世界の中の異物
朝の空気は,少しだけ冷たかった。
「……行きますよ」
嶺羅が玄関で振り返る。
その後ろで,浅葱が靴を見下ろしていた。
「……これ」
「靴です。履くんです」
「……知ってる」
「じゃあなんで止まってるんですか」
「……やったこと,ない」
「え゛」
結局,嶺羅が履かせることになった。
「はい,これで……よし」
「……歩ける」
「歩けなかったら困りますよ!?」
―――――――――――――
外。
朝の住宅街。
通学する生徒たちの姿がちらほらと見える。
「……人」
浅葱が,ぽつりと呟く。
「人ですよ」
「……多い」
「そりゃ朝ですし……」
「……知ってる。けど」
少しの間。
「……こんなに,見たことない」
嶺羅は,言葉を失う。
――この子は,本当に。
どこから来たんだろう。
―――――――――――――
歩き始める。
最初はぎこちなかった浅葱の足取りも,すぐに安定した。
むしろ。
「……あれ?」
嶺羅が目を瞬かせる。
「……速くないですか?」
気づけば,浅葱は少し前を歩いている。
歩幅も,速度も。
妙に正確で,無駄がない。
「ちょ,ちょっと待ってください!」
慌てて追いつく。
「……?」
浅葱が振り返る。
「も,もうちょっとゆっくり歩いてください!」
「……分かった。」
―――――――――――――
通学路。
人通りが増える。
その中で。
「……?」
何人かが,こちらを見た。
正確には。
浅葱を。
「……なんか,見られてません?」
嶺羅が小声で言う。
「……見られてる」
浅葱は,あっさり答える。
「いやそうじゃなくてですね……!」
理由が分からない。
けれど,視線は確かに集まっている。
ざわ,と。
小さな違和感が,広がる。
「……なんか,変ですね」
「……うん」
浅葱が頷く。
「……何が?」
「……分からない」
嶺羅は,ため息をついた。
―――――――――――――
そのとき。
「……っ」
一人の生徒が,足を止めた。
視線の先は――浅葱。
「どうしたの?」
隣の友人が声をかける。
「いや……なんか……」
言葉を濁す。
「……寒気,しない?」
その言葉に。
嶺羅の背筋が,ぞくりとした。
―――――――――――――
「……なぁ」
少し離れた場所で。
ダリアが,小さく呟いた。
「……やっぱ目立つな」
後ろから様子を見ていたらしい。
「ついてきてたんですか!?」
「一応な」
肩をすくめる。
「何かあったら面倒だろ」
その視線は,真剣だった。
「……どう思います?」
嶺羅が,小さく聞く。
ダリアは,少しだけ考えて。
「……異物だな」
短く言った。
「この世界の中の,な」
―――――――――――――
学校が見えてくる。
大きな門。
その先に広がる校舎。
「……ここ」
浅葱が立ち止まる。
「学校ですよ」
「……知ってる」
一拍。
「……でも」
言葉が続かない。
ただ,じっと見つめている。
その様子に。
嶺羅は,少しだけ不安を覚えた。
「……大丈夫ですか?」
「……うん」
浅葱は,頷く。
「……行く」
一歩,踏み出す。
――その瞬間。
「……あれ」
ダリアが,目を細めた。
「どうしました?」
嶺羅が振り向く。
「……いや」
門の方を見る。
「……気のせいか」
そう言ったが。
その視線の先。
校舎の上。
屋上に。
――誰かが,立っていた。
一瞬だけ。
確かに,こちらを見ていた。
けれど。
次の瞬間には,消えていた。
―――――――――――――
校門をくぐる。
その足元で。
浅葱が,ふと呟いた。
「……ここも」
嶺羅が振り向く。
「……違う」
小さな声。
けれど,確かに。
そう言った。
―――――――――――――
その日。
学園内では,ひとつの噂が流れていた。
「……特例編入?」
「しかも,今日?」
「試験,これかららしいぞ」
ひそひそとした声が,広がる。
まだ誰も知らない。
その中心にいる存在が,
どれほど“異常”なのかを。




