第4章の16 戦場に舞い降りた鳥
物心ついた時から、俺はいなかった。
何時も他人の皮を被り、他人を演じて人を欺く。
それが俺の生活で、俺がいないことに何の疑問も感じなかった。
感じることを知らなかった。自分の姿に戻っても、どこかそれに違和感を覚え、自分の名前さえも時に分からなくなる。
鷺
俺はこの名を、これをつけた人を、何度憎んだか分からない……。
時はまだ冷戦が続いていたころ。冷たい、凛とした空気がその空間には満ちていた。朝の寒空に白い吐息がかかる。
小高い丘の上に一人の少年が立っていた。まだ十歳に満たないだろうにその髪は灰色で、鋭い視線が実年齢よりも上に見せている。二十年前、八歳の鷺だ。
龍牙隊に拾われた彼はその能力を買われて隠密部隊に配属された。そして今、彼には一つの任務が与えられている。
鷺は子どもには相応しくない険しい顔で敵陣営の前に広がる森へと歩き出した。
(まずは化ける相手を見つけないとな)
鷺はすでに入手した黒騎の制服に身を包んでいた。彼の灰色の髪と黒の衣装がよく合って、自分の居場所はこちらかもしれないと鏡を見た時に錯覚してしまった。
森を切り開いたところに敵の陣営、黒騎の部隊がいる。そこには大中様々なテントが並び、野営をしていた。
多くの異空間で戦争が起きている中、この空間は睨み合いが続いている。戦争の中心からだいぶ遠い空間ということもあり、闘いの意思がだいぶ低い。鷺を含む隠密小隊がこの空間に来て一週間になったが、敵は一向に姿を見せなかった。夜襲や奇襲のそぶりもまったくない。
それに痺れを切らした部隊のリーダーが鷺を敵地へ送り込んだのだ。
鷺は敵陣まで二百メートルまで近づき、近くの木に登って辺りを見渡す。朝日が昇り、活動を始めているのかざわめきが聞こえた。
まんべんなく辺りを見張っていると、森に似つかわしくない色に目を奪われる。金色が茂みの影に見えたと思ったら、ガサガサという音と共に金髪の少年が茂みから出てきた。
最初は西洋系の少年兵かと思った。戦場に子どもがいるのはそれほど珍しくなく、戦況が苦しくなったり、戦場が辺鄙になったりするにつれて少年が戦場に駆り出される。隠密に子どもは重宝されるし、現に超大国が作り出した異能者はまだ子どもだ。
だがその顔立ちを見るとどうも東洋系に見える。鷺は年の頃十二、三に見える少年をじっくり観察した。
「おっ、これ食えるな~」
その少年は鷺が潜む木の根元にしゃがみ、そこに生えていた茸を取った。どうやら食糧の調達に来たらしい。
「あ、これもうまそ~」
鷺は素早く辺りを見回し、人がいないのを確認すると木から飛び降りると同時に少年の無防備な首筋へ手刀を叩きこんだ。がくりと気を失ってその場に倒れた彼を木にロープでくくりつけ彼の顔をまじまじと見る。
(意外といい顔してんな。もっとばかっぽいかと思った)
鷺は彼の身体を全て見極めると右手で自分顔を覆った。彼がその手を下した時には、金髪の少年が二人いた……。
黒騎の陣営では朝食の準備が進められていた。朝ご飯はテントごとに作り、昼食と夕食は当番制だった。
「姉様、お湯が沸いた」
テント前の薪で鍋を見ていた弥生が鎖羅に声をかけた。黒騎の服を着た弥生は十三歳。身長も伸びてよい剣の使い手に成長していた。
鎖羅は沸騰したお湯の中に野菜とベーコンを入れ、煮ていく。
「後は秀斗の茸だが……あのバカ、遅いな」
鎖羅は秀斗がかけて行った森の方に視線を飛ばす。何に手間取っているのか。
「見てくる」
弥生はすっと立ち上がって森へと歩き出す。その背中に鎖羅は気をつけろと声をかけた。
「しかし……平和だな」
鎖羅は少し曇った空を見上げた。この寒さではじきに雪が降るかもしれない。戦争中とは思えない、穏やかな朝だった……。
弥生が森へと入ると、すぐに茸を両手いっぱいに持った秀斗と会った。秀斗はさっと弥生の顔と服装を見、にっと笑う。
「おはよ」
「秀。姉様が待ってる」
弥生はくるりと秀斗に背を向けて歩きだす。彼の荷物を持とうなどとは欠片も思わない。
(へぇ……こいつの名前秀っていうのか。こいつは仲間ってとこか?)
秀斗に化けた鷺は注意深く弥生を観察しながらついていく。すぐに黒騎の陣営が見えてきた。
(しかし、銀髪って珍しいな。顔は東洋っぽいし、西洋人ってわけじゃないよな。ソ連人は銀髪だったか?)
「秀」
考え事をしていた鷺ははっとして立ち止まって振り返っている弥生を見る。
「お前……黙っていると気味が悪いな」
「は? それどーゆうことだよ」
鷺は反論してみたが、内心冷や汗をかいていた。
(こいつ、よくしゃべるタイプか)
今回は化ける対象をよく観察したわけではない。口調や癖を知らないぶん、下手に話すとボロが出ると自重していたのが裏目にでた。
「自分で考えろ」
弥生は再び歩き出し、多数のテントの中を突き進む。後に続く鷺はさりげなく辺りに目をやり位置を把握する。
「秀斗、やっと帰って来たか。さっさと鍋に茸を入れろ」
薪の前に座っていた鎖羅が秀斗に鍋を指差して言う。
鷺はその鍋に茸を入れようとしたが、手が止まった。
「……すっげぇ緑色」
鍋はぐつぐつと煮え、緑色の液体からたまにベーコンと思わしき物体が見え隠れしている。深緑ならばホウレンソウでも入れたのかと納得できるが、何故か鍋の中身は原色の緑。
「早くしろ秀斗。それと弥生、テントから食器を持ってきてくれ」
料理に引いていた鷺ははっと我に返って茸を中に入れる。緑色の液体に飲みこまれる茸が少し可哀そうになった。
(あの女の名前は弥生か……んで、こいつは秀斗かよ)
鷺は薪を囲むようにして置かれている丸太に座って鎖羅を盗み見る。年は二十代前半と見え、なかなかいいスタイルをしている。
(名前わかんないしな、弥生の姉らしいけど……似てないな。髪色違うし)
「姉様、食器」
そうこうしているうちに弥生が戻り、鎖羅は煮え加減を見て塩胡椒で味を調える。
「ん、いい感じだ」
味見をした鎖羅は頷き、それぞれの食器によそり始めた。
(確かに香りは悪くないけどなぁ……スープのわりにはどろっとしてないか?)
食べても大丈夫だろうかと鷺は顔には出さずに悩んでいると、テントが開いた。少し身をかがめて出て来た男は鎖羅の隣に座る。
「阿修羅、やっと起きたのか」
鎖羅は呆れ顔で阿修羅にスープを渡した。
(阿修羅……? それ本名か?)
自分の名前は棚に上げて、鷺はそう思ってしまった。彼はその名に似合わず美青年で、まだ眠いのか目が細い。
「あぁ……少し眠れなかった」
阿修羅は低い声で答え、スープを口に運ぶ。鎖羅と弥生が食べるのを見て鷺も口に入れる。
(ためらったら怪しまれる……なんだ、そんなまずいもんじゃないな)
見た目が少し風変わりだが味はよい。スプーン片手に周りを見てみると、薪の周りで同じ光景が多く広がっている。なんとものんびりした朝食風景である。
(龍牙隊も和やかではあるけど、ここまでだらけてはないな)
視線を前に戻すと阿修羅と目があった。鷺は一瞬彼の目が金色に光った気がしたが、彼の瞳は灰色だった。
「弥生、食べ終わったら剣の稽古をしよう」
「本当か?」
鎖羅の提案に弥生は嬉しそうに答える。そのやりとりを聞いた鷺は脳内のメモ帳に二人は剣の使い手と記入した。
「なら山にでも行って猪でも狩ってこい。そろそろ肉が切れる」
「そうだな。また燻製にしてベーコンにするか」
そんな会話を聞きながら鷺は食べ終えた食器を足元に置いて、鎖羅と弥生に顔を向ける。
「楽しみにしてるぜ」
「任せておけ」
鎖羅がそう答え、弥生はこくりと頷いた。
「秀は今日何をするんだ?」
「俺? そうだな……ここらへんをふらふらすっかな」
「よく飽きないな」
やることねぇし、と鷺は付け足す。だいぶ秀斗という人間が分かり始め、会話のテンポもつかめてきた。
和やかに三人で談笑していると、阿修羅がカチャリとスプーンを皿に置く音がし、皿を丸太の端に置いた。
「食べ終えたところで秀斗、お前誰だ」
唐突にそう問う阿修羅に三人は固まった。
二人はキョトンと、一人はドキッと。
(こいつ、能力者か!)
「阿修羅、寝ぼけているのか?」
鎖羅は阿修羅の顔を覗き込んではっとした。彼の白目は黒く染まり、瞳は金色に光っていた。阿修羅は闇誡を発現している。彼の目には鷺が持つ、秀斗ではない魂の色が見えていた。
「よく感じ取れ、覇動が違うだろう」
二人は集中して鷺の気配を探る。鷺は身の危険を感じて即座にその場から逃げようとしたが、二人の行動の方が早かった。
鷺の首筋には両隣から闇宵と月契が添えられた。
(どっから剣出て来た⁉)
「本当だ、なんとなく違う気がする」
「秀の覇動ではない。お前、異能者だな」
鷺はぐっと唇を噛んで正面に座っている阿修羅を睨んだ。
(どうする。これじゃぁ確実に捕まって拷問だ。いっそここで舌を噛み切るか……)
阿修羅はすっと立ち上がって鷺の目の前に立つと彼の首根っこを掴んで持ちあげた。
「うわっ」
二人は剣の具現を解き、阿修羅に任せることにした。阿修羅は鷺を猫のように持ちあげてテントの中に入る。
「は、離せ!」
じたばたと鷺はもがくが子どもの力ではどうにもならない。
「だが、秀斗そっくりだな」
続いてテントに入った鎖羅は思わずそう呟く。秀斗は何かしでかす度にああやって阿修羅に引っ掴まれてその後反省させられていた。
「あぁ」
弥生も同意を示す。
阿修羅はぽいっと鷺を下ろし、威圧感たっぷりに見下ろした。
「スパイか」
鷺はちっと舌打ちをし、服の下に隠し持っていたナイフを取り出して阿修羅に切りかかった。
傍観者二人が動くよりも早く阿修羅は自身の闇から大きな爪を出して胸元に突き立て、鷺が怯んだところを滑りよって腕をひねり上げた。
「ぐあぁっ」
鷺は痛みにナイフを落とし、また空中に浮いた。
首根っこを掴まれ、もう抵抗する意味がないことを知った鷺は脱力したまま吊られている。
「で、お前は龍牙隊のスパイか?」
「……そうだ」
「お前の本当の姿を見せろ」
阿修羅は普通に鷺を下ろし、鷺は出口付近に女二人がいるのを見ると観念したのか左手をさっと顔の前を通過させた。すると金髪は灰色に戻り、身長が縮んだ。彼の本来の姿が現れる。
「なっ……こんな小さい子どもが?」
阿修羅は化ける能力だとは思っていたが能力者が秀斗よりも幼いとは思っていなかった。だから元の身長を考慮して地面に下ろしたのだ。
「すごい。それがお前の本当の姿なのか?」
弥生が興味深げに鷺に歩み寄った。鷺の身長は弥生の目の高さだ。
「敵に褒められても嬉しくないな」
ふいっと鷺は横を向き弥生を視線から外す。
そして阿修羅に向き直り、真正面から彼を睨み返した。
「殺すなら殺せ、見せしめにでもすればいいさ。拷問されたって俺は何も話さないからな」
なかなか肝の据わった子どもに大人二人は互いの顔を見て、どうするかと目線で問う。
鎖羅が軽く手を振り、お前に任せると伝えた。
半ばその答えを予想していた阿修羅はじっと敵を見る。
やがて面倒くさそうな表情をしたかと思うと、しゃがんで鷺の首筋に触れた。
すると少し顔を強張らせた鷺の首に阿修羅の闇がかかり、それが消えると黒い首輪が現れた。
「ここから逃げようとすればそれが作用してお前の首を飛ばす」
鷺は悔しそうに俯いた。
「わかった。お前らの言うことを聞く」
(どうせ潜伏するつもりだったんだ。こうなりゃ居座ればいい)
鷺は覚悟を決めて、むしろ開き直ってその場に腰を下ろした。
「ここの偉いやつに突き出すなり交渉の材料にするなり好きにすりゃぁいい」
「残念ながらここの責任者は一応俺なんでな。俺の決定には誰も逆らえない」
目の前の青年がここのリーダーと聞いて、鷺は目を見開く。
「鎖羅。こいつの面倒はお前に任せた」
阿修羅は自分の役目は終わりと隅に置いてあった椅子に腰をかけた。
「……弥生。そいつを好きにしていいぞ。その代わり、向こうの陣営に帰らないように見張れ」
鎖羅は弥生に丸投げした。大人二人は正直、子ども二人の面倒を見るだけで手一杯なのだ。
「私がか?」
弥生はじっと鷺を見た。鷺も見返すが、耐えられなくなって視線を逸らす。なんとなくその無感動な目が怖かった。
「子どもどうし仲良く遊べ」
「わかった」
子どもどうしと言ってもこの時点ですでに八十歳ほどの差があったが……。
「で、お前の名前はなんだ?」
弥生は鷺の目の前に座りそう尋ねる。
「……鷺」
「鳥の鷺か?」
そう訊いたのはいつの間にか別の椅子に座っていた鎖羅だ。
「……あぁ」
鷺は心底嫌そうに答える。鷺の名は彼を拾った人が付けたものだった。彼は龍牙隊に拾われた子どもに隠密の訓練を施し、その子どもにはそれぞれ鳥の名前を付けていた。
「変わった名だな」
そう言った阿修羅に、お前に言われたくないと返しそうになって鷺は寸前で口を閉じる。
「鷺は何にでも化けられるのか?」
弥生は質問を重ねる。彼女は黒騎に入って初めて自分よりも小さな子どもを見た。さらに他人に化けられる能力など見たことが無い。
「まぁ。見たものなら」
「見せろ」
弾んだ声で期待の眼差しを向ける弥生に鷺はしぶしぶ左手を顔へと持って行った。彼の身長が伸びて髪が黒くなる。
「こんな感じ」
「姉様……」
鷺の声は鎖羅のもの。もちろん姿形も鎖羅だ。髪が腰まで伸び、服の胸のボタンがはじけ飛びそうでなかなか悩ましい姿である。
「目の前で自分を見るというのは不思議な気分だな」
鷺はすぐに姿を自分に戻した。
「お前、おもしろいな。すごい能力だ」
弥生の言葉に鷺は不愉快そうにふいっと外を向く。照れ隠しが見え見えで、大人二人は苦笑いを浮かべる。まだ所詮八歳なのだ。
「そうだ鷺。もう一度秀斗に化けてくれんか?」
鎖羅は思いついたようにそう言った。
「……別にいいけど」
鷺はもう一度秀斗の姿を取り、あぐらをかいている膝の上に肘をついて顎をのせた。もう構ってくれるなと言いたいらしい。
「本当に秀そっくりだ」
「しばらく解くなよ?」
鎖羅はいたずらっぽくニタリと笑った。鎖羅の考えが分かった阿修羅は呆れ顔で溜息をつく。
弥生は秀斗に化けた鷺の髪を引っ張ったり瞳を覗き込んだりと、新しいおもちゃを貰った子どものようだ。
そしてしばらくして慌ただしい足音が聞こえたかと思うと勢いよくテントが開けられた。
「阿修羅さん、すいません! 森に行ったらいつの間にか寝てて、その上茸を取られました!」
転がるように入って来たのは秀斗だった。全力で走って来たらしく肩が上下し、額には汗が浮かんでいる。茸を取ってくるように頼んだのは鎖羅なのだが、真っ先に阿修羅に謝るところにどれだけ阿修羅にしつけられたかがよくわかる。
「は? 何を言っている。茸ならちゃんとお前が持って来たではないか」
鎖羅が不思議そうにそう返した。
秀斗は、へ? と呟いてテントの中央にいる二人に目を留めた。弥生と、金髪の少年。
「え、へ? お、俺ぇぇぇぇぇ⁉」
テントを突き破るような絶叫の後、思惑通り驚愕に呆然とする秀斗を見た鎖羅の笑い声が響き渡った……。
錬魔は最前線、苛烈な戦場にいましたが、彼らは隅っこの小さな戦場です。
ほのぼのとしております。完全にキャンプ気分ですね子ども二人。少し考えていた出会いと変わってしまいましたが、これはこれでおもしろいからいいかな、と。さてと、あと一話で終わりたいな~鳥シリーズ。
では次回「鳥籠は壊された」です。




