笑っている方がいいに決まってる
「うわあ、これ凄い」
「本当だ、凄え」
水槽のトンネルの下で、大同とひなたは上を見上げていた。
「マンタってなんだか、空でも飛んでるみたいに泳ぐんですね」
「下から見たマンタの顔、おもしれえ」
「笑ってるみたい」
心なしか、ひなたの顔がいつもよりは緩んでいる気がして、大同は内心浮かれていた。
次にはトンネルの横をすいっと泳いでいくマンタを、じっと見つめている。
「ほんとだ、笑ってる方がいいに決まってる」
独り言のように呟く。それが、くそ気に食わない鮫島に言われた言葉だとしても、それでもその通りだ、と思う。
「……うん、まあそうかもな」
「笑顔って、伝染する」
ひなたを見る。けれど、ひなたはいつもの通り無表情だ。
「伝染してねーし」
大同が言うと、ふふ、とようやくひなたが笑った。
(はああ、笑ってるぞー)
単純に、嬉しかった。
こんなシンプルな気持ちになったのは、ただ単に遊んで楽しんで過ごしていた学生の時以来のような気がした。
足も腕も、身体の全てが、自然に踊り出しそうなくらいに。
けれど、大の男があまり浮かれてもみっともないという自制心も働いて、時々はひなたに、身体は大丈夫か、疲れていないか、など声を掛けるようにしていた。
「今日は大丈夫です。ここ最近、ずっと調子がいいから」
「良かった。何かあったら、すぐに言ってな」
「はい、ありがとうございます」
話しながらトンネルを抜けると、目の前に広がる大きな水槽。この水族館のイチオシの大パノラマの水槽に、ひなたが興奮の声を上げた。
「……大っきい」
「ジンベイザメ、飼っちゃうくらいだからなあ。これくらいの広さが必要なんだろうな」
目の前にはアクアブルーの中、悠々と泳ぐジンベイザメ。
そして、そのジンベイザメを回るように、背ビレをキラキラと輝かせながら、群をなして泳ぐイワシの大群。
目をギラつかせながらクネクネと泳ぐシュモクザメや、飛ぶように優雅に泳ぐマンタ。
「あ、これ太り過ぎ」
ひなたが指さす方を見ると、フグのような魚がふよふよと泳いでいる。
「お前、怒ってんのかあ?」
大同が、ガラスを突く。
「プンスカしてっと、嫌われるぞお」
「あ、ここ、ヘビみたいなの」
見ると、細長い筒の中から、ウツボが顔を出している。
「海のギャングだ」
「ギャング、ってなんですか?」
「おおー、これがいわゆるジェネレーションギャップってやつかっ。ギャングって知らない? ウソだろ」
「え、っと、なんだろう?」
「犯罪組織っての、海賊、とはまた違うんか」
「ああ、そういう怖い団体系ですか」
改めて、ウツボを見る。
「確かに顔は怖い」
「ああ、怖いな。ってか、ふてぶてしいな」
「貫禄」
「そうそう」
やり取りが楽しくなってきて、大同はそっとひなたを見た。
すると、ひなたの口元がにやけている。
(あ、やべえ)
大同は、顔を水槽に戻した。
(可愛い)
もう一度、ひなたを見る。口角の上がった唇。
大同の視線は、ひなたの唇に釘付けになった。
白い頬、半分だけ伏せられたまつ毛、淡い色の瞳。
(ああ、やべえ……キス……してえ)
ひなたは水槽のガラスに両手を貼り付けて、熱心にウツボに見入っている。
そして、その手。
細っそりと長い指が、時々。
折れ曲がったり、ぴんと伸びたり。
その白い手の甲に、血管が薄っすらと浮き上がっている、少し骨ばった手。
我慢できず衝動のまま、大同はひなたの手に自分の手を重ねた。
「だ、大同さん」
驚きの声とともに、ひなたが大同を見る。
大同は、水槽で気持ちよさそうに泳ぐ魚から目を離さずに、ひなたの手を握った。
その手の体温は、そう高くはなかったが、思ったより低くもない。
「ひなちゃん、俺と……俺と、付き合ってくれないかな」
大同の口から、ぽろっと言葉が溢れて落ちた。




