第一六九話 母の憂鬱
鄧艾と石苞が十九歳になった。
二十歳で出仕する予定だから、彼らの教育もいよいよ最終段階に入ろうとしている。
といっても、士大夫として身につけておくべき学問も、軍人としての教育も、すでにほぼ修了しているので、いまさら特別なことをする必要はなさそうだ。
……おかしいな。
ちょくちょく旅に出ているのに、なぜか教育カリキュラムが前倒しで進んでいる。かなりハードな詰めこみ教育を計画したはずなのだが……。
さすがに、歴史に名を残すような人物はモノがちがうというべきなのだろうか。ふたりとも、どこに出しても恥ずかしくない人材に育っていると思う。
士大夫社会における評判も上々である。
鄧艾と石苞を自分の部署に欲しがっている人物は多いようで、最近では、私宛の手紙のなかで、彼らの出仕について言及されることも増えている。
興味深いのは、さまざまな部署からまんべんなくもとめられている石苞と比べて、鄧艾を欲しがっている人物に、ある種の偏りが見受けられることである。
軍人が多いのだ。
例を挙げるなら、張遼、張郃、徐晃、楽進、于禁、夏侯淵、曹仁、曹洪、曹彰……。曹操軍の大物武将をコンプリートする勢いである。
この時代、武官と文官に明確な線引きなんてないし、文官として期待されていないわけでもないようだが、武官としての評価がやたらと高い。
どうやら、曹操軍の練兵に参加した際に大暴れしたようで、そこから目をかけてもらっているようだ。さす鄧。
といっても、人事権を握っているのは曹操だから、ほかの人物が要望を出したからといって、そのとおりに配属されるわけではないのだろうが。
書斎でひとり、私は手紙に目を通していた。
順番にひもといていくうちに、机の上にならべた手紙にまぎれこんでいた、張既の手紙を発見する。
「おおっと! ……来たか。ピックアップガチャ」
つぎこそ姜維を当ててみせる!
頼むぞ、張既、当てさせてくれよ!
私は順番をとばして張既の手紙をひらいた。
まずは、馬鈞の話題からだった。
雍州刺史の張既は、州内の才能ある若者たちを私に紹介してくれたが、そこに馬鈞を含めるかどうか、最後まで迷っていたそうだ。
なぜかというと、馬鈞より優秀そうな少年はいくらでもいたからである。
ただ、馬鈞の才能は、あきらかに異質に思われた。
私が発明家でもあることを考慮すると、そうした異才にこそ興味を示すのではないか、と張既は判断して、馬鈞の名を名簿につけくわえたのだという。
「うむ……。張既どのはできる御仁よ」
張既の思惑は見事に的中したわけだ。
その馬鈞はというと、いっときは、ほかの門下生たちとのあいだに確執が生じるのではないかと危惧されたが、いまのところうまくやっているようだ。
やはり、連弩を発明してみせた影響は小さくないようで、馬鈞は発明家の卵として認識してもらえるようになりつつあった。一芸に秀でた特別枠、といった感じである。
さて、いよいよだ。
手紙を読みすすめる私の目に、本題が入ってくる。
将来要望そうな少年たちの名簿、姜維がいると思われる漢陽郡バージョンである。
姜維、姜維とささやき、祈り、念じながら、視線を移動させていく。
「……あった」
姜維の名を発見し、心のなかでガッツポーズ!
私は椅子の背もたれに身体をあずけ、ため息をついた。
なかなか手間取らせてくれたが、これでようやく姜維をスカウトしに行ける。
いや、確証もなしに行きたい場所ではないのよ、漢陽郡は。遠いから。これが洛陽や許都なら、空振りに終わっても訪問しなおせばいいだけの話だが。
そんなわけで、鄧艾、石苞、馬鈞をお供に、私は陸渾を出立した。
道中の長安で、張既と面会すると、彼は安堵の声でいった。
「隴右の動乱も、無事片づいたといってよいでしょう」
隴右平定の総大将は夏侯淵である。
潼関の戦いで曹操軍が勝利をおさめてから、関中・隴右を平定するのに、三年余りの年月がかかっている。これを早いと見るか、遅いと見るかは微妙なところだ。
夏侯淵軍はほぼ連戦連勝をかさね、河西の諸羌を従属させて、西方の奥深くまで制圧している。
広大な領域を制圧したことだけ見れば、早かったといっていいのかもしれない。
だが、ほぼ連戦連勝ということは例外もあるわけで。
夏侯淵は、再起した馬超に一度敗れているのだ。
その敗北によって、大幅に時間がかかってしまったともいえる。
潼関の戦い以降、いいところがないようにも思われる馬超だが、彼の傑出した軍事的手腕は、曹操軍の悩みの種でありつづけたのである。
馬超が漢中に逃亡すると、残る大物は二名となった。
韓遂と宋建である。
馬超以外にしてやられる夏侯淵ではない。
彼は、立てつづけにこの二勢力を滅ぼした。
抵抗する力を失った韓遂は西平に落ち延び、宋建は処刑され、こうして隴右の動乱は終息したのであった。
ちなみに、韓遂の家臣だった閻行は、曹操に投降して列侯に採りたてられている。
ううむ……。まさか閻行が勝ち組になるとは。
読めなかった、この孔明の目をもってしても。
張既との面会を終えると、馬鈞がすこし浮かれ気味な口調で、
「いやあ、雍州刺史があんなに低姿勢だなんて……。やっぱり、うちの先生はすごいや!」
その言葉に、鄧艾と石苞は当然のような顔をしているが、私としては苦笑するしかなかった。
旅の最中、私たちは各地の有力者の家に泊まることが多い。
彼らのほとんどは官職についているのだから、よくよく考えれば、官職のみで見ると、私よりえらい人ばかりなのである。
そうした人たちと顔をつないでおくことは、とくに私の弟子たちにとって貴重な経験となるはずだった。
将来の人脈づくりになるのはむろんのこと、実務にたずさわる人たちの話を聞く、一種の社会科見学にもなる。
旅に出ているあいだ、普段の講義はほとんどできない。
その代わりに旅で得られるものは、しっかり得ておかなければならないと思う。
また、私は弟子たちに、旅の空では日記をつけるように、と指示している。
どのような人物と会い、どのような話をしたか。市場の品ぞろえと値段。旅した土地の気候風土……。
旅は人を成長させるというが、ただ移動するだけではそううまくはいかないと思うので、成長の糧となるような旅を心がけたいものである。
陸渾を出立してから、西へ旅すること二十日余り。
私たちは、姜維が暮らしているという冀県に到着した。
冀県は漢陽郡の郡治所だけあって、周辺の県よりも大きく、かなり堅固そうな城壁にかこまれていた。
再起した馬超は、この冀県を拠点としていたそうだ。
そういえば、姜維の父は馬超軍との戦で戦死した、と張既の手紙には書かれていた。
うかつに馬超の名を出さないように、気をつけなければならない。
姜家を訪ねると、姜維本人は留守にしており、彼の母親が迎え入れてくれた。
年齢は三十代半ばくらいだろう。夫を亡くした生活苦ゆえか、疲労の色が顔ににじんでいる。しかし、背筋を伸ばした、凛然とした態度の女性である。
私が、姜維を弟子にしたいと考えていることを伝えると、姜維の母は軽く目を見張り、深々と頭をさげた。
「身に余る光栄でございます。私からも、ぜひ、お願い申しあげます」
返事を聞いて、私は安堵した。
私の前世の記憶がたしかならば、姜維は母親孝行である。
諸葛亮も、まずは姜維の母を味方につけてから、姜維に投降を呼びかけていたように記憶している。
母親の同意を得た時点で、最大の関門は突破したといっても過言ではあるまい。
姜維の母は頭をあげ、私の目を見すえた。
「親のひいき目かもしれませんが、維は才能に恵まれた子です。……ですが、いまのあの子は無理をしているように思います」
姜維の母は眉根を寄せた。その頬には憂愁の影が差している。
「周囲の期待に応えようとしているのか。それとも、強さを身につけようとして焦っているのか……。いずれにしても、このままではよくないのではないかと危惧しておりました」
姜維の母は説明する。
夫を亡くした彼女は、息子の姜維をつれて、馬超軍に占拠された冀県を去った。
遠からず曹操軍が攻めてきて、馬超は滅ぼされるにちがいない。
巻き添えにならないよう、避難したほうがよい。
どこに避難すべきか?
同族の有力者を頼ったほうが安全であろう。
彼女たちは、歴城の姜叙のもとに避難したが、これが失敗だった。
冀県を失った馬超軍が攻め寄せてきて、今度は歴城が陥落してしまったのである。
だが、規模の小さな歴城を拠点としたところで先はない。
それ以上の抗戦をあきらめた馬超は、漢中への逃亡を決断し、その直前に、歴城に火を放とうとくわだてた。
その計画は、歴城の人々の知るところとなったが、彼らは息をひそめて嵐をやりすごそうとした。馬超軍に逆らったところで殺されるだけであることは、目に見えていたからである。
その状況で、仲間を得られなかった姜維は、ひとりで馬超を襲撃しようとして、失敗した。
姜維は捕らわれ、歴城に火が放たれた。
馬超軍が去り、消火活動を終えたとき、人々は姜維の勇敢さをたたえ、もてはやした。
姜維の母は危ぶんだ。
姜維の行動は、英雄的な一面もあるにはあったが、あきらかに無謀であり、非難されてしかるべき行動でもあった。
なぜ、少年の無謀な行動に称賛が集まったのか、彼女にはわからなかった。
自分たちにできなかったことを、姜維がやろうとしたからなのか。
自分たちが動かなかったことを、うしろめたく感じていたのか。
それとも、自分たちも馬超軍に抵抗しようとしていたのだと主張したいのか。
どのような心理がはたらいたのかはわからないが、その集団心理を危ぶんだ姜維の母は、息子をつれて冀県に帰った。
早く普通の生活にもどらなければならないと考えたのである。
だが、郷里の冀県でも姜維の噂は広まっていた。
周囲の大人たちは姜維を称揚し、姜維は子どもたちのあこがれの的となった。
そして、年上の若者たちが姜維を中心に集まるようになった。
姜維の母は、ため息とともに憂慮を吐きだした。
「維は、『麒麟団』などという組織を結成して、自警団まがいのことをしているのです」
「ふむ……麒麟団とな」
なんとも姜維っぽい名称だが、まあ、麒麟児という意味ではないと思われる。
麒麟は瑞獣だから、平和への祈りを込めて命名したのではなかろうか。
「口では、県尉の仕事を手伝っているだけだといっておりますが、どこまで本当のことやら……。本人が本当にそうだと信じこんでいるとしても、まだ十四歳の子どもです。年上の若者たちを監督しきれるはずもありません。武装した若者が、徒党を組んで闊歩しているのです。きっと、よからぬことも……」
「ふむ……」
私は神妙な顔をしてあいづちを打った。
ようするにだ。
姜維が…………グレた!?




