第一七一話 勝てば姜維が弟子になる? 知らんけど
模擬戦の取り決めを交わした翌日、冀県城内のある工房の作業場で、私と馬鈞は安全な武器の製作にいそしんでいた。
模擬戦をするにしても、安全対策を講じなければならない。
剣や刀といった短兵器、矛や槍といった長兵器は、代わりに刃のない棒を。弓や弩といった遠射兵器については、鏃をつけず、刺さらないように処置をほどこした矢を使用する。
私がそう提案すると、姜維たち麒麟団は快く応じてくれた。
弓や弩といった武器は、手加減するのがむずかしい。
だからといって使用を禁止するわけにもいかなかった。
矢戦が戦に占める比重は大きい。
実戦に近い形で模擬戦をおこなおうと思えば、矢戦の要素を排除するわけにはいかないのである。
よし、勝ったな。これで勝ち確である。
鏃のない矢が、弓と弩のどちらにより大きな影響をあたえるかといえば、弓のほうだ。
矢の構造自体、弓に使用するもののほうが風の影響を受けやすいうえに、弩のほうが初速と直進性にすぐれているからである。
そしてここが重要なのだが、麒麟団の八騎は、弩を使用することができない。
馬上では弩に矢を装填するのはむずかしく、仮に装填したとしても、馬の揺れによってその矢が外れてしまうのである。
それに対して、私たちは弩を主力として戦うつもりである。
私はいったはずだ。
「私たち四人と模擬戦をしよう」と。
四騎ではない、四人なのだ!
せこい! せこいな私!
しかしながら、最強兵科が騎兵であることは、動かしがたい事実である。
なにも指定せずとも、麒麟団は八騎で模擬戦に挑んできたはずであった。
私はただ、そこらへんを曖昧にせず、勝率をかぎりなく百パーセントに近づけておきたかっただけなのである!
もちろん、矢の先端に布を巻きつけるなどしてバランスを取るとよい、といったアドバイスは麒麟団にもしておいた。
安全面での処置にもつながるし、さすがに彼らが弓矢を使用できない状態で戦おうとまでは思わない。
いまごろ麒麟団は、殺傷能力を大幅に制限した矢を製作し、その使用感を高めようと四苦八苦していることであろう。
武器の製作と、そのあつかいに慣れるには時間が必要なため、模擬戦をおこなう日時は、取り決めを交わした日から数えて五日後の日中(昼頃)となった。
つまり、残り四日で、こちらも準備を万端に整えなければならない。
私は、冀県の県令に簡単に事情を説明し、武器職人を紹介してもらい、その職人から工房を借りうけた。
模擬戦当日まで、ここで寝泊まりする予定である。
おもに作業をするのは私と馬鈞で、鄧艾と石苞にはその他の雑用を受けもってもらう。
なにしろ、この模擬戦のカギを握るのは、馬鈞といっても過言ではなかった。
連弩を使用するつもりなのだ。
私が立てた作戦は、弩と連弩の二段がまえである。
麒麟団が遠距離から矢を射かけてきた場合、こちらは弩を使用して優位を確保する。
接近してきた場合は、連弩をもちいて矢数で圧倒する。シュババババッと。
この作戦を説明した際、弟子たちの反応は見事に割れた。
鄧艾と石苞は全面的に賛同してくれたが、馬鈞は顔に水をかけられたかのように驚いていた。連弩が主力に名指しされるとは思ってもみなかったのだろう。
ただし、私たちは連弩を携行していない。
旅の途中で故障するとめんどうだし、鄧艾と石苞が弓を持っていれば、それで十分だと判断していたのである。
というわけで、一から連弩を製作しなければならない。
私と馬鈞は、さっそく連弩をつくりはじめた。
すると、さほど間を置かずに、石苞が作業場に顔を出した。
「県吏の尹賞とおっしゃる方がおいでです」
知らない名だ。
私は首をかしげながら返事をする。
「わかった。すぐに行こう」
作業は馬鈞にまかせ、同じ敷地内の別棟にむかう。
私の姿を見るや、二十代前半と思われる男が立ちあがった。
互いに拱手してあいさつを交わし、むしろの上に腰をおろす。
「麒麟団と模擬戦をする、とお聞きしたのですが」
「おや、耳が早い。昨日の今日だというのに、もう噂になっておるのか?」
尹賞は小さく首を振って、
「麒麟団の連中とは個人的に懇意にしておりまして。直接、彼らから聞いた次第でございます」
「ほう……ならば、訊ねたいことがある。彼らは、この機会をどのように認識しておるのだ?」
すこし考えこんでから、尹賞は答えた。
「困惑し、戸惑っている者が大半でございます」
「それだけではあるまい」
尹賞は、ふいに苦笑を浮かべた。やんちゃな弟をもてあますような笑みだった。
「ここで孔明先生に認めてもらえれば、麒麟団はもっと大きくなれる。そう考えている者も少なからずおります」
「梁虔という少年に代表される、であろう?」
「お見通しでございましたか」
「うむ……」
私が沈黙したのは、感嘆している尹賞の目に、なにかいいたげな光が浮かんでいるように感じられたからである。
案の定、彼は問いかけてきた。
「孔明先生、私からもお訊ね申しあげたいことがございます。なぜ、模擬戦をしようだなどと持ちかけたのでございましょう? 安全に配慮するといっても、危険が皆無なわけではございません」
「あの場で、梁虔を説き伏せるのはたやすかった。だが、表向き私の言葉を受け入れたところで、本心から納得するとはかぎらぬ。それに、彼ひとりの問題ではあるまい。命知らずな考えを持っている者は、ほかにもいよう」
「たしかに……。麒麟団の活動が順調だからでしょうか。最近、威勢のよいことを口にする者が増えてきたように感じておりました」
「自信を持つのはよい。だが、自分たちの命を軽んじるのはいかん。麒麟団の軽挙をいましめるには、一度死んでもらったほうがよい。模擬戦であれば本当に死にはせぬ」
「そこまでお考えであったとは……。この尹賞、感服いたしました」
尹賞は平伏すると、頭をさげたまま言葉をつづける。
「私が至らぬばかりに、孔明先生のお手をわずらわせてしまいました」
「おぬしのせいではあるまい」
「いいえ、私の責任でございます。私が、彼らを正さねばならなかったのです」
「どうやら事情がありそうだが……まずは頭をあげなさい」
尹賞は頭をあげると、眉を曇らせた。
「じつは、麒麟団の立ちあげに、私も関わっているのでございます」
「どうりで、おぬしが彼らを気にかけているわけだ」
麒麟団は役人の仕事を手伝っている。
そう姜維の母はいっていたが、この尹賞が役人側の仲介者なのかもしれない。
「麒麟団の団員に、二十歳以上の者がいないのはご存じでしょうか?」
「確認したわけではないが、若者しかいないとは思っておった」
「彼らの多くは、先の戦で父親を失っているのです」
「…………」
馬超軍との戦か。
「彼らの境遇はきびしい。大人のようにはたらかなければいけない。しかし、社会からは一人前の大人としてはあつかってもらえない。孤児にまわってくる仕事といえば、おもに豚や羊の見張り番。賤業と見なされるものばかりです」
尹賞は孤児といったが、この時代では、母親が生きていようと孤児としてあつかわれることが多い。
父を失った子どもが「孤」であり、夫を失った妻が「寡」である。
一家の主体は、父であり夫である人物ということだ。
ただし、経済的にゆとりがあったり、十分な養育を受けられたりする場合は、孤児あつかいされないことも多い。
どこから孤児なのか、明確に決まっているわけではないのだ。
たとえば、豪族姜家の庇護を得られるであろう姜維は、孤児と見なされていないと思う。
「雀の涙ほどの薄給と周囲からの賤視。それらに耐えて、ちゃんとした大人になれる者がどれほどいるというのでしょう。病気や飢えによって死亡する者もいれば、身を売って奴婢となる者もいます。傭兵となる者、無頼の徒となる者……。いずれも無惨な末路をたどる可能性が高いといわざるをえません」
尹賞の顔には、義憤と苦悩の色がにじんでいる。
「冀県に帰ってきた姜維は、小さな英雄となっていました。失敗したとはいえ、馬超を襲撃した心意気を称える人々が、姜維の周囲に集まってきたのです。そこに父親を失った若者たちの姿を見つけて、姜維は私に相談しにきました。彼らを救う方法はないか、と」
父親を殺された若者たちからすれば、それこそ姜維は身近なヒーローだったのかもしれない。
姜維も、彼らの境遇に共感をおぼえずにはいられなかったのだろう。
「私と姜維、梁緒、梁虔の四人で考えた末に出した結論が、麒麟団の結成でした」
「麒麟団は、戦災孤児のための受け皿ということか」
尹賞はうなずいて、
「同じような境遇の仲間がいれば孤立しないですむ。そこで経験を積ませ、社会の成員としてやっていけるようになった者から、独り立ちさせていこうと考えておりました」
私は、むっ、と眉間にしわを寄せた。
「そうなると、私は余計なことをしているのかもしれぬ。せっかく彼らが自信を身につけようとしているのに……」
その自信を叩きつぶそうとしているのだ。
「いいえ、自信と過信はちがいます。私も、彼らには自信をもって生きてほしい。ですが、命を粗末にするような過信は不要でございます。存分に叩きのめしてくださいませ」
私の懸念を、尹賞は明快に否定した。それどころか焚きつけるような発言である。
「それを聞いて安心した」
「ですが、勝算はどれほどおありでしょうか? 八対四の勝負と聞いております。お弟子さんたちの年齢も、麒麟団の連中と変わりないように見受けられますが……」
尹賞は心配そうな顔をして訊いた。
「当日、おぬしは見にくるのか?」
「おそらくですが、私が裁定役を務めさせていただくことになるかと存じます」
「ふむ。それでは見てのお楽しみということにしておこう」
私は自信に満ちた口調でいった。
尹賞が立ち去ったので、中断していた連弩づくりの再開である。
作業場にもどった私は、室内に足を踏み入れた瞬間、目を丸くさせられた。
「速いな!?」
すでに連弩が一挺、完成していたのである。
「へへっ、ま、慣れていますんで」
人差し指で鼻の下をこすりながら、馬鈞は得意げに答えた。
馬鈞は連弩の改良をつづけており、いま彼の手にある連弩は二連式である。
二本同時に、合計二十本の矢を連射することができる。
初期の連弩は箭箱を手でつかんで前後に動かしていたが、現在の連弩にはレバーがついており、それを押し引きすることによって、箭箱を前後に動かすことが可能となっている。
制圧力はかなりのものだと思うのだが、依然として射程距離の短さがネックである。
いちおう射程もすこしは伸びているのだが、弩や弓と勝負できるほどではない。
遠射兵器にもとめられるのは、第一に射程距離なので、なかなか使いどころがないのが現状であった。
まあ、今回の模擬戦で、使いかた次第だと証明してみせようではないか。
もう、連弩づくりは馬鈞にまかせとけばいいんじゃないかな、と思ったので、私は弩と連弩に使用する、殺傷能力を制限した矢の製作に移行した。
弩と連弩に使う矢は規格がちがう。それぞれ大量につくらなければならない。
弩は、すでに県令から借りうけている。わざわざつくる必要はなかった。
剣や槍代わりの棒にしても、とくに問題はないと思われる。
あと必要なのは……戦車だが、これも県令から借りることになっている。
戦車といっても、もちろんティーガーやチハではなく、いわゆるチャリオットと呼ばれるものだ。
なぜ、戦車を使うかといえば、戦車それ自体の戦闘力に期待しているのではなく、車廂に大量の矢を積載できるからである。
私たちは、戦車一両と騎兵一騎で戦うつもりだ。
騎兵は鄧艾。
万が一、私の作戦が失敗した場合、彼の武勇が頼みとなる。
そんな展開になると、私がとても情けない気持ちにさせられてしまうので、彼の出番がないことを祈っておこう。
それに、あざやかな作戦勝ちをおさめれば、姜維のほうから、「ぜひ弟子にしてください!」と申し出てくれるかもしれないし。ちょっと期待。
そんなこんなで、私たちは準備を万端に整えて、模擬戦の日を迎えた。
いざ出陣のときである!
戦車に乗りこもうとする私に、工房を貸してくれた職人が激励の声をかける。
「孔明先生、がんばってくださいよ!」
「うむ」
「なんでも、この模擬戦で勝ったら、姜維を引き抜いて弟子にするって話じゃないですか」
「ウム?」
なんですと? ……そんな約束をしたおぼえはありませんが?
「あの子は絶対に大物になりますぜ。さすが孔明先生、お目が高い!」
なんか……妙な話になってないか?




