厨房のお仕事⑥ 朝食
「はぁ……、はぁ……」
私は重い足を引きずりながらなんとか厨房にたどり着いた。
「おう! 新入り! ずいぶん時間がかかったな!」
「ガストンさん……、すみません……」
「いやなに、気にするな! ひとまず、朝食のパンとスープはできてる!
あとは買ってきた魚を調理して、果物と盛り付ければ朝食は何とかなる」
「は、はい……」
そうだ。ここからが本番だった……。
ふと、厨房を見渡す。すると朝のうちは残っていた昨日の洗い物がすでに片付いていた。
それにパンとスープはできているって……?
「いや、実はな。あんたが返ってくる前にできることはやっちまおうとしたんだが、
どうにも腰の具合が悪くてな。見かねたアルバートさんが手伝ってくれたんだ」
アルバートさん……。
「あと、屋敷の掃除はしばらくしなくていいってよ!
あんたがしたコーティングのおかげで
アルバートさんの手すきのときで十分こなせるってよ!」
アルバートさん……! 私の目に涙がたまる。
でもその涙が零れ落ちるほどの時間が私には用意されていない。
「さあ! それじゃあ、さっそく始めるぞ!
まずは、魚の鱗をとって、頭を落とす!」
「あ、頭……?」
私はまな板の上の魚を見つめた。
つやつやした銀色の鱗。ぴんと張ったヒレ。
さっきまで生きていたんだ……。
私はもう怖気づいた。今まで魚をさばいたことは1度もない。
生き物の命をいただいていることを改めて自覚する。
〈ミツキ、がんばれぇ〉
ソルの掛け声で私はなんとか気合を入れた。
「新入り、包丁はこう持つんだ! そんで、こうやって、こう!」
ガストンさんは、包丁の背を使って、簡単そうに鱗を落とした。
私も同じようにやってみる。全然うまくいかない……。
「おいおい、日が暮れちまうぞ!」
「は、はい……!」
魚が滑ったり、曲がったり、全然思うようにいかない。
悪戦苦闘する私にガストンさんがしびれを切らす。
「もういい! 俺がやる!」
「す、すみません!」
ガストンさんが私から包丁を奪い取り、数秒で鱗を取り切った。
「よし! 次は、腹を割って、内臓を出す!」
「は、腹を……割る……」
ガストンさんから差し出された包丁を私は震える手で握った。
魚の腹にそっと刃を当てる。
――ズルッ。
「ひぃっ!!」
魚の内臓が顔を出し、血液が私の顔にはねた。
「おい! しっかり押さえろ!」
「は、はい……!」
包丁が思ったように進まない。
〈ミツキ、がんばれぇ。内臓は“つまんで引っ張る”といいよぅ〉
う、うん……。
私は震える指で内臓をつまんだ。
――ズルッ。
「ひぃぃぃぃ!!」
「声を出すな! 手元が狂う!」
「は、はいぃぃぃ!!」
涙目になりながら、なんとか内臓を取り出した。
腕はぷるぷる。内臓もぷるぷる……。
「よし! それじゃあ今度は三枚に下ろせ!
魚の背中側から中骨に沿わせて包丁を入れろ!」
私は深呼吸して、包丁を進めた。
――ガリッ。
「えっ!? なんか引っかかった!」
「骨だ! 力任せにいくな! 包丁を寝かせろ!」
「は、はい!」
私は包丁を倒して、ゆっくりと刃を進め、片面を切り終えた。
「まあ、初めてにしちゃあ悪くはねえ。
だが、リリアナ様に出せるのはまだまだ先だな」
そういうとガストンさんは私が置いた包丁を握り、
もう片面を容易く流れるようにさばいて見せた。
断面が私のものとは全然違う。
身がきれいに整っていて、輝いて見える。
「すごい……」
「当たり前だ! 何年やってると思ってる!」
私は自分のさばいた半身を見た。
身はボロボロで、薄い。骨に身が多く残っている。
「次は焼くぞ! 塩をふって、皮目から焼け!」
「は、はい!」
私は慌てて塩をふり、フライパンに魚を乗せた。
ジュッ……! 油が一気に跳ね上がる。
「魚は焼き加減が命だ! 目を離すなよ!」
「はい!」
焼き加減を見守るガストンさんは、まさに職人という目つきをしていた。
ガストンさんの指示に従い、両面を焼き上げる。
香草バターを乗せると、じゅわっと溶けていい匂いが広がった。
「よし! いいだろう!」
「やった! ありがとうございます!」
「とっとと盛り付けて、食堂に運ぶぞ! 今日も時間ギリギリだ!」
「は、はい!」
出来上がった白身魚のポワレは、できたての湯気をまとい、黄金に輝いて見えた。
香草バターの香りが食欲を引き立たせる。
私は苦労して完成した初めての料理を感慨深く見つめた。
買い出しから、さばいて、調理して……。
バルバラさんの言葉がよぎる。
――それでうまいもん作って、リリアナ様を元気づけておくれ!
ガストンさんがずっと見ていてくれた。きっと大丈夫だ。
ゆらゆらと立ち上がる湯気が、私の胸も温かく満たしてくれるようだった。
「おい! なにしてる! いそげ!」
「は、はい!」
私は大急ぎで、食事を盛り付け、食堂へ運んだ。
テーブルセッティングはソルがアシストしてくれた。
――
「ごちそうさま。今日もおいしかったとガストンに伝えて」
「……はい。承知いたしました」
アルバートが扉を開き、リリアナが食堂を後にする。
アルバートは少し間を置いて、厨房に向かう。
その顔は、いつもとは違い、どこか曇っていた。
――
「ガストンさん、ミツキさん、リリアナ様から言伝がございます」
ガストンさんと使用人用の朝食を調理していた時、
アルバートさんが厨房にやってきた。
私のさばいた半身は、フライパンの中でぼろぼろに崩れてしまっていた。
「"今日もおいしかった"とのことです」
私は褒められたのだと思い、一瞬喜んだ。
しかし、ガストンさんとアルバートさんの暗い顔をみてすぐに困惑した。
「……そうか。 そいつはすまなかったな」
「いえ。 私の力不足です」
「えっと……。どういうことですか……?」
「気を使わせちまったんだよ! リリアナ様に!」
「えっ……、あっ……」
「リリアナ様にはガストンさんの腰の状態も報告しています。
リリアナ様は、朝食はパンと果物だけでも構わないとおっしゃっていましたが……」
「……そうはいかねえ。こっちにだってプライドってもんがあるんだ……。
それにリリアナ様はまだまだ育ち盛りだ。たんとうまいもんを食ってもらわねえと……」
私は何も言えなかった。
「しかし、今のままでは……。
各食一品ずつ減らせていただけないか、リリアナ様に願い出るべきかと……。
リリアナ様はガストンさんの身を案じておられます」
「くそっ……! 背に腹は代えられねえか……!」
「腰が癒えるまでの辛抱でございます」
「……ああ、そうだな……
すまねえが、そうしてくれ……」
「……承知いたしました。それでは私からお話しさせていただきます」
そういうとアルバートさんは厨房を後にした。
彼の顔にいつもの微笑みはなかった。
うつむくガストンさんに、私は何の言葉もかけられなかった。




