黒薔薇姫は欲深い
馬車がひっきりなしにやってきては、令嬢が降り、屋敷の中へと入っていく。
まだ陽が頭上まで昇り切らない時間帯では、夜会やお茶会であろうはずもなく、それは異様な光景だった。そして、令嬢たちは誰もが困惑と興奮の表情を浮かべ、慌てて屋敷へと入っていくのだ。
その屋敷とは、リンド伯爵邸。
令嬢たちは、リンド伯爵令嬢テレサの取り巻きたちである。
リンド伯爵邸の広間では、令嬢たちが思い思いの場所に座りながらも、今か今かとテレサの言葉を待っていた。
やがて、予想していた令嬢が全て集まったところで、テレサはゆっくりと口を開いた。
「皆さま、当家へお越しの理由は、ディアナ様のことをお聞きになったからかしら」
テレサの声に、令嬢たちの視線が一斉にテレサへと向く。
テレサは落ち着いた様子でゆっくりと言葉を続けた。
「ディアナ様とカーライル殿下が婚約破棄されたことは事実です」
テレサのはっきりとした言葉に、令嬢たちが色めき立つ。
ただただ驚く者。混乱する者。嘲笑う表情の者。すっきりとした表情の者。不安げな顔の者。
令嬢たちの様々な反応を一通り見回した後、テレサは言葉を続ける。
「ディアナ様は、隣国ユグダ帝国に輿入れなさることになりました」
一瞬、テレサの言葉を理解できずに令嬢たちがしん、と静まり返る。
と、やっと理解が及んだ令嬢たちが口々にテレサへ詰め寄る。
「ユグダといえば、強大な軍事力で領土を拡大した大帝国ではございませんか!?」
「ユグダに輿入れとは、ユグダの皇太子に嫁がれるということですか?」
「お待ちになって。ユグダの皇太子は北のハルニア王国の姫様と婚約されているはず」
「まさか!ディアナ様がハルニアの姫様を陥れたのですか!?」
テレサは、優雅にお茶を一口飲んでから、殊更に落ち着いた様子で口を開く。
「いいえ、ディアナ様が嫁がれるのは、帝国の皇太子ではなく皇帝です。現皇帝の第5妃になられるそうです。
どうやら、ディアナ様には我が国は小さすぎたようですね。自らユグダへ自分を売り込んだようですわ。ディアナ様のことですから、他の妃と寵を競い合い勝ち取る自信がおありなのでしょう」
もう、既にひとしきり混乱と憤慨をやり通した後なのだろうか。
凪いだ瞳で遠くを見つめながら言うテレサに、令嬢たちの表情は微妙だ。
笑っていた顔から、じわじわと苦虫を潰したような顔になる者、困惑から妙に納得した顔になる者、すっきりした顔から呆れた表情になる者。驚きから心配気な表情に変わる者。変わらず不安げな顔の者。
「そんなことより、カーライル殿下の婚約者の座はどうなるのですか?他の侯爵家には釣り合いのとれる令嬢がいらっしゃいませんから、伯爵家の令嬢がなられるのでしょうか?」
ずっと不安げな表情をしている令嬢の中の1人が、居ても立っても居られない様子で問う。
「いいえ、他の伯爵家の令嬢では貴族間のバランスが悪くなると王家ではお考えになったようです。今回のディアナ様の我儘には、ほとほと困り果てていたようなのですが、幸いにもハルトン家の次女フィリス様が代わりに婚約者になることで落ち着いたようです」
「フィリス様?次女ということはディアナ様の妹ということですか?今までお名前を聞いたことがありませんが・・・」
ざわざわと、口々に勝手な憶測を喋り始めた令嬢たちが、少し落ち着くのを待ってからテレサは答えた。
「フィリス様は病弱でいらっしゃったので、今まで社交の場には出てきたことがない方なのです。そのお体の弱さゆえ、今までは殿下の婚約者はディアナ様一択だったのですが、成長するにつれお体も丈夫になり、ようやくお体に不安なしと主治医が太鼓判を押したところだそうです」
「まあ、それは大変でございましたのね。でも、そのような方に王太子妃の地位は荷が重いのではないのでしょうか」
なんだかんだ言って、令嬢たちはディアナのことを認めていた。なぜなら、彼女の資質が文句の付けようがない完璧な物だったからだ。王太子妃に資質が足りなければ国の今後が大いに不安だ。
「しばらくは大変でしょうが、心配は無用かと思います。実は、私は数年前にフィリス様と知り合う機会がありまして何度か文通をしているのですが、非常に思慮深く物事を弁えた方のようです。それに、ご自身が不遇な境遇にあったためかとても心優しい方です。
今までは、ディアナ様の影に隠れて辛い思いをされることも多かったでしょうから、これからは支えて差し上げたいと私は思っております」
ここまで言うと、テレサは令嬢たちをじっと見回した。令嬢たちがテレサの言葉に聞き入っているのを確認し言葉を続ける。
「やっと表舞台に立てるようになったかと思いきや、降って湧いたような王太子妃の話。きっとフィリス様は困惑されていることでしょう。
ずっと社交会に君臨し続けてきたディアナ様に比べれば、至らないところもおありでしょうが、それでも、傲慢で自分勝手なディアナ様より、慈悲深く穏やかなフィリス様を私は好ましく思っておりますわ」
伝えられる情報はこれまで。とばかりにテレサはぱらりと扇を開くと口元を隠し目を伏せた。
テレサの言葉に、令嬢たちの空気は一気に明るくなる。
そうだ、ディアナ様ほど完璧ではなくとも、お優しい方がいい。
同じハルトン家から王太子妃が出るなら、貴族間のパワーバランスも問題ない。
代々、王家に信頼されている文官の名家、リンド家の情報なら間違い無いだろう。
テレサ様と既知であるのなら、自分たちもお近づきになれるかもしれない。
それに、ディアナ様の欲深さには呆れるけれど、もう我が国では見かけないと思うと清々するわ。
屋敷に来た時とは様子が一変した令嬢たちの様子を、テレサは扇の影から冷めた目で見つめていた。
ディアナ様。あなたはやり遂げられましたわ。
でも、私はあなたにも幸せになって欲しかったのです。
扇の影で、テレサは細く長く息を吐いた。
気を抜けば、涙が滲んできそうだった。
****
ハルトン侯爵が亡くなった時、ディアナ嬢は14歳だった。
カーライル殿下との婚約が整ってから1年。貴族たちはざわついた。
ハルトン夫人は第二子出産の折に産後の肥立ちが悪く、すでにない。その上、当主である父が亡くなったとなれば、流石にディアナ嬢に王太子妃は務まらないのでは・・・。そもそも、突然の当主事故死により、お家騒動になるのではないか・・・。
心配を装った野心を滲ませる高位貴族たちの働きにより、婚約は白紙に戻されるか。もしくはディアナとハルトン家が辞退するのではないか。
そう思われたが、実際は波風すら立たなかった。
国の重鎮でもあったハルトン前当主から国王に書状が届いたのは、ハルトン侯爵が死亡した三日後だった。
書状には、長子死亡によりハルトン侯爵位を第二子に継がすこと。
そもそも、長子の子はディアナとフィリスの姉妹しかおらず、ディアナが王家に嫁ぎ、フィリスが病弱なため、長子死亡の折には、弟に当たる第二子かその息子が継ぐ予定だったこと。
そのため、幸いにも手筈が全て整っており万事問題ないこと。
ディアナの後ろ盾として不安があれば、ディアナを第二子の養女にする用意があること。
以上が簡潔に述べられた後、病床ゆえに王宮には行けないことに対する詫びと、この件に関しては自分に代わってディアナが全て承知しているので、ディアナに名代としての権限を許可する旨が書かれており、ハルトン家の印章がくっきりと押されていた。
電光石火の対応に対抗貴族たちは、ぐうの音も出なかった。
リンド伯爵をはじめとする王宮内の根回しも抜かりなかった。
そして、私たちは思い知ったのだ。ディアナ嬢が、来るべき日まで婚約者の座を死守するつもりだと。なんとしても自分の覚悟を貫き通すつもりなのだと。
ディアナ嬢が実は父親と不仲で、父親を事故に見せかけて殺したのではないか。あまりにも鮮やかな爵位継承には、そんな噂も立った。
当のディアナ嬢も、悲しみの様子を口にはしても表情はいつも涼しい笑顔なのだから、噂にも拍車がかかると言うものだ。
私は、彼女が父親の訃報を聞いた瞬間の顔が忘れられない。
鉄壁の表情は変わらなかった。ただ、口元が微かに震え、目元は瞬きも忘れて固まり、何度も表情が僅かに崩れそうになるのを耐えながら、一瞬だけ鼻に皺を寄せた。
その一瞬の、父親を求める幼な子のような表情。
でも、次の瞬間には彼女は冷静な表情に戻り、前当主である祖父へと早馬を飛ばしていた。
そして、翌年15歳になった彼女はデビュタントを迎え、黒薔薇姫として社交会に君臨する。
カーライル殿下の護衛騎士として常に側に仕える立場にある私は、彼女の奮闘をずっと見てきた。そして、幼なじみとして心配してきた。
カーライル殿下が私に問う。
「俺は、ディアナにも幸せになってほしいと思っているんだが、お前クルードはどう思う?」
真っ直ぐに見つめてくる殿下の目を、真っ直ぐに見つめ返しながら、私は答えた。
「私はもう、覚悟を決めていますよ」




