第4章の14 全ては我が王のために
遡ること約二十年。まだ弥生と秀斗が氷騎に身を寄せていたころの話である。
左遷されたものが集まる屋敷では、個々人が好きに時間を過ごしている。弥生は鎖羅とともに実践と言って裏山に入って行き、阿修羅は書庫で読書をしていた。秀斗も最初は本を読んでいたのだが、じっとしていることが苦手な彼はすぐに飽きた。ぶらぶらと足を遊ばせて机につっぷしていた秀斗は、顔を上げて阿修羅を見た。
「阿修羅さん。俺、外で遊んできます」
「……あぁ」
阿修羅は本から目を話さずに生返事をする。
行ってきまーすと秀斗は窓から飛び降りた。ちなみ書庫は二階である。
「俺を守れ、星鎧!」
額に輪がはまり、その障壁によって地面落下のダメージを消す。本人は無事だが土が円形にえぐれてしまった。
「あ……やべ。この中庭荒らしたら阿修羅さんに怒られる」
阿修羅は面倒くさがりなところも多いくせに、ことこの中庭だけはこまめに世話をしていた。彼の働きで美しい花が咲き、憩いの場を形成している。と言っても彼自身が園芸に勤しむ姿は一切なく、氷騎七不思議に数えられているのだが。
秀斗は以前弥生から逃げてこの花たちを踏んでしまい、半日阿修羅の闇に閉じ込められた。彼が言う可愛いペット(一般的に見れば怪物)とともに……。
秀斗は身震いしてえぐれた土を元に戻す。そしてだれも見ていないのを確認して周辺を散歩しはじめた。
(弥生早く帰ってこねぇかな~)
秀斗は弥生がいるであろう裏山にぐっと神経を集中させた。仄かに弥生の覇動が感じられる。そのそばには鎖羅の覇動もあり、元気に山を駆け回っている姿が想像できた。彼女たちの働き次第で今晩の夕食が決まる。鎖羅は行く前に熊を取ると宣言していた。
(俺、熊なんて食ったことねぇな~。うまいのかな)
ここでの食事は基本当番制だ。食材は常に食糧庫に入っており、日替わりで誰かが食事を作る。だが秀斗は阿修羅と鎖羅が厨房に入るところを見たことがなく、二人の料理は下手なのかと他の住人に聞いたところ、腕はいいが食材と見た目が斬新なので遠慮してもらっているそうだ。
彼らの魔のレシピ、魚と豚の目玉スープ(味付けは豚の血とコンソメ)。見た目はグロテスクだが味は普通のコンソメスープだ。
(いい料理だと思うんだけどな。俺の国でも血のスープとかあったし、目玉にも栄養あるのに)
もし鎖羅が熊を仕留めてきたら、二人に調理をお願いしようと決める。二人ならおいしく作ってくれるにちがいない。どんな見た目であろうとも……。
秀斗は鼻歌まじりで屋敷の周りを歩く。氷騎には四季があり、現在は秋。冷える時もあるが、過ごしやすい気候だ。なにより食べ物が美味しくなる。
「しっかし暇だな~」
独り言を呟いて空を見上げる。雲が無い秋晴れ。このまま裏山に行ってキノコ狩りでもしようかと思っていると、ふいに声をかけられた。
「そこの子ども」
聞き覚えのない低い男の声だ。来訪者などいるはずのない氷騎、自然と警戒心がわく。
「おっさん……誰?」
秀斗の後ろに立っていたのは、中年の男だ。髪は黒く、眉がきっと上がり、眉間のしわが怖い印象を与える。灰色の目は見た相手を氷づかせるような威圧感を持ち、軽く上げられた口元が貫録を感じさせる。秀斗は本能的に近づきたくないと感じた。さらに彼から感じる気配が、人間ではないと告げる。だが、気配は複雑すぎて彼が何なのかがわからない。
「わしか……。わしは闇だ」
ばちっと目があった瞬間、秀斗は金縛りにあったように動けなくなった。男はゆっくりと近づいてくる。
(こいつ……あぶねぇ)
鼓動が速くなり、背中を嫌な汗が伝う。
「お前は、星だな」
男は三白眼で秀斗を見降ろし、頭に手を置いて上を向かせる。
「そうだけど?」
声が震えそうになるのを必死で堪えた。押されているのを見せたら負けてしまう気がしたのだ。
「星……お前、渇いているな? 退屈な日常に飽いている」
「いきなりなんだよ」
「わしには分かる。お前は強さを求めている。違うか」
「確かに強くはなりてぇけど」
弥生を守れるぐらい強く。それは常に秀斗が思っていることだ。
「ならば、わしが力を与えよう」
「は?」
「わしのもとに来い。わしはお前の力を欲する。お前もわしの力を欲せよ」
突然の誘いに秀斗は目を瞬かせた。この人物が意味不明なら、話も意味不明だ。だが危険な匂いだけはわかった。
「な、なんで俺なわけ? 他にも強いやついるぜ?」
秀斗は返答を先延ばしにするために会話を続けることにした。誰かが気づいて助けてくれることを願いながら。
「お前の力が欲しいと言っているだろう」
「いやいや、おっさん。俺役にたたねぇって、だから違うやつを……」
秀斗は男の表情の変化を目にした瞬間、言葉を失った。夜叉、狂気に光る目に、残虐な笑みを浮かべる口元。
「そうか……ならば」
殺される。秀斗がそう思った時、やや離れたところにある木が倒れた。木に遅れること数秒後に黒い何かが中庭に転がる。それは熊の生首だった。
男はそれに気を取られ、秀斗から視線を外した。金縛りが解けた秀斗は一目散にその生首へと走っていく。途中でぴたりと止まり、視線を合わせないように気をつけて振り向いた。
「俺、弥生のそばにいないといけねぇんだ。だからおっさんとは行かない。ここの奴らみんな暇だからそいつらを誘ってやれよ」
秀斗はそう言い残し、熊の首へと全力で走る。近づくとかなり大きくバスケットボールほどの大きさだ。
「おい弥生、少しやりすぎだ。首も料理に使うんだぞ?」
秀斗が山へと目を向けると、ちょうど二人が降りてくるところだった。いや、二人と黒い物体が……。
「姉様だって胴体半分にしただろ。おまけに中庭の木まで吹っ飛ばした」
鎖羅が熊の上半身を引きずり、弥生が熊の下半身を引きずっている。なかなか怖い絵である。
「おかえり」
狩り方はどうであれ、夕食の食材が手に入ったのだ。秀斗はいつもの調子で二人に声をかける。
「秀斗。今晩は熊だぞ」
どうだと言わんばかりに鎖羅が熊の上半身を投げた。それは秀斗の頭上を通り越えて花壇に着地する。可憐な花を下敷きにして……。
「あーあ。阿修羅に怒られんな」
「しゅ、秀斗が受け取らんからこうなったのだ。お前にも責任があるぞ!」
「えぇぇ」
慌てて秀斗に言いがかりをつける鎖羅を見て、秀斗と弥生は笑った。
(やっぱ、俺はここにいてぇ)
ちらりと男がいたところを見ると、すでに男は消えていた。変な男だったな、と思った瞬間、秀斗は彼の顔を覚えていないことに気がついた。はっきり見たはずなのに、思い出せない。ただ圧倒的な威圧感だけが鮮明に記憶され、それが顔の造形を消し去ってしまったかのようだ。
(ちっ……一体何だったんだ?)
「おい秀斗。お前も手伝ってくれ。さすがにこれは重い」
弥生が中庭の隅をじっと見ている秀斗に声をかけた。秀斗は弾かれたように弥生を見るとニッと笑顔を浮かべる。
「いいぜ、任せとけ。俺の力見せてやるよ」
この日の夕食は熊肉のステーキ、脳みそソース添えと熊肉入りスープ、熊の血をアクセントに入れたリゾットにデザートに熊の頭蓋骨を器に使ったゼリーというメニューとなった。おいしそうに食べる魔術師四人と、やや顔の青い人間の住居人たち。熊肉の独特な臭さは不思議と感じられなかったが、それをどうやって消したのか。そして彼らのさせるべからず集に一つ項目が増えた。
曰く、魔術師に狩りをさせるべからず。
この狩りの後、能力者たちが積極的に二人の剣の相手をしてくれた理由を、彼らは知らない。
そして翌日、中庭を荒らしたことが阿修羅にばれ、やってしまった二人と巻き添え一人は阿修羅の部屋で正座にて反省させられたのだった……。
男はふっと忍び笑いを漏らした。上げた口角が表す笑みは変わることなく残虐なものだったが、眉間のしわは深く、表情はさらに厳しいものとなり過ぎ去った年月をうかがわせた。
広い玉座の間。男の背後には大きな四つの頭を持った蛇の像がそびえている。その頭一つ一つに美しい石がはまっていた。
彼は玉座に座り、ひじ掛けに肘をおき頬杖をついて正面を見ていた。以前部屋に立ち込めていた闇は彼の内に収められたが、この部屋に光はささず、ところどころにある燭台がぼんやりと人の輪郭を教える。玉座の両横に明りが置かれ、王の顔はよく見えるようになっていた。
傍に控えていた男がその顔を伺う。彼は仮面をつけ、その表情は分からない。
「陛下、どうかなさいましたか?」
この王が笑うことなど滅多にない。先程のものは相手を威圧する笑みではない自然の笑みだった。
「そういえばお前はあの時一緒に来ていたな」
「あの時……ですか?」
「あぁ、サクリスを求めて氷騎に行った時だ」
「あぁ。星の少年に会った時ですか」
従者の男は仮面の下から懐かしげな声を発した。彼は王が少年と接触している間、周囲に人がいないか見張っていたのだ。
「ふと思い出したのだ。今思えば、あの時殺さずにいてよかった」
王は喉の奥で笑い、言葉を続けた。
「あの星はあの後も、これからも苦しみ続ける……殺すよりも愉快な復讐だ」
残虐でかつ冷酷な笑みを浮かべる王に、恐れを抱きながら従者は口を開いた。
「私はあの能力を逃したのは惜しい気がしますが」
星の少年が持つ守護の力は彼の王を守るのに適していた。そして併せ持つ支配の能力も手に入れたかったのだ。
「かまわん。わしにはお前たち影がいる。それにしょせんサクリスは捨て駒……わしはアフランがいればそれでいい」
王の言葉に、彼は片膝をついて礼を取る。
「私は影騎士団長として生涯陛下をお守りいたします」
「あぁ」
王が満足げにうなずいた時、扉の護衛が来訪者を告げた。
「アフラン様がおこしです」
王は従者を一瞥すると、彼は通すようにと護衛に声をかけた。すぐに扉が開けられ、光の中に長身の影が現れる。そして扉が閉まるとともり彼の姿は一瞬闇に消えた。
「我が王、ご無沙汰しておりました。そして先日の闇と月の計略の成功お慶び申し上げます」
男は玉座へと続く階段の手前で膝をつき、かしこまった。彼の姿はぼんやりとしていて闇に溶けそうだ。
「アフラン、顔を上げろ」
アフランはすっと顔を上げ、蝋燭の火に照らされる王の顔を見上げた。
「それで、何か用か」
「はい。恐れながらお訊きいたします」
「なんだ」
アフランは一呼吸置き、王を真正面から見つめ返し、尋ねた。
「月と闇の衝突の際。陛下は術をお使いになったのですか?」
その問いに王の眉が少し上がる。そして愉快そうに唇が弧を描いた。
「あぁ使った。奴らの憎しみを倍増させる術だ。お前も見ていたのだろう? 闇と月が憎しみ合い殺しあう様を」
王は愉快そうに肩を震わせている。
「滑稽なものよ。奴らのおかげでわしは力を得た」
「しかし、あの術は禁術……陛下の身体が」
「お前はわしを心配したのか。くくく、アフラン。わしは天つ人に復讐するまで滅びはせぬ」
王が天つ人と口にした瞬間、彼の瞳に激しい憎悪が宿った。目的を果たすためならば手段は選ばない。たとえ禁術であろうとも、その代償が何であってもためらわない。
王は玉座から立ち上がり、闇に消えたと思うとアフランの目の前に立った。
「お前は一の頭アフラン、終焉を刻む、選ばれた者だ。わしに勝利を捧げよ」
王は愛しそうにアフランの頭を撫でた。アフランは四人の幹部の中でも一番古株で、信頼も厚い。
「必ず天つ人を亡き者に」
「あぁ。奴らを堕とす時が楽しみだ」
王は低く笑って闇へと消え、玉座に座った。王の闇がアフランの頬に触れ、彼はその禍々しさと強大さに目を見張った。すっと口角を上げて一礼すると玉座の間を後にする。
「闇を愛せ」
王の言葉を背に受け、アフランは扉の向こうへと消える。
扉を開けた一瞬、外の光に照らされた横顔は、阿修羅だった……。
のちに修正するかもしれませんね。もう少し流れをよくしたい……。え、この人が!?を裏テーマにしている4章ですが、阿修羅に関してはやっぱりという感じでしょうか。美月はこの人が? という感じはあったかなぁと。
さてと、アクセス解析に変化が!!!
最初はパソコンとケータイが3:2の割合だったんですけど、100話をこえたあたりから9.5:0.5……。そりゃ一話が長くて、100話も越えてたらケータイで読むのしんどいですよね。納得。
でもケータイ向けに細切れにしてたら今頃恐ろしい話数になってそうですね。思えば一章ごとに完結させてシリーズでつなぐか考えていた時期もありましたっけ。
長々とやっている私の話を読んでくれている皆さま、ありがとうございます。
お気に入りにいれてくださっている皆さまも、ありがとうございます。
では、次回「鳥が紡ぐ詩」です。誰が出るか、わかりますよね?