高尾の最奥
折れた柱の向こうに、大剣を持ったオークが立っていた。
天井が高く、広く開けた区画だった。中央には石畳が残り、その周囲を崩れた柱や岩が囲んでいる。大河は通路の出口で足を止め、ほかに魔物がいないことを確かめた。
高尾へ入って十日目。三十階層の迷路を抜け、安全エリアで休んでから、ようやくここまで辿り着いた。
「オークジェネラル。……いましたね。こいつを倒したら、高尾は攻略です」
【ついに最後】
【大剣でけえ】
【十日間の締めだな】
【頼むぞTAIGA】
オークは胸と肩を金属鎧で覆っていた。両手で握る大剣は、大河のマジックソードよりはるかに長い。それを身体の前へ立て、こちらを見据えている。
大河は《鑑定》を使った。
【オークジェネラル】
【レベル:85】
【体力:174】
【筋力:168】
【耐久:154】
【敏捷:118】
【魔力:105】
【精神:92】
表示を閉じても、数字が頭に残った。力も耐久も、自分より上。敏捷まで高い。あの大きな剣を、遅い一撃だと思って避けるわけにはいかなかった。
大河は入口側の道を振り返り、ドローンを後方へ移した。
「休んできたんで、身体は動きます。まずは戦ってみますね。無理だと思ったら下がるんで、最後だからって、そこは変えません」
【帰るまでが探索だぞ】
【ちゃんと逃げ道見たな】
【六十でここまで来たんだから十分すごい】
【勝って帰ろうぜ】
大河が石畳へ踏み出すと、オークの身体に淡い魔力が浮かんだ。肩から腕へ、胴から脚へ。その光を見た大河は、剣を握る手に力を込める。
オークが地面を蹴った。
「速っ――!」
大河は全身へ雷を循環させ、横へ跳んだ。大剣がすぐ脇を叩き、石畳が砕ける。振り下ろした隙を狙おうと足を踏み直したが、相手の剣はもう戻ってきていた。
横薙ぎをマジックソードで受け流す。
重い音とともに、腕が外へ持っていかれた。大河は踏ん張らずに下がったが、オークはその距離まで追ってくる。胸へ突き出された切っ先を避け、ようやく刃の届く範囲から離れた。
「……あの剣で、そんなに動くのかよ」
指が痺れていた。受け止めたつもりはなくても、あれだけの衝撃がある。真正面でぶつけ合ったら、剣ごと押し切られる。
【今の重そう】
【ボスも身体強化してるだろ】
【一回避けても終わらんぞ】
【距離取れ】
大河はさらに下がりながら、剣へ魔力を送った。近づくオークの胸へ狙いをつけ、《飛斬》を放つ。半透明の斬撃が飛んだ先で、大剣が振られた。
魔力の刃が散る。
「それも防ぐのか!」
オークは大剣を引き、また走ってきた。大河は振り下ろされる一撃を外し、相手の横腹へ剣を返す。鎧を削る手応えがあったが、押し込む前に肘で腕を弾かれた。
懐へ入った大河の視界に、膝が迫った。
「ぐっ……!」
脇腹へ衝撃が突き抜け、息が止まる。大河は後ろへ逃れようとしたが、すでに大剣が持ち上がっていた。背筋に走る警告を感じ、上がった腕を見る。
剣を斜めに当て、必死に外へ流した。
切っ先が左の前腕を裂いた。痛みをこらえて横へ跳び、着地した足をもう一度動かす。大剣が背後の石畳を削り、大河は崩れた柱の陰へ逃れた。
【やばい】
【腕切られたぞ】
【一回下がれ!】
【呼吸できてるか】
大河は柱へ手をつきかけ、やめた。立ち止まれば追いつかれる。痛む脇腹をかばいながら柱を回り、その向こうにいるオークを見る。
こちらへ近づく足に、迷いはなかった。
大河は左手を握った。指は動く。傷から血が流れているが、剣を支えられないほどではない。息を吸うと脇腹が痛み、浅く吐いて、もう一度吸った。
入口へ戻る道は、見えていた。
ここから逃げれば、まだ戻れる。
「……くそ。まともに斬らせてもらえないな」
大河は剣を構え直した。攻撃が通じなかったわけではない。胸の鎧には傷がある。問題は、こちらが斬ろうとするたび、相手も殴り、蹴り、剣を返してくることだった。
大河が避けてから攻撃することを、相手も待っている。
柱の端から大剣が現れた。
大河は低く身を沈めた。頭の上を刃が通り、柱へ食い込む。砕けた石を浴びながら踏み込み、剣を戻そうとする腕へ魔力刃を走らせた。
鎧に覆われていない左肘から、血が飛んだ。
オークが吠えた。大河は追撃せず、その横を抜ける。大剣が柱から離れ、さっきまでいた場所を薙いだ。
距離を取って振り返ると、左腕から血が流れていた。
「……入った」
【腕に当たった!】
【追わなかったのよかった】
【大丈夫かTAIGA】
【逃げてもいいんだぞ】
大河は相手から目を離さず、息を整えた。攻撃を外しただけでは足りない。柱へ剣をぶつけ、戻すのに時間がかかったところへ、ようやく刃が届いた。
「まだ動けます。もう少しだけ、やらせてください。今ので、斬れるところは分かったんで」
オークが左手を握り直す。傷を負っても、大剣を手放す気はないらしい。大河はそれを見て、歯を食いしばった。
こちらの腕も、脇腹も痛い。
このまま長く戦えば、不利になるのは自分だった。
「次は、こっちから行くぞ」
大河は刀身へ魔力を流し、相手の胸へ剣を向けた。オークが大剣を持ち上げる。それを見ながら、大河は狙いを下げた。
「これならどうだっ」
低く飛ばした斬撃が、脚へ迫る。オークは大剣を下げて防いだ。散った魔力の向こうへ、大河は全身にスパークを走らせて踏み込む。
狙うのは、傷ついた左腕。
相手は柄を持ち上げ、大河の剣を受けた。重い衝撃がまた腕へ返る。大河は押し合わず、前へ出た足首へ蹴りを叩き込んだ。
オークの足が滑る。
その肩へ左手を当て、身体を回す方へ押した。大河の前腕にも痛みが走ったが、手を離すより先に、相手の肘が開いた。
「そこだっ!」
魔力刃が傷へ深く入り、雷が弾けた。オークの左手が柄から離れる。大河はすぐに下がろうとしたが、右手だけで振られた大剣が追ってきた。
刃を避けた先へ、太い足が迫る。
腹を蹴られ、大河は後ろへ飛ばされた。
「がっ……!」
背中から石畳へ落ちた。剣は離さなかったが、息が吸えない。起き上がろうとした視界の上で、オークが大剣を振りかぶっていた。
【逃げろ!】
【立て!】
【TAIGA!】
大河は身体を横へ転がした。耳元で石が砕け、頬へ欠片が当たる。片膝をついて起き上がると、相手は剣を引き抜こうとしていた。
大河は肩で息をしながら、その胸へ剣を向けた。
「……まだ、終わってないぞ…」
《飛斬》が、裂けかけていた鎧へぶつかった。
金属が割れ、オークの上体が揺れる。大河は立ち上がり、剣を構えたまま数歩下がった。オークの胸からも血が流れていた。左腕は下がり、大剣は右手だけで支えている。
大河はようやく息を吸い、痛みに顔を歪めた。
ポーションを飲む時間が欲しかった。入口へ戻れば、戦いを切り上げられる。そう考えながら相手を見ると、オークもすぐには踏み込んでこなかった。
大剣を肩へ担ぎ直し、こちらを睨んでいる。
あれなら、振り下ろしたあと、左手で引き戻せない。
大河は自分の剣へ目を落とした。ここまで、何度も避けてきた。腕へ傷をつけ、鎧も裂いた。その全部を、次に使う。
「……あと一回。あいつが振ったところで、決める」
刀身へ送る魔力を増やした。半透明の刃が厚みを増し、その周囲で雷が弾ける。全身の循環を保ち、大河は足を踏み直した。
オークが吠え、走ってきた。
大河も前へ出る。肩から下ろされる大剣を見上げ、届くより先に《飛斬》を放った。斬撃は大剣へぶつかって散ったが、一撃がわずかに外へ流れる。
大河はその反対側へ飛び込んだ。
刃が肩のすぐ横を通る。相手が身体を向け直す前に、踏ん張る脚の膝裏へ蹴りを入れた。巨体が沈み、傷ついた胸が近づく。
「うおおおっ!」
大河は魔力刃を突き込んだ。
裂けた鎧を押し広げ、刃が深く入る。握った柄へ抵抗が返ったが、足を踏み込み、身体ごと押した。オークが吠え、大河の肩へ左手を伸ばす。
大河は剣を引き抜き、その手から逃れた。
まだ、倒れない。
オークは血を吐きながら、大剣を持ち上げた。大河へ近づこうとして脚が揺れ、それでも右腕は止まらなかった。
大河は追おうとした足を止めた。
あの剣の下へ、もう一度入る必要はない。
残る魔力を刃へ送り、露出した首へ狙いをつける。オークが大剣を振り下ろすより先に、大河は剣を振り抜いた。
「届けぇぇぇっ!」
雷をまとった斬撃が、二人の間を走った。
オークの首元へ刃が入り、大剣を持つ腕が落ちる。重い剣が石畳へぶつかり、その音に続いて、巨体が前へ倒れた。
大河は剣を構えたまま、動かなかった。
肩も、指も、脚も止まっている。身体を包んでいた淡い魔力が薄れ、消えていく。それを見届けてから、大河は自分の雷を解いた。
「……勝った」
膝から力が抜け、その場へ座り込んだ。剣を脇へ置き、痛む腹を押さえる。息を吐くたびに身体が震えたが、顔には笑みが浮かんでいた。
【勝ったああああ!】
【高尾攻略!】
【生きてるか!?】
【最後届いたぞ!】
【早くポーション飲め!】
「飲みます。……ちょっと待って、手、震えてる」
取り出したポーションの蓋を、一度滑らせた。握り直して開け、口へ運ぶ。呼吸が少しずつ落ち着くと、目の前に倒れているオークが、ようやく追ってこない相手に見えた。
「……強かった。途中、帰ろうかと思いましたよ。あの剣、避けても避けても戻ってくるんで」
【帰ってもよかったんだぞ】
【マジで怖かった】
【よく最後まで見てたな】
【今度こそちゃんと休め】
「はい。もう動きたくないです。……でも、勝てたんですね。俺、こいつに」
言いながら、また笑ってしまった。
痛かった。怖かった。転がって避けた大剣が、耳元で石を砕いた音も覚えている。それでも最後の斬撃は、相手へ届いた。
大河は剣へ目を向け、その柄を軽く撫でた。
*
立ち上がれるようになった頃には、空間の奥に宝箱と光の輪が現れていた。
大河は急がずに魔石を回収し、持ち帰れる素材を《アイテムボックス》へ収めた。倒れたオークの横を通る時、大剣が目に入る。あれが振られるところは、しばらく夢にも出てきそうだった。
「……次に会う時は、もっと楽に勝ちたいですね。今日はもう、勘弁してほしいですけど」
【次に会う話してる】
【そこは変わらんのか】
【まず今日帰れ】
【よく頑張ったよ】
宝箱にはポーションと金属素材、それから魔物素材が収められていた。大河は一つずつ《鑑定》し、収納する。新しい装備はなかったが、使ったポーションを補充できたことには、心から助けられた気がした。
回収を終え、自分へ《鑑定》を使う。
レベルが、一つ上がっていた。
【天草 大河】
【レベル:61】
【体力:102】
【筋力:103(+10)】
【耐久:101(+10)】
【敏捷:104(+5)】
【魔力:100(+5)】
【精神:105】
【常在スキル:《レベルアップ補正》《危機感知》】
【発動スキル:《詠唱》《アイテムボックス》《鑑定》《魔力操作》《魔力属性変化・雷》《飛斬》】
【装備:《マジックソード》《ミノタウロスの指輪》《疾風のブーツ》《魔力の腕輪》《鋼拳の手甲》】
【探索者ランク:E】
表示を閉じると、大河は剣を収納した。成長したことはうれしい。それでも、今は次の魔物を探す気にはならなかった。
宝箱の横に浮かぶ光へ向かい、その前で足を止める。
「これで入口へ戻れるんですよね。帰りも全部歩くんだったら、今日はここで寝るしかなかったです。あの迷路、今からもう一回は無理ですね」
【帰還ゲートに感謝】
【三十層歩いて帰るのはきつい】
【忘れ物ないか?】
【椅子置いて帰るなよ】
「椅子は入ってます。剣も、手甲も……はい、全部あります。じゃあ、帰りましょう」
光をくぐると、視界が白く染まった。次に足をついた場所には、見覚えのある入口側の通路が続いている。大河は後ろにドローンがいることを確かめ、出口へ歩いた。
外へ出ると、風が頬へ当たった。
木の葉が揺れていた。管理所の方から、人を呼ぶ声がする。入口へ向かう探索者が横を通り、大河は道の端へ寄って空を見上げた。
眩しくて、目を細めた。
「……帰ってきた」
【おかえり】
【高尾ソロ攻略おめでとう!】
【ちゃんと外に出たな】
【十日間お疲れ!】
大河はゆっくり息を吸った。草の匂いがする。冷たい飲み物を買って、座って、何も考えずに飲みたかった。
スマートフォンを見ると、お祝いの言葉が流れ続けていた。初日から見ていた人も、最後の戦闘から来た人もいる。大河はその文字を読み、ドローンへ顔を向けた。
「高尾ダンジョン、攻略できました。……最後、結構心配かけたと思います。俺も怖かったですけど、ちゃんと帰ってこられました。見てくれた皆さん、ありがとうございました」
【最後の飛斬よかったぞ】
【あそこから勝つとは思わんかった】
【今日はもう休んでくれ】
【風呂入れよ!】
「入ります。今日だけは、風呂も洗濯も勝手に終わってくれないかなって思ってますけど。帰って寝たいのと、すぐ風呂入りたいのが、今ちょっと喧嘩してます」
【風呂が先だ】
【そのまま布団入るなよ】
【飯も食え】
【やること多くて草】
大河は声を出して笑った。笑うと腹が少し痛み、そっと押さえる。ポーションで傷を治しても、疲れた身体まで休ませたことにはならなかった。
「はい。まず報告して、帰ります。次の配信は、ちゃんと休んでからですね。十日間、付き合ってくれてありがとうございました」
手を振って配信を切り、ドローンを収納した。
管理所へ向かう道は、平らで歩きやすかった。分岐を調べる必要も、壁の向こうの足音を気にする必要もない。それがうれしくて、大河は歩きながらもう一度、空へ顔を上げた。
十日前、この道を入口へ向かって歩いた。
あの時より強くなって、今は帰ってきている。
大河は管理所の扉を開け、受付へ向かった。
「戻りました。高尾ダンジョンの攻略報告、お願いします」
言い終えたところで、ようやく肩の力が抜けた。受付の向こうから返ってくる声を聞きながら、大河は疲れた顔に笑みを浮かべた。
戦闘描写が下手くそすぎてすみません。
もっと読みやすいよう色々試しながらやっていきます。




