第6章の3 露天風呂といえば……ね
星空が湯けむりの間から見える。衝立の向うは真っ暗だが、波の音が聞こえた。
床は石造りで浴槽はひのき。
純日本の造りを見た勇輝は、お~と声をあげたのだった。
「南の島なのに温泉がある」
しかも露天風呂とは予想外だった。
源泉かけ流しと書かれ、大きな浴槽のほかに小さなお風呂もある。
「温泉は傷を治すのにもいいからな。隊内のどの施設にもある」
錬魔は驚いている勇輝の横を通り、シャワーを浴びに行く。立ったまま浴びないと厭らしい。錬魔は髪をほどいており、長くきれいな髪が背中に流れていた。
「やっほう! 温泉だぜ!」
軽快な足音が聞こえたかと思うと、秀斗が温泉へと飛び込んだ。水しぶきがあがり、床にお湯が溢れる。
「おい秀斗、あまりはしゃぐなよ」
シャワーを浴びる錬魔は眉をつり上げて秀斗を睨んだ。
「んな固いこと言うなって! ちょー気持ちい~」
秀斗は湯船から顔を出して、髪をかきあげた。黒のヘアバンドも水を吸っている。
「秀斗って絶対そのヘアバンド外さないよね」
勇輝はまず身体を洗おうと風呂椅子に腰を下ろした。鏡越しに秀斗を見る。
「おう、俺の命の次に大切だからな~。あ、間違えた。命の次は弥生か」
秀斗はふぅっと息を吐いて、お湯の中で手足を伸ばす。
いつもの弥生発言はスルーして勇輝は頭を洗う。
ガシュガシュとシャンプーを泡立てていると、高い声が聞こえてきた。反響して不明瞭だが、誰の声かは分かる。
確か男子よりも先に入っていたはずだ。
「あっちも露天風呂だったんだ……」
女子の露天風呂は男子と同じつくりで、身体を洗い終えた三人は湯船につかっていた。
「如月にも露天風呂が欲しいですね」
くるくると零華は髪を器用に頭に巻き付けていく。
「いいね~。今度頼んでみよっか」
癒慰はう~んと伸びをして、隅の方にいる弥生へと視線を移した。
「弥生ちゃんもこっちにおいでよ」
二人がいるのはお湯が出るすぐ側、弥生はその対極にいる。
「いや……ここでいい」
弥生は二人と視線を合わさず、三角座りで揺れる水面を見ていた。
「もう、つまんない!」
癒慰が立ち上がり、弥生へと歩いて行く。
弥生は反射的に癒慰を見たが、すぐに顔を背けた。逃げたくても後は壁だ。
出てしまおうとした時腕を掴まれた。
「おい、癒慰!」
「ほらほら~、せっかく一緒に入ったんだから楽しもうよ」
問答無用で連れて行く癒慰。弥生は零華に助けを求めようとしたが、その零華は天女の微笑みで手招きをしている。
「零華……お前もか」
「いいじゃないですか。たまには女三人でゆっくり話すというのも」
「いつも断るんだもん」
癒慰は弥生を湯の中に引き込み、三人は小さな輪になるように座る。
「ほら弥生ちゃん、髪をまとめないと」
零華がそう言って、弥生の髪をまとめ始めた。弥生は少し身じろいだが、すぐに諦めてされるがままになっていた。
「女の子なんですから、もっと手入れをすればいいのに」
「めんどう」
「服なら貸すよ? というか、着せかえてあげる」
「それは……やめてくれないだろうか」
癒慰の満面の笑顔を見て、弥生は丁重に断る。癒慰の持つひらひらの服を着せられたら、羞恥で死ねる気がした。
「いいじゃん、女子会しようよ~。かわいい服着てさ、お茶飲みながらしゃべるの」
「いいですね」
うきうきと楽しそうな二人とは逆に、弥生はどうやってここから逃げようかを考えていた。それを見透かしたように、癒慰が弥生の肩を掴む。
「もちろん弥生ちゃんも飲むよね」
無言の圧力が発せられている。弥生は何も言えず、ただ首を縦に動かすだけだった。
「よし、そうと決まれば」
癒慰はぱちんと指を鳴らしてお盆とティーセットを出現させた。ポットも忘れない。
物を動かすぐらいの空間魔術ならば、癒慰も零華も使えるのだ。
「え、今ここでか?」
しかも癒慰が言っていたお茶は、魔術師にとってのお茶=人間界の酒ではなく、そのままお茶だった。
「温泉で月を見ながらお酒を飲むって、あるじゃない。一度やってみたかったのよね」
それは日本酒でとっくりとおちょこだった気がするが、弥生と零華は何も言わない。
癒慰は鼻歌交じりにお茶を淹れ、三人に手渡した。おぼんは三人の間にぷかぷかと浮いている。
「さぁ、如月の女子会を始めるよ~」
そして十分後。
湯けむりの中、水がはねる音と楽しげな笑い声。そこに混じる逼迫した声。
零華はいつでもどこでも変わらない微笑で二人を見ていた。
「弥生ちゃんかわいい~!」
と言って抱きつこうとする癒慰。
「お前は湯船に沈め!」
それをかわし、水を跳ねさせながら逃げる弥生。
癒慰は目がとろんとしており、完全に酔っていた。
「この馬鹿、玉露なんて飲むから……」
夕食で飲んだカフェインが抜けきっていないところに強めのお茶を飲んだのがまずかった。
「弥生ちゃん好き~」
癒慰は弥生を後ろから蔓で羽交い絞めにし、お湯の中に引き込んだ。ぎゅと腕を引き寄せてうふふと笑う。
「た、助けてくれ零華! 癒慰が怖い!」
顔をひきつらせて助けを求めるが、零華はどこ吹く風で紅茶を飲んでいる。
「親交が深まっていいではありませんか」
「弥生ちゃ~ん」
癒慰に正面から抱きつかれ、弥生はそのまま後ろへと倒れ込んだ。水しぶきがあがり、音も光も遠くなる。
(こいつ、酔うとたちが悪い!)
癒慰だから斬り捨てないものの、これが秀斗だったらと思うと……。
癒慰はなかなか弥生を離そうとせず、にこにこと弥生を見て笑っている。
(そろそろ、息が苦しいな……)
覇動を放って癒慰を飛ばすか、鳩尾辺りにひざ蹴りをいれるか悩んでいると、水に背中を押されて視界が一気に明瞭になった。
零華が助けてくれたらしい。
「ありっ……!」
お礼を言おうとした刹那、鎖骨辺りをなぞられぞっと悪寒が走った。
「ゆ、癒慰……やめてくれ」
「こんなのかわいくない」
癒慰は弥生の傷痕をなぞって、うらめしそうな目を弥生に向けた。弥生はくすぐったくて仕方がない。
「だって、こんなきれいな身体に傷をつけるなんて。許せないわ」
弥生の身体にある無数の切り傷。だがそれらはあまり目立たないものだ。だが鎖骨から胸にかけて走る傷は、いまだに濃くその跡を残している。
「錬魔くんに頼めば、消してくれるのに」
弥生は癒慰の言葉に押し黙る。実際、錬魔は何度も傷を消してやると言っていた。それを断ったのは弥生だ。
「癒慰ちゃん」
零華が近づいてきて、癒慰を弥生から離した。少し落ち着きなさいと、癒慰をたしなめる。
弥生の傷は如月内での禁句の一つだった。血だらけになって帰って来た時、誰に負われたかも、なぜ負わされたかも弥生は言わなかった。だから極力訊かないようにしていたのだ。
「これは、消せない」
弥生は感情が読めない声で、落とすようにそう言った。
癒慰はしゅんと悲しそうな顔をし、零華は目を少し見開いた。似た言葉を聞いたことがある。
“治せない”と言った彼に弥生の姿が被った。
「いつか、消えるといいですね」
そうとしか言えない。
「まぁ……な」
しんみりとしたところに、大きな声が響いた。勇輝が鋭い声で秀斗の名を呼んでいる。
それに何かを返している秀斗の声。
三人は顔を見合わせた。
時は少し遡って男風呂。
勇輝はお湯につかって、月を見上げていた。
お湯はまったりと、肌がすべすべになるのが分かる。
「ビバ日本文化」
身体をめぐる温かさが昼の疲れを癒してくれる。
錬魔は一人風呂で自分が調合した薬湯に入っている。
しばらくすると、身体を洗い終えた秀斗がじゃぶじゃぶと入って来た。
「それを外さず洗うなんて、器用だよな」
「弥生の次に大事だからな」
秀斗は勇輝の隣に腰を下ろした。二人並んで月を見上げる。
「そういや、秀斗はいつから弥生が好きなの?」
勇輝の不意打ちに、秀斗はとっさに言葉を返すことができなかった。そんな質問を誰かからされたことすらなかった。
(これが恋バナ!?)
他の魔術師には離しても無視されるか適当にあしらわれるのだ。
「えっと、そ~だな。何時……か」
秀斗はしばらく記憶の波を泳いでから、あっと声を上げた。
「氷騎にいたころだな……うん」
秀斗は懐かしそうに目を細める。
「なんつーか、あのころから綺麗でかわいかったんだぜ」
そう秀斗はのろけ始める。
「強くて、最初に会った時もさ……助けられてばっかで」
「やっぱずっと弥生は強かったんだ」
勇輝はへぇっと相槌を打つ。
秀斗は月を見上げ、少し顔を曇らせた。
「そうだな……強かった。すっげぇ、強かった」
秀斗の中にいる小さな弥生は、無感動な瞳で躊躇なく人間を殺す姿。
近くにいても、遠くにいるような感じ。
「どこが好きなのさ」
秀斗はその問いにすぐには答えず、しばらくおいてぽつりと、
「気を抜いたら消えちまうようなところ」
と答えた。
「え?」
「なんか、あんま考えたことねぇ……。つーか、何で急にそんなこと訊くんだよ」
「う~ん、裸同士のつきあいってやつ?」
特に理由はなかった。ただなんとなく、気になっただけ。
「そうだ勇輝、お前露天風呂と言えば忘れてることねぇか?」
先程とは打って変わっておどけた表情をして、ちらりと視線を壁の方へ向けた。
「え……?」
「のぞきだよ、の、ぞ、き!」
二人の間の空気が、真面目なものから一変する。
「秀斗それって、あっちをのぞくってこと?」
つい声を潜めて勇輝は壁の方を見やる。この風呂は壁があるが上の方に屋根との隙間が少しある。よじ登れば……。
「あたり前だろ。男たるもの、のぞかないでどうする」
「いや、俺は無理」
意気込む秀斗に勇輝はぶんぶんと首を振る。
「はぁ? 勇輝お前そんな根性なしだったかぁ? のぞきたくねぇのかよ」
秀斗は立ち上がり、そう勇輝を挑発する。
「俺だってのぞきたいよ! でも俺だって相手を考える。のぞきか命かなら俺は命を取るね」
勇輝もつられて立ち上がり、秀斗の視線を真っ向から受ける。だが言っている内容のレベルが低い。
錬魔は聞こえないふりをして外へと視線をやった。同じ男と思いたくない。
「勇輝、のぞきっつーのは危険があってこそだろ。それがスリルってやつだろ?」
「いいや、のぞきは逃げられる場所があってこそじゃん。のぞいて死ぬとか俺やだし!」
「なんで死につながんだよ」
「いや、死ぬって。あの三人はやばいって!」
勇輝は必死に危険性を訴えるが秀斗は聞く耳を持たず、ヘアバンドに手をかける。
「俺は、何度も死地をくぐってきたんだ。この星鎧と共にな!」
秀斗の額が淡く光り、秀斗がさっとヘアバンドを外した。その動作が無駄にかっこいい。
額に嵌った星鎧が柔らかな光を返した。
「……星鎧も、そんな使われ方したら迷惑だと思うんだけど」
「その通りだ。なんど障壁を無くして弥生の一太刀を浴びせようかと……」
星鎧の本音がこぼれた。
「星鎧! 今日も俺の命を預けるぜ!」
「好きにせい」
「秀斗!」
勇輝の制止を振り切って、秀斗は壁へと駆けだす。
「俺は、絶対やってやる。ここには弥生がはった罠もねぇ!」
「もう俺知らない」
勇輝はあきらめて湯船につかる。勝手にやって勝手に死ねばいい。
「男って馬鹿だよな~」
壁を登る秀斗を見ながらそう言った勇輝に、お前も一緒だとは口に出さない錬魔。
つるつるで直立している壁をなぜか秀斗は登っていく。
女風呂とのはざまに、氷の塊が見えた。
「あ」
壁を登るのに必死な秀斗は気づかない。勇輝は黙殺した。これはもう、天の裁きである。
秀斗の頭が壁から出かけた時、その塊が秀斗の頭を直撃した。
「うわぁ!」
鈍い音を立てて秀斗が落下する。
「秀斗君。覚悟は出来ていますね?」
壁の向こうから、零華の冷たい声が聞こえた。
「え、いやちょい待て。俺はまだ何もしてねぇ!」
「うふふ、死んでください」
氷柱が降って来た。氷柱は砕けて風呂場に散らばる。
なんだか勇輝は寒気を感じて、首まで湯船につかった。湯船から立ち上がるもやが濃くなった気がする。
「星鎧……耐えてくれよ」
氷柱が矢のごとく降り注ぎ、さらに温度が下がる。
「……気のせいかな、雪が見えるんだけど」
ちらちらと雪が降っている。ここは南国のはずなのに。
「勇輝、こっちにこい」
錬魔が小さく手招きをし、勇輝は錬魔と同じ浴槽に入った。外にいるにはあまりに寒すぎる。
浴槽は二人では少し狭く、薬草の匂いと、なんとも言えない色。緑に茶色を足した……絵の具を後片付けしているときの色だ。
錬魔は二人の周りに熱風を吹かせ、寒さを防ぐ。風呂場はみるみるうちに吹雪になった。
「……うっわぁ、やっぱのぞかなくてよかった」
「少し迷ってたのか……」
呆れたように言った錬魔に、勇輝はあははと笑ってごまかす。
「零華! 無理! 俺寒さは防げねぇって知ってんだろ! 死ぬって!」
吹雪の中、秀斗の声が聞こえた。吹雪のあいまに秀斗が湯船に飛び込んだのが見えた。
「秀。一度死んで女になって帰ってこい」
「そうしたら遊んであげるからね」
弥生と癒慰の声が聞こえた。声だけで二人がどんな表情をしているか分かる。
「やっぱ女の子って怖いよね」
「……そうだな」
吹雪が去った後、二人が見たのは氷漬けになった秀斗のオブジェ。
一騒動が終わり、お泊りの夜は更けていったのだった……。