12 帝都アウグストス Ⅲ
「やあやあ。朝から皇女殿下を連れているとは、なかなかの色男だったわけだね、少年」
「……」
接し方に戸惑う人物が、二人を最初に出迎える。
いつも任務の話をしてくれる司祭は、たぶん礼拝堂の方だろう。大聖堂なだけあって人手は多い筈だが、今日にいつもより忙しいと見える。
「さあ中に入りたまえ。皇女殿下もどうぞ、こちらへ」
「失礼しますね」
立ったまま動かない少年を余所に、ユノは玄関へと上がっていった。やや遅れからアルケイスも入る。
裏口は、星辰者が使う住居の入り口も兼ねたものだ。帝都に務めていた時、アルケイスもここで寝泊まりした経験がある。
なのでヘロドースに案内されるまでもない。勝手知ったる我が家と同じように、ズンズンと奥へ進んでいく。
しかし途中、一つの違和感を覚えた。
「……誰ともすれ違わないんですけど。ここ数十人の星辰者が寝泊まりしてますよね?」
「うむ、その通りだ。しかし今は多忙でね。帝都の各方面に散っている。――今回、少年と私に託された仕事も、その多忙に関するものだ」
聞いて、アルケイスは眉根を顰める。帝都の各方面に散った? 寝泊まりしている星辰者が全員?
尋常ではない。そもそも帝都の周辺は、厳重な警備によって守られている。内乱が起こったあればともかく、星辰者が全員でる事態は考え難い。
だが起こったのだ。こうして、結果が目の前に現れている以上は。
居間に通されると、教会で使われている木製の神像が目に入る。巨大な剣を手にした軍神の像だ。礼拝堂にある物は剣が赤く染められているが、こちらは素材の色がそのままである。
「ヘロドース殿、早く話を始めていただけますか? 帝都に脅威が迫っているのであれば、それは民草の日常を揺さぶる存在。断じて見過ごすわけには参りません」
「心強いお言葉です、ユノ皇女殿下。さあ、こちらの席にどうぞ」
「……」
これがアルケイス相手なら、八割が批判に入れ替わっていたことだろう。
猫に似た切り替えの速さに感心しながら、彼女の隣に腰を下ろす。ヘロドースは二人の向かい側、神像の近くにある椅子を引いていた。
「皇女殿下は、魔獣についてご存知ですかな?」
「ええ、もちろんです。帝都近郊にも出現し、農地を荒らす憎き敵であると。……しかし彼らを討伐するのであれば、帝国軍の兵士が適切では? 巨大であることを覗けば、野獣と変わりないのですし」
確かにその通りだ。魔獣の討伐は基本、帝国軍が担っている。各地で定期的に被害を及ぼしているため、専門の部隊が設立されているぐらいだ。
それでも毎年、かなりの被害を出しているのが現実。故に国内で魔獣に対する嫌悪感は強く、ある種族に冤罪をきせる事態まで発生している。
「彼らが群れを成して帝都に迫っている――のですか? 星辰者が必要なほどの魔獣の大量発生は、ここ数十年なかったと聞きますが」
「さすが姫様、博学でいらっしゃる。――しかし今回は、少々事情が異なりましてな。使徒魔獣、というのはご存知ですかな?」
「当然です」
自信満々に頷くユノ。反対にアルケイスは首を傾げる。魔獣討伐には何度か出たことがあるが、その単語は初耳だ。
直後にこっそり、かつ容赦のない肘打ちが入った。
「ふぐっ!?」
「?」
んな理不尽な。
痛みに悶えるアルケイスを無視して、二人の話は続いていく。……名前の雰囲気から使徒魔獣が特別な存在であることは分かるが、どんな風に特別なんだろう? やっぱり説明してくれないと、いざって時に対策が立てられない。
ふと、ユノが横目を使う。本当に知らないんですか? と顔には書いてあった。アルケイスは誤魔化しもせずに頷くしかない。
「ヘロドース、私の隣にいる馬鹿へ、使徒魔獣を説明してやってください」
「おや少年、初耳だったのかね?」
「えっと、まあ」
聞いて、ヘロドースは嫌そうな素振りをすることもない。短く咳払いをした後、戦いの際よりも真面目な表情に切り替わった。
戦闘時の彼が歌を口ずさむ役者だとするなら、今の彼は教育者のよう。無知に対して語りかける口調は穏やかで、殺しなんてものを微塵も伺わせない。
「使徒魔獣というのは、魔獣の親玉みたいなものでね。しかし神出鬼没、個体としての能力も極めて高い。たいていは皇帝陛下も出る大騒動になる」
「そ、そんなに凄い魔獣なんですか? 初耳ですけど……」
「出現する頻度が多いわけではないからね、私も一度しか見ていない。対策も確立されていないから、極秘の存在でもある。――だからこそ、帝国政府の反応も大袈裟なのさ」
話の最中、ヘロドースは溜め息を挟む。そこにはやはり、朝の挨拶で感じたような無気力感があった。
辿った流れを考えると、別段珍しい反応ではない。政府に対して複雑な感情を抱く星辰者は大勢いる。基本的に教会の所属とはいえ、政府のお陰で苦労を強いられる者は多いからだ。
何度も時間を繰り返すという所業。精神の負担は当然、意に適わない離別を強要された者も多い。――レアラを失った、アルケイスと同じように。
同郷という前情報があればこそ、向ける眼差しには自然と同情が籠ってしまう。
「使徒魔術が出現するタイミングについては、政府と教会の方で予測が立っている。今日、昼までには出現するとのことだ。私と少年は遊撃隊としてここで待機、出現が確認され次第現場に向かう」
「……分かりました。ユノ様についてはその間、こちらで?」
「預かることになっている。負傷者が出た場合には、皇女殿下の能力で治療してもらうことになっているが――」
「構いません。私程度が、どこまで役に立てるかは疑問ですが」
「はは、ご謙遜を。……それでは私は司祭様に報告してまいりますので、しばしお待ちください」
一礼してから、ヘロドースは居間を出る。
二人は雑談をするでもなく、彼の帰りを待っていた。少なくともアルケイスはそのつもり。これから危険な仕事へ向かう前に、冗談の一つぐらい言ってやろうとか余裕もない。
「頭は切り替わっていますか?」
なので、向こうの問いかけを聞くことになった。
アルケイスはかぶりを振って応じる。あれから丁度一日が経過したぐらいなのだ。……意識するな、と求めるのが正論だとしても、人間の心理はそう簡単に動かない。
「……まあこれ以上は、アルケイス個人の問題です。私は何も言いません」
「じゃあこっちの質問に答えたりは、してくれる?」
「もちろんです」
ユノはアルケイスと目を合わせようとしない。そうすることで、何かを必死にせき止めているような横顔だった。
「――僕が時間を巻き戻したのは、正しかったのかな? もし何もしなければ、レアラ様とは再会できた。……そのあと、彼女は死ぬんだろうけど」
「どこに正否を求めるかで答えは代わりますが、私はアルケイスの行為は仕方なかったと考えます」
「……」
正しかった、ではなく。少年の性格上仕方ないと、ユノは前を向いて言い切った。
自分でも同意するしかない。仮に未来を知っていても、手紙の存在が分かっていても、時間回帰は行っただろう。何一つ抵抗しないで現状を受け入れるなんて、あの時は出来る筈もなかった。
「じゃあやり直さなければ、後悔せずに済んだのかな?」
「ありえませんね、結末自体は今のものと変わりませんから。あらかじめ手紙を呼んでいたとしても、同じ後悔を背負うだけです。……後悔の有無など、問いかけるだけ無意味ですよ」
「だよね」
もしもああしていれば、なんて逃げ道は、これで断たれた。
あとは自分の覚悟次第だろう。どんな風に責任を背負えばいいのか分からないが、道がはっきりしているなら、気持ちだって真っ直ぐになる。
生きている罪悪感は、いつまでも拭えないかもしれないけど。
だからって、生きることを止めるわけにはいかないのだ。
「じゃ、今は仕事に打ち込むとしますか。ユノだって守らなきゃいけないしね」
「熱中して、都合の悪いことは忘れたいと?」
「……容赦なさすぎるけど、まあ否定はしないよ。人生ってどこまで行っても、何かから逃げてるのかもしれないし。不幸とか、そういうのからさ」
「哲学的ですね」
クスリと、ようやくユノの横顔に笑みが差す。
……なんだか、さっきまで彼女が緊張していたように見えてきた。短い間で終わったようには感じるけど、悩みが軽くなったこともあって関心が向く。
「ねえユノ、さっき何か考えてた? ずいぶん真剣そうな顔だったけど」
「――貴方を慰める方法について、試行錯誤していました」
「へっ」
思いもよらぬ返答に、つい気の抜けた声が出た。追加で顔の熱も上がってくる。ユノが毅然とした態度を取っているお陰で、余計に恥ずかしい。