65-1 とあるエルフ娘の一夜。
「ああ、私としたことが何という失態を………」
アリ様所有の魔術具への対価をお赦し頂けたという記念すべきこの日に。
私はあろうことか何時間もアリ様のお店で眠りこけ続け、アリ様のご商売の邪魔をし、アリ様に優しく起こして頂き、挙げ句帰り際にお買い物と魔術具の対価をお支払いすべき所を、今朝方の買いすぎが原因で所持金不足であったという情けない始末だった。
「ああ、明日アリ様に何て謝れば……」
有り難いことにアリ様に怒っていらっしゃるような様子は見られずに心優しくお見送り頂けたが、それでもそう簡単にお許し頂けるはずがない事をしでかしてしまったのだ。誠意を込めて謝罪せねばなるまい。
「……それに、もう、限界だ。」
アンジェと共に帰宅しても、私はどうしても落ち着かなかった。今日の失態のこともそうだが、それ以外にも私には、初めてアリ様とお会いした日からずっと、どうしても拭えない懸念事項があるのだ。
ここ数日、誰にも相談できずに抱え込んできたが、もう押し隠せそうになさそうだ。
「すー…すー……」
あれほどアリ様のお店で居眠りしたのにも関わらず、いつもより早い時刻に就寝しているアンジェをそっとベッドに残し、滅多に歩かない夜道に出るのだからと用心の為使い慣れた弓矢を持ち、私は物音を立てぬように慎重に家を出た。
こういう時に相談できる相手は一人しかいない。日も落ちきったこの時間ならアリ様のお店も閉まっているはずだから、再び買い物しに出掛けて不在にしているはずもないだろう。
みなが家に引きこもり、道行く者が誰もいない夜の里。
聴こえる音は私が土を踏み締める音と、時折背中で微かな軋み音を立てる弓矢と、遠くから届く獣の鳴き声位しかない静寂の中の小路を、月明かりを頼りに影のように進み、私は長老の家へと向かった。
里の中でも一際広大な長老の自宅。現在ここに住んでいるのは長老一人で、彼一人では持て余す程の敷地は居住スペースよりも事務所や書斎、そして長老の魔術具研究施設や資料室等で使い尽くされており、その点では自宅というよりも仕事場に近いものと言えるだろう。
身分や格を気にしない長老の性格もあり、里の誰でもが出入り自由とされており実際日中は誰かしらが来訪している長老宅だが、流石にこんな夜更けに訪れている者はいないようだ。
私自身も訪れ慣れているはずの長老宅が不気味に思えてしまうほど、眼前の建物は暗く静かにそびえ立っていた。
コンコンコンコン
ふぅ、と小さく息を吐いて分厚い木の扉をノックする。いつもはノックなんかせずに勝手にずかずかと入っているのだが、こんな夜分に押し入る訳にもいかないだろう。
「……もう寝ているのか?」
しかし暫く待ってみても、長老が出迎えてくれる気配はなかった。長老が何時に寝るかなど私が知るはずもない。今夜は潔く諦めるべきだろうか?
「……しかしせっかく来たんだしな。それに人目がない方が都合がいいか。」
別に泥棒に来たんじゃない、人前では話しにくい内容なだけだ。
堂々と入って、本当に床に着いているようならその時に諦めよう。
「……さて改めて来ると何処が何だかさっぱりだな。」
灯りの消えた静かな宅内を、足音を忍ばせて長老を探し回る。
毎日のように来ているくせに、普段我々が入るのは執務室やリビングくらいで長老の自室や寝室の場所を知らないのは、こういう時に不便だ。
とりあえず見知った場所から当てもなく回ってみる。軽く探して見つからぬようなら今度こそ諦めよう。あまりグルグルと家探ししていると、本当に泥棒と思われかねないからな。
「……なるほど、これ自体には特に能力がないというのは、アリ様のお言葉通りだね。……面白い……ああ、ちょっと、それを……」
「そうか、実験中か。」
ようやく灯りを見つけたのは、長老自慢の魔術具実験室の前だった。
「長老が毎日アリ様の商品を実験しているのは知っていたが、こんな夜更けまで実験しているとは……今朝私達と共にアリ様のお店に来ていたのに…」
毎朝早起きして長としての大量の諸仕事を早々に片付け、毎日嬉しそうにアリ様のお店へ出掛け両手に持ちきれないほど買い物をし、それを至極幸せそうに食したり眺めたり調べ尽くしたりする日々を送る我らが長老……
アンジェはたしか、長老を魔術具バカと称していたっけか。その表現が秀逸に思えてくるな。
「ふむ、君の見解もそうなのかね?……実に興味深い……ああ、そうだね……」
何者かと会話しているようにも聴こえるが、部屋の中には長老以外の気配も声もないようだ。里一番に狩りに長けた私の探知と聴力が示すんだ、間違いはないだろう。
「案外、研究中の魔術具と会話しているのかもな、一人言を延々と……長老は魔術具バカだからな……道具とお友達でもおかしくはないか……それなら邪魔しても悪いし、帰るか……」
耐えきれずに喉元まで昇っている不安は、無理矢理飲み込んで帰るべきだろう。何かブツブツ言いながら幸せそうに実験しているであろう長老の邪魔はしないように、忍び足でここから出ることとしよう。
「不安は飲み込むべきなんだが…このまま帰ってもな…」
しかしどうにも真っ直ぐ我が家に帰る気がせずに、私は里の中で最も奥地にあり最も高い樹の枝に登ってため息を吐いていた。この辺りで最も高位となるこの枝からは、広々とした里の家々とその奥に広がる森の樹々の緑の両方が見えて、昔から私のお気に入りの場所だ。
「あの子のことだ、私がうじうじ悩んでいるのもお見通しだろうし……」
アンジェは幼い外見の割りにとても聡い子だ。あの子に隠し事がまかり通った試しがない。
ただ、この話ばかりはアンジェにだけは知られたくないのだ。
「自らの悩みを忘れ去る魔術具などあっただろうか…?もしくは想いを吐き出せる魔術具でもいいが……長老なら何か心当たりがあるだろうか……?明日にでも尋ねるか……」
静かに凪ぐ風を一身に浴びながら目を閉じて吐露する。ああ、やっぱり此処は落ち着いて良い。
暫し暗闇と夜風の協和をじっくりと味わい、落ち着いたら帰ろう。残してきたアンジェがそろそろ心配だ。
「わざわざ魔術具に頼らなくても、悩みなら私がお聞き致しますよ。」
「…んなっ?!!」
心地よい暗闇の静寂を、突然何者かの声が遮った。
聞き覚えのない女性の声に驚き半ば枝から落ちそうになりながら目を開けると、私より更に枝の先端側に器用に座ってこちらを覗き込んでくる女性がいた。
「誰だお前はっ!!?」
彼女がエルフであるということだけは、その長く尖った耳から推察できた。しかし分かったのはそれだけだ。
おかしい。狭い故郷の住民の顔など、無論全員覚えている。それなのにいくら記憶を探っても、目の前の女性の心当たりがないのだ。
青と銀が入り混ざった特徴的でやたら目立つ髪色も、私の皮服と違い動きにくそうな布製の長いドレスも、極限まで細く細く閉じているのに全てを見透かしていそうなその眼も、全てが独特で異質だ。
過去に一度でも会っていたならば、この私が忘れるはずがない。
「はじめまして、リーリャ様。」
どうやら本当にはじめましてだったらしい。
柔らかい物腰とふわっと優しい笑顔を向けてくる彼女に対し、何故か底知れぬ恐怖心と警戒心を止められない。私は多少躊躇しながらも隙は見せぬように、勢いよく枝から飛び降りて弓を構える。
「お前は何者だっ!目的は何だっ!!!」
「そんなに警戒なさらないで下さいな。私もこの地に住まう同胞ですわ。」
彼女も直ぐに私の後を追って地に飛び降りてきた。私よりも軽やかに、優雅に、まるでダンスでも踊っているかのように。
「っ……」
やはり、油断ならぬ相手のようだ。気を引き締めねば。
なんだか次回からシリアスな戦闘シーンが始まりそうですが、そんなことはありません。
当作品はゆったり平和なコンビニエンス系日常物語です。今回コンビニ出てきてないけど。次回も出ないけど。




