森の中の射線
琥珀色の塊を光へかざすと、内側に細い筋が浮かび上がった。
大河はそれを指先で回し、反対側からも眺めた。木の幹から剥がしたばかりの樹脂は、石に似た硬さがある。表面には樹皮が少し残っていたが、中の色は澄んでいた。
「これ、思ったより綺麗ですね。何も聞かずに見せられたら、飾る物かと思いますよ」
「磨いて売ってる物もあるね。ただ、今回集める分は加工用。中に土や木屑が入りすぎてない物を選んで」
篠原に言われ、大河はもう一度、光へ透かした。
魔晶樹脂という素材だった。森に点在する特定の木から取れ、魔力を扱う道具の材料になるという。渡された見本と比べてから、回収用の容器へ入れる。
昼食を終えて、最初の採取地点へ着いたところだった。
草原の道中にも魔物はいたが、近づかずに通り過ぎられた群れもある。いちいち戦っていたら日が暮れるぞと藤堂に言われ、大河は遠くに見える姿を少し惜しみながら歩いた。
森へ入ると、空の見える範囲が一気に狭くなった。
頭上で枝が重なり、その隙間から日の光が落ちている。草原ほど風は強くない。代わりに、葉を擦る音と、どこかで水の流れる音が聞こえていた。
【宝石みたいだな】
【それも売れるのか】
【今日は採取のお仕事】
【さっきからずっと上向いてるな】
「幹の上の方にもついてるんですよ。取れそうなのを探してます。……あ、でも、勝手に登ったりはしないんで」
「登るなら、下にいる人へ言ってからにしてくれよ」
近くで槍を構えていた悠真が言った。
「分かってる。前に枝を落としかけたの、まだ覚えてるから」
「落としかけたんじゃなくて、落としただろ。俺が避けただけで」
【前科あって草】
【ちゃんと覚えてて偉い】
【槍を持った監督がいる】
大河は苦笑し、容器の蓋を閉じた。
今は自分と篠原が採取し、ほかの四人が周囲を見ている。持ち場を変える時には声をかけ、木の裏へ回る時にも、誰かの目が届く範囲から出ないようにしていた。
「これ、一回しまっておきますね」
「お願い。まだ数が足りないから、次の木も見よう」
大河は容器を収納し、剣を抜いてから移動した。採取に使う道具だけを持って歩いていた頃なら、後ろで誰かが立ち止まっても、気づくのが遅れたかもしれない。
今は、小野寺が弓を持ち直したのが見えた。
「どうかしました?」
「右の木。枝の出方が変だな」
低い声だった。
大河は足を止め、小野寺の見ている方へ顔を向ける。太い幹から、大きな葉をつけた枝が斜めに伸びていた。周囲の木と色は似ているが、その枝だけ、途中から不自然に折れ曲がっている。
風が吹いても、先端が揺れなかった。
大河は《鑑定》を使った。
【リーフマンティス】
【レベル:123】
「魔物です。あそこに、カマキリみたいなのがいます」
言い終えるより早く、枝だと思っていた物が開いた。
葉に紛れていた身体が、幹から離れる。
大河の背丈ほどもあるカマキリだった。薄い緑の翅が広がり、その下から、刃のような前脚が二本現れる。木から落ちる勢いのまま、こちらへ跳んできた。
「下がって!」
大河は篠原の前へ出ながら、剣を持ち上げた。
振り下ろされた鎌を、斜めに当てて外へ流す。金属に似た音が響き、前脚の先端が地面へ刺さった。大河は踏み込みかけたが、もう一本の鎌が横から来るのを見て、すぐに足を引いた。
目の前で、細い枝が切り落とされる。
「うわ、切れるな、それ!」
「天草君、そのまま左へ! 石橋、もう一匹いる!」
藤堂の声に、大河は横へ動いた。
視界の端で、別の緑色が木から離れる。そちらへ石橋が盾を向け、藤堂が剣を構えた。二匹を同じ場所へ集めないように、大河は自分の相手を見ながら、木の間の開けた場所へ下がった。
リーフマンティスが追ってくる。
長い脚が、落ち葉の上を滑るように進んだ。
*
「大河、右、狭いぞ!」
「見えてる! こっちへ出す!」
悠真の声を聞き、大河は太い幹の手前で止まった。
雷を全身へ循環させ、剣へも魔力を送る。追いついてきたカマキリが鎌を上げると、その先が思っていたより高い位置まで伸びた。大河は刃の動きを見て横へ避け、伸び切った前脚へ剣を返す。
魔力刃が、緑色の外殻を削った。
深く入らない。
大河が剣を引くのに合わせ、もう一本の鎌が下から跳ね上がってきた。身体を引いた胸元を先端が通り、続けて、傷ついた方の鎌まで戻ってくる。
「っ、二本あると忙しいな!」
大河は剣で受け続けず、いったん距離を取った。
腕の長さが違う。人と剣を合わせる時より遠い場所から、刃が届いた。一本を避けて入ろうとすれば、もう一本が胸の前へ戻っている。
カマキリの頭が、大河を追ってゆっくり傾いた。
【でかすぎる】
【あれが木についてたの怖いわ】
【二刀流みたいになってる】
【後ろにも一匹いたぞ】
「向こうは任せます。……こっちも、ちゃんと見てるんで」
大河は小さく息を吐いた。
藤堂の剣を見たい気持ちはあった。石橋があの鎌をどう受けるのかも気になる。それでも、今そちらへ顔を向ければ、自分の前にいる相手を見失う。
鎌の動きを外さず、近くの足場を確かめる。
左には木の根。右には細い幹。その間なら、悠真の槍が入る場所もあった。
「悠真、右から脚いける?」
「もう少し、こっち向けてくれ!」
「分かった!」
大河は半歩だけ右へ寄った。
カマキリが向きを変え、鎌を広げる。その脚へ悠真が槍を突いたが、相手は身体を浮かせるように跳んだ。穂先が一本の脚をかすめ、鎌の片方が悠真へ向く。
大河は剣を振り抜いた。
「こっちだっ!」
《飛斬》が、カマキリの胴へぶつかった。
緑色の欠片が散り、身体が傾く。悠真へ伸びかけていた鎌が地面へ落ちた。大河はそこへ踏み込んだが、もう一本が胸の前を塞ぐように戻ってくる。
剣を無理に押し込まず、刃を合わせて外へ離れた。
胴には傷がついている。
それでも、二本の鎌は動いていた。
「天草君、左腕を上げさせられるか?」
後ろから、小野寺の声がした。
大河は相手を見たまま答える。
「できます! 上げたところ、撃てますか?」
「狙う。こっちの前へは入らないでくれ」
「はい!」
小野寺の立つ位置を、短く確かめた。
大河の斜め後ろだった。自分がそのまま相手へ近づけば、矢の通り道を塞ぐ。大河は左へ動き、カマキリの顔をこちらへ向けさせた。
鎌が一度、低く閉じられる。
そこから大河へ、長い前脚が伸びた。
大河は横へ避けながら、外側へ流れた鎌の付け根を斬る構えを見せた。カマキリがそちらの腕を引き上げ、反対の鎌を突き出してくる。
大河は剣を引いた。
弓の弦が鳴った。
上がった前脚の付け根へ、矢が刺さる。
カマキリが大きく身体を捻り、鎌が下がった。大河は踏み込もうとしたが、相手の翅が広がるのを見て止まった。傷を負った身体が跳ね、狙いを変えて、小野寺の方へ向かっていく。
「小野寺さん、来ます!」
「見てる!」
小野寺はすでに横へ動いていた。
ただ、その先には木がある。大きく逃れるには、もう一歩必要だった。大河は全身の循環を保ったまま地面を蹴り、小野寺へ迫るカマキリの横を追った。
《縮地》で距離を詰める。
落ち葉の下に見えていた根を越え、着地した足で踏ん張った。鎌が振り上がる前に、左手を前へ出す。
半透明の障壁へ、緑の刃がぶつかった。
亀裂が走ったが、今度はすぐには割れなかった。鎌の先が止まり、その間に小野寺が木の外へ抜ける。
「助かった!」
「もう一回、狙えますか!」
「いける! 右へ出すぞ!」
大河は障壁を解き、横へ離れた。
押さえられていた鎌が、勢いよく下がる。カマキリが大河へ頭を向ける前に、次の矢が胴へ入った。傷をつけていた場所のすぐ近くで、外殻が割れる。
悠真の槍が、後ろ脚を地面へ縫い留めた。
「大河、今!」
「おおっ!」
大河は剣へ送る魔力を増やした。
厚みを増した刃の周囲で、雷が弾ける。上がってくる鎌の外側へ入り、裂けた胴へ横から剣を叩き込んだ。
「これなら、どうだっ!」
硬い殻を割る手応えが返った。
大河は腕だけで振り切らず、踏み込んだ身体ごと刃を走らせた。カマキリの胴が大きく裂け、持ち上がっていた鎌が落ちる。
剣を抜いて離れると、悠真も槍を引いて下がった。
長い脚が何度か動き、それから、落ち葉の上へ身体が沈んだ。大河は鎌の先まで動かなくなったことを確かめ、短く息を吐いた。
少し離れたところでは、藤堂がもう一匹から剣を抜いていた。
「二匹とも終わり。周りを見てくれ」
藤堂の声に、大河は剣を構えたまま近くの木を見上げた。揺れる葉の中へ、さっきまで枝だと思っていた形を探す。
小野寺も、次の矢を持ったまま周囲を見ていた。
しばらく確かめてから、六人はようやく武器を下げた。
【倒した!】
【弓と合わせたのよかった】
【今度は後ろ守ったな】
【あの鎌が頭の上にいるの嫌すぎる】
【森が急に怖くなった】
「……俺も、上を見る理由が増えました。樹脂ばっかり探してる場合じゃなかったですね」
大河は雷を解き、切り落とされた枝へ目を向けた。緑の葉がついたまま、地面へ落ちている。あれに混じっていたら、確かに見つけづらかった。
近づいてきた小野寺が、大河の肩を軽く叩いた。
「さっき、ありがとな。あの一回で、次の矢を用意できた」
「間に合ってよかったです。俺、最初の矢が入った時、そのまま斬りに行こうとしてました」
「来なくてよかった。あそこで一緒に前へ出てたら、俺の目の前へ二人とも来るところだった」
「……それは、撃てないですね」
「そう。最後はちゃんと空けてくれたから、狙えた」
大河は自分が立っていた場所と、小野寺が移動した木の間を見た。
矢が飛んでくる場所へ入らない。それは何度も教わっていた。ただ、その場所は戦いの間、ずっと同じではない。弓を持つ相手も動き、魔物も向きを変える。
最後の一撃は、小野寺がこちらへ声をかけてくれたから分かった。
「次も、分からなかったら聞きます。俺から見て空いてても、小野寺さんからだと違うこともありますよね」
「あるね。俺も言うから、聞こえたら返してくれ」
「はい。お願いします」
大河が頷くと、小野寺は笑って矢の回収へ向かった。
*
採取は、予定していた分まで集められた。
場所を確かめながら歩き、いくつかの木から樹脂を取る。途中で見つけた古い殻には大河も足を止めたが、篠原に、欲しいなら入れて帰ればと言われて、少しだけ収納した。
「そんなの持って帰って、どうするんだ?」
悠真に聞かれ、大河は殻の欠片を見せた。
「さっき、剣が浅かっただろ。あとで、どれくらい硬いのか見たいんだよ。訓練場なら、置いて確かめられるし」
「帰ってからもカマキリと戦うのか」
「動かないやつなら、もう少し落ち着いて見られるだろ」
【宿題持って帰るタイプ】
【学生より勉強してる】
【机の上に置いとくと怖そう】
「机には置かないです。飯食べるところで、あれと目が合うの嫌なんで」
コメントへ答えると、篠原に笑われた。
森を抜ける頃には、日の光が斜めから差すようになっていた。
木々の向こうに川が見える。水面へ夕日が反射し、流れに合わせて細かく光っていた。次の採取地点は川を渡った先だが、藤堂はその手前で今日の移動を終えると決めた。
川岸から少し離れた安全エリアには、先に休んでいる探索者たちがいた。
挨拶を交わして空いている場所へ入り、大河たちも野営の支度を始める。地面を確かめて寝具を広げ、食事に使う物を出した。いつもの椅子へ腰を下ろした時には、思っていたより脚が疲れていた。
「……歩きやすいところばっかりじゃないんですね。草原って聞いた時、もっと平らなのを想像してました」
「下、見えなかっただろ。草で隠れてるだけで、結構でこぼこしてるからな」
石橋がブーツについた土を落としながら答えた。
「はい。森の中も根が多かったですし。明日、脚に来そうだな」
「寝る前に少し動かしとけよ。そのまま固まると、起きた時に嫌になるから」
「やっておきます。……あと、昼に言ってた盾の話、食べながら聞いてもいいですか?」
「本当に聞くのか。飯、冷ますなよ」
大河は頷き、食事を受け取った。
石橋の説明には、小野寺も横から口を挟んだ。盾の外へ魔物が流れてきたら、弓からはどこが見えるのか。藤堂はどちらから入るつもりだったのか。聞き始めると、昼に見た一瞬の中に、思っていたより多くのことがあった。
悠真も途中から質問し、大河の食事が止まると、篠原がその器を指した。
「ほら。二人とも、話しながらでも食べられるんじゃなかった?」
「あ、はい。食べます」
【言われてて草】
【昼にあんなこと言うから】
【今日は先生が多いな】
大河は笑い、少し冷めた食事を口へ運んだ。
食べ終わる頃には、空の色が変わっていた。
川向こうの森が暗くなり、その上に、まだ薄い青が残っている。大河は器を片づけてから、椅子の背へ身体を預けた。
やがて、星が見え始めた。
一つ見つけると、その近くにも、さらに遠くにも光があった。頭を傾けるほど数が増え、大河はしばらく、スマートフォンを見るのも忘れていた。
「……夜も、ちゃんと空なんですね」
声に出すと、隣の悠真も上を向いた。
「ああ。これ見て寝るの、変な感じするな。さっきまでダンジョンにいるって普通に思ってたのに」
「今もいるんだけどな。明日も魔物、出るし」
「分かってるって。今くらい、星だけ見せてくれよ」
大河は笑った。
ドローンのカメラを上へ向けると、画面には肉眼で見えるほど多くの星は映らなかった。それでもコメント欄には、見える星を数える言葉が流れた。
【いいなあ】
【今日は空から始まって星で終わるのか】
【現地で見たい】
【ちゃんと寝ろよ、二人とも】
「寝ますよ。明日も歩くんで。……でも、その前に、もう少しだけ見てていいですか。こんなに見えると思ってなかったんです」
返事を読む間にも、川の流れる音がしていた。
大河は出したままだった資料を閉じた。そこに載っていた昼の写真と、今、頭の上にある景色は違う。こればかりは、帰ってから見返すだけでは足りない気がした。
配信を終える前に、もう一度ドローンへ顔を向ける。
「今日もありがとうございました。初めての下層、来てよかったです。明日は川の向こうへ行くので、また付き合ってください」
手を振って配信を切った。
明日使う物を確かめ、仲間たちと寝る準備を進める。身体をほぐし終えてから、大河は寝具へ入った。横になって見上げると、枝の隙間からも星が見えた。
「悠真、起きてる?」
「まだ起きてる。何?」
「帰ったら、あのカマキリのところ、映像見直そうぜ。矢が入る前、俺、どれくらい前を空けられてたのか見たい」
「分かった。……明日じゃ駄目な理由だけ、あとで教えてくれ」
少し離れたところで、誰かが笑った。
大河も小さく笑い、今度は目を閉じた。




