出撃: 最終兵器俺氏
ラブコメ回収まで後15話
「…いっ、痛ぅぅ」
視界の隅で、淡いグリーンのシステムログが絶え間なく流れていく。
網膜に直接投影された文字列は、僕——帯刀覚悟の意思とは無関係に、心拍数、血中酸素濃度などのバイタルデータと、戦闘薬『ベルセルク・カクテル』の残量を数字で示していた。
「……っ、う、あ……」
奥歯を噛み締め、全身を走る鈍い痛みに、漏れそうになる悲鳴を飲み込む。
骨にレーザー焼結されたネオキチン合金が、肉の隙間に縫い付けられたバイオカーボンファイバー製の人工筋肉が、不自然な高出力を維持する為、僕の神経を内側から焼き切らんばかりに主張している。
ここは自衛隊の市ヶ谷駐屯地、地下五十メートルの巨大防空壕に、無理やり構築された居住区だ。
以前住んでいた文都区のマンションの一室を、そのまま移設した空間に、僕ら家族は住んでいる。
窓の外には精細なLEDパネルが設置され、見慣れたはずの街並みが映し出されている。
だが、その映像は微妙に解像度が足りず、ここが逃げ場のない監獄であることを嫌というほど強調していた。
鏡の中の自分を見る。
そこに映っているのは、半年前までは「ただのオタク」だった中学生の残骸だった。
ヒョロガリで猫背。ラノベとアニメをこよなく愛し、クラスの隅で存在感を消して生きていた中学三年生。
それが今では、身長は10センチ以上伸び、左目の虹彩には緑に光る文字が流れ、漆黒のロングコート型ステルスポンチョを羽織り、左腕には人工筋肉のオーバーヒートを防ぐための冷媒循環用スリーブ――包帯にしか見えないもの――を巻いている。
(……どうして、こうなったんだろうな)
僕は、ただのオタクだった。
小さい頃は、テレビの中で戦うヒーローに本気で憧れていた。
悪の怪人をなぎ倒し、絶望的な状況で逆転の必殺技を放つ勇者たち。
彼らはいつだって、正義と勇気を胸に抱き、世界を守り抜いていた。
けれど、成長するにつれて「現実」というやつが身に染みてきた。
運動神経は並以下。勉強もパッとしない。
スクールカーストの底辺で、強そうな奴の顔色を窺って生きる日々。
ヒーローになるには才能が必要で、勇者になるには選ばれた血統が必要だ。
そんなことは、ネット掲示板の書き込みを見るまでもなく理解していた。
努力をすればいい。そう分かっていても、一歩を踏み出す根性なんてなかった。
筋トレを始めても三日で挫折し、格闘技の道場を検索してはその月謝の高さにブラウザを閉じる。
僕は「何者か」になりたかったけれど、何者かになるためのコストを支払う覚悟もなかった。
だからせめて、心の中だけは勇者でありたかった。
厨二病。
世間ではそう呼ばれる、思春期に罹る一過性の病だ。
自分の中には、誰も知らない暗黒の力が眠っている。
今はまだ、その時ではないだけだ。
そう自分に言い聞かせることで、冴えない日常をやり過ごしてきた。
だが、突然発生した運命は、否応無しに僕に勇者になる事を強制した。
——地球代表、帯刀覚悟。
そんなふざけた肩書きが、僕の全てになっていた。
銀河帝国が地球を「資源」として接収するために、一方的に始めた戦争。
その戦争の地球代表として、侵略者が無作為に選んだのが、あろうことか東京都文都区に住む、僕だった。
「カッくん、入るわよ」
ドアが無機質な音を立てて開き、姉ちゃん、帯刀凛がトレイを持って入ってきた。
僕の家族は、問答無用で絶賛改造中の僕の「精神安定剤」という名目で、一緒に暮らしている。
以前は、僕を馬鹿にするのが日課のような姉だったが、最近はその瞳の奥に隠しきれないほどの悲しみが見え隠れする。
「……なんだ。瞑想の邪魔だと言ったはずだが」
僕は鏡から目を逸らさず、わざと低く冷たい声を出した。
震える指先を隠すため、ポンチョのポケットに手を突っ込む。
「瞑想もいいけど、サプリの時間。
ほら、このドロドロの食事、全部飲んでよね。お母さんが泣きながら作ったんだから」
トレイに置かれたのは、軍が指定した美味い不味いの次元を通り越した、泥のような味の液体「戦闘強化食」だ。
「ふん……。我が魔力の糧か。いいだろう、食してやろう」
「……カッくん、もうその喋り方いいから。ここには、カメラ以外誰もいないわよ」
凛の声が少しだけ震えた。
彼女は知っている。
僕がこうして「勇者」の振りをしていなければ、一分一秒だって正気でいられないことを。
骨を削り、神経を加速させ、薬物で恐怖を麻痺させる。
この数ヶ月で行われた改造手術は、人道とか倫理なんて言葉を、鼻で笑い飛ばすほど凄惨なものだった。
麻酔が切れるたびに、僕はベッドの上で悶絶し、母さんの名前を呼んで泣き叫んだ。
「勇者になりたかった」なんて言葉、手術台の上では一瞬で消し飛んだ。
僕はただの、痛いのが嫌いで、死ぬのが怖い、情けないオタクなんだ。
けれど、もう後戻りはできない。
僕が負ければ、地球は銀河帝国の資源として処理される。
父さんも、母さんも、姉ちゃんも、僕を応援してくれる人も、ネットで僕を叩いている見知らぬ誰かも、全員が「資源」に変わる。
(……悪い冗談だよな。僕が地球の運命を背負うなんて)
鏡の中の自分が、自嘲気味に口角を上げる。
網膜ディスプレイに緊急アラートが走った。
『――未確認飛行物体、市ヶ谷上空に接近。代表戦開始まで、残り600秒。帯刀覚悟は出撃デッキへ移動してください』
スピーカーから流れる、軍人の無機質な声。
ガタガタと、情けなく膝が笑っている。
恐怖で今飲んだ、戦闘強化食が逆流しそうだ。
だが、僕は左腕の「包帯」をきつく巻き直した。
「……よし。待たせたな、世界の終焉よ」
「あんたねぇ……」
呆れる姉ちゃんを背に、僕は部屋を出る。
本当は、今すぐここから逃げ出したい。
本当は、今すぐ泣きわめいて辞めさせて貰いたい。
僕は、自分が世界で一番臆病な奴だと信じている。
僕は、自分を「勇者だ」と思い込まなきゃ一歩も前に進めない、弱虫なんだ。
※
エレベーターが地上に向かって、加速を開始する。
ハッチが開けば、そこには圧倒的な美しさを持ち、絶望的な破壊をもたらす侵略者、銀河を統べる『ゼノス星間帝国』第六十四皇位継承者、リナリア・テトラ・ゼノスが待っているはずだ。
僕は深呼吸をし、胸のデバイスを作動させた。
戦闘薬物が血管を駆け抜け、痛みが遠のき、視界が鮮明に、世界がスローモーションへと変わっていく。
震える足を、無理やり一歩踏み出す。
「――絶望の淵より来るがいい、銀河の皇女。僕の『暗黒』が、貴様を飲み込んでやる」
血を吐くような虚勢を、世界に解き放つ。
もし本当に「勇者」という存在がこの世にいるのなら、それはきっと最強の力を持つ奴のことじゃない。
怖くても、痛くても、絶望しても、勇気を振り絞る者の事だと、僕は信じてる。
僕は、地球の最終兵器。
史上最も情けなく、史上最も必死な、僕の戦いの始まりだった。




