その会社は、本当にホワイト企業か
福寿事務所
応接セットのソファに福寿と正木が並んで座る。二人の前には、荒木真由美という、中年の女性がいた。
きちんとした身なりでいるが、明らかにどこか落ち着かない様子が見て取れた。テーブルに出したコーヒーの湯気が消えかけていた。
荒木が差し出した名刺には[向陽電機]とある。産業機械製造大手で、ホワイト企業として経済産業省や、厚生労働省からも表彰されたことがある。
「内部通報ということですが…」
福寿が荒木に尋ねた。
「勤務時間の改ざん、労災隠しがこの半年で相次ぎました。丁度、上司が変わってからなんです」
荒木が手帳を見ながら答えた。
「そして3ヶ月前、社員に突然死がありましたが。ご家族は労働基準監督署へ訴えると申し出ていましたが、それも揉み消そうと動きました」
「もみ消すと言うと…」
正木が身を乗り出した。
「『過労死』ではなく、持病によるものだ。これで訴えるなら、会社として逆訴訟をするぞ、と。それで、ご家族は一旦取りやめたと聞いています」
福寿は息を呑んだ。
「直前の健康診断でも所見なしと言われていましたし、持病という話も聞いていません」
「それは、誰が言っているのですか?」
「総務課長の、宮下です」
「なるほど。それで、御社の『公益通報窓口』へ通報されたわけですね」
福寿が言い、正木がタブレットに記録していく。
「ご相談は、内部通報に関しての報復人事が行われているのではないか…ということでしたね」
「そうなんです。本当に直後からです。会議から外され、イントラへの権限も一部止められて…」
荒木はそう言うと、唇を噛んだ。
「荒木さん、断片的でも良いので、それが分かる証拠はありませんか?」
福寿が聞くと、荒木は困惑した顔を浮かべた。
「それが…暴言もないですし、脅迫も無くて。けれど、気づいたら居場所が無くなっているというか…」
福寿は、そこで初めて荒木の目を真っ直ぐ見た。
「初めてでは無さそうですね」
福寿は、低い声でつぶやいた。
「どういうことですか?」
正木が福寿の横顔を見る。
「告発者潰しよ…手慣れた感じがする」
正木の背筋に、冷たいものが走った。荒木はしばらく黙っていたが、やがて小さく頷いた。
「先生…この件、受けていただけますか」
一瞬、間が空いた。
「分かりました。まず事実確認から始めましょう。そして、場合によっては、弁護士の応援を依頼する事があることをご承知おきください」
声のトーンから、福寿がこの件を本気で警戒していることを感じていた。
「荒木さん。まず確認させてください」
福寿が静かに言う。
「あなたに対する処遇変更の通達や異動の打診、会議からの除外。これらはすべて、口頭や運用上の変更ですね」
「はい…すべてそうです。メールや正式通知はありません」
荒木の声はかすかに震えていた。
正木がタブレットを操作する手を止める。
「証拠を残さない…ということですか」
福寿が小さく頷いた。
「荒木さん、その総務課長・宮下さんという方ですが、今回の内部通報制度の窓口とは、所管は別ですね?」
「そうです。通報窓口は別にあります。でも実質、総務課長ということで、全部宮下さんが握っているような状態ではないかと…」
そこで荒木は言葉を切った。自分の言っていることが、どれほど異常かに気づいている顔だった。
「わかりました。ただこの案件、先程申し上げた通り、通常の社労士業務の範囲を超える可能性が高いです。外部の法的支援を入れる事を前提にお考えください」
「弁護士ですか?」
その瞬間、荒木の表情が強張った。
「でも…それをやったら、私…」
「大丈夫ですよ」
福寿は視線を逸らさなかった。
「守秘義務の範囲内で動きます」
短い沈黙のあと、荒木は深く頭を下げた。
「お願いします…もう私、戻れないところまで来ている気がするんです」
それは、明らかに怯えた声だった。




