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第5章の31 赤き瞳の片鱗

 錬魔失踪事件はその兄優人の拉致という形で幕を閉じ、二人は教育係である大臣にこってり絞られた。

 涙を浮かべて無事を喜ぶ使用人たち。母親も心配したようで、一時間ほど説教された。

 そして兄へと飛ぶ怒りの鉄拳。

 錬魔はバタリと倒れる優人を見て、背筋が凍った。

 母親は錬魔を誑かしてと優人へ折檻を続ける。優人は涙目で許しを請うが、強き母親はにこりと笑ってそれを拒絶するのだった。

 優人は解放されたのち、赤くはれた頬を抑えながら錬魔にこうぼやいた。

 俺とお前との待遇が違いすぎないかと。

 それに対し、錬魔は日ごろの行いのせいでしょうとさらりと返すのだった。







 初めての城下散策から一週間が経った。

 錬魔は自室でぼうっと窓の外を見ていた。ふとした瞬間にあの診療所が思い出される。たくさんのベッド。そこに横たわる力ない表情の人々。そしてその顔が笑顔になる瞬間。

 そして少女の足に見た仄かな青い花。

 錬魔は視線を部屋の奥にある寝室へと向けた。思いついてからは早い。

 錬魔は机の上に書置きを残し、ベッドの下から箱を取り出すと、そこにしまっておいた服を着た。生地がごわごわした庶民の服。

 それを身にまとった錬魔はその上から長めの上着をはおった。少し暑いがこの恰好を見られては呼びとめられてしまう。

 錬魔は細心の注意を払って部屋を出、中庭へと下りると兄に貰った鍵を使って二度目となる城下散策へと乗り出した。

 書置きにちょっと外に出てきますと書き残して……。






 兄にもらった鍵で扉を開け、ひんやりとした空気が満ちた抜け道を通り賑やかな表通りを歩く。錬魔の心は妙にうきうきしていた。隣に心強い兄はいない。だが、今一人で外を歩いていることが、大きくなった気にさせる。城では毎日同じ人を見、同じサイクルで生きていく。だが外の世界はあまりにも広く、錬魔の知らないことで溢れていた。

 露天商に目をやっても、城では見たこともない果物が売っている。錬魔は足早に病院へと歩いた。何かに急かされるように、招かれるように病が集う場所へと。

 子どものはしゃぐ声が路地のどこからか聞こえる。城に同年代の子どもはいない。錬魔はその声が遠ざかっていくのを感じながら、視線の先にある建物を眺めた。

 ひっそりとしたその建物の窓からは、彼女が忙しく働いているのが見える。彼女の父親も患者を診察して回っている。

 錬魔はそっと戸口から中を覗き込んだ。患者たちは各々自由に時を過ごしている。談笑をしている者。横になっている者。座って編み物をしている者。ただ穏やかで静かな時間がそこには流れている。


「おやぁ。こないだの優人君の弟君じゃないかい?」


 突然声が飛んできて錬魔はびくっとした。その女性の声に他の患者も錬魔の姿を見つけ手招きをする。


「錬魔君、遊びに来てくれたのね」


 美菜が嬉しそうな表情を浮かべて、近づいてきた。すっと錬魔の手を取って中へと引っ張っていく。


「今日は優人君と一緒じゃないのね」


「あ……はい」


 錬魔は緊張した面持ちで周りを見た。彼を見る人々の表情は優しく、笑顔だ。


「みんな退屈だからね。錬魔君のような子どもが来てくれると皆嬉しいのよ」


 暇を持て余した患者たちは錬魔に色々と話しかけていく。錬魔は四方八方から飛んでくる声に答えていくうちに緊張はほぐれ少しずつ笑顔を見せるようになった。

 その笑顔が嬉しくて、患者たちはさらに話しかける。

 城の生活でここまで人と話すことはない。一番良く話すのは家族。城に仕える者は基本一対一で話し、必ずかしこまった態度で会話をする。それは形式的で事務的だ。

 だが今錬魔の周りに溢れる言葉は秩序などなく、ただ思うままに飛び交っている。誰かの言葉に違う誰かが口を挟み、笑いが起こる。連鎖的な会話が心地よかった。

 ふと視線を感じた錬魔は視線を巡らせた。目があった彼女はそっと手招きをしている。

 錬魔は話の輪から抜けると、その少女へと近寄った。るなは錬魔が手の届く距離までくるとその頭を撫でる。


「何を……」


 錬魔がむっとして彼女を見た瞬間、視界が大きく揺らいだ。彼女が二重になり、その頭に赤い花。


(またか……!)


 錬魔はとっさに目を抑える。痛みはないが、奥が熱い。


「錬魔君?」


「大丈夫……ちょっと目にゴミが」


 錬魔は何でもないと微笑してごまかした。


(病気かなにかだろうか……)


 ちょうどここは病院だから診てもらおうかと思った時、るなの下に医者がやってきた。診察の時間らしい。

 錬魔は席を外そうとしたが、構わないと美菜に言われ邪魔にならないところに移動する。

 医者は彼女にかけられている布団を取り、錬魔はその下に現れた足に目を見開いた。彼女は短めのズボンをはいていた。診察をしやすくするための配慮だろうが、そこにあった足は異様に細かった。骨と皮。その表現しか思い浮かばない。血色も悪く、もう何年も歩けていないのが分かる。

 錬魔はその足を穴があくほど見つめた。そうすればあの花が浮かんでくるような気がしたからだ。


(無理か……)


 幻覚の類ならそれこそ病気である。

 医者は折れそうな足をマッサージし、痛覚があるかどうかを尋ねた。それに少女は静かに首を振るだけで、診察はすぐに終わった。

 錬魔はその後も少女と談笑をし、昼食を頂いた。美菜が患者全員分を作っているらしく、錬魔は給仕を手伝う。野菜と少しの肉が入ったスープは体に優しい味がした。城では毒見が入るので温かいものを温かいまま食べることはできない。錬魔はその温かさが体中をめぐるのを感じながら、飲み干すのだった。

 午後は美菜の後をついて医者の仕事を見た。美菜は薬草が保管されている小部屋で薬草を煎じ、薬を作っている。

 その薬草の中には錬魔が毒として習ったものもあった。それを告げると、美菜はたくさん取ったら死ぬのよと微笑んで答えた。錬魔はふ~んと頷いて美菜が指示する薬草を取っていく。

 錬魔は薬を作る美菜を見上げ、兄とのことを考えた。飽き性の兄が何十年も通い詰める女。ふと兄は自分の身分を告げているのかが気になった。


(美菜さんは知ってるのだろうか……たしか兄上に許嫁はいないから、恋愛に問題はないはずだけど)


 錬魔が訊こうか訊くまいか迷っていると、ズシリと肩に重みが加わった。


「美菜ちゃんと二人っきりなんて羨ましいぞこら」


 錬魔は半目になった。こんなことをする人に心当たりは一人しかいない。

 頭をわしゃわしゃと撫でられながら振り向くと、優人が満面の笑みで立っていた。


「優人君。錬魔君に置いてかれたの?」


「ひでぇよな。一言俺に行ってくれればよかったのに」


 優人はわざとらしく溜息をついた。錬魔は冷めた瞳で優人を見上げると、無言のまま兄の手を掴んで小部屋の外に連れ出す。


「……兄上」


「何?」


「兄上は塔の最上階に軟禁されてましたよね?」


 錬魔を拉致したとされる優人は両親の命で城の東にある塔に閉じ込められていた。ふらふらと出歩く癖を直せということだったのだが……。


「俺に開けられない鍵はないさ」


「……それ、どこの泥棒ですか」


 錬魔はばかばかしいと呆れ顔だ。優人はユーモアがわからん奴めと小さくぼやくが、錬魔は聞き流した。


「つーかお兄ちゃんはお前がここにいたことに驚きなんだけど?」


 優人はしゃがみ、錬魔の肩に手を回して顔を近づける。


「まさか美菜ちゃんに惚れたか?」


 錬魔は心の中で三秒数え、怒鳴りたくなる衝動を抑えた。

 ゆっくりと優人に顔を向け微笑む。


「兄上と一緒にしないでください。俺は純粋にここに興味を持ったから来てるんです」


「……相変わらず固いなお前は。もっと遊べよ」


 さすが天下の遊び人。言葉が軽い。


「兄上が遊びすぎなだけです」


 ぐだぐだと話をしていると美菜の薬作りが終わり、薬を配る手伝いをする。優人は薬を飲むのが難しい患者に手助けし、優しく言葉をかけていた。

 錬魔はどうぞ、とるなに薬を渡した。彼女の薬は液体で、薬湯だった。美菜によると滋養を高め、体の中をきれいにする薬らしい。

 るなは薬を受け取ると、一気に飲み干した。わずかに眉間にしわがより、苦いことが伺える。


「よ~っしるなちゃん。薬も飲み終わったことだし、遊ぼうよ」


 いつの間にか全ての薬を渡し終えた優人がナンパをするような調子で近づいてきた。


「うん!」


 るなはこくりと頷き、嬉しそうに顔を輝かせる。

 錬魔が何をして遊ぶのかと疑問に思った時、優人はるなを軽々と抱きかかえた。そしてそのまま外へと運んでいく。

 呆気にとられた錬魔は慌ててその後を追った。


「眩しい~」


 外に出て太陽の光を浴びたるなはうんっと伸びをした。錬魔もその眩しさに目を細め、廂の影へと移動する。


「優人兄ちゃん、お花が見たい」


 るなは庭にある花壇を指差した。優人は了解と恭しくそちらに歩いて行く。


(優人兄ちゃん!?)


 錬魔は顔を引きつらせる。るなは優人を兄と慕っているようだが、錬魔の心は複雑だ。


「赤い花が咲いてる。こないだはまだ蕾だったのにね」


 るなはうきうきと声を弾ませている。錬魔がここに来て初めて見るるなの笑顔。

 優人はしゃがみ、るなの手が花に届くようにする。るなは花びらに触れ、そのやわらかな感触を楽しむ。


(あの子が、あんなに笑ってる……)


 錬魔はうらやましいと思った。自分もあのように人を笑顔にさせたい。


「おい錬魔! お前も来いよ」


 優人は顎をしゃくって錬魔を呼んだ。るなも手招きをしている。

 錬魔はわかってますよ、と日陰から日のあたる場所へと足を踏み入れた。

優人はるなをつれて診療所の周りを散歩し、錬魔はぽつぽつとるなと会話する。優人が時々おどけてみせて、笑いを取る。るなは本当によく笑った。

 楽しい散歩はすぐに終わり、日が傾いてきた。

 優人はるなをそっとベッドに下ろすと、頭を撫でる。


「今日は疲れただろ。ゆっくり休め」


「うん。ありがとう。優人兄ちゃん、錬魔君」


 優人はわしゃわしゃとるなの頭を撫でまわし、負けるなよと額を小突いて美菜のところへと去っていった。


「るなさん……」


 言いたいことはたくさんあった。今日の笑顔を見れば、彼女が歩けないことが一層歯がゆい思いになる。

 彼女に走れる足をあげたい。自由に地面を蹴って、花に近づいて、空を見上げて欲しい。

 色々な思いが胸に詰まって、何一つ言葉にならない。

 複雑な表情を浮かべている錬魔を見て、るなは苦笑して錬魔の頭に手を伸ばした。優しく撫でながら、言う。


「ありがとうね、錬魔君。今日の散歩とても楽しかった」


「別に俺は何も……」


 錬魔は仏頂面でそう答える。


「また……一緒に行こうね」


 静かに紡がれた言葉に錬魔はそっと視線をあげた。彼女の顔はどこか寂しげで、くしゃりと笑った。


「おーい錬魔~。帰るぞ」


 後ろで優人が呼ぶ声がする。錬魔はるなの表情が気にかかりながらも返事をして、ベッドの傍から離れた。


「じゃぁまた」


 るなが軽く手をふり、錬魔もまた、と手を振り返す。美菜もまたね、と笑顔で手を振った。






 外はだいぶ日が傾き、夕日がきれいだった。

 ゆったりと路地を歩きながら、優人が静かな声で話し始めた。


「るなちゃんはさ、あとどれだけ外に出られるか分からないって……」


 しんみりとした声に、錬魔は目を伏せる。彼女は今自分が踏み、歩いている大地に足を下ろすことはない。


「散歩も調子のいい時しかできないし、ここ最近体が弱って来たらしいから」


「……治らないんですか?」


「今の医術じゃ無理だろうって。たぶん、国の医術団を使っても……」


「……そう」


 沈んだ声で返した錬魔の頭に手を乗せ、ぽんぽんと軽く叩く。


「寂しいよな。俺も、たくさんの人を送って来た。助けてやれないのは、悔しいよ」


 まだ多くの時間を過ごしたわけではない少女。だが、彼女の存在は色濃く錬魔の中にある。


(俺には、何もできないのか……)


 錬魔は何人もの死を看取ってきた兄の顔を見上げた。優人は寂しそうに笑う。


「王族として、力を持ってても何もできねぇんだからな」


 優人が自虐的に呟いた時、路地の奥から言い争う声が聞こえた。

 二人はぴたりと足を止め、脇道へと視線をやる。ののしりあう声はどんどん大きくなり、そしてピタリと止まった。路地を人が慌てた様子で横切ったのが目に入り、異変を悟った二人は走り出した。

 狭い路地を走り、右に曲がる。男が走って来た方向。そして……。


「兄上……」


「おいおい、まじかよ」


 地面に倒れ伏す男。腹部からは血が流れ出し、地面が赤く染まっている。


「早くおやっさんのとこに連れてかないと」


 おやっさん、美菜の父がいる病院へ連れて行こうと優人は怪我を負った男に駆け寄る。


「まずは応急処置か……」


 近づき、男の傷が深いことに気づいた優人は男を仰向けにして服をめくる。

 傷口は鋭利な刃物で貫かれたらしく、ぱっくりと開いていた。

 優人は傷口をぐっと抑え、男が着ていた服を引き裂く。錬魔はふらふらと、男に近づいて行く。

 真っ赤な血。血を流し続ける傷口。兄の人を助けようとする必死な顔。

 心臓がどくりと高鳴った。体の芯が熱くなって、熱にうかされたようだ。


(助けたい……)


 錬魔は強くそう思った。目の前にいる人を助けたい。その命を。

 頭がぼうっとする。全身を血が高速で巡っていく。

 傷口のまわりがぼんやりと青みを帯び始めた。それは徐々に形作っていき、青い花になる。

 錬魔は優人の隣に立った。優人は傷口を服を裂いて作った布で抑え、固定している。


「錬魔……?」


 青い花は美しく、まるで錬魔を誘うように咲いている。錬魔はそっとそれに手を伸ばした。導かれるようにその花びらに触れる。

 ばちりと少し弾かれたが、かまわずに魔力を注ぎこんだ。そうすればよいことを、錬魔は理解していた。


「錬魔! 邪魔を……」


 切迫した声をあげ横を向いた優人は、錬魔の瞳を見て声を失った。赤く縁取られた瞳。

 その瞳に映る青い花はまるで炎に焼かれるように消滅した。


「まさか、お前……」


 優人は茫然と呟いて、そっと傷口を抑えていた布を取り去った。赤く染まった布の下には傷一つない褐色の肌。


「信じられねぇ」


 優人の呟きも、錬魔の耳には遠くに聞こえていた。そして優人に肩を摘まれてはっと我に返る。

 体の熱が引いていき、視界には兄の興奮した顔が映っている。


「兄上……?」


「錬魔。お前は医者になれ。その瞳で多くの命を救え」


 力強く両肩を掴まれ、錬魔はその場に棒立ちになった。


「瞳……?」


「あぁ。お前の瞳は、治癒の瞳だ。病を癒す目なんだ」


 錬魔は男の傷口へと視線を向けた。さきほどまであれほど血を流していた傷口はもうない。


(俺が、治したのか? 俺の、力?)


 実感がない。信じきれない。

 自分はただ、酒に酔ったような感覚で花の印に触れただけなのだから。


「錬魔。医術を学べ。お前は最高の医者になれる」


 兄の力強い目。真剣な表情。

 錬魔は乾いた口で言葉を発した。気持ちが形になる。


「俺は、救いたい。みんなを笑顔にしたい」


 心に灯る決意の炎。

 自分の力で誰かが笑えるなら。彼女が笑顔になれるなら。

 錬魔は兄の目を見返し、大きく頷いたのだった。


 



 なかなかカレンがでてこないな。次はでてくるかしら……。

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