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15.彼女または奥さんあるいは妻

 ニルス達は目の前に転がる熊の死体を見ていた。ムーンベアーの左肩から反対側の脇腹にかけて肉体が消失している。


「それにしても、こんなにあっさり倒せていいものか」


 ニルスはここ、王都に訪れて冒険者という枠組みに入れられてみた。

 ギルド内での等級はもちろんのこと最下級であった。そんな彼が討伐を推奨されている魔獣よりも幾らか等級の高いムーンベアーを倒してしまったとあれば騒動も起こることだろう。


「ムーンベアーは本来、耐久力も相当に高いはず。だから冒険者は皆、パーティーを組んで戦う」


 アシュレイが説明を加える。

 ニルスに実力があったからと言えばそれまでかもしれない。だが、彼自身呪いを負った状態での攻撃は全く期待できないものと思っていたのだ。


 偶然に箍が外れて攻撃が入るときも、噂に聞く急所に入ったという現象のためだと彼は思っていた。そこが、まともに他人の戦いを見たことがない彼の見識の狭さだった。


「紫等級一人じゃ絶対に無理。ニルスはどう見ても等級が不釣り合い」


 審査担当は何をやっているのか、アシュレイはそのように嘆くが実際はニルスが呪いを負った状態では妥当な結果だった。


 冒険者ギルドに加盟するにあたって、体力試験なるものを受ける必要があったがその結果次第では通常より二つほど等級を上げて登録ができる。

 彼の場合は相手が人間でなかったのが災いしたのだろう。叩いても等身大の人形が僅かに動く程度、内部への損傷はそれなりあったのだろうが見た目には攻撃を加えていないようにも見えた。

 単純に見る目がなかったとも言えるかもしれない。


 ニルスはふと、アシュレイの胸元に付けてある徽章を見た。橙色に反射して、魔石らしき模様が描かれている。その色以外はニルスの付けているものと同じだ。


「アシュレイも冒険者なのか? それも橙等級なんて」


 アシュレイは軽く頷いた。その苦笑にも似た表情はそれまでの苦労が浮かんでいるようだった。


「うん。結構大変だった」


「そりゃあ橙って……大変なんて話じゃないだろ。それになんで冒険者なんかに」


 アシュレイは鍛冶師を目指していたはずだ。それがどうして冒険者へと形を変えているのか、ニルスには分からなかった。

 加えて、橙等級といえば二番目に高い位、生半可な鍛錬ではたどり着けないだろう。


「……最初は、何のために鍛冶師なんて目指してるんだろうって思った。もちろん、父さんを助けるためもあったけど」


 そう、ニルスの記憶するところでは、確かアシュレイは父親の意志を継いで鍛冶に勤しんでいたはずだ。

 だがニルスはそのまま静かに耳を傾ける。きっと、その決断にも紆余曲折があったのだろう。


「でも、ニルスと旅をして分かった。全部、ニルスのためだったんだ。ニルスのお母さんに剣を教わったのだって」


 いや、なかった。

 ただ真っ直ぐに貫かれたその意志は、紛れもなくニルスに向けられていたのだ。

 そして彼女は徐ろに何かを取り出してニルスに渡す。


「これは、ロブストの……?」


 それはまさしく、ニルスが腰に下げているものと同等のものだった。見た目は簡素な木の棒、手入れがよく施されているという点以外は何の変哲のないロブストの棒だ。


「うん。ニルスのそれ、使ってるうちに壊れることって何度かなかった?」


「ああ、結構頻繁に……」


 鍛錬で使用しているとさほど力を入れなくても根本から折れるようにして破損してしまうことが少なくなかった。

 それを思い出して、再び木の棒を見つめる。


「それには魔石が込められているから、多少は頑丈になってる。でもニルスのことだからいつまで持つか分からないけど」


 謙遜とニルスへの絶対的な信頼が含まれていたが、実際アシュレイの腕は確かなもので、彼が一振りしても崩れることはない。


 しかし今もそうだが、鍛錬時は何の呪いもなくロブストを振り下ろしていたのだ。

 やはりニルスはアシュレイが教えるまでもなく覚えていたのだろう、危害を加える気がなければ呪いなど関係がないことを。


 そんな彼は毎度毎度見繕わなくてはならないことに嫌気が差し、結局は素手で修練を行っていたのだが。


「これってもしかして……」


「うん、私が作った。木を扱うのは初めてだったけど、大丈夫みたいだね」


 握った感触は手によく馴染む。旅の途中、アシュレイに何度か手を握られたことがあったがこのためだったかと、感覚を何度も確かめる。


「違う、あれは単純に私が繋ぎたかったから」


「心を読むなって。でもまあ、ありがとう」


「礼はいらない。これが私のお礼だから。それで、鍛冶師を続けてた理由でもある」


 父の影響を受けたのもそうだが元々鍛冶師として本腰を入れたのはニルスと出会ったことが大きかった。多少事実を捻じ曲げてでもその理由がアシュレイにとっての答えだった。


「剣を習ったのも冒険者になったのもニルスの隣にいるには必要なことだから。守られてばかりじゃ納得いかない」


 剣を教わったきっかけにはニルスの母リゼットへの憧れと理不尽な世界を強く生きるためにだったが、他の言葉に偽りはない。

 ニルスのより近くでその足を地につけていたい、そんな気持ちから出た言葉だった。


「だからあなたの冒険、私にサポートさせてほしい。ニルスの隣で」


「わかった。これからよろしく」


 彼女の真っ直ぐな思いはニルスにも伝わっていた。しかしそうでなくとも、彼はアシュレイが女性として虐げられていたあの日から、その願いはいかなる事でも受け入れることを決めていたのだ。


 そんな中に、アシュレイが「これはいい雰囲気?」と呟く。確かに『いい雰囲気』には変わりないかもしれないが、些か方向性が間違っているのではないかとニルスは嘆息した。




――――――――




「……呪いを克服する?」


「ああ。さっき攻撃できたのはその克服の一端かな」


 ニルス達は帰路につきながら彼の最終的な目標について話をしていた。帰郷してからの数年間を呪い克服に費やしたことをアシュレイに伝えると、彼女はニルスと考えが一致していたことにますます内心歓喜した。


「時々は弟からも助言してもらったりしているんだ」


「弟……」


「そう。あ、ここが俺達の家」


 王都での新しい拠点は中々に豪勢で、よくもまあニルスの両親はそれだけの金を工面できたというものだ。

 都市の中心からはやや離れているものの、移動手段や食事、日用品の入手に不便はなく、むしろ村にいた頃より格段に快適だ。

 難点を上げるとすれば物価も税金も高いという点だろうか。


「わぁ……」


 ニルスの隣にいる彼女は開口してそれを見上げていた。


「驚いたか?」


「うん。一軒家を持ってるなんて、凄い」


 その言葉にニルスは苦笑する。自分自身が汗水垂らして建てた訳ではないことから、その言葉を素直に受け取れずに困惑した。


「あ、兄さん。お帰り」


「ただいま」


 家からユーリが出てきてニルスを出迎える。そして隣にいるアシュレイがその姿を確認して首を傾げる。


「えっと、弟さん?」


「ああ。ユーリというんだ。こちらはアシュレイ」


「あなたが兄さんの言っていたアシュレイさんですか。いつも兄がお世話になっております」


「……こちらこそ?」


 律儀に頭を下げるユーリに彼女は軽く会釈する。するとそこへ駆け込んでくる軽い足音。


「兄ちゃんお帰り! 今日はどうだった? ……ってあれ、その人は? 兄ちゃんの彼女?」


 リナはニルスの顔とその隣の女性の顔を見るなり首を傾げ、尋ねる。二人の間に纏われる雰囲気を察したのか、何とも的確に指摘するのだった。


「彼女じゃない、妻」


「へえ、もうそこまで関係が進んでたんだね」


「私リナ! 姉ちゃんよろしくね! えっと……」


「アシュレイ」


「アシュレイ姉ちゃん!」


 流石に人と馴染むのが早いようで、リナはアシュレイの手を握り、上下に振り回す。

 少々困惑気味だが口元に笑みを帯びているアシュレイの表情と、「それじゃあ僕も姉さんって呼ばせてもらおうかな」と笑うユーリを見れば和やかになったことは一目瞭然。

 ニルスはそんな彼らを見て、静かに笑った。


「騒がしいなあ……ん?」


 すると眠そうに欠伸をたれながら現れた少年と、アシュレイは目が合う。眼光鋭く眺め回され、小柄な相手ではあったが少したじろいでしまう。


「誰?」


「兄ちゃんのお嫁さんだって!」


「へえ……」


 リナに伝えられた後、少年は興味なさげに目を逸らし、食卓につく。


「それにしてもエミールはまたこんなに遅くまで寝ていたのか」


「……別にいいだろ」


「健康を損ねたらよくないだろ?」


 ニルスが咎めても気にする様子はない。エミールと呼ばれた少年は、ニルス達が逃亡途中に延焼した山小屋を見つけ、そこに老婆とともに倒れているのを見つけ出したのだ。


 エミールはひとまずの治療をして助かったものの、もう一人は助けるに至らず、少年は命の灯の消えゆく老婆の元を頑として離れようとしなかった。

 そこへ一言、


『お前は世界をもっと知る必要がある。行きなさい』


 老婆が最後に放ったのはそんな言葉だった。まるで勇者にでも語るような文言にユーリは何者か探るが、何のことはない。

 特別に力が強く、魔力が高い訳でもない、ただ、盗みが得意なだけの少年だった。

 恐らく、更生させるためにそのようなことを言ったのだろう。


 それでもその場を離れない彼に、話をさせてほしいと願い出たのはリナだった。

 どのように説得をしたのかはニルス達は知らないが、次に現れたときには、渋々ながらついてくる意思を示したのだった。

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