第9話 落ち着かない心の置きどころ
バテドロン王国の空は暗雲が立ち込めていた。遠くの方で稲光も見えてくる。気圧が下がっているようだ。侍女のフィオナが急いで洗濯物を取り込んでいた。
「大変、干したばかりなのに、雨だなんて、嫌だわぁ!」
他の侍女たちも駆け足で洗濯物を取り込んでいる。そこへ、城門からマントを羽織り顔を隠した男が、馬に乗ってやってきた。
「きゃぁ!」
洗濯物が地面に落ちて泥だらけになってしまう。
「すまぬ。急用だったのだ。許してくれ」
そう叫んだのは、羽織っていたマントを取ったダリウス・リドマン伯爵だった。まさか、手を伸ばして助けてもらえるとは思ってもいなかったフィオナは頬を赤らめた。
「い、いえ。大丈夫です。お気になさらずに」
「ケガはしていないようだな。後でまたここに来る。いいな?」
そういうと、慌ててまた馬に跨り、訓練場の方へと行ってしまった。フィオナは立ち止まり、じっと見つめたままだった。
「ちょっと、いつまでも何してるの。雨降ってきたから急がないと!」
他の侍女たちが地面に落ちた洗濯物を片付けていた。
「あ、ごめんなさい。今すぐに」
「全く、洗濯物を取り込むのに忙しいって言うのに、なんだって言うのかしらね」
「また洗えばいいのよ、大丈夫」
「……そうだけどぉ!」
ブツブツ文句を言いながら、取り込む侍女のクリスティーヌをフィオナは、なだめた。
着ていた服が降り出した雨で濡れてしまったダリウス・リドマンは、愛馬を厩舎に誘導すると、尋常じゃないくらいの早さでフェリシア・リドマンの部屋に駆け上がっていった。
「兄さん、兄さんはいるか!」
びしょ濡れのまま、長男のフェリシア・リドマンの部屋に入った。難しい本を片手にモノクルをつけながら、ちらっとダリウスを見る。
「おい、部屋をよごすなよ」
「兄さん! いたのか。そんな、悠長に勉強してる暇ないぞ。聞いてくれ。重大な話だ」
「はぁ? 何があったっていうんだ。俺は、勉強の最中だぞ。政治をしっかり学んで今後のバテドロン王国のために務めると決めたんだ。邪魔だけはしないでくれないか」
机にノートを広げ、インクをつけた万年筆を持つと学者のように真剣な目をしていた。
「結婚が取りやめになったからと言って、これから政治に真剣になるって? 何を今更、言ってるんだか、それどころじゃないって言ってるだろう?!」
「はあ? 大事なことだぞ」
「聞いて驚け。ハンナが婚約破棄をしたんだ」
「へ?! それは一体どういうことだよ!!」
ダリウス・リドマンはフェリシア・リドマンの部屋の中をぐるぐるまわり始めた。もちろん、雨の中を走りまわった靴のままだ。そばにいたフェリシア・リドマン専属の侍女ユリーナは箒で床を掃除するが、濡れていることに気づいていない。
「ちょっと、待て。その靴はどうにかならないか」
「これからどうするって、婚約破棄が二度も起きるって、これは先祖の祟りか何かなのか。はたまた、陰謀が絡んでいるのか。これは一大事だぞ。どうするんだよ、兄さん」
「祟り? 陰謀? 何の話をしているんだ。良いからささっとその靴と服を着替えてこい! ユリーナ、掃除をしてくれ!」
「は、はい。かしこまりました。ただいま!」
フェリシア・リドマンの声が震えた。ダリウス・リドマンは、フェリシアの声には耳も貸さない。
「婚約破棄……この国は本当にどうなってしまうのか。俺は、心配でならないよ、全く」
「俺は、床のびしょ濡れ具合が心配でならないよ!!」
「……床なんてどうだっていいだろう。掃除すればいいんだから。それよりも政治問題は気にならないのか!」
「政治? 婚約破棄くらいで大丈夫だろ、それくらい。国同士が喧嘩した訳じゃないし。別に……」
「おいおいおい。おい。おーーーーい。兄さん、夢でも見てるのかい。既に佳境に入っているのだよ。フェリデン家の怒りは尋常じゃないんだ。知らないのか!」
さらに床が汚れている。追いかけて床を拭くユリーナの姿があった。ダリウス・リドマンは感情的に話し出す。
「まさか、パトリックが一番怒っているのか……?」
「兄さんへの怒りは消えないとは言っていたさ。それよりもロバーツ王様の方だよ」
「王様? ちょっと待て。パトリックの話がかすれていく……」
「ごり押しで進めた婿養子の婚約をどうして破棄されなくちゃいけないかって話だ。兄さんはいなくて正解だってさ。というかさ、俺ら2人のことも父上も母上も考えていないなんて、ひどくないか?!」
「話が濃ゆい! 濃すぎるぞ。なんで、そうなっているんだよ。聞いてないぞ。そんなの。俺たちは結婚しないって前提か。そして、王の権威も無いってことか!? ち、ちくしょぉーーーー」
モノクルを手の中で、バリンと割った。ここで政治の勉強をしている自分が馬鹿らしくなってきた。父母の考えに納得がいっていない。
「……まぁ、これも婚約破棄になったから、安心したけどな? でも、怒りをもっと大きくさせてしまったものだ。戦争がいつ起きてもおかしくないんだぞ!?」
「ふ、複雑な気持ちが増幅するぅうぅううう~。うぉおおおおおーーーー」
フェリシア・リドマンの興奮は覚めなかった。扉を開けると、闘牛士のように勢いよく部屋を出るフェリシア・リドマンをダリウス・リドマンが追いかけた。
侍女のユリーナはひたすら床掃除をし続けていた。
結果、何の解決もせずに騒いで1日が終わってしまった。




