5 三人目のジーノ 後編
やがて、7歳になったジーノは平民向けの公立学校の小学部に入学した。
やんちゃなジーノは集団の中で度々トラブルを起こし、その度にエリナは学校に呼び出され注意を受けた。
それでも小学部の頃はまだカワイイものだった。
13歳になり中学部に上がると、ジーノの悪さは次第に「子供のイタズラ」では済まされないものになってきた。
エリナは頻繁に学校に呼ばれ、頭を下げ続けた。
教師たちの視線も言葉も徐々に刺々しさが増してくる。
ジーノに父親がいないことを知っているのに、わざわざ「今度はお父さんも一緒に来て下さい」と言った担任は、もはやジーノやエリナを憎んでいるのだろう。
人から負の感情をぶつけられるのは辛いものだ。ジーノが悪いのだから非難されるのは仕方ないと思っていたエリナだが、さすがに疲れてきた。
そして肝心のジーノは全く態度を改めようとしない。エリナが何度言って聞かせても無視である。小さい頃はあんなに可愛いかったのに、どうしてこんな風になってしまったのだろう?
「私の育て方が悪かったのかしらね?」
近所の知り合いにそう零すと、事情を知っているその人は、
「エリナさんは赤の他人のあの子を、女手一つでここまで育てたっていうのにねぇ……本当に、ジーノはどうして悪さばっかりするんだろうねぇ?」
と言って、気の毒そうにエリナの顔を見た。
「もしも、本当の両親のもとで育っていたら、ジーノは問題を起こすような子にはならなかったのかな?」
「さぁね。でも、その『本当の両親』が二人ともあの子を捨てたんだから、その『もしも』は言っても虚しいだけだよ」
「そうね……」
エリナは深く溜め息を吐いた。
ジーノは14歳になってすぐ、大変な事を仕出かした。
夜中に家を抜け出して、仲間4人と一緒に、通っている公立学校の校舎の窓ガラスを100枚以上割ったのだ。
その日、朝早く花の仕入れをして店に戻って来たエリナは、近所の人から事件を教えられた。
「夜のうちに学校の窓ガラスが大量に割られたらしくて、今、大騒ぎになってるよ。犯人は生徒だってさ」
イヤな予感がしたエリナは急いで家に入り、ジーノの部屋を確かめた。
そこに、いつもならまだ寝ているはずのジーノの姿はなかった。愕然とするエリナ。きっと、ジーノが関わっている――
その直後、エリナは他の親と共に学校に呼び出され、急いで校長室に駆け付けた。そこで”首謀者”はジーノだと校長から告げられたのである。エリナは目の前が真っ暗になった。何故? どうして? 他の4人の生徒と一緒にその場に立たされているジーノは、不貞腐れた表情をしている。反省の欠片も見られない。情けなくて悔しくて、エリナはジーノの頬を思い切り引っ叩いた。
「ジーノ! あんたは何てことを!」
ジーノは叩かれた頬を片手で押さえたまま、エリナを睨み付けた。
「うるせぇ! 本当の母親でもないくせに!」
「えっ!?」
「知ってるんだ。近所の連中が噂話をしてて――」
「ジーノ……」
「アンタはバカだ! 実の子でもないオレを一人で育てて――大バカだ!」
ジーノはそう叫ぶと校長室を飛び出して行こうとしたが、生徒指導担当教師に捕まり他の4人の生徒と共に別室に連れて行かれた。
その後、エリナを含む親達はそのまま校長室に残り、校長から厳しい叱責を受けた上、ガラス代を弁償するよう求められた。
エリナは全額を自分が弁償すると申し出た。
平民の家庭にとってガラス100枚分の弁償は、たとえ5軒で分担したとしても相当に重い。けれどエリナは大金を持っているのだ。ここは自分が負担するべきだろう。
「うちのジーノが首謀者である以上、私が全額を支払います」
他の親達は申し訳なさそうな顔をしてエリナを見たが、誰も「うちも出します」とは言い出さなかった。
ジーノを連れて家に帰ったエリナは、二人できちんと話し合おうとしたのだが、ジーノは煩そうにエリナの手を振り払い、自室で不貞寝をしてしまった。
エリナが声を掛けても、背を向けたまま振り返らないジーノ。
エリナは、その背中に語りかけた。
「確かに私は産みの親じゃない。でも2歳の時から12年間、ジーノを育ててきたんだもの。ジーノは私の息子だよ」
「……」
返事はなかった。
数日後、突然、12年ぶりにジーノの実父であるクルトがエリナの家を訪ねて来た。
そして「ジーノを返してくれ」と言う――この男は今更何を言っているのだろう? エリナは訳が分からなかった。
「ジーノを置いて逃げたくせに、どの口でそんな事が言えるのよ!」
「ジーノは俺の子だ!」
クルトは一緒に逃げた女に子供が出来ず、今頃になって実の息子ジーノのことが惜しくなったらしい。正真正銘のクズである。
こんな男を一時でも愛していたなんて……
エリナは自身の見る目の無さに怒りすら覚えた。
「ジーノを渡せ」「渡さない」とクルトとエリナが揉めていると、そこへ当のジーノが姿を現した。
学校から無期限の停学処分を受けたジーノは、あの日から自室に閉じこもっていた。
大きな声でやり合うクルトとエリナの会話の中身は、狭い家の中で筒抜けだったようである。
「オッサンがオレの親父か?」
「ああ、そうだ。ジーノ、俺を覚えてるか?」
ジーノは12年ぶりに会う父親の顔をマジマジと見た。
ジーノとクルトは同じオレンジ色の髪をしていて、目鼻立ちもよく似ていた。
「全然、覚えがねぇな。でも、いいよ。アンタと一緒に行くよ」
「ちょっと!? ジーノ!?」
「ハハハ。それ見ろ! やっぱり実の親がいいに決まってる! なぁ、ジーノ!」
ジーノはこのまま家を出てクルトと共に行く、と言い出した。
「そんな……ジーノ……」
エリナがオロオロしている間に、ジーノはさっさと身の回りの物をリュックに詰め込んだ。そして、エリナに向かって僅かに微笑みながら言った。
「アンタ、これ以上苦労することねぇよ。オレが居なくなればアンタは自由だ」
「ジーノ……」
涙が込み上げ言葉が続かないエリナ。
ジーノは一度も振り返らずに去って行った。
実に呆気ない別離であった。
こうしてエリナは三人目のジーノと別れた。
その後、ジーノからは手紙一つ届かなかった。
エリナから手紙を出そうにも、クルトが連絡先を教えてくれなかったので住所も分からない。
本当に、もうこのまま会えなくなってしまうのだろうか?
2歳のジーノを残してクルトが消えてしまってから、12年間、エリナはジーノと二人で生きてきた。
「ジーノが居たから寂しくなかったのに……ジーノが居たから頑張れたのに……ジーノ……ジーノ……」
店も開けず、家の中に閉じこもるようになったエリナ。
心配した近所の人や花屋の常連客たちが、代わる代わる差し入れを持って訪れてくれた。
それでもエリナが立ち直るには1年を要した。




