105.ワープ
目が覚めた時、珀蘭がいなかった。サリヤの懐剣に入っていない。
「珀蘭、嘘でしょ!!」
この間も、そうやって目が覚めたのに。
そして、気が付いた。明かりがついていない。正確には非常灯のみで、弱い赤がドアの上に灯されている。
さらに艦の中にも、人の気配を感じない。ここは眠りに落ちた時の医務室。でもアンジェの気配もない。
サリヤは艦の中に探査の魔力を伸ばす。けれどやっぱり生きている人等の気配がない。
『全乗員に告ぐ。この艦内放送を聞いた者は、全員ブリッジに応答せよ。繰り返す、この放送を聞いた者は、ブリッジに応答せよ』
(アーサーさん!?)
通常はラルフが命令を流すはずだ、アーサーの緊迫した声にも尋常じゃないものを感じた。
サリヤはすぐにパネルのボタンを押して、反応する。
「アーサーさん、私です。サリヤ・オルトです」
『――君か』
「何か、ありましたか?」
少しの間がある。たぶん黙考しているのだろう。何かあった、でも何があったのが自分にはまだわからない。
『サリヤ嬢、調子は?』
あ、と思った。そういえば、あの疼きはない。珀蘭がいなくなったからだろうか。不明だが通常に戻ったのだからいい。
「なんともありません――治りました」
わかった、と彼が遠くで頷く。あれのことを覚えられているのは恥ずかしいけれど、あちらはそこまで気にしていない、と思いたい。
『既にわかっているが電気系統が不通だ。ランディも応じない。詳しい話はあとで。ここまで来れるか? 君の能力、つまり飛んで来れるか、という意味だ』
ブリッジまで飛ぼうと思えば行ける。そこへの道筋ができている。けれど、安易に魔法を使っていいのかわからない。
それさえも罠かもしれない。
魔法を使うことを狙われているのかもしれない。
「無理を言ってすまないが、艦内を通るのは危険と判断した。まず状況を確認をしたい。だが、もし阻まれた場合はすぐに逃げて、近くの部屋で待機。インターコムは使えるようだ。変更したコードを教える、QR15890@36K219覚えたか?』
「わかりました」
頭にすぐインプットする。
『もし、異常と思われるクルーと遭遇した場合は、即効退避、もしくは傷つけても構わない。君の身の安全を優先してくれ。以上、質問は?』
(遭遇?)
「ありません。すぐに向かいます」
それは、部下や仲間に対する言葉ではない。そして見知らぬクルーの様子の変化をサリヤが判断できるのか。けれどするしかない。
サリヤは一度で頷き理解し、すぐにジャケットを羽織る。
一応、中には飛ばず、ブリッジのドアの前に降り立つ。やはり廊下も赤い非常灯のみ。本来はすぐに、非常用バッテリーが作動して明かりがつくはずなのに。
サリヤは中にアーサーの気配を感じた。ドアの前のインターコムを押して、アーサーを呼ぶ。
『今、開ける』
緊迫したアーサーの声の後、ゆっくりドアが開く、見えたのはアーサー以外誰もいない空間。
赤に照らされた部屋の中は、不穏な雰囲気が漂う。けれど非常事態なのにあまりにも静かすぎる、ドア脇で銃を構えたアーサーの姿を横に見る。
「アーサーさん……」
「――聞くが、君は本物のサリヤ嬢、だな」
先ほどからクルーに対しての疑いが彼の声に混じる。誰もいない空間なのに、仲間に擬態された何かを恐れているのだろうか。
「誰もいない。けれど君だけがいる、だから君自身を疑ってしまうのは許してくれ」
サリヤの問いに察した彼に頷く。彼が右手に構えている銃口を下ろすのを見て、サリヤは入る。
表にはださなかったが、彼の安堵のため息が聞こえた気がした。
「ここに来るまでに、異変は? 無事に飛べたか?」
彼は口早に続ける。
「誰かに会ったか?」
サリヤは首を振る。彼は言葉にしないサリヤの様子に息をついて自身の目を閉じて押さえる。壁に身を寄せると、小さく息を吐いていた。自分を落ち着かせようとしているようだ。
「君の落ち着きを見て安心した。よほど焦っていたようだ」
「艦長だから、クルー全員と船の状態を気にするのは当然です。私は、何も負ってませんから」
それに、宇宙の怖さもわかっていない。
「先ほど二人だけといいましたが。ブリッジ内の人たちは?」
「――誰もいない。目が覚めたら明かりがついていない。ランディも反応しない、ここに来てみたら、もぬけの殻でね」
「既に相手の空間のようです」
魔獣はまた来ると思っていた、そして今度はアーサーが狙いらしい。やっぱり順番なのだろうか。
「こういう場合はランディの代わりにAIのディマンシュが動くはずだが、彼も反応しない。モニターを見ることができないから不明だが、空調や気圧のコントロール、生命維持システムは作動しているようだが」
生きているからね、と皮肉気に言う。
「最低限の生命維持をしてくれてはいるらしい」
それでも、いつ止められるのか、相手の手の中にいるのは恐怖でしかない。銃をいつでも構えるよう握ったままアーサーは口を開く。
モニターは真っ黒なままだ。視界も悪く、敵の動きに気づきにくい。
「――何かの気配を感じるか?」
「何も。生きている者の気配は感じません」
「では、生きていない者に警戒が必要だ。俺は前を見る、君は後ろを警戒して欲しい」
“俺”、という一人称にサリヤは驚いた。そして彼に目を向けると口端をあげた勝ち気そうな目がかえって来る。
「もともと上品なのは苦手だ。様になっていたならよかった」
彼は艦服の襟ボタンを外して指を入れて、ネクタイを緩めて息をつく。
「誰も見ていないのだから許してくれ」
「許すも何もないです」
「本当は、堅苦しいのは嫌いなんだよ。俺は皇太子とはいえ、姉が三人もいてね。いつもおもちゃで、都合のいい時だけ担ぎ出される」
眉根を下げて、苦い顔をしている彼にサリヤはわずかに笑みの形に口端をあげた。緊迫感が漂う場で、彼は和ませようとしてくれている。
「――聞くが、私がいないほうには通常の空間があると思うか?」
なんのことか、とは聞かなかった。ただ問いにはわからないと首を振る。
ジプシー船で襲われた時、別の空間に飛ばされた。アーサーもそれを予想しているのだろう。
「もしかしたら」
「では、そちらでは時間が進み、艦が動いていると思うか?」
二つの空間で、こちらは置き去りにされた。こちらの艦もあちらの艦も、どちらもアーサーにとっては心配だろう。
「わかりませんが――私とラルフがいなくなっていたのは、ブルーノはわずかだったと言いました。たぶん空間移動する時と戻ってくるまでの間」
「それが困っている。ジプシー船の街中では君たちが戦っている間、通常空間では時間が進まず、両者の時間の差が生じていた。だが今回の場合はどうなっているのかわからない。なにしろ艦は準光速で進んでいた。―――そして座標を見ると、この艦は動いていないようだ」
彼は自分の腕のデバイスを叩く。それは作動しているらしい。
「片方は準光速、こちらは時間の止まった空間。どう影響するのか、あちらもこちらもどうなっているかわからない」
「あちらとこちらの船で時間の差ができてしまった場合、無理に一つを二つにされたのだから、また自然は一つになろうとするのでは?」
アーサーは驚いてサリヤを見た後、伝えるのを逡巡するように口を閉じた。何気なく言った。けれど何をそんなに驚かれているのか。
「君は、ワープの原理を知っているのか?」
「すみません、何気なく言いました。それにワープの原理もわかりません」
誰も教えてくれないし、サリヤの世界にはなかった。
「実をいうと、ワープの最中でなくて、まだマシだったよ」
今の話とどうつながるのか、とサリヤが問うように目を向けると美しい目が見返していた。よくわからないというサリヤの顔を見て、頷く。
「ワープとは、空間を収縮させバネのようにウェーブ状に何重もの折り重なるように変化させ、最も重なった地点を針のように通り別の宙域に出現することだ」
もう少し詳しく例えると、とちらりと緩めたネクタイを見てそれを抜き取る。
そして銃を手にしたまま、両端を指で持ち引っ張り「これがバネだとする」と説明した。
「この端の地点から、この端までが一万光年先の距離とする。時間とすれば光速で一万年かかるというわけだ。この船がこの距離の空間を二つに折り畳み、針のように進むとする」
彼はネクタイを山が二つになるように丁寧に折り畳んだ。
「さて、この端と端を縫い付けるまでに針は何回布を通す?」
「四回、ですね」
二回重ねたネクタイは、端と端を繋ぐのに四回針を通す。
「この重なった箇所は四つのポイントしかない。ワープとはこの四か所のポイントを針のように進むこと。すると一万光年の距離を半月で短縮できるようになった」
サリヤは真面目な顔で頷く。
「ただし、宇宙空間をばねのように結束圧縮させるエネルギー、そこを通ることに耐えられる強度な装甲、入口と出口を合わせる演算能力、そして無理に収縮させている空間を光速で走れる艦、それは搭載しているある物質が可能にしている。それはα連盟でも数機しか搭載できていない」
「その物質がマギ、なんですね」
そうですか、としか言えない。ためらいがちに頷くと、アーサーは笑う。




