第4章の22 綺麗な華には毒がある
“お姉さま、お姉さま”
記憶にある一番古い姉妹の姿は、家族で花畑に遊びにいった時のものだ。百華と一緒にお花畑を転がり、花の名前を教えた。
“お姉さま、お花をあげる”
ひょこひょこと零華の後をついてくる百華。
零華は時々後ろを振り向きながら、きれいな花を探して歩き回る。
美しい湖のほとりでの幸せな一時。
零華と百華は常に一緒だった。零華が闇の子であると発覚するまでは。
闇の血を持たないものが闇の子であることを感知するのは難しい。特に魔力の感知に秀でたものでなければ気づけないほどの弱い力。
だが、そんな弱い力も感情と結ばれることで爆発する。闇の子が認知されるのは、ほとんどがその子どもが怒り、髪を変色させた時である。
零華が闇の子として自分を自覚したのは人間で言う六歳の時だった。やや卑屈になった百華と喧嘩し、いつもなら適当に折れるのだがこの日は聞き流せなかった。結果怒りが頂点を超え、本人すら知らなかった闇の血が目覚めたのだ。
“闇の子、お姉さまは闇の子”
少し大きくなった百華は髪を黒に近い青に変えた零華を見て怯えた。大きくなった百華は、そして零華も、闇の子が何を意味するか知っていた。
“災いだわ!”
そう叫んで走り去った百華。
“なぜ零華なんだ。零華は長女だぞ! いっそ、百華ならばよかったものを”
苦々しげに拳で机を叩いた父。彼はその後一切零華に対して口を利かなくなった。
“零華、貴女は離れて暮らすのよ。百華は普通の子どもなんだから、近寄らないで。お願いわかって、零華と百華のためなの”
涙を浮かべて謝り、許しを請うた母。それが誰のための涙なのか、零華は幼いながら疑問に思った。
泣き、慈しみと憐みの言葉を口にしながらも決して触れようとしない母親に向かって、零華は微笑んだ。
“わかってます。私は一人で大丈夫ですから”
親が他人になった瞬間だった。
父親の憤怒も母親の憐みも百華の侮蔑も、もう零華の心には届かなかった。
自分が闇の子だと知った時、自分を守るために心の一番奥に蓋をした。何重にも鍵をかけて、自分が壊れないように、感情に流されないように。
零華は薄暗く小さな離れで暮らし、世話をしてくれるのは二三人。だが誰も零華と口を利こうとはしなかった。図書館に行ったり、辺りを散歩したり。
百華とはたまにすれ違ったが、彼女はもう零華が知る百華ではなかった。彼女の零華に対する蔑みは年を追うごとに増していった。
今になっても、このころと何一つ変わっていない。二人は溝を深めていくだけだ。
零華は窓の外を眺めながら、自嘲気味に笑みをこぼす。百華が出ていき、気を宥めるために窓の外を見たら中庭の花が目に入った。
そこからずるずると過去の記憶が掘り起こされたのである。
(私はゼロ、百華は百……)
物憂げな溜息をこぼした時、ドアがノックされた。ゆっくり二回。零華は誰が来たのか察しがつき、困ったような笑みを浮かべた。
「どうぞ、錬魔君」
そっとドアが開けられ、長身の錬魔が部屋へと入ってきた。表情はいささか硬く、二三歩進んで立ち止まり零華の顔を見る。
零華はいつも通り微笑を浮かべている。
(思ったより、大丈夫……か?)
だが今はいつもどおりなのが逆に怖い。
「どうしました錬魔君。私が泣いていると思いましたか?」
「あ、いや」
すぅっと漂ってくる冷気に、錬魔は先程思ったことを取り消した。
(これは怒ってるな)
「私があの子に負けると、思ったのですか? どうせどこかの弥生ちゃん中毒者がいらない心配でもしたのでしょう」
零華の言葉には棘があり、その一つ一つが毒を持っている。
(あぁ……これはかなり怒ってる)
錬魔はやはり自分が来て正解だったと零華を見つめながら思った。ひたすら耐える役は秀斗には向かない。
「俺はお前が負けるとは思っていない」
あまりの言いように一体秀斗は零華に何をしたのかと錬魔は憐みを感じてしまう。今の零華は異常だが、常は微笑の下にしまいこんでいる想いを五割増しにして言っているだけなのだ。
「あたり前です。あら、錬魔君の方こそ少し顔色が悪くありませんか?」
顔色が悪く見えるのは、明りのついていない、はや夕暮れになろうかというこの部屋と、癒慰を慰めた気疲れと今零華から発せられている静かな怒気のせいだった。
「いや、問題ない」
「そうですか。錬魔君が倒れては医者がいなくなりますからね。健康には気をつけてください。ついでにコーヒーを止めてはどうですか? カフェ中さん」
にこにこと澱みなく零華は言葉を返していく。錬魔が一言しゃべれば、零華はそれを二言三言にして返した。
「その鋭い言葉、さすがだな」
カフェ中は少し錬魔の心をえぐった。彼女の話を聞くはずが、自分が責められ錬魔の方が慰めて欲しかった。
「くすくす、わかってます。八つ当たりです。でも、許してくれますよね」
怒っていても頭に血が上っているわけではない。むしろ冴え冴えとしているだろう。
「あぁ、それが医者《俺》の務めだ」
「医者の鏡ですね。そういえば、癒慰ちゃんは大丈夫ですか? だいぶ取り乱していたと思いますが」
最初は零華の心配をしていた癒慰だったが、百華の言葉がだんだん辛辣になるにつれて顔を強張らせていった。
「今は落ち着いて寝ている」
「優しく介抱してあげたのですね。ふふ、本当にあの子は迷惑以外の何ものでもありません」
零華は窓枠に手をかけて錬魔と向かい合っている。錬魔はその手に震えるほどの力が入っていることに気が付いていた。
「何を言われようが気にすることはない。俺たちは俺たちだ」
「えぇ、いかに蔑まれようとも、差別されようとも、私たちは死ぬわけにはいかないのです。そうでしょう? 彼女たちの言いなりになって死ぬなんて愚の骨頂ですから」
一度も崩れることのない微笑。それは仮面かと思わせるほどぴくりとも動かない。
「零華、俺たちは同胞であり、仲間だ」
「はい。同じ咎を持ち、苦を共にする仲間です」
錬魔は後ろ向きな思考を元に戻せと言いたかったがひとまず気にしないことにした。ここで零華の感情を刺激すると何倍にもなって返ってくる。
「だから、頼ればいい。無理をするな」
「誰に言っているのです?」
「お前はわーわと泣くタイプではないからな。ため込みすぎるなよ」
「可愛げがなくて申し訳ありません」
全く改善されない会話。錬魔は頭を痛めたが、時間をかけるしかないと割り切って撤退の準備を始める。
「……また様子を見に来る。何かあればすぐに言え。あと、勇輝を怖がらせるなよ」
最後は切なる錬魔の願いである。これ以上落ち込み患者を増やしてほしくない。
「可愛い勇輝君にそんなことはしません。あぁそうですね、勇輝君の可愛いドレス姿でも見ればこの心も晴れるかもしれませんけど」
錬魔は絶対に勇輝を近づけないでおこうと心に誓った。だが零華と癒慰の精神安定がなかなか図れないとなれば、彼にその役を頼むことも視野にいれつつ。
「無理やり着させるのだけはやめてくれ」
結局誰が慰めるかといえば、錬魔しかいない。秀斗も慰めるが結局傷口に塩を塗るだけだ。
「安心してください。ちゃんと自発的にしてもらいますから」
「そう願う」
そこで話を切り、錬魔がドアノブに手をかけた時あぁと思い出したかのように零華が声をあげた。
「私、夕食は癒慰ちゃんと別室で食べますので、皆さんは私の妹を可愛がってあげてください」
錬魔はこくりと頷いた。
「感謝します」
最後に零華は憂いを含んだ複雑そうな笑みを浮かべたのだった。
錬魔が零華の部屋から出ると、視界の端に人の姿を捕らえて少し驚いた。相手も人が出て来たのに驚いて固まっている。
「あ、あの」
「百華か」
ついつい剣呑な目で見てしまいすぐにそれを無表情で隠した。百華は何か言いたげな目で錬魔を見ている。
「その」
「あ~! いた! ごめん~」
百華の声を消し去って勇輝の声が廊下に響く。百華はほっとした顔で走ってくる勇輝を見た。
二人は勇輝の方へと歩き、勇輝はごめん、と駆けよる。勇輝は百華と部屋を決めた後案内も兼ねて屋敷を歩いていたのだ。
「ここらへん複雑でさ……」
勇輝は無表情の錬魔をすがる目で見上げるとえへっと笑った。
「錬魔ぁ、弥生の部屋がある廊下ってどこだっけ」
「客共々迷ったのか」
「違うよ、探険してただけ」
客の手前強がって見せるが、勇輝が帰れなくなっているのは明白だった。
如月の屋敷は把握できないほど広いというわけではない。だが廊下が碁盤の目に通り、思いもよらぬところに階段があったりするので一度道を見失うとるつぼにはまるのだ。
それを解消するためにホールがあり、主要な部屋はホールから伸びる廊下に割り振っていたのだが……。
「ここは弥生の部屋からだいぶ離れたところだぞ……」
錬魔は溜息をついて二人に手招きをして歩きだした。
(今日は厄日だな)
ばかばかしいエイプリルフールにつきあった時間が遠い過去のように思える。
「あの錬魔さん、勇輝君から聞きました。錬魔さんは火の魔術師なんですよね」
「あぁ」
錬魔は廊下を右にまがって直進する。
「こんなにたくさんの魔術師が人間界にはいるのですね」
その声はどこか感慨深げで、そのせいで二人は百華の表情が異様に強張っているのに気付けなかった。
「びっくりだよね~」
百華に一歩遅れて歩く勇輝はうんうんと頷いた。
いくつか角を曲がると突き当たりにドアが見えた。分かる場所に出て勇輝はほっとする。
「ここまでくれば大丈夫」
ドアを開けるとホールで、後は目的の部屋へ続く廊下のドアをくぐるだけだ。
「あのドアが弥生の部屋に近い。二階に上がるにはそこの階段か、廊下にある階段を使え」
「はーい。ありがとな錬魔」
錬魔はやれやれと二人と別れ自室へ続くドアへと歩く。彼の部屋は二階で、同じ区画の一階に癒慰がいる。
勇輝は馴染みのドアを開け、自室への廊下を歩く。
百華が選んだ部屋は一階で、勇輝の隣だった。二階には弥生と秀斗の部屋がある。
「これは、勝手に歩くと迷子になりますね」
「なるよ。俺何回も迷ってあいつらに助けてもらったもん」
地図を作ろうとしたが廊下を曲がるうちにそこがどこなのか分からなくなって途中で止めてしまった。本気で道しるべでも作ろうかと思案中だ。
「じゃぁ俺ここだから」
勇輝は自分の部屋の前で止まり、また後でと手を振った。
百華は、はいと会釈して隣の部屋に入る。
(錬魔さんはお姉様の部屋から出て来た……)
百華は後ろ手でドアを閉めると、くっと唇を噛みしめた。
(なんで零華ばっかり……!)
百華の胸に醜い感情が渦巻いた。妬みや屈辱感、劣等感が塊になって押し寄せてくる。
(許せない……壊してやる)
表情を凶悪なものに変えた百華の耳に、隣の部屋のドアが開く音がした。隣に聞こえるほど音で、バンっと慌ただしく閉められる。
「晩飯がぁぁぁ!」
そう叫んで遠ざかって行く足音に、思考が途切れた百華は首を傾げたのだった。
夕食は、カレーだった。今日の夕食当番は癒慰だったがあの状態ではその事実さえ忘れていた。そして零華も部屋から出ない。
そのことにベッドに寝転がって晩ご飯予想をした時に勇輝は気づいたのだ。
如月の夕食は必ず八時。勇輝が腕時計を見ると六時。手の込んだものを作るのは無理だった。
勇輝は小さなパーティーを開きたかったなぁと思いながら鍋をかき回したのだった。
そしてカレーとサラダにデザートのゼリーを食べて満腹になった彼らはそれぞれ自室で夜の時間を過ごす。ホールで二三人が集まることもあるが、今日は皆疲れたので早めに休んでいるのだ。
錬魔ははぁとため息をついて本から顔をあげた。彼はすでにシャワーを浴びた後で、寝間着代わりの浴衣に身を包んでいた。下ろされた髪が腰へと流れ、はらりと頬にかかる横髪が色っぽさを出している。
寝るにも早いので勇輝の武器に使う物質を吟味していたが、すぐに集中力が切れて別のことを考えてしまう。ページを二三回めくったところで諦めて本を閉じた。
(明日にしよう)
錬魔は頬杖をついて物思いにふける。肩にかかっていた髪がはらりと落ちた。
(百華……)
食事の席で百華は霊界での出来事を話していた。勇輝が楽しそうに相槌を打ち、秀斗と弥生はたまに会話に加わる。
錬魔が感じたのは、彼女もまた故郷に帰れないという虚しさであった。彼女が魔術界から来たのであれば、そしてまた彼女が帰る術を持っていたのであれば、羨望や嫉妬、絶望に変わったかもしれない。
だが百華の置かれた状況は自分たちと変わらない。
(あぁだが、彼女は闇の子ではないか)
彼女自身に帰る障害はない。だが、彼ら闇の子は帰らない方がいい。
(帰ったところで、待つものは誰もいない)
錬魔は静かに目を閉じた。今でも、故郷を離れて五十年ほどが経った今でも、故郷の風景を鮮明に思い浮かべることができる。暑い気候に袖の無い服、兄弟で水浴びをした水の冷たさや、兄と共にいった医療所。そして、家族が殺された時のことも……。
(俺は何を……俺まで過去に引きずられてどうするんだ)
錬魔が自嘲の笑みを浮かべた時、コンコンとドアがノックされた。
「……入っていいぞ」
すぐにドアが開かれ、零華の顔が見える。お風呂に入ったのか髪が湿り気を帯び、光を反射して美しい光沢を出していた。夜着なのかゆったりとしたワンピースを着ている。シルクの光沢が彼女の体の線を美しく描き出していた。
彼女はじっと錬魔を見ると、口を開いた。
「あの、錬魔君……今大丈夫ですか?」
「……零華、どうかしたのか?」
「少し、眠るにも早いですし、眠れそうにもなくて……」
「そうか、そこに座れ」
錬魔は窓際にある対のルームチェアを指して立ち上がった。薪のない暖炉に三脚に乗せられて置いてあるやかんに視線をやり、手をそちらに払うとやかんに火がついた。やかんを燃やす勢いで炎が出ている。
零華はその光景にあえて何も言わなかった。
「気分はどうだ?」
「まあまあ、といったところですね」
錬魔は戸棚からコーヒーの瓶を出し、保冷庫から牛乳を取りだした。一度火を弱めてやかんの蓋をとり牛乳瓶を中に入れる。その光景はとっくりを入れたよう……。
(やかんはそうやって使うんですか)
零華は一連の作業をぼうっと見ているしかなかった。
錬魔は二つのカップにインスタントコーヒーを入れ、沸騰するお湯で良い感じに温まった牛乳を注ぎ砂糖も入れた。牛乳を入れたのは片方だけで、もう一方のカップにはビーカーで沸かしていたお湯を入れる。
「飲め」
錬魔は椅子の間にある机にカップを置いて零華に向ける。自分は零華の向かいに座って一口飲んだ。
零華はカップを取って息を吹きかけて冷ます。
「飲めば少し神経がほぐれるだろう」
人間が飲めば逆に眠れないが、魔術師にとってカフェインはアルコールとして作用する。
「ありがとうございます」
零華のカフェオレはごく薄いものだった。
「おいしい」
零華は顔を綻ばせる。
「零華」
「……はい?」
「いや、火傷するなよ」
錬魔は自分のコーヒーを少し薄かったかと思いながら一口飲んだ。
零華は全て飲むと静かにカップを置いて、錬魔と視線を合わせる。
「あの……仲間……でいてくれますか?」
「あたり前だ」
即答する錬魔に零華はやや目を開き、ふっと笑った。
錬魔はカップを片手にじっと零華を見ている。
「なんだか、不安なんです。少し一緒にいてくれませんか?」
零華は胸元をきゅっと掴んで、錬魔の言葉を待つ。彼女の手は小刻みに震えていた。
「寂しくて……あの子がいると、私が消えてしまう気がするんです」
零華は潤んだ目で錬魔を見つめる。
錬魔はすっと目を細め、残りのコーヒーを飲み干すとトンッとカップを机に置いた。
「俺を誘惑しているのか? 百華」
ひじ掛けで頬杖をついて、錬魔は口角をあげた。彼女の目が驚愕に見開かれる。
「何を、言ってるの? 錬魔君」
困惑に満ちた顔で彼女は目を潤ませる。
錬魔はそれを鼻で笑った。
「医者を舐めるな。一度二人を見ればすぐに見分けがつく」
それに錬魔には火煉がある。最初は怪我だけを見たので気付けなかったが、じっくり見ると魂の輝きが違った。
「……あら、そう。それは残念だわ、うまくいくと思ったのに」
百華はくるりと表情を苦々しいものに豹変させた。
「零華が闇の子だと知ってもまだ仲間でいてあげるなんて、いい人なのね。さっきの言葉で零華を慰めたの?」
皮肉めいた笑みを浮かべて百華は立ち上がる。そして錬魔を見下ろし、凄絶な笑みを見せた。
「零華に慰めは不要だ」
錬魔は三白眼で百華を睨んだ。だが彼女は怯むことなく錬魔にすっと近づく。
「零華のことをよく知っているような口ぶりね。本当に仲がいいのね……。クスクス、お姉様は恋人に手を出されたと知ったら、どんな顔をするかしら」
錬魔は眉を吊り上げた。
(はあ⁉)
身に覚えが無さ過ぎる見当はずれな思い込みはもはや言いがかりである。
百華は右手を錬魔の椅子の背もたれに置き、すっと顔を近づける。吐息がかかる距離。互いの瞳に互いが映り込んでいる。
「お前の歪んだ心で見る物は全て偽りだと気づかんのか?」
百華は錬魔の肩へと伸ばそうとしていた左手を宙で止めた。
「なんですって?」
「お前は何も分かっていない」
百華はギリっと唇を噛んだ。その言葉は零華にも言われたものだ。
「何も分からず何も知ろうとしない、虚しい人形だ」
錬魔は固まっている百華の手首を掴んで立ち上がった。錬魔は百華を見下ろす。その瞳は見たものを思わずぞっとさせるほど冷たい。
「見せてやるよ。俺の闇を」
「何を……」
錬魔は感情の制御を止め、怒りを闇の血に注ぐ。嬉しそうに闇の血は体の奥底から体を駆け巡り、錬魔の髪が黒く染まっていく。
「や、闇の子⁉」
錬魔の髪はほぼ黒と言ってよい色になっていた。光にかざせば透けて赤色が見えるほどで、遠目に見れば黒と認識されるだろう。長い黒髪は夜の闇に溶け込みそうだ。
これ以上黒に染まれば心が闇に呑まれるぎりぎりのライン。
百華は動転し、錬魔から離れようと彼の手を振りほどくと三歩後ずさった。
「そんな……」
百華はうわずった声で呆然と呟く。錬魔は鼻を鳴らすと闇へと注いでいた怒りを遮断した。すぐに髪が赤に戻り、血のざわめきも治まる。
「気分はどうだ?」
錬魔の意地悪めいた問いに、百華は答えない。その顔は青ざめていた。
「貴方も、零華と同類だったのね。だから、零華と一緒にいる」
「それだけで一緒にいるわけではない。俺たちは――」
「もういい!」
百華は錬魔の言葉を遮り、黒い笑みを浮かべた。それを見た錬魔はわずかに眉をひそめる。
「こんなの、壊すまでもないわ。互いに傷を舐め合ってるだけじゃない」
「……出ていけ、話は終わりだ」
「零華は私たちの人生を狂わせた。必ず貴方の人生も狂わされるわ!」
百華はそう吐き捨てると、踵を返してドアを開けた。一度振り返り、蔑んだ瞳を錬魔に向ける。
「いつか思い知るでしょうね」
パタンとドアが閉められた。
錬魔は肺全体を使って息を吐き、髪をかきあげた。
「俺たちの人生は、闇の子に生まれた時点で狂っている」
錬魔は皮肉な笑みを浮かべて、そう呟いた……。
「俺を誘惑しているのか?」
……はぅ。言わせてよかった。ちょっと迷ったけど言わせてよかった。浴衣に髪を下ろした錬魔、それにその台詞。自然とにやけてしまいますね。
零華の双子編、もしくは錬魔の厄日編は彼らの新たな顔がたくさん。癒慰ちゃんは泣いたし、零華は毒を吐くし、錬魔はキレましたね。ぷちんと。書いていて楽しいです。
やはり簡単には終わらない。後一話のはずですが、ここで明らかに今月中に四章終了が不可能になりましたね。また四話くらいの大きな山がありますし。
もう少しお付き合いください。
タイトルが迷走する双子編ですが、次回は「花は見る人がいて華となる」です。