6 私のジーノ
ジーノがクルトと共に行ってしまってから6年が経った。
あれから、ずっと一人で暮らしているエリナは40歳になっていた。
「私が産んだジーノはもう22歳になるのね。育てたジーノは20歳か……」
別れた息子の歳を数えるエリナ。
公爵家のジーノベルトはきっと立派な青年になっているだろう。貴族として育ち、もう平民のエリナが近付くことすら叶わない実の息子〚ジーノ〛。
片や、エリナが12年間育てたジーノはどんな大人になっているだろう? 学校で問題を起こしてばかりだったジーノが、ちゃんとした大人の男になっているか、エリナは気掛かりだった。
「悪い事に手を染めたりしていなければいいけど……」
ある日、エリナの花屋に懐かしい人が現れた。
「エリナ? エリナじゃないか!」
「ハンス?」
それは故郷の町で同級生だったハンスであった。
「いや、驚いたな。嫁さんの誕生日だから花を買おうと思ってフラッと入った店に、まさかエリナがいるなんて――」
「私の方こそビックリしたわ。王都でハンスに逢うなんて」
「俺、今、行商で王都に来てるんだ。嫁さんと息子2人と一緒にな」
「そうだったの」
「エリナは、ここの花屋に嫁いだのか? 子供は?」
エリナは一瞬、言葉に詰まったが、笑顔で嘘をついた。
「……ええ。亭主と息子と3人暮らしなの。そろそろ息子に嫁を見つけなきゃいけないのよ~」
「そうか、そうか。良かった。幸せなんだな」
「ええ」
「それにしても、あんな事があって町を出たエリナが、結局、花屋の女将になってるなんて不思議な巡り合わせだな」
遠い目をするハンス。
「そうね。でも同じ花屋でも、あの浮気者と違って、うちの亭主は真面目な男だから」
「ハハハ。本当に良かった。エリナが町からいなくなって、みんな心配したんだぞ。家族には連絡くらいしてやれよ」
「そ、そうね。そろそろ、そうしようかしら?」
エリナが故郷を飛び出してから既に23年が経っている。さすがに身内には、もう居場所を教えてもいいかも知れない。
「それにしても、エリナはあんまり変わってないな。俺なんか、こんなに腹が出たっていうのに」
ハンスが、でっぷりとした自分の腹をポンと叩く。
「アハハ。私だって老けたわよ」
「いや、お前は40歳には見えないぞ。相変わらずのプロポーションだし肌も綺麗だし。そういや、昔、よくジーノが自慢してたな~。エリナは腰は細いのにおっぱいは――おぉっとスマン、スマン。まったく……ジーノの奴、浮気なんかせずに、エリナとあのまま所帯を持てば良かったのに……」
「……でも、ジーノはリリーと結婚したんでしょ? 子供は何人いるの?」
「いや、それが――――」
◆◇◆◇◆
――――23年前、エリナが置き手紙一つで町を出たと知ったジーノは血の気を失った。矢も盾もたまらずエリナを探しに隣町に向かったジーノ。
彼は必死で探したがエリナは見つからない。何日も掛けて隣町を隈なく探した後、今度は別の町でエリナを探し始めた。更に別の町、別の町……と、ジーノは来る日も来る日もエリナを探し回った。その姿は鬼気迫るモノがあったが、エリナと仲の良かった女性達は「だいたい、こんな事になったのはジーノがエリナを裏切った所為でしょ」と、ジーノのことを冷ややかな目で見ていた。
ちなみにエリナの親は、娘の性格を考えた上で最初から「どうせ隣町になんて行ってないさ。あの子のことだ。もっとずっと遠くに行って意地を通すつもりに違いない。一体どこまで行ったやら」と、半ば達観し半ば途方に暮れていた。
ある日、ジーノは、エリナが姿を消した当日の朝に、リリーが一人でエリナを訪ねていた事実を知る。この頃には、ジーノはかなり憔悴していた。精神的にも肉体的にも限界に来ていたのだ。
「お前がエリナに何か言ったんだろう!? それでエリナは出て行ったんだ! 何を言った?!」
日頃、気弱で大人しいジーノが、別人のように声を荒げてリリーを問い詰める。
「私は謝りに行っただけよ。そしたらエリナさんに『死ねばいいのに』って言われたの。あんな女、いなくなって良かったじゃない」
リリーのこの言葉にジーノは顔色を変え、
「エリナがそんな事を言うはずがない! 嘘をつくな!」
と、叫んだ。リリーが尚も反論しようとすると、ジーノは激昂し、
「全部、お前のせいだ! お前が俺を誘惑しなきゃ、俺はエリナと結婚出来たんだ! エリナじゃなくてお前が消えれば良かったんだ! お前が消えろ! 消えろよ! 今すぐ消えろ!」
と、激しい罵声を浴びせてリリーの首に手をかけた。慌てた周囲が数人がかりでジーノを止めたものの、普段優しいジーノのこの仕打ちにリリーは酷いショックを受けた。
それ以降、二人の関係は冷え切り、結婚どころか言葉を交わすことさえ無くなった――――
◆◇◆◇◆
「そんな……」
ハンスの話を聞いて、エリナは言葉を失った。
自分が故郷を出た後、まさかそんな事になっていたなんて……思いがけない事実に感情が追い付かない。
「それから2年後にリリーは食堂の常連客と結婚した。けど姑にイビリ倒されて半年も経たないうちに出戻ったよ。その後も懲りずに2回ほど結婚したけど上手くいかなくて、結局実家に戻ってる。ジーノの方は、今まで誰とも一度も結婚しないままだ」
「えぇ!? でもジーノは私たちと同じ40歳じゃない。まだ独り身なの?」
「アイツは今もエリナを諦めていない」
「ウソ……」
「本当だ。結局、ジーノが本当に愛してたのはエリナなんだよ。あの時は、ちょっと可愛いリリーから告白されて舞い上がってただけさ。なのに、そんな一時の感情でエリナとの結婚を取りやめて……バカな奴だ。エリナが居なくなって、アイツは死ぬほど後悔してた」
エリナは何とも言えない遣る瀬無さを感じた。
「……ねぇ、ハンス。お願いよ。私がここに居ることはジーノに言わないで」
「ああ、分かった。あれから23年も経ってる。今更ジーノに訪ねて来られても、お前も困るだろうし、お前の亭主や息子だって嫌な思いをするだろうしな」
「うん。本当にお願い。黙っててね」
「約束する。けど、お前の家族には手紙くらい書いてやれよ。親父さんもお袋さんも、もう歳だ。これ以上、心配かけるな。俺からは何も言わないでおくから、お前からちゃんと連絡してやれ」
「分かった。親には必ず手紙を書くわ」
ハンスが妻に贈る花束を抱えて去って行った後も、エリナは胸の動悸がなかなか治まらなかった。
ジーノはリリーと結婚しなかった――幼い頃からの許婚だったエリナを捨ててまで一緒になりたいと言ったはずなのに、ジーノのリリーへの想いはその程度のものだったのか……
エリナは早まったのだ。
リリーへの恋心が一時の気の迷いだったのなら、しばらく待ってさえいれば、そのうちジーノは自分自身の本当の気持ちに気付いて、エリナのもとに戻って来たに違いない。
「でも……今更よね」
そう。全ては過ぎた事だ。
エリナとジーノの関係は23年も前に既に終わっている。今更どうなるモノでもない。
「約束通り、ハンスが黙っていてくれるといいけど……」
ハンスは同級生の中でも特にジーノと仲が良かった。
エリナは一抹の不安を感じていた。
先程の会話の中でハンスは何度もジーノのことを「バカな奴」と言ったが、その声色や表情にジーノを蔑む心情は感じられなかった。感じられたのは、親しい友人への憐憫の情だ。
「ジーノに同情して私の居場所を喋っちゃうとか……やめてよね、ハンス」
エリナは一人、呟いた。
**************
それから暫くして、育てたジーノの同級生だったトーマスが、エリナを訪ねて来た。
14歳の時に、ジーノと一緒に、夜中に学校の窓ガラスを割って回った仲間の一人だ。20歳になったトーマスはすっかり大人になり、印刷所で働いていると話した。
「あの時のガラスの弁償を、おばさんが一人で負担したって聞いて……。本当に申し訳ありませんでした。これ、少しですがお返しします。俺が働いた金です」
そう言うと、トーマスは神妙な顔をしてエリナに金を差し出した。
「もう済んだ事だから、気にしなくていいよ」
テーブルに置かれた金を返そうとしたエリナの手を、トーマスは押し戻す。
「いや、おばさん。俺の気持ちだから受け取って下さい」
しばらく二人で押し問答を繰り返した後に、根負けしたのはエリナだった。
「そこまで言うなら貰っとくけど……」
「……おばさん。実は、最近になってジーノから手紙が来たんです」
「えっ? ジーノから?」
「アイツ、あれから親父さんと新しい母親と暮らし始めたものの、その継母と折り合いが悪くて、結局1年ほど一緒に居ただけで、15歳になるとすぐに家を出て軍の寮に入ったそうです」
「ジーノは軍に入ったの?」
「はい。親父さんと同じ兵士になったみたいです」
「そう……ジーノが兵士に……」
「俺も他人の事は言えないけど、アイツ、学校時代荒れてたでしょ? 早く一人前になって、散々迷惑をかけたおばさんに親孝行したいって、手紙に書いてありました」
「ジーノがそんな事を……」
「アイツなりに反省してるんだと思います。おばさんは女手一つでアイツを育てたのに、アイツは悪さばっかりして――あー、いえ、俺もジーノの事は言えないんですけど」
「ねえ、トーマス。ジーノから手紙が来たのなら、あの子の今の住所、分かるわよね? 教えてくれない?」
「は、はい」
エリナはようやくジーノの連絡先を手に入れることが出来た。ジーノは、王都から遠く離れた王国軍の北部駐屯地の独身寮にいるようだ。
ジーノに手紙を書こう。
一緒に暮らせなくとも、せめて時々顔を見せてくれたら――エリナの胸に微かな希望が灯った。
****************
ある日、珍しく貴族の噂を聞いた。日頃、平民とはあまり関係が無い為、貴族に関する噂は、ほとんど耳にすることはないのだが――何でも、ある公爵様が赤子の頃、自分の世話をしていた平民の乳母を探しているらしい。
近所の知り合いが、興奮気味に話す。
「ご両親がお二人とも一昨年、昨年と続けて病で亡くなって、22歳の若さで公爵位を継いだパジェス家のジーノベルト様が、20年以上前に自分の世話をしていた乳母を探していらっしゃるんだって。その乳母の特徴がエリナさんにぴったり当てはまるのよ!」
「えっ!?」
「蜂蜜色の髪に翡翠色の目をした、現在40歳の『エリナ』っていう名の平民なんだって!」
「えーっ!? 何それ!?」
「まさか、エリナさんじゃないよね?」
「違うわよ! 未だ嘗てお貴族様に仕えたことなんて無いもの」
「そうだよねー。エリナさんとはもう20年以上の付き合いになるけど、今まで、そんな話聞いたこともないし……」
「そ、そうよ。もしも公爵家で乳母をしていたことがあるなら、自慢の種にしてるはずでしょ?」
「だよね~。お喋りなエリナさんが黙ってる訳がないよね」
「そうよ~」
必死に平静を装うエリナ。
知り合いは首を傾げて言った。
「それにしても、どうして今になって、そんな昔に仕えてた乳母を探し始めたんだろうね?」
「さぁ? どうしてだろうね?」
「もしかして、ご両親が亡くなる時に遺言でも残されたのかな? 『世話になった乳母に遺産を少し分けるように』とかさ? あ! それだったら、やっぱりエリナさん、名乗り出たら?!」
「何、言ってんの?! 遺産目当ての嘘だってバレたら牢獄行きじゃない!」
「そうか~。リスクが大き過ぎるね」
「もう! バカ言ってないで! ほら! 買い物に行く途中だったんでしょ?」
「あー! そうだった!」
実の息子〚ジーノ〛が自分を探してる? どういう事だろう?
まさか、本当の事を聞かされた?
両親のどちらかが、亡くなる前にジーノに真実を伝えたのかも知れない――エリナは瞑目した。
⦅ あの心優しい旦那様と奥様なら有り得る。きっと亡くなる前に、本当の母親の事を話されたんだ…… ⦆
おそらく ”ジーノには血の繋がった実の母親がいる。自分たちが亡くなっても決して独りではない” と、話されたのだろう。残されるジーノを励ますために……
真実を知ったジーノが、自分を産んだ本当の母親に会ってみたいと思うのは、人として自然な感情かも知れない。
けれど、まさか大っぴらに「実の母親を探してる」と、言う訳にもいかず「赤子の頃世話になった乳母を探している」という事にして、エリナを見つけ出そうとしているのだろう。もっとも、嘘ではない。確かにエリナは ”乳母” として仕えていたのだから。
⦅ それにしても、まだ40代半ばだったはずの、セドリック様もアメリー様も亡くなってしまうなんて……神は何と無慈悲なのだろう ⦆
導いてくれる両親を亡くし、22歳の若さで公爵になるという事が、どれだけ大変な事なのか、平民のエリナには想像もつかない。
ジーノはどれ程のプレッシャーと闘っているのだろう?
エリナは胸が塞がる思いだった。
けれど、もちろんエリナは名乗り出るつもりなど無かった。
たとえ、ただの「乳母」として名乗り出ても、世間の注目を浴びてしまうだろう。そうすれば、誰かがエリナに疑いの目を向ける可能性が出て来る。
ジーノは既に公爵位を継いでいるのだ。もしも、若き公爵ジーノベルト・パジェスが、実は平民の女から産まれた子だという秘密が洩れれば、彼の立場が危うくなるかも知れない。貴族の社会では醜い足の引っ張り合いが日常茶飯事だと聞く。エリナとジーノの関係は決して知られてはならないのだ。
お腹を痛めて産んだ我が子なのに、エリナがジーノの側に居たのは僅か1年だった。母親らしい事は、ほんの少ししか、してあげられなかった。せめて、あの子の邪魔はしたくない。
⦅ ジーノは私の息子ではない。セドリック様とアメリー様の大切な一人息子、ジーノベルト様なのだ ⦆
エリナは自分に言い聞かせた。我が子に一目会いたいという気持ちを、無理やり抑え込んで――
――――1年後――――
夕方になり、強い西日が差し始めた。
そろそろ店を閉めようと、表に出たエリナ。すると、店の前に男が一人、佇んでいる。
逆光で顔がよく見えない。
客だと思ったエリナは「いらっしゃいませ。どんな花をお探しですか?」と、愛想良く男に声を掛けた。
男は少し慌てた声で「いや、違う」と言うと、エリナの方へ近付いて来た。
⦅ 客じゃない? 誰だろう? ⦆
目の前まで来た男を見上げる。
見覚えのある、その瞳――――エリナは、ハッと息を呑んだ。
まさか……ジーノ!?
その男は間違いなくジーノだった。
彼は呆然としているエリナに向かって「元気そうで良かった……」と言って、微笑んだ。
「……ジーノ、なのね?」
何とか絞り出したエリナの声は震えていた。
エリナの問いに、彼は深く頷いた。
「そうだよ。良かった。覚えていてくれて……」
「ジーノ……私のジーノ」
懐かしさと愛しさと申し訳なさで胸が一杯になるエリナ。
「……どうしても、会いたかったんだ」
ジーノはそう言うと、エリナをひしと抱き締めた。
――――揃いの蜂蜜色が、ふわりと揺れた――――
終わり




