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どうして男子校に進学したんですか?  作者: 空見タイガ


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露天商

「へー、お母さんが外国人だから何を話しているのかよくわからなくて無視してたら病んじゃって毎日のようにボコボコにされたから小学校に上がる前に両親が離婚して今はお父さんとふたり暮らしなんだ~」

 一時間目が始まる五分前に終わるSHR(ショートホームルーム)が始まる五分前……? 恋人であり常任理事でもある瀬名川(せながわ)ルイの左隣に座って生い立ちを聞いていると「朝っぱらからシケた話をしやがって」と包帯と眼帯とマスクで顔を隠した怪しい男がやってきた。事情を知っていても不審者だ。

「あっ、おれの恋人にボコられたやつだ」

「時系列を考えろよ、時系列を」

「喧嘩の翌日に復帰するとはずいぶん元気ですね。私が中学三年生のときに闘った男は中学浪人しましたよ」

「一方的にボコることを闘うとは言わねえんだよ」

 ほほえみを絶やさない常任理事は「勉強になります」と少しまじめな顔つきでうなずいた。

「てめえ、なんで俺の席に座ってやがるんだ」

「だってもう来ないのかと。本当によく教室に入れたなあ。入学早々クラスメイトに喧嘩をふっかけて負けて……恥ずかしすぎて不登校になるかと思った!」

 不審者こと反社会人に首根っこをつかまれる。やれやれ、すぐ手が出るんだから。しぶしぶ席を立って移動しようとすると、やつは「待て」と命令し、おれの全身をじろじろとチェックした。

「制服がデカい?」

「やだなあ、どう見てもファッションでしょ」

「どう見てもサイズを間違えただけだ」

 反おしゃれ人をスルーして自分の席に戻る。右隣では刃物使いが小さなナイフで木を削っていた。大量の木くずが机の周囲に散らばっている。

「それもまた景品にするの」

「んや、これは売るんじゃ」

 作業の手を止めた刃物使いは、出来たてほやほやの品をおれに見せびらかした。ひよこのかたちをした……木だ。

「わしんちは貧乏でな、特待生でここに来たんじゃ。申請すればバイトできると聞いておったが、ウチは評判が悪すぎて採用してもらえんから実質禁止と言われてな。趣味の木工品を売ってお小遣いをがっぽり稼ぐつもりなんじゃ」

「そんなに軽々しく家庭の事情を話さないほうがいいよ」

 刃物使いはしゅんとして小さくなった。

 それにしても。おれは刃物使いと反社会人の中間にからだを向けてふたりを見た。こっちは特待生。こっちは家が近かったから。学力が理由じゃない。

 常任理事と目が合う。にこにこしているだけなのに頭がよさそう。

「あの、ルイさんってどうしてこの高校に来たの」

「男たちとぐちゃぐちゃのくんずほぐれつ……」

「いや、わざわざこの高校を選んだのはどうしてかなって」

 ガタッ。反社会人が机の右半分からはみ出るように身を乗りだし、刃物使いはナイフを舐めるかどうか逡巡していた。周囲に座っていたやつらも動きを止め、一帯がしんとする。

「私の学力で通えるのはここしかなかったんです」

 そんなばかな。

 おれと反社会人が顔を見合わせているあいだに担任がやってきた。それまで立ち話をしていたやつらが戻ってきても、空席がぽつりぽつり。入学二日目でこれじゃ三日目や四日目はどうなっていることか。


 まだまだ今日は続くので、どうなるかはわからない。一時間目、廊下で出席番号順に整列し、職員室の真上にある三階の多目的ホールへ、避けられない宿命のように集団でだらだらだらだらと進む。おれは目の前にいる常任理事の背中を人差し指でつついた。彼は首をちょっとだけ傾けてこちらを見る。

「なんですか」

「昨日の入学式も同じ並びだったのに、じょ……ルイさんが前だって気づかなかったから」

「私もこんなに制服のサイズが大きいひとがすぐ後ろにいるとは知りませんでした」

「すこしでも知ってみると、背景が背景じゃなくなって、そこにあるものが変わったわけでもないのに、ぐっと近くなって、見える範囲が広がるというかさ。そういうもの、この三年間でいっぱい増やせたらいいね」

 常任理事はおれをまじまじと見つめた。廊下に射しこんでいる自然光が彼の端正な輪郭をやさしくなぞって、絵になる。

 そしてその名画の中におれがいる。

「きみは」

「は、はい」

「いちどにたくさん話すときと、いちどにたくさん話さないときがありますね」

 おれはずっこけかけた。入学前に鍛えていたつま先の力で耐える。

「告白のときも長いと思っていました」

「伝わってなかった?」

 不安がおれを上目遣いにする。一方の常任理事はくすぐったそうに笑みをこぼした。

「きみがポジティブなひとだとわかりました」

 それはよくわかんないけど。

 たぶん褒めだ。

 口元を押さえて「ふふふ」を抑える。常任理事は「袖から指先がちょこんと出ている……」と深刻そうな顔をした。


 今度は早い者勝ちじゃなかった。多目的ホールはこぢんまりした劇場のような施設で、半円のステージを取り囲むように備え付けの椅子がずらっと階段状に並んでおり、さらに通路がとても狭いので、列を乱そうものなら大事故が起きそうだった。どんなワルも出席番号順でおとなしく座る。おれの隣には常任理事がいる。

「まるで映画館の椅子ですね」

「いつか本物の映画館に行こう」

 コホンコホン。わざとらしい咳払いに、おれたちは口を閉じた。常任理事の左隣に座っていた刃物使いが上半身を曲げてこちらを覗きこんでくる。

「わしの横でいちゃつきおって……」

「がまんしなさい。おれの右隣のよく知らないやつはそっとしておいてくれてるよ」

 ちらりとその右隣を見ると「や、やめてください」と彼はまぶしい光を遮るように手で顔を覆っていた。や、やめておこう。

「映画館じゃと。わしは、わしはサブスクすら観られんというのに!」

 刃物使いがみじめな叫びをあげると「そこ、静かに」と今から司会を担当しそうな教師に注意され、やつはしゅんとした。

 新入生に向けたオリエンテーションは滞りなく進んでいった。学校生活を送る上での注意、一部教科の習熟度別のクラス分け、携帯電話(スマートフォン)の持ちこみ禁止、避妊の大切さ、飲酒・喫煙・薬物の危険性、闇のバイト、SNSでの炎上や個人情報の流出がもたらす悲劇、万引きは間接的な殺人、学校近辺のコンビニでは間接的な殺人事件が多発したせいで本校生徒は立ち入り禁止なことがスクリーンを用いて一挙に説明され、生徒の大半は船を漕いでいた。常任理事までもおれの肩に寄りかかって寝ている。彼のまつげはとても長く、刃物使いが生み出した無数の木くずが山のように乗りそうだった。

 その刃物使いの様子を窺うと、やつは教師の話にこくこくとうなずくリズムで木を削っていた。ひざに、そして足元に、ぱらぱらと、木くずが、落ちる。

 ……本当に山のように乗るのかな?


 オリエンテーションも終わり、ねぼけまなこな一同は、すぐにでも眠りを再開したさそうな早足で体育館に移動した。が、すでにそろっていた二年生と三年生たちから拍手で出迎えられた感動で、というより長椅子が撤去されている衝撃で目を覚ました。

 これが対面式の洗礼!

 どうして体育館には下のほうにも窓があるんだろう。開け放たれた多数の窓から吹きすさぶ冷たい風。おれたちは無機質なひんやりした床にキュッと座ってひざを抱えながら凍えた。春ってまだ寒い。でもこんなに過酷な式が今まであっただろうか。対面式、中学生のときはなかった気がするし、入学式や始業式のインパクトでかき消されているだけな気もする。

 成績のよさそうな在校生と新入生によるかけ合いのあと、行事紹介と部活動紹介の映像を立て続けに見る。どちらも放送部が作成したものらしい。なぜ放送部が。軽快な音楽に合わせて流される、おびえたような被写体。ひきつった笑顔。弱々しく立てられた人差し指と中指。これを撮影した放送部とはいったい。映像の最後にその答えがあった、わけでもなく、締めとなる放送部の紹介は無人の放送室が映し出されるだけで終わった。

 しかし部活動紹介はまだ終わらなかった。部の代表っぽいやつらが次々とステージに現れて活動内容を説明しだす。どいつもこいつもボールを落としている。放送部はマイクを落とすんだろうか。おれはステージを三割、常任理事を七割の配分で眺めた。彼の背中は大きく、頼もしく、それでいて肉厚ではなかった。女性向けのスタイリッシュな背筋。この素晴らしい肉体でいったい何人を葬るんだろう。いや、何部に入るんだろう。べつに恋人といっしょの部活に入らなくてもいいけど。

 結局、放送部は最後まで現れなかった。


 ようやく教室に戻ってきた。椅子に腰をおろして一息つく。なんだか教室の外にいる時間が長いような。その一因でもある常任理事のほうを向くと、彼は常任理事会に出席するような強気の姿勢で座っていた。変わらぬほほえみ。でも、どこか、ちょっぴりかなしげにも見える。

「じょ、ルイさんが複雑そうな顔をしている」

「そうですか。気のせいだと思いますが」

「床が硬くてお尻が痛くなっちゃったよね」

 常任理事は「硬く」「お尻」「痛く」とおれの言葉を意味深長にくりかえした。

「あ、そうだ。二年も三年もおれたちより少なくなかった?」

「一年で中退したからだろ」反社会人が急に割りこんできた。「無気力で不登校、問題を起こして退学、成績が悪すぎて留年……」聞いてないのに補足してくる。

「中退博士が現れた」

「先公がオリエンで話してただろうが」

 言ってたらしい。

 ぐっすり寝ていたからそんな話はもちろん知らない常任理事は「対面式で」と話を変える。

「三年生に睨まれた気がします」

「えっ、もとからこわい顔だったんじゃなくて?」

「もとからこわい顔だった可能性もあります」

 なあんだ。安堵するおれたちに反社会人がふたたびカットイン。

「いや、三年生の代表がこっちを見てたぜ。ありゃ目をつけられているな」

「三年生博士」

「けっこう露骨に見てたって。なあ」

 それとなく同意を求められた刃物使いは錐で木に穴を開けながら「わしの木工がばれたかと思っとった」と答えた。

「ま、こいつを睨んでいた可能性もあるわな」

「作業は安定した場所でやろうよ。前に座っているやつの背中にぐさっと刺しちゃったらどうするの」

「手元に集中しすぎて列の進みが滞るときがありますね」

 三人から非難され、刃物使いはしゅんとなった。

 

 授業で使うタブレット端末のセットアップや昨日は諸事情(バトル)によりできなかった自己紹介を行い、昼休みになった。廊下をだらだらだらだらと歩く障害物(やつら)を常任理事と競うように追い抜き、一階の食堂へ向かう。

「お弁当もいいけど食堂も気になるよね」

「私は家に忘れただけです」

 同じく。

 昇降口から靴はそのままで渡り廊下に出る。コンクリートっぽい質感の道をザッザッと音を立てながら進んだ最初の分岐点に、校舎から独立して存在する確固とした直方体――食堂があった。教室からそこそこ歩くのに賑わっている。人が多い。窓も多い。

「上級生も多い」

「どうして上級生だとわかるんですか」

「ほら、おれたちの上履きは赤でしょ。二年生と三年生は青と緑」

 常任理事は「中学のときも同じシステムでした」と納得し「でも青と緑は色が似ていますね」と学年カラーに苦言を呈した。

 開かれたままの引き戸から入ってすぐのところに、オスのライオンのような売店があった。たてがみの部分にはスーパーやコンビニでもおなじみの包装されたパンが並べてある。価格は高くはないけど安くもない。にゃんこの部分のレジカウンターでは、大量のパンに囲まれた中年男性が棒立ちでこちらを凝視している。ひまそうだ。

 ところが、その反対側には生徒たちがびっしりと集まっていた。もし食堂の真下で小さな黒い三角が中心を支えていたとしたら、入り口から見て左側に重さが偏りすぎて地面との平行を保てないような、圧倒的な人気の差。

 食堂の奥には、横長にくりぬかれた壁とカウンターで客との一線を引いている厨房が見え、ガラスもサッシもない実質の窓から、働く中年女性たちのきびきび、ほかほかの湯気、パチパチとした音、カレーのにおいが伝わってきた。雰囲気はそれっぽい。いったい何を頼めるんだろう。答えはすぐ近くにあった。壁の上のほうに薄汚れたメニュー札が横一列に貼り付けられている……。


 カツ丼

 カレー

 カツカレー丼

 うどん

 カレーうどん

 カツカレーうどん

 カツカレーう丼

 ……

 チュロス


 カウンターの前でうごめいていた生徒たちは、テーブル席にぶつからないように折り返しながらも列をなしていた。最後尾の札まである。

「パン一個と比べると安い気がしますね」

「だけどチュロスだけテーマパーク価格だよ」

 よし。意を決して並ぶ。ぐんぐん進む。おれの前の前の前にいたやつが「注文を決めてから来な」と中年女性から叱られて追い返されている場面を目撃して萎縮する。すばやく注文。お金を払い、その横の受取口でセルフのコップや箸を取っているうちにトレイにのせられた丼を渡され、すみっこに退き、縦横に整列してある六人がけのテーブル群を眺める。壮観だ。学年を問わずたくさんの生徒が。対面式の続編だ。ぼんやりしているとすみっこの人口が増えてきた。端っこに空いている席を見つけ、座る。

 売店をのぞく食堂全体がガチャガチャとした音で満たされていた。売店はひっそり。テーブルの上にあるポットで常任理事の分までコップに水を注ぎ、気抜けする。

「社会に出たら全部こんな感じなのかな」

「どういうことですか」

「合理化、効率化されてさ、またたく間にデミカツ丼を手にしている」

「私はソースカツ丼ですね」

 丼は見るからに量が多かった。なぜ売店は市販のパンでこれと闘おうとしたんだろう。肝心の味は……。

「デミグラスソースとカツって合わない」

「ソースも合いませんよ」

 おれはデミカツの一切れを箸で持ち上げ、常任理事の口元に差し出した。

「あーん」

 彼はちょっとためらったのち、かぷっとカツを一口かじった。しかしカツの一切れは縦に長いものである。そんなに、あーんに、向いていない。

 連続でかじりついてなんとか食べ終えた常任理事は「確かに合わないですね」と同意し、ソースカツの一切れを箸で持ち上げ、おれの丼の中にそっと置いた。

「ごめんね、じょ……ルイさん。おれのせいで衣とデミだらけに」

「なるほど。ティッシュは学校でも必需品のようですね」

 あいにくおれも持っていない。

 このままでは常任理事が非常任理事になってしまう。青ざめていると彼の横からすっとポケットティッシュが現れた。

「残り少ないから全部やるよ」

「あっ、宝閣(ほうかく)武蔵(むさし)。宝閣武蔵じゃないか!」

 名前を呼ばれた反社会人は「フルネームで呼ぶな」とおれを威嚇した。

「また私の隣ですか。あなたも飽きませんね」

「おまえらが後から座ってきたんだろうが」

 ティッシュを受け取った非常任理事が口元をぺたぺたと拭いているあいだに「ふつうのカツ丼だ」とおれは反社会人の目の前にある丼の名称を述べる。

「ふつうの、ふつうのカツ丼だ……」

「やんねえからな」

「交換しようよ」

「合わないんだろ。いらねえよ」

 食堂の一角、カツを巡って緊張が走る。そこに割って入るように、無事に復帰を果たした常任理事がソースカツの一切れを反社会人の丼にそっと置いた。

「宝閣くん。私のソースカツも一切れあげますから、もといくんにふつうのカツをあげてください」

「えっ、いいの」

「よくねえよ、勝手に決めんな」

 この隙に。おれもデミカツの一切れをやつの丼にのせる。

「もしこれでふつうのカツをお返ししてくれなかったら」

「なんだよ」

「カツアゲだ!」

「殺すぞ」

 反社会人の箸がさっと動いたかと思うと、おれたちの丼にふつうのカツが一切れずつ送りこまれていた。まったく素直じゃないんだから。素直に社会人になっておけばよかったんだ。さっきもらったソースカツとともに一口ずつ食べる。

「カツそのものが」

「黙って食べろ」


 三人で横に並んで歩き、食堂の狭い出入り口でギチギチになりながらも渡り廊下へなだれこむ。なぜか反社会人が真ん中にいる。

「チッ、変人に挟まれちまった」

「宝閣は間男だね」

「ややこしい言い方やめろ」

 そうだ。おれは携帯(スマホ)をズボンのポケットから取り出し、ToDoリストのアプリを起動した。常任理事が反社会人越しにのぞいてくる。

「何をしているんですか」

「高校生活でやりたいことをリスト化してて、さっきひとつ完了したからチェックしてる」

「てめえなあ、先公に見つかったら没収されるぞ」

「今日は『友達と学食に行く』を達成した!」

「…………校則は絆されねえぞ」

 昇降口に向かっている途中、常任理事が足を止めた。右へならえで彼の視線の先をたどると、校舎表の花壇のふちにちょこんと腰をかけている刃物使いがいた。うなだれている姿は失業者のようで、若い少年の深い絶望を感じさせる。これも名画のひとつである。

 その陰鬱な画に近づいてみると、やつが下を向いていたのは打ちひしがれていたからではなく、地べたに敷いている使い古したノートを拾おうとしたからでもなく、きれいに並べた木工品を見つめていたからだった。

「校舎の正面で露店をやるなよ」

 風情のわからぬ反社会人の凡庸なツッコミにより、刃物使いは静かに顔を上げた。

「なんじゃおぬしら、上履きのまま」

 確かに。おれたちは足元を確認してつま先をくいくいと動かした。ずっと下を向いていたやつにだけ気づけることもある。ついでに商品とその周辺に張ってある細長い付せん紙に書かれた値段を眺め、指摘する。 

「なんか全体的に安くない?」

 刃物使いは「わっ」とおれたちを驚かせ、目を潤ませはじめた。

「わかってくれるのはおまえだけじゃあ、鳩間(はとま)ぁ」

「私だって平均より安いことはわかりますよ」

 やっぱり打ちひしがれていたんだ。やつは張り合う常任理事を無視し、右手で顔を押さえながら左腕をぴんと横に伸ばして指さした。

「あっちが安いせいでこっちまで安くううううううう」

 どれどれ。おれたちは上履きのまま、刃物使いのライバル店を見に行く。刃物使いの座っている場所から常任理事を横にして五人分ほどの距離にウワサの激安店があった。

 当の露天商はていねいにもレースハンカチを敷いて花壇のふちに腰をおろしていた。中背中肉のからだを前に曲げて、地べたに広げた白い布のよれを直し、商品である木工品の位置を調整している。彼のツンツンとした髪はたとえ上半身が斜め下向きになろうとその形状を保っていた。いきなり頭を叩こうものなら手が串刺しになってもおかしくない。

 おかしく……ない!

 おれたちに気づいたのか、やつはどっかりと座りなおして営業スマイルを作った。

「らっしゃい。そこの制服がデカい兄ちゃん、青春の一ページを飾るフォトフレームはいかが…………デカすぎやしないかい」

 茫然としている露天商を放って、L型の透明なスタンドに挟まれているプライスカードを見る。本当に安い。チュロスよりはるかに安い。

「どうしてこんなに安いんですか」

 露天商は頭をかいて「自己実現なんでね」とテレビの取材を受ける職人の角度で答えた。

 自己実現。

 よく聞くけど、よくわからない。

「でもどうやったって赤字じゃねえのか」

「あたしゃ、広い歩道の端っこで露店をやっている爺さん婆さんに憧れてこの業界に入ってきただけなんで」

 そっか。憧れはだいじだもんね。

 事情がわかったところで、刃物使いの露店に戻る。やつはおれたちが手に持っている木彫りのフォトスタンドやペン立てを発見し「裏切りものぉ」と叫んだ。

「安かったから」

「わしのお小遣いがかかっているんじゃぞ」

「適正な価格をつけてもらうように裸で土下座したらどうですか」

「いやじゃいやじゃいやじゃ、わしはひとつも悪くないのに土下座しとうない」

「それでは裸で頼みましょう」

「だめだよ」と後ろから声をかけられた。振り向けば、物腰の柔らかそうな長身の黒髪眼鏡が立っている。

何川(なにかわ)芳彦(よしひこ)はどんなに泣きつかれたって価格を下げやしないよ。あいつの目的はほかの店を潰すことなんだから」

 なんかクラスにいた気がするけど、ついさっきやった自己紹介で自己紹介していた気もするけど、名前を思い出せない。

「そ、そっか。突然の情報提供ありがとう……眼鏡!」

三秋(みあき)だよ」

「あー。くそー、惜しかったな」

「せめて人名でチャレンジしろよ」

 眼鏡こと三秋は「何川とは同じ中学で」と露天商のいる方向に靴の先っぽを向けた。

「客には人当たりがいいんだけど、学校で商売しているやつを見かけようものなら、たとえ相手が先輩だろうと似たような品を近くで売り出して客をぶんどっていたよ」

「そもそも学校で商売すんな」

「人間だけじゃないよ。自販機も潰された」

「じ、自販機って、あのいちごミルクを売っている?」

「自販機によるだろ」

 こちらに向き直った眼鏡はさわやかな苦笑いを浮かべた。

「あいつの執念はすごいよ。かならず手製で対抗してくるんだ。漫画雑誌のレンタルなら自作漫画のレンタルで、ゲームの転売なら自作ゲームの販売で、ペットボトルの自動販売なら淹れたてほやほやの手動販売で」

 執念もすごいし技術もすごい。

 ここまで口を挟まずにいた刃物使いも「だめじゃあ」と大げさに頭を抱える。

「自販機に勝てるようなやつに勝てるわけがない。わしはもう廃業じゃ」

「これからは春を売るしかないですね」

「それでいいの?」

 おれの言葉に刃物使いがはっと見上げる。

「ここで諦めたら、みんなでお金を出し合って昼休みに宅配ピザを頼むこともできないよ。放課後に買い食いなんてもってのほかだし、修学旅行のお土産もご当地グミしか買えなくなっちゃう」

「ご当地グミ!?」

「ライバルが強いからって何なの。そうやって闘う前から負けを受け入れてどうなるの。せっかくの高校生活、楽しいことは何にもできなくて、大学生になってもバイト漬けで、社会人になっても仕事仕事仕事で、そのまま人生が終わっちゃってもいいの」

 刃物使いは顔をぎゅっとしかめたあと、ぽろっと涙をこぼした。

「うう、いやじゃいやじゃあ。わしもピザを食いたいしご当地グミは食べとうないいい」

「何川は本当にひどいやつだ。人の夢を壊して泣かせるなんて」

「泣かせたのはてめえだろ」

 鼻水をすすっている刃物使いを前に、上機嫌そうに笑んでいる常任理事の手をとる。

「ねえ、ルイさん。こいつの力になってあげようよ」

「わいせつ動画を撮影するのはどうでしょうか」

「だって友達だもん。助けてあげなきゃ」

 常任理事は本当に大切なことにようやく気づいたかのように目を見開いた。

「そうですね」

「これ会話成立してんのか」

 おれは手の甲で涙をぬぐっている刃物使いのそばに座って、やつの背中を叩いた。

「あとはおれたちに任せて、錫村(すずむら)羊太郎(ようたろう)!」

 刃物使いはぐずっと鼻を鳴らして「下の名前だけでよい」と掠れた声で主張した。


 交渉は秒で決裂した。

 昼休みも終盤に差しかかっていたけど、五時間目より大切なことがある。校舎裏、常任理事と露天商はバトルフィールドで向かい合っていた。だいたい日陰。

「言いなりにならなかったら決闘か、あたしよりあんたらのほうが極悪人だよ」

「すでに倒される覚悟ができているようですね」

「あんた知らないのかい、悪はかならず負けるんだよ」

 悠長に話をしているふたりとは対照的に、観客席は緊迫した空気に包まれていた。眼鏡を走らせて告知したのもあり、おれたち(七組)だけではなく露天商と同クラ(六組)のやつらまで集まっている。目が赤くなっている刃物使いを取り囲み、本日の勝敗を賭ける。

「体重差は覆せぬ。瀬名川で決まりだよ」

「あの何川が対策なしに勝負を受けるわけがねえ」

「でも瀬名川は宝閣だって倒したんだし」

「宝閣が見かけ倒しなだけだ」

「あいつは血のかわりにタールが流れているからな」

 みんなで楽しく勝敗を予想していたにもかかわらず「吸ってねえよ」と反社会人がいきなり異を唱えたので場が白けた。ぽつんと、使いっ走りから合流した眼鏡が輪の後ろのほうで切り出す。

「何川は中学でも同業潰しをやって、先輩や自動販売機の設置会社から目をつけられた。だけど全員、返り討ちにしたんだよ……得物(えもの)で応戦して」

 シャキーン。と露天商の声が聞こえて、おれたちはバトルフィールドに目を向けた。やつは常任理事に向かって右腕をまっすぐ伸ばしており、その先には片刃のナイフが握られていた。

「喧嘩を買ってやるんだ。これぐらいは負けてくれないと」

 そんな。たぶん法律違反だ。

 おれが近くにいた宝閣の袖を引っ張って訴えても「それを言ったら決闘も金を賭けるのもアレだしな」と返ってくる。血も涙もないヤニカスめ。

 結局、大半のやつは露天商に賭けた。おれも。

「てめえは瀬名川に賭けておけよ」

 そう言う宝閣の手には白い紙縒(こよ)りがあった。常任理事は前も白色だった。しかし今日で白は朱に染まる。彼のからだにはタールではなく血が流れているから。

 ゴングのように五時間目の始まりを知らせるチャイムが鳴った。常任理事は自分に向けられた刃先を一瞥し、相対する露天商にほほえんだ。

「私は丸腰です。あなたに襲いかかられたら黙ってお尻を差し出すしかないでしょう」

「ぶっ刺してやんよ」

「ですから闘いを始める前に、ひとつだけお尋ねしてもよいですか」

 どうして男子校に来たのかを聞くのかな。昨日のやりとりを思い出しているおれたちと初見の美男子の問いに興味をそそられている六組の生徒たちで温度差がありつつも、観客一同は固唾をのんで静観する。露天商も観客席の沈黙に圧され、仕方なさそうに「どうぞ」と促す。

 みんなの期待に応えるように、常任理事はわずかにうなずき、口を開いた。


「どうして手作りにこだわっているんですか?」


 三階にある一年生の教室のだれかがクラス委員に勢いよく立候補するときの挙手の音が聞こえた。

「あ、あんたねえ。そりゃあ、安く売って商売しているやつを潰すためだよ」

「あなたが作っても赤字でしょう。だったら既製品をとなりで安く売ってもよいのでは」

 露天商は口角をキュッと上げる。ただし目はマジ。

「大赤字を目指しているわけじゃないんでね」

「錫村くんから定価で仕入れた商品を彼のとなりで安く売るだけでも嫌がらせになったと思いますが」

「あたしが仕入れたら彼が儲かっちゃうでしょ」

「儲けさせないことが目的なんですか? それとも商売敵を潰したいんですか?」

「潰したいから儲けさせたくない、それじゃあだめかね」

「それじゃあだめです。なぜならあなたも儲けてないのに潰されてないですよね」

 刃物が揺れる。露天商はさっきからずっと常任理事に向かって武器を突きつけるポーズを保っていた。

「ふつうは儲けがなきゃみんな辞めていくんだ。はい、以上、終わり」

「あなたはまだ質問に答えていません」

「何も、こだわってなんか、ない」

「商売敵を潰すだけなら闇討ちをすれば済むのに、なぜわざわざハンドメイドを選んだんですか」

 ビュン。刃物がむなしく空を切る。やつは常任理事のほうに踏みこむだけでもあえぎ、顔からは大粒の汗が噴き出していた。

「あたしの勝手だろうが」

「どうして既製品でもよいのに既製品にしないんですか。どうして転売でもよいのに転売しないんですか。どうして闇討ちでもよいのに闇討ちしないんですか。答えは簡単です。あなたがひとを巻きこみながら時間と労力を空費することに興奮する変質者だからです」

 堪忍袋というナゾの袋の緒が切れるとき、露天商は体勢を低く構え、常任理事を白目たっぷりでにらみつけた。

「あほんだら、あんたの盤外戦は逆効果でっせ」

「瀬名川!」と観客席から呼びかける声とともに常任理事の足元に細長い物体が横から滑るようにくるくると回転しながらやってきた。未確認飛行物体(UFO)は上からではなく横からも……来るッ!

「わしの飛び出しナイフ(スイッチブレード)じゃ、使え」

 未確認飛行物体よりヤバかった。運営からの唐突な武器の貸与に、露天商派が刃物使いを取り囲む。

「勝敗が変わっちまうだろうが」

「リーチを考えろ」

「逆上した何川がルイさんをずたずたにする予定だったのに」

 渦中の常任理事は確認済非飛行物体(スイッチブレード)をちんたらと拾い上げ、ハンドルのボタンを押し、刃がまっすぐ飛び出したことにびくっとしたあと、ナイフをそっと地面に置いた。

「なんでじゃっ」

「まだ刃物を使うときではありません」

 急に差しこまれたSF(すこしふしぎ)な場面も腰を落とした状態で待っていた露天商は、得物をアピールするように手首を回した。研いだ刃の鋭い光がぎらつきながら移動する。

「あたしをどこまで舐めるつもりだい」

「ハンドメイドはハンドで倒します」

 露天商は間合いを詰めると同時にナイフを常任理事の胸元に振り上げた!

「あたしに関係ないもんが買われるなんて許せねえんだよおおおおおおおおおおおお」

 凶刃が常任理事に突き刺さる、前に、彼は襲いかかる露天商のひざを正面から踏むようにゴッと蹴った勢いで後ろに下がり、すぐ近くにあった敵の手首を捻って刃物を地面へ、牙を失っておろおろする小動物の腹部を蹴り、膝蹴り、顔面に膝蹴り。よろめきながらも弱々しいキックでその場から離れようと試みた露天商だったが、蹴り足をつかまれた。

「まずは食堂を襲撃したらどうですか」

 よくわからない決め台詞とともに、常任理事は軸足を刈り、露天商をけっして柔らかくはない地面に叩きつけた。

 終わった。

 途中から、武器を落としたらもう無理じゃんと察したけど、おれが応援していた露天商が負けた。

 賭けに負けた。

 だが、まだ終わっていなかった。常任理事は倒れた露天商をテンポよく蹴りはじめた。ごろんと転がった敗者の背中に乗ってホップ、ホップ、ホップ。追い打ちの締めくくりとして波止場で遠くを見やる船乗りのように頭を踏みつけ、四月上旬の風を感じていた。

 さすがの反社会人もドン引きで「何川は値上げ交渉を拒否っただけだろ」と耳打ちしてくる。

「でも嬉しいでしょ。あいつがボコられたことで宝閣は景品をもらえるんだから」

「そこまでイカれてねえよ」

 群衆をかきわけて刃物使いがやってきた。宝閣がぶっきらぼうに差し出した手に、船のようなかたちのものをぐりぐりとめりこませるように渡す。

「今日の景品は立体だまし船じゃ」

「どういうことだよ」

「帆のさきっぽを人につかませてな、目をつぶらせているあいだにパーツをひょいひょいと組み替えたら、いつの間にか船が転覆するんじゃ」

 景品の説明をする刃物使いは、笑って見える猫の寝顔のように、にっこりしていた。


 動かなくなった露天商を置いてみんなで教室に戻ると、校舎裏に来ていなかったひとりがクラス委員に内定していた。あとひとり。状況を把握したおれたちが何もない自分の机の表面を一心に見つめていると、おれの左隣からすっと手が挙がった。凍てついた空気がやわらぎ、あたたまり、ほのぼの。

 おお、勇者○○(だれだっけ)よ…………ちらりと横の模範解答を見る。

「め、眼鏡」

「三秋だよ」

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