が全員に言ったのだ。勇輝を極力美月から遠ざけようと。万が一会う時は、必ず誰かが守ると。
弥生はその話を半分ほど聞き流していたが、実際目の前の勇輝を見ると彼女たちの判断は正しかったのだと思ってしまう。
「真実を知りたいのだろう。覚悟を決めろ」
そう言うと弥生は非情にも、勇輝を引きはがしにかかった。
「月縄」
弥生が右手の人差し指を勇輝に向けると、そこから銀色の光が紐のように伸びていった。
それは勇輝の身体に巻き付き、弥生は容赦なく引っ張る。
「ぎゃぁ!」
床に転がる箕巻きの勇輝。
「無駄な手間を取らせるな」
そして弥生は縄をしっかり掴んで歩きだす。
縄がピンと張り、勇輝の身体が動き出す。
じたばたともがいていた勇輝だが、引きずられ方に違和感を覚えて動きを止める。
(全く痛くない)
下を見ると床と自分の身体が全く接していなかった。
(空中散歩?)
勇輝は散歩されている側だが。
(これは……弥生の優しさ。……いや、まず俺を縛るとこが間違ってるから!)
勇輝はうっかり感動しそうになって、ぶんぶんと頭を振る。これは人の扱いではない。物だ。
勇輝が心の中で叫んでいる間も弥生はどんどん歩いて行く。ふと見ると、本部の廊下に出る扉はもうすぐだ。
「え、ちょっと。このまま本部に出る気?」
「お前が逃げようとするからな、このほうが美月にも攫われないし安全だろう」
勇輝は慌てて身を起こし、ぐいっと上体を後ろに逸らした。それに紐が引っ張られて弥生が止まる。
「わかったって! 逃げないからこんな状態で本部に行きたくない!」
弥生に引かれて本部を歩くなど、羞恥で死にそうだ。
弥生はしばらく勇輝を見ると、あきらめたのか無言で縄を解き、扉を開けた。明かりが目に眩しい。
(またここに来るなんて)
勇輝は颯爽と歩く弥生について行く。しばらく歩くとちらほらと隊員の姿が見えてきた。
二人が現れたことでざわめきが生まれる。
昨日よりも一際反応が大きい。
「如月の弥生さんよ。滅多に本部にお姿をお見せにならないのに」
「何かあったのかしら」
通り過ぎた途端キャーキャ騒ぎ始める女の子たち。
「勇輝さんだ。二日連続で見れるなんてついてるな~」
珍獣扱いをする男。
「ちっちゃくてかわいい~」
注目度は弥生が一段上だが、それでも勇輝の血管は切れそうになる。
弥生はそんな声などどこ吹く風で、さっさと歩いて行った。
そして廊下の突き当たり、左右に廊下が別れたところで立ち止まる。
「なぁ勇輝、お前は誓祈の場所を知ってるか?」
「え、弥生知らないの?」
道も知らずに歩いていたことに勇輝は驚く。
「行ったことがないからな」
本部は広いと一人ごちる弥生の隣で、勇輝はきょろきょろと訊ける人がいないか探した。
ちょうど右から歩いてきた女性に声をかける。
「あの、誓祈ってどちらですか?」
「は、はい! この廊下を進んで突き当たりを右に行ったところです」
女の人は背筋をびしっと伸ばし、うわずった声でそう答えた。
「あ、どうも……」
勇輝は彼女の怯えの原因であろう弥生をそっと押して教えられた方へと歩いて行く。
「弥生、もうちょっと優しい目で見てあげなよ」
「私はいつも通りだが?」
「いや、もうちょっと人に対してさ……」
「人間のことなど知らん。私の邪魔になれば消すだけだ」
勇輝以外の人間に対する弥生の感情や態度は何も変わっていない。
「ですよね……」
勇輝は心の中でそっと溜息をついたのだった。
無言のまましばらく歩くと、一際目立つ門が見えてきた。門の両脇に立つ石のオブジェの台座には夜一星と刻まれている。
「とうとう来たよ……」
背中に嫌な汗が伝う。
弥生は迷いもなく開け放たれた扉へと足を踏み入れていった。
誓祈は隊内にある小隊の中で最大規模を誇る。部署がいくつかにわかれ、それぞれが研究施設を持ったり詰め所を持ったり。
当然隊員も多く、廊下は四方八方に伸びている。
その中を弥生は何のためらいもせず進んでいった。
「えっと、場所わかってるの?」
先程のやりとりを知っている勇輝は不安そうにそう訊いた。
「これほどの気を発していれば、嫌でも分かる。ほら、来るぞ」
弥生が言い終わるか終わらないか。明るい声が廊下の向こうから飛んできた。
「勇輝く~ん!」
「ぎぃやぁ! 来た!」
勇輝が踵を返して逃げ出そうとしたのを弥生が襟首を掴んで止め、短剣を前方へ投げつけた。
「うわっと」
勇輝に跳びかからんばかりの勢いで走って来た美月が弥生の前で急停止した。
勇輝は弥生から三歩下がったところにいる。
「勇輝君! あぁ君はいつ見ても可愛い!」
腕を広げて抱きしめる準備は万全だ。
崩れんばかりの笑みを浮かべる美月に、殺気の籠った目で睨む弥生。そして天敵を見つけた小動物のように小さくなっている勇輝。
ざわめきがどんどん広がり、傍を通る人はどんどん足を止めていく。
「勇輝くん、はあ。君の用は分かってるよ。ここに入りたいんでしょ?」
「違います!」
間髪いれずに勇輝は否定した。だがそれを聞く美月ではない。
「そんなに照れなくて大丈夫さ」
「この私の仲間を誑かそうとするとは、いい度胸だな」
「あれ、弥生? いや~ごめん。勇輝君が可愛い過ぎて見えなかったよ」
勇輝は、弥生の背中から死神が出てくるのが見えた気がした。
勇輝は今にも弥生が月契を抜いて跳びかからないかひやひやする。気持ち的には応援したい、是非斬ってほしい。
だが弥生が抜いたのは言葉の剣だった。
「この節操なしが。零華と勇輝どちらかにしろ」
残念ながら大きく空を斬ったが。
「弥生! その二択おかしいよ!?」
そういえば弥生は最初に美月が如月に押しかけた時も美月をフォローしていた。
「え~、そんなの選べないよ。どっちも愛してるもん」
美月は子どものようにだだをこねる。
「ならどちらにも近づくな。次どちらかを誑かせばその首刎ねるぞ」
「や、弥生……」
たまに弥生の判断基準がわからなくなる勇輝である。
そして三人が立ち止まっている間に、ギャラリーは増え写真を撮るものまで現れた。カメラやスマホを構えている。
本部ではまずない光景。さすが誓祈、所属している者も並はずれた度胸を持っているらしい。
「……目障りだ」
シャッター音がした次の瞬間、弥生は指先から小さな光の弾を放った。それは一分のくるいもなく、彼らのカメラやスマホを粉砕する。
廊下に憐れな絶叫が響いた。
「ご愁傷さま」
そう心の中で手を合わせる勇輝。
「うん、どうやらここにいるとまずそうだから、僕の部屋に行こうか」
やっとギャラリーの多さに気づいたのか、美月がそう言って手を差し伸べた。もちろん勇輝に。
「さっさとしろ」
弥生に睨まれ、美月はしぶしぶ手を引くと前を歩き始めたのだった。
執務室に通され、二人は来客用のソファーに座るよう促された。広い執務室には無駄な物がなくしっかりと手入れが行き届いている。
この部屋を見て勇輝は、如月にも使われていない執務室があったことを思い出した。それと同時に苦労の多い影のリーダーの顔も。
美月は勇輝たちの向かいに座ると、興味深そうな視線を向けた。
「それで、何の用なんだい?」
ゆったりと足を組んで座る姿は、悔しいが美男子だ。
「勇輝の生まれる前の記録を見てもらいたい」
単刀直入に弥生は答えた。
答えが意外だったのか、美月は少し驚いた表情を見せる。
「勇輝君の生まれる前?」
そして怪訝そうに勇輝へと視線を向けた。
「正確には生後一か月から前だな」
美月はその青い瞳に固くなっている勇輝を捉えながら問う。
「理由は?」
「本人に訊け」
その言葉に、美月はやさしい笑顔を見せて勇輝へと問いかける。
「理由を訊かせてくれないか?」
まるで子羊を騙す狼のように。
「え、理由、は……」
果たして言ってしまってもいいのか。
勇輝の中での美月の信用は高いとはいえない。だが見て欲しいのは本心で、理由を話さないというのも失礼だ。
「言えない理由かい?」
すっと美月の表情が真面目なものに変わった。
(この人、こんな顔もできるんだ)
なんだか驚きである。
「まぁ、少し」
勇輝は曖昧にごまかした。やはりあまり人に知られたくない。
「お前なら視ることは可能だろう」
「この僕だからね、不可能なわけないさ」
間髪いれずに美月は答える。
「なら視てやってくれ」
「あの、お願いします」
勇輝はぺこりと頭を下げた。美月の視線が突き刺さっているような気がする。
「……勇輝君、顔をあげて」
優しい美月の声に、勇輝は少し緊張を解いて顔をあげた。
(この人、実はいい人かも……)
と同時にカシャッと馴染みのある音がした。
目の前にはスマートフォン。
「はぁ、可愛い。この勇輝君上目遣いバージョンで手を打ってあげようじゃないか」
え、と固まる勇輝。一瞬でも美月に好感を抱きかけた自分を激しく呪う。
「保存保存。勇輝君フォルダに入れておかないと」
何やら不穏なワードがあったが、聞かなかったことにした。知らぬが仏という言葉もある。
美月はほくほく顔でスマートフォンをポケットに入れると勇輝へと視線を移した。
「じゃぁ、理由はいいから何が問題なのかだけ教えてくれるかい?」
美月は先程の行動が幻だったかのような誠実さのある顔と声になった。
「はい。その、俺には生まれる前の記録がないみたいなんです。あと、生まれて一カ月間の写真もなくて」
「へぇ、前世の記憶……魂の記録ってやつだね。確かにそれがないのは普通じゃないけど」
そう言って美月は身を乗り出し、勇輝をじっと視る。
「時間軸は生後一カ月」
美月が纏う空気が変わった。凛と張り詰めた空気になり、瞳の奥がきらきらと輝く。それは水晶玉に七色の光が当たっているように。
勇輝はその美しさに吸い寄せられるように瞳を見ている。弥生も興味深そうに見ていた。
「……へぇ」
光は十秒足らずで消え、いつもの青い瞳に戻る。
美月は一度目を閉じ、ソファーに背を預けた。
勇輝はごくりと唾を飲み、じっと美月の言葉を待つ。
「確かに、勇輝君の魂の記録はないね」
勇輝はわずかな希望が消えて、視線を落とした。やはり落胆は隠しきれない。
「その魂の記録がないことは問題なのか?」
「問題と言うか、ほとんどありえないことさ。魔界、人間界、魔術界、全て死んだ者の魂は霊界に戻り浄化されて何処かの世界で生まれる。いわゆる輪廻転生だね」
勇輝は少し顔をあげて話を聞く。
「虫も魔物でもなんでも、魂は同じ。全世界の魂量は一定に保たれているのさ。だから普通は何万回という転生した記録が魂には残ってる。それがないってことは、新しく誕生した魂ってことなのさ。滅多にないけどね」
少し表情を明るくした勇輝を見て、美月は申し訳なさそうに言葉を続けた。
「だが、勇輝君の場合は生まれた瞬間もその後一カ月間の記憶が、いや記録も無いんだ」
「……じゃぁ、やっぱり俺の人生は偽りですか?」
心臓が掴まれたような息苦しさ。その言葉を言うことさえ、胸がえぐられるようだ。
「それは、僕からは何とも言えない。君の人生の始まりは、嬉しそうに微笑む女性に抱かれているところから始まっている。僕には、それは偽りには見えなかったよ」
勇輝はぐっと拳を握りしめた。
(過去はないのに……俺の人生は偽りじゃないの?)
わからない。何を信じればいいのか、わからなかった。
「勇輝……」
弥生が何か言いたげに勇輝の名を呼んだが、彼の顔を見ただけで何も言わなかった。
「ねぇ、君たちは運命を信じるかい?」
重い沈黙がのしかかる中、美月が唐突にそう尋ねた。二人は少し戸惑った表情を浮かべて美月を見る。
「運命? そんな不条理なもの誰が信じるか」
吐き捨てるように言う弥生。
一方勇輝はその言葉を噛みしめるように黙ったままだ。
「運命は決まっている。そういうことを言う人がいてね」
美月の言葉に弥生が不愉快そうに眉をひそめる。
「あぁそういえば、君たちの先輩……先代の四剣琅だよ」
「エリー……さん?」
勇輝はつい先日見た彼女の名前を呟いた。
「知っているのかい?」
「あ、いえ……名前だけ」
「で、そいつが何なんだ?」
弥生の問いかけに、美月は懐かしむように少し間をおいてから話し出した。
「彼女はね、未来を知ることができたのさ。なぜかそれを伝えることはほとんどなかったけどね……。決まっている運命はある。彼女の信念みたいなものだよ」
運命、未来。その言葉が勇輝の心に入ってくる。今の勇輝にはその言葉が解決の光のような気さえする。
「くだらん戯言に興味はない。勇輝、帰るぞ」
弥生はそう吐き捨て、立ち上がった。ぼうっとしていた勇輝は慌てて立ち上がる。
「え、あの、すいません。ありがとうございました」
ぺこぺこと頭を下げ、すでに歩きだしている弥生の後を追う。
「信じるか信じないかは、君たちしだいだよ」
美月は二人の背にそう言葉をかけた。
そして扉から出ていこうとした瞬間、勇輝の名を呼んだ。
「君は、君のままでいてくれ。その可愛らしい勇輝君でね」
最後はいつもの軽い調子でウインクを飛ばした。その瞬間弥生が乱暴に扉を閉める。
苛立った空気を纏う弥生の横を、その表情を伺いながら勇輝は歩いた。誓祈の門を出、本部の廊下に出たところで勇輝はやっと人心地ついた気持ちになる。
本部の廊下を死堅牢に向けて歩いていると、ふいに弥生が口を開いた。
「すまなかったな。結局、お前の悩みを晴らすことはできなかった」
固い弥生の表情。勇輝は静かに首を振る。
「いいんだ。ひとまずないことははっきりしたんだから……」
ないものは、ない。
それがはっきりしたからこそ、次に進める。
なぜないのか。その意味は何か。
次に、進まないといけない。
何かに突き動かされる。
「弥生、ありがとう」
弥生は虚を突かれたように目を瞬かせ、
「気にするな」
とぶっきらぼうに答えた。
重かった沈黙が、柔らかいものに変わる。
「勇輝……」
弥生が何か言いかけ、視線を前に向けたまま立ち止まった。勇輝もつられて立ち止まる。
こちらに走ってくる小さな影。
弥生が警戒して、月契に手をかけた。
小さな影は全力で走ってくる。廊下を歩く他の隊員たちは驚いて道をあけていた。
「あれ?」
なんとなくそのシルエットに見覚えのある勇輝は、弥生の前に立った。
現れた瞬間斬られたら目も当てられない。
「大丈夫だよ、敵じゃない」
「勇輝さ~~~~ん!」
声と、見覚えのある顔。忘れるはずがないその性格。
「純……」
本部の隊員服を着た純が、二人の前で急停止した。
すぐに弥生の存在にも気づいて、最敬礼をする。
「弥生様、本日は、お会いでき、てうれ、しく……」
全力疾走のせいで息も切れ切れだ。体力はあまり向上していないらしい。
徐々に青ざめていく純を見て、さぞ怖い顔をしているだろう弥生の腕を引いた。
勇輝も見たくない。
「そいつは誰だ」
「はい! 僕は」
「お前には訊いていない」
容赦なく斬り捨てる弥生。
「えっと、覚えてない? 俺が朧月夜で訓練してた時に同室だったやつなんだ」
面識はあるはずなのだが……。
「あぁ、そんな奴もいたな」
記憶の片隅になんとか引っかかっていたようだ。
「えっと、それで何の用?」
純が弥生の怒りに触れないうちに用件を処理しなければならない。
そう尋ねると、純は少し恥ずかしそうに俯いておずおずと言い始めた。
「あの、実はぼく明日、休みがもらえたんです。だから、その……」
なかなか言おうとしない純。それほど言いにくい用なのか、勇輝が少し心配顔になった時目の端に弥生が月契に手をかけるのが見えた。慌ててその手を押さえ、目でやめてあげてと訴える。
(何でも脅せばいいって問題じゃないんだよ!?)
純は幸い自分のことで精いっぱいでそのことには気づいていなかった。
「その僕と……デートしてください!」
爆弾投下。
勇輝はえっと固まり、弥生の表情がさらに険しくなる。
「デ、デート!? え、俺男だよ!?」
狼狽して勇輝が答えれば、
「すいません、すいません! でもどうしても明日一緒に来て欲しいんです!」
こちらもわたわたおろおろと返す純。
「あの、弥生様! 勇輝さんを明日一日僕に預けてください。一生に一度のお願いですから!」
弥生にひざまづく勢いで懇願し、弥生は勇輝へと視線を向ける。
「お前は、どうしたい?」
「えっと……別に、遊んでもいいかなぁって」
ここで嫌だと言ったものなら、純の首がはねられそうだ。
「ならば好きにしろ」
弥生の言葉にほっとした二人。
弥生はさっさと歩き始める。
「あ、あの。明日十時に四剣琅の門前で待っていますから」
「わかった。じゃぁな!」
勇輝は頭に朝十時死堅牢門前とメモし、弥生の後を追った。
二人の背に、ありがとうございましたと純の声が届く。
嵐が過ぎたと思えば、またやって来た。
勇輝は勢いで約束したデートを不安に感じながらも、どこか楽しみに思うのだった……。




