第一七〇話 突撃! 隣の麒麟団
麒麟団の頭を張っているという姜維。
前世では、母親想いでよくできた若者というイメージが強かったが、その彼の身に、いったいなにが起こったのであろうか?
姜維の母によると、馬超軍に捕らわれていた姜維が帰宅したとき、彼は馬超の槍を握りしめていた。
その日から、馬超を討つ、ただそのためだけに、武芸の鍛錬に打ち込むようになったそうだ。
姜維の母の心配は尽きない。
学業をおろそかにしているのではないか。
麒麟団が悪さをしているのではないか。
そして、馬超を討たんとするあまり、息子がまた無茶をしやしまいか……。
彼女は、姜維をつれてこの地をはなれることも考えた。
だが、移住するにしても、どこにも頼るあてがない。
悩みばかりが増えていたところに、私が訪れたようであった。
姜維は泊りがけで留守にすることも多いそうで、今回は二、三日帰ってこない予定だと聞いて、私たちは麒麟団のアジトにむかうことにした。
麒麟団は、冀県近郊の無人となった亭を拠点としている。
不法占拠ではなく、役人から許可は得ているそうだ。
これが不法占拠なら、正真正銘アウトロー集団になってしまうところだが、いちおう義士集団という触れこみらしいので、私としても身の危険は感じないでいられる。
亭の入り口には、門番らしき若者がふたり立っていた。
こちらの姿を見て、ひとりがあわてて門のなかに姿を消した。
しばらくすると、若者たちがぞろぞろあらわれ、十数人ほどで門前をかためる。
遠目にもはっきりと見てとれる物々しい歓迎ぶりに、石苞が馬上で苦笑をたたえた。
「どうやら、警戒させてしまったようですね」
「ふむ……。こちらはわずか四騎にすぎないのだが」
私の声にも苦笑がにじむ。
その四騎のうち、私と馬鈞の二騎は戦力として数えることはできなかった。
馬鈞はようやく馬に乗れるようになったばかりで戦闘などおぼつかない。
私は私で乗馬こそ慣れているものの、武芸に長けているわけではなかった。
だが、堂々と馬を進める私の顔に、緊張の色は浮かんでいないはずである。
いざとなれば、鄧艾と石苞がいる。
彼らが余裕を見せているのだから、私がびくびくするわけにもいかないのであった。
私たちが亭の門前に到着すると、待ちかまえていた若者たちのなかから、身なりのよい男が進みでた。
士大夫の家の者だと思われるが、姜維ではないと思われる。
もっと年上に見える。鄧艾や石苞と同じくらいの年齢であろうか。
「私は、麒麟団の副団長をしている梁緒と申します」
男は拱手しながら名乗ると、
「名のあるお方とお見受けいたすが、我々になにようでございましょうか?」
返事をする前に、私はとりあえず馬を下りる。
ここで注意しなければならないのは、変にカッコつけようとして「とうッ!」などと飛び下りないことである。
華麗に馬から飛び下りようとして着地に失敗し、足首を痛めた間抜けがいたらしいが、そんな間抜けのまねをしてはいかんのである!
私はいそいそと馬から下りると、白羽扇を握りしめた手で拱手を返した。
「弘農郡は陸渾県の姓は胡、名は昭、字は孔明と申す」
梁緒は目をまん丸くして、
「なんと!? ……あの孔明先生でございましょうか?」
「おそらく、その孔明であろう」
十割の確信はなかったが、私は首肯した。
荊州や益州であれば、孔明という名が諸葛亮を指している可能性もありそうだが、ここは雍州である。私のことでいいはずである。たぶん。
「ここに姜維という少年がいると聞いておる」
「たしかに、姜維は我々の団長でございます」
「彼に話があって参ったのだが」
「団長は仲間をつれて巡邏に出ております。日暮れごろには、もどる予定でございますが」
梁緒は、申し訳なさそうに眉を八の字にした。
「ふむ……」
日暮れまで待っていると、冀県の城門が閉ざされ、私たちが宿にもどれなくなってしまう。
「それでは明朝、出なおすとしよう」
「はっ、かしこまりました。その旨、私から団長に伝えておきます。ほかに言伝があれば、おあずかりいたしますが?」
「それにはおよばぬ。用向きについては、私の口から直接伝えようと思っておる」
自分の口から話したほうが誠意は伝わるし、伝言ゲームは事故のもとである。
見たところ、麒麟団は二十歳未満の若者で構成されているようだ。
副団長の梁緒が最年長の部類に入る一方で、十四歳の姜維は最年少かそれに近い。
この梁緒が実質的なトップで、裏から姜維をあやつっているかもしれないのである。
もしそうだとすると、麒麟団から姜維を引き抜こうとしている私は、梁緒にとって都合が悪い存在であり、話が意図的に歪曲される可能性すら考えられる。
やはり、大事な話は人づてにはせず、じかに伝えなければならないのである。
翌朝、ふたたび麒麟団のアジトを訪れた私たちを、門前で、三人の若者が拱手して出迎えた。
私たちが馬を停めるや否や、昨日顔をあわせた梁緒が口をひらいた。
「孔明先生、ようこそおいでくださいました」
つづいて、中央に立つ少年が名乗る。
「麒麟団の団長をしている、姜維と申します」
私は馬上から姜維を見つめた。
とくに成長が早いわけではないのだろう。
まだ背丈は低く、少年らしい細身の身体つきをしている。
凛とした眉に、通った鼻筋、締まった唇、なにより意志の強そうな眸が印象的だ。
「梁虔と申します」
三人目の若者が、最後に名乗った。
こちらは負けん気が強そうな顔をしている。
年齢は、姜維と梁緒の中間くらい。十六、七歳と思われる。
彼らに案内され、私たちは正堂に通された。
対座すると、姜維はまっすぐに私の目を見て、
「私にお話があるとおうかがいしておりますが、どのようなご用件でございましょう」
「私は、おぬしを勧誘に来たのだ」
「……勧誘?」
姜維は、形のよい眉をひそめて疑問をあらわした。
「うむ。おぬしを弟子に取りにきた。姜維よ、私の弟子となり、陸渾に来い」
その刹那、姜維の目には、たしかによろこびの色がおどった。
だが、次の瞬間には、それと反する悩ましげな影が、少年の顔をおおっていた。
「……私は、漢陽郡をはなれるつもりはありません」
逡巡してから、姜維はそう答えた。
「いつの日か再来するであろう馬超軍から郷里を守る。それが私の願いでございます」
姜維の母から聞いていた。
姜維は馬超に見逃され、一命をとりとめた。
そのとき馬超は約束したのだ。
ふたたび会うときまでに、姜維が涼州一の武人になっていたら戦ってやる、と。
「ふむ……。おぬしと馬超のあいだに因縁があることは、ご母堂から聞いておる。馬超との再戦を期し、武芸を磨いているそうではないか」
「はい」
声に力を込めて、姜維はうなずいた。
「だが、馬超がこの地にやってくるということは、それすなわち、一軍を率いる将としてであろう。その責任を放り捨てて、おぬしとの私的な約束を優先させるとは考えがたい」
「…………」
黙然と、姜維は口を一文字にむすんだ。
馬超が姜維との約束にどれほどの価値を置いているかはわからないが、あくまで個人的な約束なのだ。
将としての責任を上まわるものだとは思えない。
「馬超がおぬしと一騎打ちをおこなうとすれば、軍事目的を達成したうえでの余興か、あるいは、敗残の将となってすべてを失ったときか。どちらにせよ、戦の勝敗が決してからの話にすぎぬ。おぬしがいくら鍛錬を積んだところで、個人の勇武で、馬超軍の侵攻をくいとめることはできぬ」
「では、いったいどうすればよいのでございましょうか?」
私の言葉に納得しているのであろう、問いかける姜維の声に不満のひびきはない。純粋な疑問があった。
「軍には軍をもって対抗しなければなるまい。曹操に仕官して功績を積みかさね、馬超討伐軍が編成される際に、みずから志願する。これが最も現実的な手段であろう」
「だめだ!」
そう声を張りあげたのは梁虔である。
「いざ敵が攻めてきたとき、曹操軍は遠すぎる! 肝心なときに間にあわない! 冀県が陥落してから駆けつけたって遅いんだ!」
ううむ、するどい。
語気こそ感情的だが、梁虔の指摘は的を射ていた。
とはいえ、私も彼らを騙そうとしているわけではない。
馬超軍に対抗するには曹操軍の力を利用するのが一番であり、その考えは微塵も揺らいでいなかった。
「うむ。梁虔よ、おぬしの意見は正しい。ならば、曹操の張魯討伐が成功することを祈るしかあるまい」
「張魯討伐?」
不思議そうな顔をする梁虔に、私は説明する。
「漢陽郡が戦場になりやすいのは、前線に位置しているからだ。漢中を制圧すれば、その分、漢陽郡は安全になる」
「張魯討伐に失敗したらどうなる?」
「漢陽郡は前線のままであろうな」
私が沈痛な顔をして答えると、梁虔はみるみる顔を紅潮させて、
「そんな調子だから、曹操軍もあてにできないんだ! だから、俺たちは麒麟団を結成した! 自分たちの手でこの地を守るために!」
私は、痛ましげに首を横に振った。
「おぬしらのような若者が無駄に命を散らすと思うと、放っておくのはしのびない」
「郷里を守るためなら死をもおそれない! それが俺たち麒麟団だ!」
梁虔の勇ましい言葉に、姜維と梁緒が眉をひそめた。
意見の不一致を垣間見た気持ちだった。
姜維、梁緒と、血気盛んな梁虔とでは、麒麟団のスタンスにずれがある。
ここはあえて踏みこむべき場面と見た!
私は微笑ましそうに笑みを浮かべて、
「ふふふ、意気盛んな若者を見るのは気持ちがいいものだ。そこまでいうなら、麒麟団の力を証明してもらおうではないか」
好意的な笑顔の裏で、私は決断していた。
麒麟団をわからせなければならない。
叩きのめしておかなければならない。
曹操軍をあてにできないのも、生まれ育った場所を自分たちの手で守ろうとする気持ちも、理解はできる。
だが、若者たちだけで戦場に出ようなどとは、あまりにも無謀で、あまりにも危険すぎる思想である。
この機会に、梁虔のような好戦的なメンバーの鼻っ柱をへし折っておけば、麒麟団が危険な活動をする可能性はぐんと減らせるはずだ。
察するに、梁虔の過激な主張に、姜維は同調していないようだ。
団内の過激派をおさえることにつながれば、最終的には、姜維の感謝も得られるのではなかろうか。
弟子入りも近づこうというものである。
「八騎だ」
私は告げた。
「麒麟団から腕に自信がある者を八騎選抜して、私たち四人と模擬戦をしようではないか」
「ええッ!? 私もですかッ!?」
馬鈞が驚愕の声をあげた。
そりゃそうか。
自分が戦力外だとわかっている馬鈞からしてみれば、青天の霹靂にちがいなかった。
「ははは。なに、児戯のようなものだ。安全には配慮しよう」
動揺している馬鈞に、私は軽やかに笑ってみせると、あらためて姜維たちにむきなおる。
「そういえば、以前、馬超にも似たような提案をしたことがあった。そのときは対等な条件であったが、馬超は尻ごみなどしなかった。……さて、麒麟団の諸君はどうであろうか? 八対四なのだ。倍の人数でよいというのに、よもや臆することはあるまい」
口元に挑発の笑みをたたえて、私は白羽扇を揺らめかせるのであった。




