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第三章 六十五時間前

 =六五時間前=


「これは人混みというよりは、人の海だな」

 ベルディナ・アーク・ブルーネスが通りを埋め尽くす雑踏と道路を埋め尽くす車の群れを前にため息をつく。

「そうですわね。正直、うんざりしますわ」

 側に立つルーディアもそれに頷く。

 その二人の容姿は国際都市である東京においても異彩を放っている。片方は背が低いにせよ一般的な白人男性の青年風だが、彼が身に纏う灰色のローブは現代人の目から見れば異質である。

 その隣のルーディアも黒に近い蒼髪に透き通るような白い肌を、それとは全く逆の漆黒のドレスで覆い尽くしている。

 他人に無関心であるはずの通行人もその二人の姿を見てしまえば嫌がおうにも振り向いてしまっている様子だ。

「マスター、わたくし達注目の的ですわよ」

 ルーディアはその無遠慮な視線に対しても笑顔を浮かべ、時折手を振っては道行く人々を困惑させている。

「だろうな。時代を間違えた痛い奴らだって顔だ」

 ベルディナはクスクスと笑ってその状況を楽しんでいるルーディアの手を引き歩き出した。

「もう行くんですの?」

 ベルディナとは歩幅の違うルーディアは少し小走り気味でそれに追いつこうとする。

「予定まではまだ時間がある。先に食事だ」

「わたくし、チョコレートパフェが食べたいですわ」

「勝手にしな」

 そう言い放つとベルディナは歩調を変えずどんどん人並みをかき分けていく。

「ちょっと、マスター。もう少しゆっくり歩いてくださいまし」

 時々足がもつれて肩が通行人に接触しそうになるルーディアはそういうが、ベルディナはそれを無視して歩き続ける。

「もう、ご無体なマスターですこと。でも、そういう強引なところは嫌いではありませんわ」

 ベルディナは呆れた表情で歩調をゆるめる。

「まったく、何でこんな使い魔を使役することになったんだか」

「もちろん、マスターがそうお望みになったからですわ」

「まったく、死にたくなるぜ」


 二人はそのまま近くのイタリア料理店へと足を運ぶ。昼食時を少し外れていたが、それでも店内は仕事休みのOLや会社員が紅茶や珈琲を片手に談笑をしている。

 席に案内された二人はメニューに目を通し給仕よ呼びつけた。

「このランチコースを。食前酒にキールロワイヤルを、食後はダージリンで頼む。ルーディア、お前は?」

「マスターと同じものを。わたくしはアッサムをお願いしますわ。デザートにこのチョコレートパフェをお願いしてもよろしいですか?」

「申し訳ございません。お嬢様にお酒はちょっと……」

「でしたらシャーリーテンプルを。これは問題ないとおもいましてよ」

「かしこまりました」


「相変わらずこの国の人間は融通が利きませんのね」

「それだけ勤勉ってことだ。賄賂を取らない警察官といい、ここの国民性は気に入っているがな」

「私はダメですわ。見かけだけで判断されるのは不快ですの!」

 ルーディアはお嬢様と呼ばれたことに不満なのか、最初に運ばれてきた水に浮かぶ氷をいじりながらいらだたしげに足をぶらつかせた。

「その姿で生まれたことを呪うんだな」

「あら、私をこの姿にしたのはマスターですのよ」

「そうなのか?てっきりお前の趣味かと思っていたが」

「この服は私の趣味ですわ。最も、変えようと思えば変えられるのですけど」

「結局お前の趣味なんじゃねぇか」

 食前酒と共にオードブルが運ばれてきた。

 平たい中皿の上には、オリーブオイルをベースとしたドレッシングのマグロのカルパッチョ、穴子のフリッターが盛りつけられている。

 味は日本人好みで薄味に調えられているが、その繊細な味わいは二人の舌を大いに満足させた。続くパスタも、白ワインで仕上げられた鴨肉のラグーソースが絶妙だった。

 ランチのコースであるため肉料理はつけられていないが、昼食としてはほどよい分量だった。

「相変わらずこの国の飯はいいな。アメリカやイギリスのジャンクフードに比べるのは失礼かもしれんが」

 つい十数時間前までいたアメリカの雑な料理に慣れていた舌には、例え大衆レストランの料理であっても宮廷料理に思える。

「そうですわね。わたくし、ハンバーガーは好みではありませんでしたわ」

 使い魔のくせに舌が肥えやがってと毒づくが、紅茶と一緒に運ばれてきたパフェをほおばる彼女を見るとそれもどうでも良くなってしまった。

 椅子に座った自分の背丈ほどにもあるグラスを小さなスプーンで必死になってつつくルーディアを見るベルディナの目は、まるでやんちゃな娘をもつ父親のものだった。

 周りを見てみると、店内にいる何人かの客や給仕もそんなルーディアを微笑ましげに見守っている様子だった。

「(まあ、もっとも、ルーディアは俺たちの何十倍の時を生きているんだけどな)」

 ルーディアが受肉してまだ一〇年ほどしか立っていないが、それまでの彼女は五〇〇年間書庫で眠らされていた魔導書だった。それが持つ知識は、例え二〇〇年を越える人生を持つベルディナであってもとうてい及び付かないものであるといえる。

 しかし、書庫で得られるものは知識だけであり、それは経験を伴うことはない。ルーディアがこんなにも世界に興味を示すのは五〇〇年間鬱積した経験欲のなせる技なのだろうとベルディナは考えた。

 と、突然ベルディナの懐が震え始めた。ベルディナは、おっと、と言ってそのふるえの元凶である携帯電話を取り出すと送信元を確かめ通話ボタンを押した。

「俺だ。ようやく連絡か、待ちくたびれたぜ」

「ああ、問題なく入国できた。荷物も後日届くはずだ」

「分かってるよ、あんたには感謝してる。正規ルートではどうやっても持ち込めない代もんだからな」

「今は食事をとっている。後二,三時間でそちらに到着できるはずだ」

「分かった。話はその時に」


「先方からですの?」

「ああ、どうやら食事を用意して待っていてくれたらしい」

「それは、悪いことをしましたわね」

「いいさ。別に会食が目的じゃねぇんだし」

「行きますの?」

「ああ。支払いを済ませてくる」

「分かりましたわ」

 ベルディナは席を立ちレジスターへ向かう。ルーディアは最後までとって置いたバナナを一口で頬張るとそのままベルディナを追った。


***


 ベルディナの目的地である朱鷺守の屋敷は、都内の中心から電車を幾つか乗り継いで二時間ほどかかる位置にあった。

 朱鷺守は古くから続く名門の家であり、現代の日本においても政治や経済に大きな影響を持つ名家の一つだ。江戸は武家、明治からは貴族の名門としてこの国を影ながら支えてきた歴史がある。

 彼らが守ってきたもの、それは日本古来の伝統魔術だった。しかし、明治に入り西欧文化や技術が日本へともたらされるに辺り、近代西洋魔術もが日本へと侵入を果たそうとしたことは避けられない運命だったのかもしれない。

 日本古来の伝統魔術、陰陽道、神道、仏道、土着の精霊信仰に代表される魔術はその立ち位置を危うくする事となった。近代思想と共に発展した近代西洋魔術は、神を退けるほどの合理性とはっきりとした体系を持つ技術だった。

 流入する近代西洋魔術に対抗して、日本伝統魔術を守り続けるにはどうすればよいか。

 その当時に朱鷺守はそれを真剣に考えた唯一の魔術家だった。

 彼らは西洋魔術を学び、多くの若者を欧米へと留学させ、ついには日本伝統魔術と近代西洋魔術を融合させた日本近代魔術を生み出すことに成功した。

 都市の郊外にあっても人の往来の多い地域に立てられたその屋敷には、俗世とは切り離されたかのような静寂が覆い尽くす。

 その屋敷の一角に位置する隠居の茶室には何者の侵入も許さないような静謐さが漂い、見るものが見たのであればその区画には強い『人払い』の魔術が刻まれていることが分かるだろう。

 その茶室の主、朱鷺守総弦は老眼鏡を外し、手に持っていた毛筆を硯において一息ついた。茶室造りの隠居には書をたしなむ机とは別の所に茶の湯の一式がそろえられている。

 既に一線を退き、隠遁生活を送る彼にとってこの束の間の点茶が何よりもの楽しみなっている。

「お客様のご到着です」

 障子張りの茶室の向こうから侍従の声が届いた。

「通せ」

 総弦はそう一言伝えた。

 起伏のない今の生活において、点茶以上に楽しみに思うことがもう一つある。それは古い友人が遠方より訪ねてきた時だった。

 ウグイス張りの廊下のきしむとと共に二人の人物が茶室へ向かってきている。

 障子戸を引く静かな音共に、庭に設えられた鹿威しの簡素な響きが耳をなでつける。

「すっかり隠居をしているようだな。総弦。久しぶりにあえて嬉しい」

 久しく合う友人はどうやらまるで変わっていないらしい。総弦は若かりし頃の自分を思い出すように微笑むと、客人を迎えるため面を上げた。

「私も嬉しいよ、ベルディナ。腰が痛くてね、座ったままで失礼する」

 ベルディナはかまわんと言うと、ルーディアをつれて部屋に入り近くに敷いてあった座布団にあぐらをかいた。

「わたくしはお初にお目にかかる事になりますわね」

 ルーディアはそう微笑むと、総弦の前に一歩足を踏み出した。

「このお嬢さんは?君の娘さんか何かかね?」

 ベルディナは笑うと、

「そういうと思ったぜ」

 と言ってルーディアを紹介した。

「これはルーディア。一〇年前から俺の使い魔をやっている」

「以後お見知りおきをお願いいたしますわ、朱鷺守の老師様」

 ルーディアはスカートの裾をちょこんとつまみ上げると、恭しく礼をした。

「これは、ご丁寧に。そうですか、人の姿をした使い魔とは初めてお会いしますな」

 総弦もそれに答え、正座のまま手を畳につけると深く面を下げた。

「私は朱鷺守総弦と申します。今は隠居の身の上ですが、ベルディナ大導師殿とは幼少の頃から親しくしていただいております」

 そんな二人をみて、ヤレヤレと肩をすくめるベルディナは一通りの挨拶が終わったところを見計らって本題に移ることとした。

「それで?俺がここに呼ばれた理由は何だ?それも朱鷺守の当主ではなく隠居中のお前に。しかも、裏口から通されたって事は当主にも秘密の話題だと邪推したが」

 総弦は、少し口を閉じ、棗に蓄えられた緑の粉末を茶杓にとるとそれを茶碗に移し、湯を入れ茶筅でそれを撹拌させる。

 静かな密室に響く茶筅の囁きはその静寂をいっそう際だたせるようにベルディナには感じられた。

「さて、どこから話したものか」

 点てられた茶の湯をベルディナの前に置きながら、総弦は眉をひそめた。

「まずは理由だ。俺が呼ばれた理由。前置きは言い。端的に頼む」

 ベルディナは軽く礼をして茶碗を取り上げ、内側に何度か回すと軽く音を立ててそれを口に含んだ。

 物珍しそうにそれを見るルーディアにも総弦は同じものを差し出した。ルーディアもベルディナの真似をして茶の湯を口に含むが、その独特に苦みに少し眉をひそめた。

「呼び出した理由。それは、私の孫娘のことだ」

 総弦は、自分の分の薄茶も点てながらゆっくりとかみ砕くように話し始めた。

 その話が終わる頃にはそろそろ空も夕日の赤みが差し、紫がかった雲がまるでねぐらを探す渡り鳥のように風に流されていく頃だった。

 ベルディナは側に置かれた小さな火鉢に手を置きながら、総弦から話された言葉を反芻しながら少し視線を下げた。

 一時間ほど前に無口な侍従が運んできた料理を口にしながらベルディナはその話を聞いていた。

 ルーディアは話に飽きてしまったのか、何か興味を引くものを見つけたのか料理が運ばれてくる前にどこかに行ってしまいここには居ない。

 総弦の孫娘、朱鷺守七葉の名が出された時点で総弦が何を話そうとしていたのかは想像がついていたが、実際にその通りのことを伝えられては何も感じないわけにも行かない。

「つまり、それは。お前の孫娘、朱鷺守七葉を極秘の内に連れ出せ、ということか」

 空になった陶器の椀を手でもてあそびながらベルディナは呟いた。

「ありていに言ってしまえばその通りだ。」

 料理に殆ど手をつけず、一緒に運ばれてきた酒を傾けながら総弦は答えた。

「だが、それでは国際魔法管理機関は朱鷺守と、日本魔術同盟と敵対する事になる。それだけではない、下手をすれば英国魔術協会と米国魔術連盟さえも敵に回すことになりうる。お前の孫娘にはそれだけの価値があると言うのか。それにお前の孫娘は…」

「魔術が使えない。やはり知っていたのだな。ならば、その先にあるものは何か。既に見当がついているのではないか?」

 ベルディナの話を遮り、総弦はそういうと猪口を置いた。

「ああ、見当はついている。だが、そうなると俺では無理だ。管理機関はその手のことには介入できない。英国魔術協会も米国魔術連盟も基本的には無干渉を貫いている」

「だからこそ、君なのだ」

「本気でそういっているのか? 俺に世界の敵となれと?」

「身勝手なことを言っているのは重々承知している。だが、俺は七葉がそういった政治的な材料にされるのを黙ってみてられんのだ」

 総弦はかなり酒に酔い始めている。先ほどまで自分を私と呼んでいた彼が、ここに来て昔の口調に戻ってしまっている。

 それだけ本気と言うことか。とベルディナは考え、彼も進められるままに酒を口にした。

「富山の大吟醸か。ここまで来るとワインに似ているな」

 よく冷やされた純米酒はベルディナの口の中で溶けて広がり、全体的に甘い風味を醸し出す。さっぱりとした飲み口の奥に広がる奥ゆかしさは、上質の米と澄み切った川の流れを想像させる。それでいてワインのような自己主張をせず、あくまで口に残る料理の風味と解け合い、互いの良さを引き立て合うように感じた。

「古い知り合いが送ってきた特上酒だ。俺でも滅多に飲めるものでない」

 随分酔いが回ってしまったのか、総弦は「ふう……」と息を吐き出すと少しふらつく足取りで立ち上がり、茶室の障子を開いた。

 夕暮れも近い澄み切った涼風が駆け抜け、火照る総弦の身体を気持ちよく冷やしていく。

「一晩だけ待ってくれ。それで答えを出す」

 ベルディナは総弦に背を向けたままそう答えると、手酌で猪口に酒をつぎそれを一気に飲み干した。

「ありがとう。……私はそろそろ休むとするよ……」

「ああ、身体には気をつけろよ。もう、お互いに若くねぇんだ」

「その容姿で若くないと言われても説得力が無いよ。では、君も飲み過ぎないようにな」

「お休み。総弦」

「お休み、ベルディナ」

 障子戸は閉ざされ、束の間の静寂が訪れた。夏には虫の音が庭一派に広がるだろうが、冬になってはそれもなりを潜める。

 鹿威しの水も今は止められ、水の流れる音もしない。

 ベルディナは既にからになってしまった徳利を横向きに寝かせると、部屋の電灯を消したい衝動に駆られた。

「世界の敵になるか……何を今更。そんなこと一〇〇年以上も前に決意した事じゃねぇか」

 ベルディナは天井につり下げられた白熱灯の電源を落とし、暗闇へと自らも陥っていった。




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