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脱走奴隷は恋をする  作者: よろず


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6/10

幸福と悪夢

 ネスが買ってくれた真新しい服を身に付けて、髪にはネスが可愛いと言ってくれた髪飾り。

 ふわふわふわふわ、羽があれば、ゾーイは飛びたてそうな気分だ。


「ネス、可愛い?」

「可愛い可愛い。」


 ふふふっと笑って、ネスの腕に飛び込む。ネスも、笑っている。


「ネス、好き。」

「………ありがとう。」


 なんだか不満を感じたけれど、ゾーイは口を噤んだ。




 そこは暖かな陽だまりだった。

 草木が風に揺れ、土の香りが鼻をくすぐる。ゾーイのお気に入りの場所。

 山間の小さな村に生まれたゾーイは、家族と友達と、貧しくとも穏やかな日々を送っていた。

 家族想いの母。

 大きな手で撫でてくれた、優しい父。

 生意気だけれど憎めない弟。

 笑顔の家族。

 だけれどゾーイがお気に入りの場所から帰ると、全てが変わってしまっていた。

 村は、奴隷狩りに遭った。

 最初は父が抵抗の見せしめで殺された。次は母。まだ八つだった弟は、厳しい現実に体が耐えられなかった。友人も、知り合いも、みんなバラバラ。

 一人残ったゾーイは、ある家で飼われた。

 失敗すれば鞭打ち。

 朝から晩まで働かされる。

 食事はほんの少し。

 誰かが死んでしまっても、すぐに代わりはやって来る。

 暗く、冷たい、かび臭い場所。

 ゾーイもこのまま死んで、ゴミのように捨てられる。

 そんなのは、嫌だった。

 あの明るくて優しい、暖かな陽だまりに、帰りたい。帰りたいと、願った。

 そしてゾーイはチャンスを掴んだのだ。ずっと、大人しく従順に。信用を得て、外での仕事をもらった。

 ずっとチャンスを狙って、見張りの目を盗んで逃げた。

 逃げ切れるだなんて、本当は思っていなかった。だけど死ぬのなら、陽だまりの中で…太陽の下で、死にたかった……。


「ゾーイ、ゾーイ?」


 ゾーイの、陽だまりの声。

 優しい温もりに包まれて、大きな手が髪を撫でてくれる。


「大丈夫。夢だ。起きたら、怖いのは終わる。」


 泣きながら目を覚ましたそこは、ネスの腕の中。

 まだ夜は明けていない暗がりの中で、ゾーイは震えていた。


「ネス…夢を見た。怖い、痛い、悲しい…」

「もう、誰もゾーイを傷付けない。傷付けさせない。もう、怖くないよ。」


 とめどなく溢れる涙を、ネスが拭ってくれる。

 起き上がったネスの膝に乗せられて、涙を拭いながらネスが抱き締めてくれた。ネスはいつも、陽だまりの香りがする。


「ネス、キスが欲しい。」


 あの、ふわふわな幸福感に包まれたら安心出来るような気がした。だけれどネスは駄目だという。どうしてか聞くと、困った顔。


「ゾーイ、男が怖いだろ?」


 こくんと頷いたら、ネスはもっともっと困った顔になった。


「俺、男だから。」


 意味がわからなくて、眉間に皺が寄る。その皺に、温かくて柔らかい物が、そっと触れた。


「これで良い?」

「口は?」

「そこは駄目。」

「どうして?」

「………ゾーイが、自分で立てるようになったらしてやるよ。」


 今度は頬。それだけでも心臓が高鳴って、ゾーイは幸福な気持ちになる。

 また二人で横になって、ネスの腕の中で目を閉じる。今度は、怖い夢には襲われなかった。



 野営地の近くの水場で女達が水浴びをしている間、ネスは側で護衛する。木に寄り掛かって立って、笛を吹く。その音色に、リュートが加わった。柔らかな旋律が辺りを包み込み、曲は終わる。


「難しい顔だね、ネス?」


 陽の光に煌めくのはプラチナブロンド。赤茶色の瞳を細めている義兄に目を向けて、ネスは溜息を吐き出した。


「悩み事は、ゾーイの事かな?」


 微かな音でリュートを奏でながら、アユーンはネスに問う。ネスは難しい顔のままで、手の中の横笛を弄った。


「あいつの"好き"って、どう思う?」

「どうって?」


 首を傾げたアユーンを見て、ネスはまた溜息を吐く。


「なんかさ、雛の刷り込みみたいかなって思うんだ。俺が助けたから、俺に縋るしか無いって思ってんじゃねぇかって。そう思うと、安易に応えらんねぇ。」

「雛の刷り込みか、上手いことを言うね?」

「アユーンも、そう思う?」


 リュートを弾く手を止めて、アユーンは微かに唸る。


「初めはそうでも、本物になっているかもしれないよ。」


 ネスは答えず、また大きな溜息を吐き出した。


「まだ様子見かな?ネス以外の男とも交流させて。その為にはまず、女の子から。」

「だな。だけどさ…」


 言い掛けた言葉を飲み込みなんでもないと告げて、ネスはまた笛を吹く。その旋律には迷いが現れ乱れていて、アユーンはこっそりと、笑った。

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