幸福と悪夢
ネスが買ってくれた真新しい服を身に付けて、髪にはネスが可愛いと言ってくれた髪飾り。
ふわふわふわふわ、羽があれば、ゾーイは飛びたてそうな気分だ。
「ネス、可愛い?」
「可愛い可愛い。」
ふふふっと笑って、ネスの腕に飛び込む。ネスも、笑っている。
「ネス、好き。」
「………ありがとう。」
なんだか不満を感じたけれど、ゾーイは口を噤んだ。
そこは暖かな陽だまりだった。
草木が風に揺れ、土の香りが鼻をくすぐる。ゾーイのお気に入りの場所。
山間の小さな村に生まれたゾーイは、家族と友達と、貧しくとも穏やかな日々を送っていた。
家族想いの母。
大きな手で撫でてくれた、優しい父。
生意気だけれど憎めない弟。
笑顔の家族。
だけれどゾーイがお気に入りの場所から帰ると、全てが変わってしまっていた。
村は、奴隷狩りに遭った。
最初は父が抵抗の見せしめで殺された。次は母。まだ八つだった弟は、厳しい現実に体が耐えられなかった。友人も、知り合いも、みんなバラバラ。
一人残ったゾーイは、ある家で飼われた。
失敗すれば鞭打ち。
朝から晩まで働かされる。
食事はほんの少し。
誰かが死んでしまっても、すぐに代わりはやって来る。
暗く、冷たい、かび臭い場所。
ゾーイもこのまま死んで、ゴミのように捨てられる。
そんなのは、嫌だった。
あの明るくて優しい、暖かな陽だまりに、帰りたい。帰りたいと、願った。
そしてゾーイはチャンスを掴んだのだ。ずっと、大人しく従順に。信用を得て、外での仕事をもらった。
ずっとチャンスを狙って、見張りの目を盗んで逃げた。
逃げ切れるだなんて、本当は思っていなかった。だけど死ぬのなら、陽だまりの中で…太陽の下で、死にたかった……。
「ゾーイ、ゾーイ?」
ゾーイの、陽だまりの声。
優しい温もりに包まれて、大きな手が髪を撫でてくれる。
「大丈夫。夢だ。起きたら、怖いのは終わる。」
泣きながら目を覚ましたそこは、ネスの腕の中。
まだ夜は明けていない暗がりの中で、ゾーイは震えていた。
「ネス…夢を見た。怖い、痛い、悲しい…」
「もう、誰もゾーイを傷付けない。傷付けさせない。もう、怖くないよ。」
とめどなく溢れる涙を、ネスが拭ってくれる。
起き上がったネスの膝に乗せられて、涙を拭いながらネスが抱き締めてくれた。ネスはいつも、陽だまりの香りがする。
「ネス、キスが欲しい。」
あの、ふわふわな幸福感に包まれたら安心出来るような気がした。だけれどネスは駄目だという。どうしてか聞くと、困った顔。
「ゾーイ、男が怖いだろ?」
こくんと頷いたら、ネスはもっともっと困った顔になった。
「俺、男だから。」
意味がわからなくて、眉間に皺が寄る。その皺に、温かくて柔らかい物が、そっと触れた。
「これで良い?」
「口は?」
「そこは駄目。」
「どうして?」
「………ゾーイが、自分で立てるようになったらしてやるよ。」
今度は頬。それだけでも心臓が高鳴って、ゾーイは幸福な気持ちになる。
また二人で横になって、ネスの腕の中で目を閉じる。今度は、怖い夢には襲われなかった。
野営地の近くの水場で女達が水浴びをしている間、ネスは側で護衛する。木に寄り掛かって立って、笛を吹く。その音色に、リュートが加わった。柔らかな旋律が辺りを包み込み、曲は終わる。
「難しい顔だね、ネス?」
陽の光に煌めくのはプラチナブロンド。赤茶色の瞳を細めている義兄に目を向けて、ネスは溜息を吐き出した。
「悩み事は、ゾーイの事かな?」
微かな音でリュートを奏でながら、アユーンはネスに問う。ネスは難しい顔のままで、手の中の横笛を弄った。
「あいつの"好き"って、どう思う?」
「どうって?」
首を傾げたアユーンを見て、ネスはまた溜息を吐く。
「なんかさ、雛の刷り込みみたいかなって思うんだ。俺が助けたから、俺に縋るしか無いって思ってんじゃねぇかって。そう思うと、安易に応えらんねぇ。」
「雛の刷り込みか、上手いことを言うね?」
「アユーンも、そう思う?」
リュートを弾く手を止めて、アユーンは微かに唸る。
「初めはそうでも、本物になっているかもしれないよ。」
ネスは答えず、また大きな溜息を吐き出した。
「まだ様子見かな?ネス以外の男とも交流させて。その為にはまず、女の子から。」
「だな。だけどさ…」
言い掛けた言葉を飲み込みなんでもないと告げて、ネスはまた笛を吹く。その旋律には迷いが現れ乱れていて、アユーンはこっそりと、笑った。




