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第5章の14 貫く意思

 すっきりとした目覚め。昨日傷を負ったことが嘘のように身が軽い。

 勇輝はベッドから出ると、小さい頃に叩きこまれたラジオ体操を鼻歌でやって、体が動くことを確認する。お腹がぐぅっと鳴り、健康そのものだ。

 そして顔を洗うとパシパシと二度両手で頬を叩いた。鏡に映る自分をじっと見つめる。


(強くなりたい。もう二度と、みんなの足を引っ張らないために)


 勇輝は服を着替え、サイドテーブルに置いてある目覚まし時計を見た。


(学校……あれ)


 その時間、十一時少し過ぎた頃。

 勇輝はしばし時計の針を凝視し、目をこすってからもう一度見た。長針が動く。短針は十一をさしている。


「もう昼じゃん!」


 そう思えば、いつもよりお腹が空いているような気がする。そう考えてみると、昨日は夕食を食べていなかった。

 食べ損ねた夕食を想像するとさらにお腹が空いて、ぐうぐうと自己主張をし始める。空腹というのは度が過ぎると胃が痛み始め……。


「あいてて……」


 勇輝はその場にしゃがみこんだ。一波治まるまで耐えるしかない。

 収縮を繰り返す胃を必死で宥めていると、ノックもなしにドアが開かれた。

 勇輝からは足しか見えない。


「勇輝! 具合が悪いのか!?」


 声から判断するとそれは錬魔で、彼は手に持っていたものをチェストの上に置くと緊迫した勇輝に駆け寄る。


「だ、大丈夫……お腹が空いただけ」


 勇輝がか細い声でそう言うと、錬魔は明らかに脱力した。無言のまま勇輝から離れ、勇輝が動けずにいる勇輝の前に持って来たものを差し出す。

 お盆に乗ったパンとスープ。

 湯気が立ち上る焼き立てトーストのいい香りが勇輝の鼻孔をくすぐった瞬間、ひときわ大きく勇輝のお腹は喜びになったのだった……。

 ベッドに腰掛けて、勇輝は二食ぶりのご飯を勢いよく食べる。スプーンまで噛みちぎってしまいそうなくらいだ。

 それを呆れた顔で椅子に座った錬魔が見ていた。内心、昨晩しっかりご飯を食べさせるべきだったと後悔している。

 治癒の魔術は術者の魔力だけで回復させるのではなく、負傷者の意思と体に働きかけて治癒能力を爆発的に高めるものだ。治癒には当然エネルギーが消費され、そのぶんお腹は減る。治癒魔術師はそこら辺も上手く調節して負傷者の負担を減らせるが、さすがに弥生では無理だったらしい。

 ばくばくと勇輝は食べ進め、牛乳を一気に飲み干した。


「あ~。生き返った!」


 胸の前で合掌して、ごちそうさまと口の中で唱える。


「その様子では、もうすっかりよさそうだな」


 勇輝はこくりと頷いて親指を立てる。そしてにっと笑って付け足す。


「錬魔が来てくれなかったら餓死してたかも」 


「なかなか起きてこないから、せめて朝食だけでもと持って来たんだが……」


 昼食も持ってくるべきだったかと錬魔は薄く笑った。勇輝もつられて頬を緩め、そして急に表情を改める。


「なぁ、弥生はまだ目覚めないの?」


「まだ、だな……」


 表情を曇らせる勇輝に、錬魔は小さく息を吐いた。


「気にするな。すぐ気がつくだろう」


「そっか……。零華と癒慰はホール? 二人に元気な姿を見せないと」


「いや……もう少し寝ていろ」


 ベッドから立ち上がろうとする勇輝を、錬魔が押しとどめた。勇輝は不服そうな表情を錬魔に向ける。


「なんで? もう俺元気だよ?」


「その……念のためだ」


 歯切れの悪い錬魔の言い方に勇輝が問い詰めようとした時、突然ガラスが割れる音がした。

 勇輝は驚いて後ろの窓を振り返り、窓と向き合っていた錬魔は何かが落ちていったのを目にした。

 勇輝の部屋の上は、弥生の部屋である。

 つまり、弥生の部屋で何かが起こったということ。

 その答えに同時に辿りついた二人は、慌てて二階へと走りだした。そして今に至る。


 弥生の部屋と寝室は壁で仕切られドアはない。ベッドとサイドテーブルに椅子というシンプルなその部屋にいたのは普段より覇気のない弥生と、頭から血を流している秀斗。

 二人は暗黙のうちに秀斗を無視することに決めた。


「弥生、目を覚ましたのか。魔力は……まだ低いな」


 火煉《かれん》を発動させて錬魔は診察を始め、勇輝はベッド際にかけよって弥生の前に立った。

 そして勢いよく頭を下げる。


「ごめん弥生! それと、ありがとう……」


「勇輝、頭を上げろ」


 弥生は困ったように、何度か微妙に表情を変え、最後に少し笑った。相手を気遣う微笑だ。


「気にするな。彩に、お前を守ると約束したからな」


「でも、いくら約束だからって弥生が死んだら意味ないじゃん!」


 聞きわけのない子どものようだと自分でもわかっていたが、勇輝は言わずにはいられなかった。助かったことは嬉しい。だが、もし弥生が死んでいたらと思うと……。


「私が死ぬと思っていたのか? 見くびられたものだな」


「違う! そういうわけじゃ……」


 弥生が鼻で笑うと、勇輝はどう言えばいいのわからず、くっと唇を噛みしめた。悔しさと情けなさが心の底から込み上げてくる。


「戯言だ。気にするな」


 なんだか苛めたような気になって、弥生は罰が悪そうな顔をした。

 沈黙が下りた時、足音が聞こえた。パタパタと軽い足音が近くなり、女の子二人が入って来る。


「秀斗君、ご飯持って来た……あれ? 錬魔君?」


 お盆を持って来た癒慰が寝室の入り口に寄りかかっている錬魔に気づく。

 お盆の上にはミートスパゲティーが乗っておりいい香りが漂ってきた。


「あら、どこかに行ったと思ったらこんなところにいたんですか?」


 一拍送れてやってきた零華は水差しとコップを持っていた。

 錬魔はタイミングの悪さを呪いながら、すっと寝室の奥を指差す。


「弥生が目を覚ました」


「本当?」


「本当ですか?」


 二人はぱっと顔を輝かせ、手に持っているものを近くの机に置くと早足で寝室へと入った。まず視界に入るのはベッドに身を起こし疲れた様子の弥生と、その手前にいる心配げな勇輝だ。

 二人の無事な姿を見て、零華と癒慰はひとまず胸を撫で下ろす。そして視線は割れた窓ガラス、ベッドから三メートルほど離れたところで正座をする秀斗へと移された。

 彼女たちの顔から安堵が消える。冷ややかな二人の視線を、秀斗は身が縮む思いで受けていた。

 血は少しずつ固まってきているがまだ止まってはいない。頭部が熱を持っており、確実に腫れている。

 そして二人も彼を無視することに決めた。


「弥生ちゃん、心配ばっかりかけて……無事で、本当に良かった」


 癒慰は秀斗から視線を外すと、そう言って弥生の傍によった。勇輝は二人のために秀斗の隣まで下がる。


「弥生ちゃん……あまり、無茶をしないで欲しいものです」


 零華は恨めしそうな顔でそう言った。弥生はすまなそうに目を伏せる。


「すまない……心配をかけたな」


 三人はしばらく見つめ合うと、誰からともなく微笑んだ。弥生は複雑さが残る笑みで、二人はあきらめたような微笑。


「勇輝君も、危なくなったら携帯電話で本部に電話だよ?」


「どれだけ巻きこまれれば気が済むのですか?」


 そして二人の苦言は勇輝にも向けられる。


「……ごめん」


 勇輝はしゅんとして目を伏せた。二人は仕方がないと微笑みあい、次の瞬間それに怖いものが混じった。そのまま二人は秀斗へ視線を移す。

 氷の微笑みと薔薇の棘の微笑みを向けられた秀斗は崩していた足を直して姿勢を正した。

 和やかだった空気が氷点下まで下がる。

 勇輝は心の中で秀斗に謝りながらすーっと錬魔のところまで後退した。それを秀斗は横目で睨む。


(薄情者!)


(許して!)


 微笑む二人は秀斗へと体を向けた。窓から後光が差している。なのに敬いたいと思うような神々しさは欠片もない。

 二人の怖い微笑に怖気づく勇輝の耳もとで、見かねた錬魔が囁いた。


「昨日一晩中話していたみたいでな、その間に心配が一周して怒りに変わったらしい」


 愛しさ余ってというやつだろうか。

 勇輝は心の中で平謝りした。心配をかけた原因は自分なのだ。


「さて、そこの猿はどこから迷い込んで来たのでしょうね」


 零華の氷のような声が秀斗の心臓を貫く。二人はごみでも見るような目で秀斗を見ていた。


「零華ちゃん、猿に失礼よ。もうゴミよゴミ」


 ゴミ呼ばわりされた秀斗はひたすら身を小さくしている。

 二人から放たれるプレッシャーは岩のように重く、顔が見えないはずの弥生も顔をひきつらせていた。


「本当に最低ですね。動けない女の子を手ごめにしようとするなんて」


 まだ零華は笑っている。だが、目が殺る目だ。


「弥生ちゃんが弱ってるからって、爆発しちゃたんでしょ?」


 こっちは完全に遊びに入り始めた。目は弱った獲物を追い詰める肉食獣の目だ。

 秀斗は自分にかけられた容疑に目を剥き、すがるような視線を弥生に向けた。


「弥生! 俺お前を襲ってなんかいないよな!」


 必死の訴え。

 二人は弥生に視線を向け、返答を待つ。


(……襲う? あいつは別に武器を持っていたわけではない……だが、押し倒された。痛くはなかったが……むかついたな)


 弥生はしばらく考えた後、きっぱり言い切った。


「襲われた」


「未遂だろーが!」


 秀斗は思わず立ち上がりかけたが、足がしびれて動けない。

 勇輝はつつきたい誘惑に駆られるが、二人の剣幕にぐっと我慢する。


「何にしろ、迫ったんでしょ?」


「何もできてねーよ」


 もう自棄になった秀斗は足を崩して開き直った。


「ヘタレ」


「ヘタレですね」


「もう何なんだよ!」


 二人の目が少し柔らかくなった。散々苛めて気が済んだらしい。


「二人とも、その辺で許してやったらどうだ?」


 そこですかさず錬魔が助け船を出した。秀斗が神を見るようなキラキラした目で錬魔を見上げる。


「ついつい。だって怒りをか弱い勇輝君にぶつけるわけにはいかないでしょ?」


「瀕死状態から回復したばかりの人にもきついでしょうし……ね?」


 勇輝は無意識のうちに一歩後ずさった。弥生はすっと視線をあらぬ方へ飛ばす。

 二人は前から怖いとは思っていたが、揃うと怖さ倍増どころか相乗である。


「冗談はそこまでにして、少し真面目な話をしないか?」


 錬魔が話に区切りをつけ、弥生に目で構わないかと訊いた。それに弥生は静かに頷く。

 キンッっと空気が締まり、錬魔は静かに息を吐いた。

 全員の視線が錬魔に集まり、錬魔は勇輝を静かに見つめる。


「今回は勇輝も弥生も助かった。だが、今後はさらに闘いは激しくなるだろう」


 その言葉を彼らは静かに聞き、頷いた。錬魔は一瞬ためらいを見せたが、はっきりとした口調で続ける。


「俺は、勇輝を如月から出すべきだと思う」


「なっ……」


「私も同意見です」


 勇輝が表情を険しくし、言葉を返そうとするのを零華が遮った。

 癒慰もその隣で頷く。


「それは……俺が弱いから?」


 勇輝は錬魔を怒りのこもった目で見返す。

 確かに自分は弱く、敵に付け入る隙を与えた。だが、だからと言って仲間から外されるのは我慢できない。


「違います!」


「これは私たちの因縁……。これ以上勇輝君を巻きこみたくないの」


 慌てて零華が否定し、癒慰が付け加える。

 勇輝は口を閉ざしている弥生と秀斗に視線を移した。秀斗は判断付きかねる表情をしており、弥生は表情を変えずに勇輝を見つめている。

 弥生がわずかに顎をしゃくって三人をさした。その瞳に挑発のような光を見て、勇輝はぐっと拳を握る。

 言わなくてはいけない。自分の意思を。


「俺は……みんなの過去に何があったとか。誰と因縁があるとか……よく知らない」


 彼らがそれを言わないから。そして、勇輝を仲間と認めた今でも、彼らは根幹に立ち入らせないからだ。

 少し寂しいとは思っても、勇輝は割り切っていた。時が来た時に話してくれればいいと思っていた。


「でも、俺はみんなの仲間なんだ。皆が戦っているのに一人だけ違う所にいるなんて出来ない。俺は……最後までお前らと仲間でいたい!」


 勇輝の強い意志に、三人は言葉が出なかった。それ以上強くも言えず、困った表情で彼らは弥生へと視線を向ける。如月において最終決定権を持つ、弥生へと。

 その弥生は満足そう口角を上げ、笑っていた。先程までとは打って変わった、生き生きとした顔だ。


「そいつは何を言っても聞かん。好きにさせろ」


 剣士の表情ではなく、上に立つ者としての表情。そして勇輝へと試すような視線を向けた。


「お前は私たちの仲間だ。それにお前はどう応える?」


「強くなる」


 弥生の問いかけに、勇輝は間髪いれずに返した。

 錬魔の脳裏に、昨晩の勇輝の様子が蘇る。彼は自分の無力さを嘆き、ただ強さを求めていた。その姿は幼いころの自分と同じ。そしてそれは皆も同じだった。


「時間はない。それだけは忘れるなよ」


 勇輝は力強く頷いた。そして彼らの顔を一人ずつ見ていく。

 三人は仕方ないと、勇輝と目が合うと一つ頷く。

 全員の意思を確認すると、最後にもう一度弥生に視線を戻した。


「俺は強くなる。その方法を、走りながら考えてくる」


「えっ」


 そう言うなり、勇輝は踵を返した。彼らが声をかけるよりも速く、駆け足で部屋から出ていく。

 やる気にあふれる勇輝の耳には、誰の声も届かなかった……。


「行っちゃたね」


 勇輝が消え去った部屋に癒慰の呟きが吸い込まれた。彼らは一同に呆れ顔で、勇輝が出ていった方向を見ている。


「本当にこれでいいのか?」


 ややあって、錬魔が硬い声でそう問いかけた。まだ迷いは消えないらしい。


「勇輝にはお前が寝ている間に帰れと一度言っている。だがあいつは仲間だと言い張って残った。もう私は何も言わない」


 仲裁をした秀斗は同意の意味をこめて頷いた。頑固者の勇輝を説得することは不可能だ。


「ですが、このまま一緒にいると勇輝君はあのことを知るのでは……?」


「可能性はある。責任感の強いあいつは、私たちを非難するかもな」


 弥生はそう言って自嘲気味に笑った。


「ならなんで?」


 癒慰の瞳には不安が浮かんでいた。それは仲間を失う不安。物理的にではなく、精神的に。


「そうだな……私は、勇輝を信じようと思うからだ」


 三人は弥生の言葉に目を見開いた。頭の上から冷や水を浴びせられたようだ。人間を侮蔑していた弥生の口から、その人間を信じると言う言葉が出た。そのことが信じられない。

 秀斗が決まりの悪そうな顔で、言葉を引き継いだ。


「俺たちはあいつにたくさんのことを隠してきた。魔術師だってことも、闇の血のことも、過去も自分自身さえも……。けど、あいつはそんな俺たちを信用してくれたんだぜ? 俺たちを信じて仲間でいるって言ってんだ。それに応えなくてどーするよ」


 そう言って照れを隠すように笑う。


「そう……ですよね」


「勇輝君、だもんね」


「賭けてみるか」


 三人は重い溜息をついた。まだ分からない未来の決断へ、そして彼を信じ切れなかった情けない自分へと。


「今後は、見回りを強化する。これ以上……勝手はさせない」


 彼らは力強く頷き、弥生は最後に自分の想いを告げる。


「……疲れた。寝かしてくれ」


 万感の思いがこもったその言葉に、彼らは病み上がりに無理をさせて申し訳ありませんでしたとさっさと部屋から出ていった。

 弥生は静かになった部屋で肺が空っぽになるまで息を吐いた。割れた窓から新鮮な空気が流れ込んでくる。


「勇輝……お前を信じよう」


 弥生は窓の外を見ながらぽつりと呟いた。


(お前なら、たとえ私たちが誰であろうとも……仲間のままでいてくれるだろ?)


 弥生はベッドに潜り込み、目を閉じてまどろみに身をゆだねた。淡い期待を、胸に抱きながら。





 これが掲載されるころ、私は日本にいません。


 弥生が思いのほか精神的成長をとげていておどろいている作者。メンタル面は強い主人公。

 バランスがとれているということなのか……?

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