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旅の果て  作者: 海之本
6/6

救助

 エナンは離れた場所から処刑場の様子を窺った。たいまつが門の入り口にたかれており、曝し場はうっすらと明い。

 監視台の役目をも果たしている城壁を見上げ、見回りの兵士がいないかどうか、つぶさに観察した。だが、さすがに暗くてはっきりとは分からない。

 このまま道を堂々と歩くより、死角を進んでいく方がいいだろう。エナンは身を低くして店の天幕の中を通り抜けた。

 最後の天幕をぬけ広場が目の前に広がると、エナンは足を止めた。


「え?嘘……」


 エナンは目を疑った。

 たいまつの橙色の光に浮かび上がる処刑場。曝し人が横たわっていたはずのその曝し台の上には人の姿がなかった。

 エナンは信じられない思いで、屋台の物陰からよたよたと曝し台へと歩み寄った。木の板で組み立てられただけの台には、やはり人はいない。


「どこ、行っちゃた?」


 探すように台の木板の上を両手で撫でるも、夢だったのではないかとさえ思えるほど痕跡すらない。

 その時、城壁の上からパタパタと人の足音が聞こえ、エイナはとっさに屈みこんで曝し台の影に隠れた。この状況で見つかったら、怒られるだけでは済まないことぐらいエナンにも分かっている。

 バクバクとする心臓を衣の上から押さえつけ、呼吸を整える。

 危ない、危なすぎる。自分はなんて危険なことをしているんだ。エナンの胸に後悔がもたげた時、ふと、地面に何かを引きずったような跡が伸びているのに気がついた。その先を目で追っていくと、エナンが抜けた方向とは反対側の天幕へ続いる。

 もしかするとあの人は、力を振り絞って逃げようとしているのかもしれない。

 エイナは何かに弾かれるように中腰のままその跡を追いかけ、躊躇することなく幕屋の中に入った。

 破れた天井幕の穴から月明かりが差し込み、白い物体を照らしている。地面に広がる銀髪はまるで萎びた翼かと見間違うほど柔らかく輝き、力なく白い体に巻きついていた。ずつずたに引き裂かれた衣から見えている肌は、青い光の中で白く輝き、黒いものが胸元から体中を染めている。

 苦しそうに眉間にしわを寄せ胸を押さえているのは、紛れもなくエイナがその胸から短剣を抜きとった曝し人だった。

 その時、辺り一帯に警告を知らせる角笛が鳴り響いた。


「死体がない!死体がないぞ!」


 城壁の方から響き渡る声は緊迫していた。

 このままじゃ、見つかれば大変なことになる。

 あまりの騒ぎにエナンは考える間もなく彼の元へ飛び付くと、体を揺らした。


「目を開けて!?早く!早く!ここから逃げなきゃ!」


 がくがくと揺らされた衝撃が意識を呼びもどしたのか、ゆっくりと開かれた目は艶やかな瞳を動かしエナンをとらえた。その瞳孔が驚きで開いていくのをエナンは見逃さなかった。

 彼は確かに生きている。ここから助けなくては!そうエナンの中で思いが大きく爆発した。

 白い肌に触れることを一瞬躊躇したが、1秒でも惜しいと、腕を取って自分の肩に担いだ。無理矢理に起き上がらせたものの、予想以上の重圧が体にのしかかり、前へと倒れこみそうになった。だがそれでも何とか気力で踏ん張る。

 呼吸を整え、エナンが一歩進むと、銀髪がさらりと揺れた。

 彼はぐったりとしながらも、自分でも歩こうとしているようだった。一歩、一歩、彼の動きに合わせながら進み、やっとの思いで隣りの屋台へと抜け出る。だがもう、足音はすぐそこにまで迫っていた。

 このままでは埒が明かない。彼を抱え上げ、走り出すことができればいいのだが。子供の自分には大人の男を支えるだけでも精一杯だと、到底できないことはエナンにも分かっていた。

 これじゃ追いつかれてしまう。エナンは焦りを覚えながら辺りを見回した。

 何か、何か、ないだろうかと。


「お!」


 小さな荷車がぽつんとそこにあった。

 置き忘れられているのか、壊れているのか、それでもエイナには希望の光だ。引きずるように彼を荷台まで運び、その上に寝かした。急いで手押し棒の方へ回ると、それを持ち上げ、全体重をかけて押しだす。重たい抵抗力と共に、ゆっくりと進み始めた荷車は、エナンが足を進めていくうちに、しだいに軽くなり、加速していく。

 これはいい!

 エナンは内心喜びながらも、すぐに焦りの気持ちでいっぱいになった。この瞬間にも、物陰から兵士が飛び出してくるのではないかと怖くなり、垂れ幕の中を全力で駆け抜けた。

 暫く走ると屋台群を抜け、すぐに街中の道に出た。いつもの見慣れた道なのに、暗くひと気のない街中はどこか知らない場所のように思える。

 うるさいほど、ゴロゴロと木製の車輪が地面を回るたび響き渡る音。兵士たちに居場所が分かってしまうのではないかと思ったが、疲れを覚え始めた今のエイナには、音を立てずに荷車を引く余裕などなかった。

 エナンは荒い息を切らせ、ちらりと荷台の上を振り返った。確かにそこには、激しい震動に揺られるのもお構いなく、静かに目を閉じて横たわっている美しい人がいる。

 これは夢なんかじゃない。そう確認したエナンはひたすら走り続けた。


 街外れまで来ると、山へと続く深い森がエナンを迎えた。額の汗をぬぐい、後もう少しだと気力を振り絞り足を進めたエナンは、そのはずれにある細い獣道にたどり着いた。

 この先は森へと続いており、大人ですらめったに立ち入ることはない。荷台を引っ張りながら、足場の悪い道を駆け上がると、木々が途切れ小さな丘が現れた。その頂上には、古びた小さな小屋がひっそりと建っている。昔は狩猟の際、休憩所として使われていたらしいが、今はもう誰もその存在すら知らない。

 偶然にもエナンが一人で散策している時に見つけた場所だった。それ以来秘密基地として人知れずこっそりと遊び場にしているエイナは、この辺りのことならよく把握している。ここなら街から見上げても木々が目隠しになる。灯りをつけても、火を焚いても、街からは分からないだろう。それに食料、と言ってもお菓子だが幾らか置いてある。暫くの間、隠れることができるはずだ。

 エナンはかんぬきを引き抜き両開きの扉を開けると、荷台ごと中へ入った。

 荷車を置くと戸口から顔を出して外の様子を窺う。さわさわと揺れる草原が月明かりに照らされ、森の黒い影が夜の中に浮かんでいる。響き渡る虫たちの鳴き声に、異変はない。

 追手の心配はなさそうだ。エナンは扉を閉め、中からしっかりと錠を下ろした。

 虫の声は弱まり、涼しい風が消えた。その瞬間、エナンは思わず安堵のような、疲れのようなため息を漏らした。

 だがまだすべてを終えたわけではない。額の汗をぬぐい、小屋の中に視線を向けると、部屋の中は外よりも暗かった。小さな窓から、青い光が差し込んでいるが、その程度では何も見えない。

 柱に掛けているランプを手に取ると、鞄から手探りでマッチを取り出す。ランプに火をつけると、ぼんやりと淡い光が浮かび上がり、部屋を照らす。

 荷台でその幅を閉めている部屋の中には、長方形のテーブルと2脚の椅子、そして暖炉があるほかはエナンの持ち込んだ本棚と長椅子が窓際に置いてあるだけだった。

 ここは友達でさえ立ち入らせたことのない大切な場所。まさかこんな形で人を連れて来る日がこようとは、エナンは夢にも思っていなかった。


 ランプを掲げ、荷台に横たわったまま動かない彼の姿を映し出す。

 エナンはランプを天井から吊り下げると、鞄の中から皮袋に入れて持ってきた水を取り出した。そして彼の頭の下に手を入れ少し持ち上げると、彼の口元に皮袋をあてた。

 ぶくり、ぶくりとこぼしながらも、何とか飲もうと口を動かしている。彼はあの場所に曝されてから一度も水を口にしていなかったに違いない。弱々しくも渇望が明らかに見て取れた。

 もういらないのか、顔をわずかにそむけた彼の頭をそっと戻すと、それでも相変わらず苦し気に眉を寄せ、浅い呼吸を繰り返している。

 胸元に広がる黒いシミ。その中心には短剣の刃の傷がぽっかりと口を開けていた。エナンは黒く汚れた衣に手をかけ、そっとめくってみる。ベリベリと音を立てながら、皮膚からはがれていく生地が傷口のあたりで固まり、張り付いていた。無理矢理に剥がせば痛むだろうが、このままでは傷に支障が出る。

 エナンは暖炉の傍によると、脇に積んである薪をくべ、マッチで火をつけた。暖炉の炎が安定するのに、そう時間はかからず、めらめらと薪が燃えていく。その上に底の深い鍋をつりさげ、革袋の水をその中に入れた。

 暫くして鍋の中の水が心地好さを感じる程度に温まったのを確かめると、エナンは酌でぬるま湯をすくい、それを彼の胸元へそっと掛けた。

 ぽたぽたと脇腹から下へ、赤黒く汚れた水が落ちていく。

 彼の呼吸が少し震えたが、さして痛そうには見えなかった。二三度湯をかけると次第に血が溶けだし、張り付いていた布は簡単に剥がれた。

 エナンは鞄の中身をテーブルの上にぶちまけると、家から持ってきたものを適当に並べた。そして、清潔な粗布を何枚か手に取り、それで彼の胸元を拭っては、こびりついた血を洗い流す。

 黒く染まっていた胸元から白い肌が現れ、傷口の形がはっきりと見えるようになった。左の胸元、ちょうど心臓のある場所に、あばら骨と骨の間を一筋の傷がぱっくりと開いている。

 こんな場所を刺されて、よく生きているなとエナンは驚いた。

 傷口をほんの少し広げ調べてみると、中の骨が見えジワリと血が滲んだ。だがそう傷はそう深くはなかった。代わりに骨の表面に削られたような傷がある。もしかすると短剣の刃が骨に引っ掛かり偶然にも、心臓と肺を上手く避けて刺さったのかもしれない。

 エナンの頭には以前興味半分で読んだ医学書にあった、傷を縫うという手法がよぎっていた。だが、それはあくまでも医学的なもので、ただ本を読んだだけのエナンにそう簡単にできるものではないことぐらい分かっている。だからといって町の医者に見せるのも難しいだろう。

 エナンはもう一度、傷口を確認した。傷はぱっくりと開いており、傷口の血はまだ固まっていない。

 このまま包帯を巻き止血し続けるより、縫った方が血も止まりやすく、化膿もしにくいはずだ。かなり気は進まないが、エナンには他に最善の処置が思い浮かばなかった。


 エナンは彼に向かって、出来るだけ落ち着いた声で言った。


「今から、傷を縫います。麻酔なんてないから、かなり……痛むと、思います」


 するとその声に応えるように、彼は目をゆっくりと開けた。深い翠色の瞳が現れ、エナンは綺麗だと思った。その静かな湖面のような目が、ゆっくりとエナンに向けられる。


「やめて、ほしいですか?」


 だが彼は小さく首を振った。大丈夫だと。

 はっきりと焦点が合ったその目を見て、エナンは覚悟を決めた。

 テーブルの上から、針と糸を取り出し、それをすっかり沸騰している鍋の中に入れた。それからしっかりと自分の手を洗い、家から持ってきた父親たちの酒を鞄から取り出した。


「今から消毒します」


 そう声をかけるが、また目をつぶってしまった彼に反応はなかった。だがエナンはやめなかった。


「いきますよ?」


 そう合図をかけると、ボトルから酒を胸元にそっと注ぎだした。

 耐えるように呻く声が、微かに漏れる。

 だが男が驚いた様子も、抵抗しようとする仕草も見せないのを見て、自分の声が聞こえているのだとエナンは確信した。この人は自分に手当てされることを受け入れてくれている。男から信頼されているように思え、自信が湧いた。

 エナンは煮えたぎる鍋の柄を布でぐるぐる巻いてテーブルの上に置くと、ペン先で針と糸を取り出して、布の上に置いた。そして針の穴に糸を通すと、椅子を持って彼の横に座った。

 じっと傷口を見つめ、どこから縫い始め、どう縫い合わせていくのか頭の中で思い描く。


 ランプの炎がちろりと揺れた。

 大きく息を吸うと、エナンは針を彼の胸元にあてた。恐る恐る針を傷口の横に刺すと、男は息を詰める。

 怖がってはいけない。手が遅くなればその分、男に与える痛みが長引く。エナンは何度も自分にそう言い聞かせ、今度は思い切って力を入れて針を皮膚に差した。

 同時に、針から伝わる皮膚を貫く感覚に、腹の底が震えるほど恐ろしくなる。それでも震える手にぐっと力を入れて皮膚を刺し通した。硬いものを刺すような抵抗力がある一方で、今にも裂けてしまうのではないかと思うほどの柔らかさと薄い感覚がした。

 それでも男は呻くこともせずじっと耐えている。

 エナンはごくりと唾を呑みこんだ。裁縫さえろくにしたことのない自分が、人の皮膚に針を突き刺している重大さを感じた。恐怖で乱れた気持ちのままでは、失敗してしまう。エナンは本能的にこみ上げる恐怖を無理矢理押さえつけ、自分を落ち着かせた。

 傷口をきゅっと寄せ、今まで生きてきた中で最高に集中力を高める。

 エナンは息をするのも忘れた。

 痛みが少ないようできるだけすばやく針を皮膚に通し、本の知識を手さぐりに縫いつけていく。そして、傷口が緩まないよう、しっかり糸を結ぶと残りの部分をナイフで切った。

 その瞬間、エナンは深いため息を腹の底から出し、脱力した。

 だが彼はまだ痛みに顔を歪めていた。

 きっとこの後、傷口が熱を帯びてくるに違いない。

 エナンは疲労を感じる体を起こし、小屋のすぐ裏手に流れている小川から水を汲むため扉を開けた。山からの心地好い風が流れ込み、汗ばんだ体を冷やしていく。

 その時ようやく、暖炉に火をつけたせいで小屋の中が蒸し返る熱いことに気がついた。エナンは額の汗を拭いながらバケツを持って小川に向かった。川の水は山から流れてくるためか、とてもよく冷えている。

 その心地好さに浸ることもなくいっぱいに水を汲むと、重くなったバケツを両手で持ちながら小屋へと帰った。

 布に冷たい水を沁みこませ、傷に掛からないよう胸元にあてた。

 男の表情が少しばかり安堵したように見え、エナンはほっと息をついた。だが、男はまだ痛々しいほど体中が砂埃と血で汚れている。これでは他に怪我をしていても分からない。エナンはバケツの水を再び大鍋の中に入れて火にかけ、心地好い程度に温まると、大鍋をテーブルの上に置き別の布をその湯に浸し硬く絞った。

 そっと布を脚先に当て、ゆっくりと足の汚れをふきとった。こびりついた血や泥から白い肌が見えると、あっという間に白かった布切れは茶色く変色していく。

 何度も大鍋で布を洗いながら、両足を拭き、腕に取り掛かる。二の腕から肘、腕、手と拭いていき、エナンの手の上に乗せた男の指は細く長く、女性の手だと言われても疑わないほど繊細だった。爪の先に入り込んだ黒く変色した血を取るため、エナンは大鍋を抱えて椅子に座り、男の手を湯につけて洗った。

 体のほとんどが綺麗になり、泥人形のようだった男は彫刻のような白い美しい人間へと姿を変えている。エナンはずっと屈んでいた腰を伸ばし、その変わりようにしばし満足感を覚えながら息ついた。


  開け放った扉から心地好い風が流れ込むのを感じながら、エナンはこの後どうしようかと焚火をぼうと眺めながら考えた。だが疲労と眠気で頭は働かない。

  ふと外を見れば空が白く滲みだしている。


「やばいな、早く帰らないと」


 ぼんやりとした意識を冷ますように腕を空に上げ、疲れた体で伸びをする。幾らか力が戻ったように思え、エナンは「よし!」と気合を入れた。

 小屋に戻ると、長椅子の上に置いたままの掛け布を取り、それを彼の腹の上まで駆けてやる。男の顔を覗きこむと、幾分痛みに顔を歪めているもののどうやら眠りについているらしい。


「ちょっと家に戻るけど、お昼になったらまた来るよ」


 小声で耳元にそう囁いてみたが、きっと聞こえてはいないだろう。

 エナンは、喉が渇いたらすぐに水を飲めるよう、男の枕もとに革袋を置き、日差しが高くなるにつれて小屋の中に熱がこもらないように天蓋窓を開けておいた。

 しっかりと外から扉を閉め、誰も中に入れないことを確認すると、一目散に丘を駆け降り、まだ人気のない街中を駆け抜け家路についた。





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