第5章の12 剣は命を救えない
勇輝と歩は街の大通りを歩いていた。馴染みのゲーセンは学校からそれほど遠くないところにある。中学の時から学校をさぼってはよく遊んだものだった。
「なぁ歩、メタルマキシムファイト9の勝敗結果覚えてる?」
メタルマキシマムファイトとはゲームセンターだけでなくネットゲームや携帯ゲームにもなっている有名な格ゲーだ。裏コマンドが多く、やりこめばやりこむほど奥が深いシリーズである。その9作目であるそれは、歴代のなかでも反則技が多いと言われていた。
「あ……いや、忘れた」
「またまた、自分の負けを認めたくないからのくせに」
勇輝はにぃっと勝ち誇った笑みを見せる。現在の対戦成績は三十五対三十二とやや勇輝が勝っていた。
「ゲームの勝敗如きで勝ち誇るんじゃねぇよ。小さい奴め」
反撃と言わんばかりに嫌みをこめて歩は言い返す。だがそれはとても大きな地雷だった。
「……誰が身長小さいってぇ?」
勇輝の声がずんっと低くなり、キッと歩を睨みつけた。迫力はあるが上目づかいなのでどこか可愛さがある。
「誰も身長のこ、痛っ!」
歩が弁解を試みるが皆まで言わせてもらえるとなく顎に鉄拳が入った。
「わざとじゃねぇって……いってぇ」
「制裁!」
歩は顎をさすりながら、呆れ顔で勇輝を見下ろした。勇輝はふいっとそっぽを向いて先に歩きだす。
「この続きはゲーセンで勝負だ」
対戦前に敵の火に油を注いでしまったらしい。歩は可愛い奴と口元を緩ませて勇輝の後を追った。
「負けた方がアイスおごりな」
初夏に入り少し暑くなりアイスがおいしい季節になってきた。
「のった!」
そして歩が鉄拳制裁を受けてから五分も経たないうちに目的のゲーセンについた。店の外観は少し古いが、中に入っているゲーム機は種類が豊富で放課後は学生であふれている。
二人は自動ドアが開くと、その中へと足を踏み入れた。
「うっ……?」
ぞわっとたつ鳥肌。何かが体内を通り抜けたような気持ち悪さ。
だがそれが何か考えるよりも前に、視界が急転した。
(な、何だ!?)
劇の舞台が変わるように風景が塗り替えられていく。タイルの床が地面に、たくさんのゲーム機が木々に、天井が空に。
勇輝はぎゅっと目を瞑った。内臓が全てひっくり返ったような不快感。そしてそれが治まり、目を開けるともうそこはゲームセンターではなかった。
「な、なんだこれ。歩、お前はだいじょ……」
大丈夫か? そう訊こうとした言葉は続かなかった。隣にいたものが、もう歩ではなかったからだ。歩だったものは色が真黒に変化し、顔が無くなっていた。肩が外れ、首があらぬ方向へ曲がっている。
「……歩、じゃない」
勇輝は愕然として一歩後ずさった。何が起こったのかはわからない。だが本能が危険を感じ、すぐに逃げろと訴えていた。
緊張で張り詰めた神経に何かが引っ掛かる。背後に人の気配を感じとった勇輝は身体を反転させて、その人物と対峙した。
まず認識したのは黒。
「あらあら、さすがに作りものじゃ耐えられなかったみたいね。闇を扱うのは彼ほど上手にはいかないみたい」
彼女の視線は崩れた歩だったものにあり、それほど残念そうにも見えない。彼女が指を鳴らすと、それは人の形すら失い彼女の闇の一部分に戻った。そして彼女は勇輝に視線を移し、柔和な笑みを見せる。
「……レガーシア」
勇輝は苦々しげに彼女の名を呟き、じりっと後ずさる。他に敵がいないか辺りを警戒し、身を構えた。
「名前を覚えてくれたのね、嬉しいわ。でもさようならを言わないとね」
慈愛に満ちた笑顔を作るレガーシアの隣に、スッと人影が現れた。勇輝と同じくらいの背丈をした短い髪の少女だ。
その女の子はただ無表情に勇輝を見、剣を抜く。
「……これが、春日勇輝。まだ、こども」
「はぁ?」
勇輝は禁句に額に青筋を浮かべた。隣のレガーシアに気を向けつつも、その少女を睨みつける。
(あの剣、月契だ……じゃぁ、これは弥生の……)
「月花夢幻、やってしまいなさい」
優美な所作で、レガーシアは少女に命令を下した。
「貴方の命を、奪う。あの人、苦しむ。愉快」
なんの感情のこもっていない声が、言葉を淡々と紡ぐ。
勇輝はじりじりと後退を始めた。今は護身用の麻酔銃も剣も持っていない。かなり分が悪かった。隙を見て全力で走るしかない。
「逃げられない、よ?」
かくんと少女は首をかしげた。勇輝の目にはその残像が残り、次の瞬間には銀色に煌めく白刃が目の前に迫った。
勇輝はとっさに屈み、軌道から逃れようとする。その耳に何かを弾く大きな音が響いた。
勇輝は転がって敵から距離を取ると、先程の音の原因を探る。誰かが助けに入ったのかと思ったが、他に人影はない。
斬りかかった少女も不思議そうな顔をしていた。
「阻まれた。結界?」
勇輝ははっとして胸元に手を入れる。そこには彼らから貰ったお守りがあった。
「なら、結界ごと」
勇輝がこの隙に逃げようとした瞬間、小さな影が視界を横切った。踏み切ろうとした足は動かない。視界に赤く血に濡れた切っ先がある。それが出ているのは、自分の胸だ。
それが消えたと同時に支えを無くしたように勇輝は崩れ落ちた。
(え……なんだ、これ)
あまりに突然で、脳が痛みを感じられていない。視界には自分の手が、そして地面が赤く染まっていくのが映っている。それが現実だと思えなかった。
(血……俺、の?)
感覚がどんどん遠ざかっていく。何も聞こえない、感じられない。視界も狭くなってきた。
(これが、死?)
勇輝は抗おうと地面に手を突こうとする。立ち上がって、逃げなくてはいけない。だが手は土を削るだけで、ついには動かなくなった。
(どう、しよ……う)
視界が黒に変ずる刹那。勇輝は銀色の光を見た気がした……。
弥生は街の大通りを走っていた。以前、勇輝がゲーセンは大通りにあって便利だと言ったことがあったのだ。
わずかな紡命珠の覇動がその通りに残っている。そしてそれよりも己の勘が危険を教える。近い、近い、と。
弥生はハッと顔をある一点に向け、一軒の店の前で立ち止まった。そこから、知っている覇動が漏れている。誘うようにはっきりと。
心臓が高鳴っている。走ったせいか、不安のせいかはわからない。
(勇輝……!)
弥生はドアが開くと、その中に飛び込んだ。
「これは……!」
中は真っ暗だった。ただ敵の気配だけが濃く、近くにいることを知らせる。
「おい星鎧! ここをどこにつなげた!」
弥生は潜んでいる敵に向けて声を張り上げ、手の内に月契を具現化した。それを構えて何時でも戦えるようにしておく。
潜んでいるがその気配は秀斗の武器、星鎧が人の姿を取ったものだ。
「我、案内」
声がしたと同時に弥生はその方向を斬りつけた。手ごたえは無く、空を斬る虚しい音が暗闇を切り裂いた。
「崩壊」
弥生が突きを繰り出そうと構えた瞬間、暗闇に罅が入り粉々に砕け散った。光が入り、風景が目に飛び込んでくる。木々、森。地面、赤い血……人。
「勇輝!」
その姿を見た瞬間、弥生はかけ出していた。そして彼の状態を見て立ちつくす。
(……これは、夢か?)
勇輝は倒れていた。胸から赤い血が流れている。うつ伏せになって、土を掴んでいた。何度も立ち上がろうとしたのか、地面の表面が削れている。そしてそこに血が流れ込んでいた。
「……嘘、だ」
弥生は自分でも気づかないうちにそう呟いていた。それは、心の底からの願い。
「現実よ?」
それを一つの声が打ち砕く。弥生ははっと我に返り、声のした方に身体を向ける。彼女の姿が目に入った瞬間、えも言われぬ憎悪が弥生の身体を駆け巡った。髪の色がくすみ、月契を握る手に力が入る。
それを見たレガーシアは満足そうに微笑んだ。
「いい顔。苦痛に歪んだ顔というのは最高ね……どう? 仲間を殺された苦しみは」
殺された。その言葉に弥生ははっともう一度足元の勇輝を見た。彼の顔は蒼白で、流れる血は止まらない。
死。それを強く感じた瞬間、弥生はもう大地を踏みきっていた。月契を上段からレガーシアへ向けて振り下ろす。レガーシアの頭部を捕らえる間際、小さな影が割り込み、高い金属音が鼓膜をつんざいた。それと同時に火花が散る。
「殺させない」
レガーシアはいい子、と少女の頭を撫でて飛びずさった。弥生は舌打ちをし、そして自身の剣を受けとめる刃を見て目を見開く。
弥生と同じ剣には赤い血がこびり付いていた。
(この剣が勇輝を!)
それがまた弥生の怒りを倍増させる。それは同時に、自責の念も加速させた。
目の前の敵を殺したい。なぶり殺しにでもしないと、この怒りは鎮まらない。
だが、なぜもっと早く気付かなかったのか、なぜもっと早く見つけられなかったのかと自分を責める自分がいる。
「はぁっ!」
弥生は覇動を放ち、月花夢幻が怯んだその刹那に空いている左手から光を放った。少女はすっと身を引き、弥生は距離を取っていたレガーシアへと一足飛びで間を詰める。
レガーシアは全く動かない。
下段から斜めに斬り挙げた。切っ先は確かにレガーシアの肉を捕らえた。だがその感触は水を斬ったようだ。
レガーシアの輪郭が揺らぎ、濃い闇が弥生の身体を包み込んだ。息が出来ず、身体の奥底に眠る闇の血が喜びの声を上げる。
(まずい……!)
弥生は左手でぐっと月契の刃を握った。刃に伝う血。痛みが走り、遠のく意識が覚醒する。
「貴女はこんなにも非力……さぁ、苦しみなさい」
耳元でレガーシアの声がし、闇は霧散した。急に肺に空気が入り込み弥生はむせ返る。すぐに辺りを見回したが、もう二人の姿はなかった。
弥生は肩で息をしながら残された勇輝に目を向ける。彼はまだそこにいた。
月契を手放し、弾かれたように勇輝に駆け寄る。そして崩れるように勇輝の傍に座りこんだ。
「勇輝……?」
壊れものに触れるように、恐る恐る勇輝の頬に手を触れた。そしてその冷たさに背筋が凍る。
弥生は悲痛に顔を歪めて胸に耳を当てた。すがるような思いで耳を澄ます。
トクン……トクン。
それは小さく、間隔も遠い。だが、彼はまだ生きていた。希望が弥生の胸にともる。
「勇輝!」
弥生は顔を明るくしたが、身を起こして再び彼の傷を見た瞬間、くっと奥歯を噛みしめた。
さらに強い絶望の色。
弥生は人の死をたくさん見てきた。勇輝の顔は、死人のそれに近い。この傷では、もう時間は残されていないのは明らかだった。
(錬魔を呼ばないと、いや、それでは間に合わない!)
勇輝は大量の血を失っている。錬魔が来るまでに事切れている可能性が高い。
弥生はくっと歯がみした。やりきれなさと腹立たしさが胸の奥からこみ上げてくる。
(私では傷を癒せない……)
弥生は右拳を地面に叩きつけ、悲痛な面持ちで勇輝の顔を見つめた。
(勇輝は死ぬのか? 私は、仲間を失う?)
そう考えたとたん、空気に重さでもあるように身体が押しつぶされるような重圧を感じた。息も苦しくなる。
恐怖が、仲間を失う恐怖が全身を支配する。錬魔の怪我とは違う、絶望感。それを弥生ははっきりと感じ取っていた。
「私は、非力だ。この手で敵は殺せても、仲間を救うことはできない。守ることすらできなかった!」
命の灯火が風に吹かれて消えかかっている。それを、ただ見ていることしかできない。
「守ると……守ると約束したのに!」
弥生は握りしめ過ぎて真っ白になっている両手を開いた。その手で自分は多くの人を殺した。だが……。
左の掌からは、血が流れていた。弥生はその痛みさえ感じられない。
弥生は魅入られるようにその血を見つめた。
(私の……血。私に流れている、血)
頭に浮かぶ一つの答え。
その答えに辿りついた時、弥生は力なく笑いだした。虚しい、渇いた笑い声。
魔術師で同胞である彼らの顔が頭をよぎった。心にあるのは彼らへの謝罪。そして仲間を救える喜び。
「皆……すまない。意思を曲げる」
弥生はスッと立ち上がった。正面を見据えるその顔は晴れやかで、苦しみの色は消えている。
覚悟を決めた顔だった。
弥生は優しい顔で倒れている勇輝を見下ろした。すっと、その上に右手を掲げる。
「勇輝……生きてくれ」
弥生は目を閉じて深呼吸をし、心を鎮めるとゆっくりと目蓋を開けた。そして静かに言葉を紡ぎ始める。
「……神の名の下に、我が全ての力を捧げる」
その瞬間、弥生の足元に陣が現れた。特殊な文字が刻まれ複雑な模様が勇輝の下に広がる。
「我が全ての魔力を代償に、この者の命を救え」
これは禁術。自身の魔力全てと引き換えに、不可能を可能にする術。弥生は全ての力を捧げ、不可能である治癒を可能にした。だが魔術師にとって魔力は生命力と同じ。それを全て失えば……。
勇輝の身体は暖かい光で包まれ、胸の傷がどんどん癒えていく。傷が完治すると陣は消え、弥生は糸が切れたように地面に崩れ落ちた。それと同時にお守りの、弥生の紡命珠が音を立てて割れた……。




