第8話 不意打ちの瞬間
赤い三角屋根のオスタワ城の屋上で鳩が飛び交っている。
空を見上げて、ため息をつくフェリシア・リドマンの姿があった。
不覚にも難しいコントラバスの演奏ができなかったことに相当悔しさが残る。
「なんで、俺はできないんだ。音楽はいっつも、皆から変な目で見られていたのを払拭できると思っていたのに、楽器演奏もできないなんて、俺は……ちくっしょー」
屋根の上で羽根を休めていた鳩たちは、フェリシア・リドマンの声にびっくりして飛び立つ。
「フェリシア? ここにいたのね」
そっと様子を見に来たのは、元妻のパトリック・フェリデンだった。フェリシア・リドマンが音痴なのは昔から知っていたこともあり、音楽は苦手だろうと心配していた。無理に参加する必要なんてないと思っていた。
「俺を馬鹿にしに来たのか?」
「……ううん。全然。なんで、そこまで無理して参加したのか気になって。どうしてそんなことするのかなと」
「ふん……」
機嫌悪そうに地面にあぐらをかいて座る。見上げた空は雲がひとつもなく、青かった。パトリック・フェリデンは、なんとなく、読めていた。ここにいられるのはエリーサベト・モルベリの計らいのおかげであるということ。反抗的な態度は良くないという意識がどこかにあったのだろう。それでも、その意識は我慢の限界だったかもしれない。
「……なぁ、俺はいつまでここにいるのだろうか」
「さーてね。自分の頭でしっかり考えなさい。そもそも、私に聞くのが間違ってるわ」
パトリック・フェリデンは、肩をすくめて、目を閉じる。フェリシア・リドマンは大の字に寝転んだ。スズメが近くを飛んできても気にしなかった。
「あ、そうだ。いいこと思いついたわ。平穏な生活を送るには、エリーサベト・モルベリと結婚してしまえばいいのよ。それがいいわ。そうすれば、肩身の狭い思いをしないで済むし、肩書きだって若き王になれるじゃない」
「は、はぁ?!」
予想外な提案に顎が外れそうになる。寝転んだ体も跳ね起きた。
「パトリック、どんな頭をしているんだ? バテドロン王国の王がオスタワ王国の養子になれと言うのか。馬鹿げたことを! ハハハハ、面白くて鼻水が出てきたよ。パトリック、きみの考えには困ったものだよ」
慌てて、ずるると出てきた鼻水を袖口で拭いた。パトリックは嫌な顔をして、少し離れると、真剣な眼差しで見つめた。
「私はいつでも本気よ。あなたの方こそ、今後の人生をしっかりと考えるべきよ!」
「……俺がエリーサベトと? あの、ぴよぴよでへなちょこなやつと釣り合うって言うのか? ハハハハ……はぁ」
笑いすぎてからふと現実に戻る。そもそも、ここにいるのはバテドロン王国に追放されたためだ。王子でもなんでもない。このオスタワに王子としての地位につけば、格上げだ。庶民のままでいるより断然良い。顎に指をつけて考え直す。
「でも、まぁ、その考えもありっちゃありだなぁ。なぁ! パトリック」
「急ね。あなたの頭勝ち割って覗いてみたいわ。どんな考えしてるのよ。さっきまで怒って笑って……突然の方向転換。着いていけないわ」
「まぁまぁ、そんなこと言わずに。ここはもう、エリーサベトと結婚した方がいい気がしてきたわ」
「へぇ、そう。いいじゃない? そうすれば」
「なんで、そんなあっさりに?」
「私のことじゃないから、別に関係ないし」
「はぁ?! 急に見放すなよ」
「私はあなたの赤の他人よ。もう近づかないで」
何か見えない壁ができたように親身になって聞いていたかと思ったら、冷たい態度のパトリック・フェリデンに、フェリシア・リドマンは戸惑いを見せる。そこへ、屋上にやってきたのはエリーサベト・モルベリだった。
「パトリックぅ、ティータイムにしましょう! 今日はとっておきのケーキを作ってくれるって父上から言われていたのよ。今日はおめでたい日ですからね……あれ、人ともどうしたの?」
「おめでたい日って何かあるの?」
「今日は父上の誕生日だから。美味しいケーキを作らせるって言ってたわ。それより、2人とも何かあったの?」
「ううん。大したことじゃないのよ」
「……エリーサ!」
突然の駆け足でエリーサベトに近づくフェリシア・リドマンは、エリーサベトの手をそっと握った。
「え? 急に、何。どうしたの? なんで、手を握られなくちゃいけないのかしら」
「君の手は白くて美しい」
「何かの劇団?」
エリーサベト・モルベリはボソッとつぶやくと何かのゾーンに入ったようで、フェリシア・リドマンは真剣な眼差しでエリーサベト・モルベリを見つめた。
「君が好きだ」
不意の告白。パトリック・フェリデンはその声に吐き気がしそうになる。 エリーサベト・モルベリはゾワワと蕁麻疹が出た。
「……え? なにこれ」
時間がとまったように3人とも固まった。




