壊れた視界
廊下を,足音が走る。
静まり返った寮の中で,不規則な呼吸と共にその音だけがやけに大きく響いていた。止まることなく,ただ一直線に部屋を目指す。
「……っ,は……っ」
息が整わない。頭の中がぐちゃぐちゃで,考えがまとまらない。
――見られた。
その事実だけが,何度も何度も繰り返される。
―――――――――――――
バンッ!!
勢いよく扉が開かれ,部屋の静けさが一瞬で崩れた。
「……はぁっ……はぁっ……」
花穏がその場に立ち尽くし,肩で息をしている。髪は乱れ,手には壊れたカメラの残骸が握られていた。
「……なに,うるさ……」
ベッドの上で,バクティーがゆっくりと目を開ける。眠たげに視線を向け,「……帰ってきたんだ」と小さく呟いた。
「……無理……ほんと無理……」
花穏は壁に手をつき,そのまま崩れそうになりながら息を整える。「安請け合いしなきゃよかった……」と,かすれた声が落ちた。
―――――――――――――
「お,帰ってきた」
葱翠が身体を起こし,軽く手を振る。「どうだった?」と気軽に聞くその声に,まだ緊張感はない。
「イケメンだった?」と嶺羅も続き,少しだけ身を乗り出す。「告白だったんですよね?」と,興味本位の色が混じっていた。
「……それどころじゃない」
花穏が顔を上げる。さっきまでの軽い空気とは明らかに違う,張り詰めた声だった。
「……やばい」
その一言で,部屋の温度がほんの少しだけ下がる。
―――――――――――――
「なにが?」と湯浅が眉をひそめる。「変なやつだったのは分かるけど」と続ける声も,まだ半分は冗談のままだった。
「違う」と花穏は首を振る。ゆっくりと息を吐き,「そういうレベルじゃない」と低く言い切った。
「……見られた」
ぽつりと落ちた言葉に,一瞬だけ沈黙が走る。
「は?」と葱翠が聞き返す。「いや,透明なんでしょ?」と,当然のように言葉を重ねた。
「……透明でも」
花穏の声が,わずかに震える。「関係なかった」
―――――――――――――
「……は?」
空気が,少しだけ変わる。
「いやいや,それはないって」と湯浅が笑いかけるが,花穏の表情を見て言葉が止まった。「……マジで言ってる?」と,声の調子が落ちる。
「……カメラも,壊された」
握られていた残骸が,ぎしりと音を立てる。「何もしてないのに,いきなり」と付け足す声は,まだ整理しきれていない。
「……はぁ?」
葱翠が,ゆっくりと眉を寄せる。「壊されたって,どうやって」と問いかけるが,答えは返ってこない。
「……分かんない」
ただそれだけだった。
―――――――――――――
「……」
そのとき,浅葱が静かに口を開く。
「……いた」
短い言葉。
全員の視線が,一斉に向く。
「……話した」
それだけを,淡々と続ける。
「……普通だった」
ぽつりと落ちたその一言が,逆に違和感を強めた。
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「普通なわけあるかよ」と湯浅が即座に返す。「見られてんだぞ?」と,さっきの話をなぞるように言葉を重ねた。
「……でも」
浅葱は,少しだけ考えるように間を置く。
「……知ってる気がする」
その言葉に,誰もすぐには反応できなかった。
「……は?」
ようやく漏れた声は,小さかった。
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「……名前」
浅葱が,ゆっくりと続ける。
「浅緋」
空気が,固まる。
「……同級生だって」
それだけ告げて,浅葱は黙った。
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「……ねぇ」
小さな声が,横から落ちる。
バクティーが,ベッドの上でぼんやりとこちらを見ていた。「……それ,さ」とゆっくり瞬きをする。
「……ほんとに,同級生?」
その問いだけが,静かに残った。
誰も,すぐには答えなかった。




