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第6章の5 空白と救いの手


 頭の中のひっかかりが取れない。それを取ってしまえばスッキリするだろうが、その時何か変わってしまいそうで怖い。

 勇輝は重い足取りで自室のドアを開けた。すぐ前に見える白い壁、細い廊下。

 懐かしいと思って、最近家に帰ってなかったことに気づく。

 自分の家、生まれてからずっとここで暮らしていた。父親と、そして母親と。

 勇輝は階段を下り、リビングをのぞく。すると晩ご飯の準備をしている母親の姿があった。小さい頃はたくさん遊んだ。その記憶も偽りなのか。

 疑い出すときりがない。


「あら、勇輝。帰って来たの」


 勇輝は母親の声にはっと我にかえった。


「あ、うん。ただいま」


 ここは家のはずなのに、他人の家のような気さえする。


「晩ご飯食べるなら、連絡してくれればよかったのに」


「うん、急に帰りたくなってさ」


 勇輝は会話をしながら母親の顔をさりげなく観察する。小さい頃はよく似ていると言われた、優しくかわいらしい顔立ち。


「あら、ホームシック?」


「んなわけないじゃん」


「へぇ、幼稚園のお泊りで家に帰りたいって泣き叫んでたのに、成長したわねぇ」


 暁美は味噌汁の味噌をときながら、意地悪そうな笑みを浮かべてそう言った。


「そんなの覚えてないし!」


 さらっと恥ずかしい過去を暴露されて勇輝の語気が強くなる。


「そ~う、まぁそこに座ってなさい。もうすぐご飯できるから」


 勇輝はふんっとソファーに座り、テレビのリモコンをつけた。

 そして何週間ぶりかに母親の料理を食べ、学校の話や如月の話をした。十年の空白を感じさせない自然なやりとり。

 勇輝は自分のことをなかなか訊けないまま、時間だけが過ぎていった……。







 翌日、朝起きると朝食だけ置かれて母親の姿はなかった。書置きを見ると、急きょ本部から呼び出されたらしい。


(ちゃんと働いてたんだ……)


 いつも家にいるイメージだったので、少し意外に思う。

 父親もすでに仕事にいっており、家にいなかった。

 勇輝は朝食を温め、テレビをつける。もう八月も終わり、後少しで学校が始まってしまう。

 勇輝はテレビを見ながら箸を動かした。いつもなら、自分で作るか癒慰が作ってくれているか。


(なんか寂しいな)


 家にいるというのに、帰りたいと思ってしまう。家は好きだ。家族も……。でも、彼らがここにいたらもっと楽しいと思ってしまう。

 勇輝は手早くご飯を食べ、家に帰って来た目的を果たすため行動を開始するのだった。





 二階廊下の突き当たり。そのドアを開けるのは年に数回あるかないか。いわゆる物置なのだが、勇輝にとっては負の物置でもある。

 母親がいたころはまだ綺麗だったそこも、十年のあいだに次から次へといらないものが押し込められ物を掻きわけないと最奥にたどりつけない。

 そして今回探しているものは最奥にある。

 勇輝はドアを開け、目に飛び込んできたありさまにげんなりする。四畳の部屋は段ボールがうず高く積まれ、本や服も散乱している。父親がつっこんだのか、古いテレビが足元に転がっていた。

 これでは一歩も前に進めない。


(確かアルバムはあの奥だったよな)


 ちらりと見える本棚。そこに勇輝が幼少のころからのアルバムがある。

 悲劇のアルバム事件の後は指一本も触れていない。

 勇輝は物を動かし道を作りながら本棚へと進んでいく。


(まさかもう一回見ることになるなんて……)


 あの衝撃は忘れもしない。

 アルバムを開いたのは小学校低学年。母親が出ていってすぐのころだった。母親が恋しく、その姿が見たくなってアルバムを見に来たのだ。あの頃はこの物置も普通の部屋で、容易に本棚まで辿りつけた。

 本棚には数冊のアルバムがあった。勇輝の名前の下に番号がふってある。それを三から順に見ていき、母親の思い出に浸ったのだ。

 だがそんな幸せな時間は、一番目のアルバムを見た瞬間吹き飛んでしまったのだが……。

 勇輝はやっとの思いで本棚まで辿りつき、本棚の前に座れるスペースを作るとアルバムを一冊引きぬいて床に置いた。

 手にしたのは番号一のアルバム。生まれた時の写真が見たかったのだ。母親と写っている写真を。

 勇輝は深く息を吐き、精神統一をすると思い切ってページを開いた。開いたのは裏表紙、あの時の衝撃が再び襲う。

 写真に写っているのは母親と女の子。最初見た時は誰だかわからなかった。そして分かった時の過去が崩れていくような動揺。

 写真の中では、ドレスを着てかつらを被った勇輝が元気そうに笑っていた。

 勇輝は現実を見ないとだめだと自分を奮い立たせてページをめくっていく。子どもの時はここで即リタイアし、本棚にしまいこんだのだ。


(うっわ~、女装だけじゃねぇ……)


 母親とやったごっこ遊びの様子が撮られていた。ある時は王様とメイド。ある時は兵士。ある時は冒険者……。


(これ癒慰には見せられないよな……)


 遊びと思っていたとはいえ、コスプレ集である。


(あ、なんかこれ見てると泣けてくるな……)


 目頭が熱くなりかけ、勇輝は慌ててページをめくる。早く最初の写真を見ないと。そう思う心もあるが、見るのにしり込みをする自分もいる。

 写真の勇輝はどんどん小さくなる。はいはいしている勇輝、ガラガラで遊ぶ勇輝。

 そして最後の一ページ。

 勇輝はめくる手をとめ、深呼吸をしてからそっとめくる。

 眠っている赤ん坊の写真。髪もまだあまり生えておらず、小さなベッドで眠っていた。

 母親と父親が一緒に写ったものもある。

 生後一カ月。それが一番古い写真だった。


「……これが最初の写真」


 生後まもなくの物はない。まだ、ひっかかりはとれなかった。一カ月の空白がある。

 勇輝は少しがっかりしてアルバムを閉じて本棚にしまった。そして何気なく違うアルバムを手にした。表題はなく、勇輝のよりも古そうだ。おそらく両親のものだろう。

 ぱらぱらとめくると、父親がいた。どうやら父親のアルバムらしい。年は勇輝と同じくらいか、制服を着ているのもあった。

 髪は金髪で、カメラに向かって睨みを効かせている。


(やっぱり元ヤンじゃん……)


 昔尋ねた時はうやむやにされたが。

 勇輝は最後まで見終わると、次のアルバムに手を伸ばした。写真の中の父親は急に年を取り、社会人になっていた。会社での飲み会の写真や、同窓会、社内旅行。どれも馬鹿騒ぎしている父親の姿がある。


(あほらし~)


 勇輝がもう閉じようかと思った時、赤ん坊を抱いている父親の写真があった。勇輝の顔は見えないが、着ているものからすると同じく一カ月ごろ。


「……え?」


 勇輝はその写真の一つ前を見る。日付は二か月前。

 心臓がドキドキして、全身の血液が下に落ちていくような感覚に襲われる。


「……ない」


 父親が働き出してから、勇輝が生まれるまで一度も母親の姿が写真に写っていなかった。

 勇輝は母親の写真を見つけようと他のアルバムもめくるが、どのアルバムにも母親はおらず母親のアルバムすらなかった。


「……なんで?」


 勇輝はアルバムを閉じてしばらく動けなかった。頭の中では様々な可能性が浮かんでは消えていく。


(出ていった時に持っていった? いや、それとも母さんたちの部屋にあんのか?)


 思考はまとまらない。認めたくなかった。

 母親が偽りかもしれないなんて……。











 数時間後、家にいるとどんどん悪い方向へ思考が向かうので、如月へと向かった。なんでもいいから気晴らしをして、気分転換をしたい。

 勇輝はコツコツと靴音を鳴らしながらホールに向かった。広い廊下、高い天井。ずいぶん自分に馴染んだものだとつくづく思う。最初はただただ圧倒されていたのに。


「勇輝」


 背後から名前を呼ばれて、はっと我に返った。


「弥生?」


 振り返ると、弥生が立っていた。いつも通り、隊員服を着こんでいる。


「やっと来たか。少し鍛錬に付き合え」


 弥生はくいっと手招くと、踵を返して歩いて行く。行き先は鍛錬場。


「もちろん!」


 気分転換に身体を動かすのはいいと、勇輝は喜んでついて行った。


「暁美さんは元気だったか?」


 歩いているとそう弥生が訊いた。


「あ……うん、元気だったよ」


「そうか」


 鍛錬場に行く前に勇輝の部屋に寄り、剣を取る。鍛錬場には勇輝の部屋を出て右に進んだ廊下の突き当たりから出られるのだ。

 ドアを開けると温かい日差しが降り注いでいた。外の世界は夏真っ盛りだが、ここはいつでも過ごしやすい。

 鍛錬場に入り、勇輝はストレッチをする。しっかり身体の筋肉をほぐしておかないと、ここから先の鍛錬はコンマ一秒の反射神経が物を言う。瞬時に動けるように身体を準備しなければいけない。

 対する弥生は二三度跳ねただけで、月契を召喚し素振りをしている。


「よし、準備OK!」


 勇輝は剣を鞘から抜き、正面に構えた。こうやって弥生と対峙するのは何度目かわからない。


「少しは楽しませろよ」


 弥生は楽しげに切っ先を揺らし、地面を踏みきった。間合いが一瞬でつまり、勇輝は弥生の剣筋を見極めて防ぐ。剣が交わる度に火花が散り、震動は肩へと抜けていく。最初はそれだけで手がしびれて使えなくなった。

 勇輝は弥生の剣戟を交わしながら、反撃の機会を伺う。

 弥生が横一線に薙ぎ払った瞬間、その姿に小さな少女が重なった。それに気を取られて一瞬反応が遅れる。

 身をひねって剣を交わし、次の攻撃に備えた。

 頭をよぎったのは、弥生と同じ髪色を持った女の子。弥生と同じ剣を持ち、勇輝を死の直前まで追いこんだ月花夢幻だった。


(嫌なこと思い出したな……)


 それに引っ張られるように、レガーシアの姿も脳裏に浮かぶ。

 弥生の背後に、あの女がいる気がした。死んでもなお、勇輝を捕らえ続ける。


(消えろよ)


 勇輝は剣を低く保ち、弥生との間合いをつめた。片足が地面に着くと同時に切り上げる。

 高い金属音が鼓膜を奮わせ、今日一番の衝撃が手に伝わった。気づけば手の中に剣はなく、背後に落ちた気配がする。

 勇輝はビリビリと痺れる自分の手に視線を落として、ふぅと息をつく。


「また負けた」


 あははと笑って弥生へと視線を戻すと同時に、切っ先が目の前に突き付けられた。


「え?」


 月契の刀身には自分の顔が映っている。


「お前、何に囚われている?」


 剣とともにその言葉を突き付けられ、勇輝は固まった。


「……え? 別に」


 勇輝が何でもないと答えようとすると、すっと切っ先が首筋に下ろされた。ピタリと皮一枚のところで止まっている。


「ごまかされると思うなよ? 闘っている最中に違うことに気を取られるとは……。この私を侮辱しているのか?」


 弥生の冷ややかな声。弥生は人一倍剣に愛情を注いでいる。それゆえに、鍛錬であっても半端な気持ちで行ったものなら地獄行きだ。


「えっと……その」


 だが勇輝も簡単に話すわけにもいかない。彼らに心配をかけたくないし、自分の問題だ。自分で解決したい。


「これは俺の問題であって……別に弥生を侮辱してるわけでは……」


 命の危機を前にしては、強気に出られない勇輝。弥生は仲間で殺されはしないと信じているが、目が本気だ。


「そうか、ならば話しやすいようにその口を開けてやろう」


 弥生は首筋から剣を離し、顔の横に構えた。狙いは勇輝の口。


「言う! 言うから!」


 それに顔を青くした勇輝は両手を挙げて白旗を掲げたのだった。


「始めから素直になればいいものを」


 弥生は剣を収め、ついてこいと踵を返す。


「どこに行くの?」


「私の部屋だ」


 弥生は屋敷の壁へと歩いて行き、タイルの一つを押した。ガコッと音を立てて外れ、壁が動く。

 勇輝はその光景に脅されたことも忘れぽかんと口を開けて見つめていた。


「へ?」


 ぽかりと開いた壁の向こうは狭い廊下で、床も石造りだった。少し行くと階段がある。


「ど、どういうこと?」


 勇輝が階段を上りながら訊くと、


「隠し扉だ。私の部屋からすぐに鍛錬場に行けるように作った」


 と、何でもなさそうに弥生は答えた。


「へ、へ~」


 弥生が階段を上りきったところにある扉を開けると、見知った弥生の部屋だった。


「すごい……」


「もっとこの屋敷にはあるぞ?」


 ほとんど使っていないがなと弥生は付け足し、ソファーに座るよう促す。

 勇輝が座ると向かい合う形で弥生も座り、勇輝をじっと見る。正面から見つめられ、勇輝は変に緊張してきた。


「さて、鍛錬に気が入らなかった理由を説明してもらおうか」


 弥生の唇がゆったりと弧を描く。その美しく恐ろしい表情に、勇輝は洗いざらい白状したのだった。

 レガーシアの言葉から今朝のアルバムまで全てを話し終えた勇輝は、一言も口を挟まずに聞いていた弥生へ伺うような視線を向ける。


「……つまり、レガーシアに生まれる前の過去がないと言われ、アルバムを見て生まれた時の写真がなく思い悩んでると?」


「……うん」


 弥生はしばらく考えるそぶりを見せ、ややあって口を開いた。


「私は、お前は暁美さんの子だと思うが……」


「けど……」


「私は赤子だったお前に会ったことがある」


 被さるように発された言葉に勇輝はすぐに言葉を返せなかった。


「えぇ!?」


「最近まで忘れていたがな。その時暁美さんは、お前を大切そうに抱いていた」


 勇輝は突然自分の赤子のころの話をされてうろたえる。


「え、え?」


「私は母という姿を知らんが、あれは母親のようだったぞ?」


 混乱する勇輝に構わず、弥生はそう続けた。


「覚えてない……」


「当然だろう。お前は口も効けぬ赤子だったからな」


「それ、俺が何カ月くらい?」


 勇輝は気になったことを訊いてみた。もし一カ月未満なら、空白の時間が埋まる。

 弥生はしばらく記憶を探るように黙ってから、


「おそらく、三か月と言っていた」


 と答えた。

 勇輝はその答えにがくりと肩を落とし、そっかと呟く。

 やはり一カ月の空白がある。

 弥生は項垂れた勇輝に、どう言葉をかけてよいかわからず押し黙った。


「俺……一体何なんだろう」


 ぽつりと零された言葉に、しばらく何かを考えていた様子の弥生が勇輝を気遣うように口を開く。


「レガーシアはお前に過去がないと言ったのだろ? それこそが偽りだということはないか」


「けど、過去を見通す瞳をもってるんだよ?」


「そうだとしても、嘘を言った可能性もある」


 勇輝は少し視線を落とした。確かにそれは考えた。だが、


「それも、わかんないじゃん。誰も、俺の過去を見ることはできないんだから」


 それを証明できない。


「一人、心当たりがある」


「え?」


 勇輝は顔をあげ、弥生をじっと見た。


「会いに行くか? その男のところへ」


 思いがけないところから現れた、救いの手。


「行く!」


 勇輝は迷うことなくそれを掴んだのだった。








  皆様も予想がつくでしょうが、この後勇輝はその人を知ってものすごく後悔します。

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