宇城 鈴
被害者4人目。
学校からの帰り道。
リンは、ヤシと別れた後、すぐ隣の自分の家へと帰っていた。
「ただいま」
鍵を開けて入った自分の家は、真っ暗だった。
当然、自分の挨拶に対しての返事など無い。
リンは、そのまま玄関の電気をつけ、靴を脱いで靴箱にしまう。
いつも一杯な靴箱には、4人分の空きが出ていた。
リビングに入ると、テーブルの上にメモと紙幣が置かれていた。
『外食に行ってくる』とだけ書かれたそのメモと金を取ったリンは、慣れた手つきでメモだけをゴミ箱に放り込む。
金をポケットに捻じ込みながら、リンは男子制服を脱いで、脱衣所へ向かった。
子供1人だけを家に置いて、どこかへ行く家族たち。
いつもの事なので、リンは気にしない。
昔からそうだったから。
両親と、弟と、祖母と、自分——宇城鈴は、家族だった。
ただし、自分を除いた、4人家族であった。
その理由は、単純明快なもので。
自分が。
——身体は女なのに、男としての心を持って、生まれてきてしまったからだった。
厳格な祖母と、そんな人に育てられた母。
その2人に言いなりの父と弟にとって——自分という存在は、耐え難い異物であった。
男として生きる事が正しいと思っていた自分と、女らしく生きる事が当然だと思っていた家族が、上手く行く訳もなかった。
何故わかってくれないのかと怒り、泣き、打ちひしがれる自分を。
家族全員が注意し、怒り、責め立て——そして、しばらくして、自分を”無いもの”として扱い始めた。
自分は、この家の人間ではない。
たったそれだけの事を受け入れるのに、幼稚な自分は10年もかかってしまった。
子供が親に対して、当然に求める愛。
それを諦めてしまえば——生活費が支給される上、雨風もしのいで寝泊りできる空間も、そこまで苦痛では無くなった。
着替えて、2階にある自室へと入る。
その部屋の中、ベッドとテーブル、その他最低限の家具しかない殺風景な部屋を見ても、自分の心は何も感じない。
——空っぽの心。
愛を欲しがるくせに、傷つくのは嫌だと、身勝手に泣き叫ぶ心。
間違った身体に入ってしまった——どうしようもない心。
「(だからなんだ。俺は俺だ。)」
かけられる言葉に、リンはいつだってそう返していた。
しかし——自分でも嫌になる程。
繊細な心は、いつだってそんな言葉や態度に傷ついて、ズタズタになっていく。
女の癖に、男みたいな事をして気持ち悪い、と言われた。
どうして言う事が聞けないのか、と言われた。
お前のためを思って言ってやっているのに、と言われた。
「(なんで、俺に、そんな事を言うんだ)」
過去に言われた、耳の奥にこびりついて離れない、心無い言葉。
誰もいない部屋にいるだけで、その言葉達が、脳裏で激しく鳴り響く。
冷や汗が吹き出してくる。
鼓動が早くなり、血の気が引く。
吐き気が込み上げる。
「(——ヤバい。 久々に、きた)」
今日、昔の事ばかり思い出してしまったからか。
最近は殆ど無かったいつもの発作に、リンは苦しむ。
思わずふらついたリンは——テーブルの上に置かれていた、古びたキーホルダーを握り締めた。
それは昔の、よくある戦隊ヒーローものの、バッヂキーホルダーだった。
『なんだよ、お前、コレほしいのか?』
好きだったのに、”女の子らしくない”という理由で買って貰えなかったキーホルダー。
それを、ぎゅっと握り締めると。
かつての、あの男の子の声が。
——そんな言葉たちを、瞬く間に塗り潰した。
『よーし、おれに”けっとう”で勝てたら、こいつをお前にやろう! ただし、負けたらお前、おれのゲボクな!』
居場所のない家の中に居たくなくて、けれど行く場所もなくて、公園で1人でブランコを漕いでいたあの時。
『まずは、このおれさまの公園を、はしっこからはしっこまで”きょうそう”な——西のチーターと呼ばれたおれに勝てるかなぁ!?』
突然、馴れ馴れしく話しかけてきた、日焼けした顔と、擦り傷だらけのあの男の子。
『まっていまのなし! ”むこー”です、”むこーじあい”です! ほんとのけっちゃくは、ジャングルジムきょうそうでつけるって、——おいまだだよズルすんなよ!』
事あるごとに騒いで、こっちの都合などお構いなしに手を引いて連れ回す、あの後ろ姿。
『あのう、もういっかい、もういっかいだけ、”さいしゅうしょうぶ”しません?』
何が面白いのか、ちょっとしたことで笑ったり驚いたりして、ころころ変わる表情。
『つぎが! つぎがほんとのほんとにさいごだから! これいじょうふかくあたま下げられないって、オニかお前!?』
自分にないものを、全部持っているくせに、それを惜しみなくこちらに渡してくる厚かましさ。
『よし、わかった……このオタカラをやるかわりに、お前をおれの”ぶか”にしてや——やめろどこからもってきたその犬のうんこついた棒!? やめてかおは、かおだけはゆるしてぇっ!』
10年経った今でも、昨日の事の様に思い出せる、初めての——独りぼっちじゃない時間。
男の格好をした女と、全力で競おうとしてくる男の子。
ぎゃあぎゃあと騒ぐそいつにつられて、集まってくる他の子供たち。
あのガキ大将をやっちまえと、自分を応援してくる子供と、その光景に呆れつつも優しく見守る親たち。
以前は、何度見ても、ちっとも前に進まなかったのに。
あの日は、あっという間に帰らなければいけない時間を指した、公園の時計の針。
帰りたくなくて、俯く——そんな自分の手を引いてきた、男の子の手。
『ほら、やるよ——おまえ、おんなのくせに、”こんじょう”あるじゃん』
手が離された後の、自分の手のひら。
そこにあった、夕日に光り輝く——あの、バッヂキーホルダー。
『きにいったぜ! 今日からお前、おれの”あいぼう”な!』
その時、思わず見上げた自分の目に飛び込んできた——あの吸い込まれそうな、至近距離の瞳。
『いえ、どこだ? おやは? ほらはやくおしえろって、いっしょにかえるぞ』
『なんでって?』
『1人でいるとさびしいだろ。おれもお前も。 おなじじゃん。』
昔からそうだった。
起こしたトラブルは数知れず。
自分のやりたい事第一の、バカでゴミみたいな性格で、人の都合なんか知ったこっちゃないと公言して憚らない、腐った性格の男。
振り回されてきた親御さんも、妹も弟も、商店街の皆も、金田のじいちゃんもばあちゃんも。
皆を事あるごとに怒らせては多方面から折檻されて——何故か、嫌われない男。
『それがどうした。 お前はお前だろ?』と。
どうやっても、認める事が出来なかった、自分という存在を。
宇城鈴という、存在を肯定してくれた男。
そして。
自分にとっての——。
「……ふ、う」
吐き気が徐々に収まり、呼吸が落ち着いていく。
息を吐いたリンは、握り締めていた手のひらを解いた。
受け取ったあの日から、随分とくすみ、色褪せたそのキーホルダー。
リンは、それにゆっくりと指を這わせた。
「いつも、ほんとうに——ありがとうな、ヤシ。」
そんな言葉が自然に、口から突いて出る。
本人相手には、絶対に言えない言葉だった。
ふと、窓際から聞こえたガラスを叩く音に、リンは振り向いた。
隣の家にいるヤシが、夜話したい、という時の合図。
それを受け取ったリンは、キーホルダーを置いて、窓際に向かう。
どうせまた、懲りもせず相談に来たのだろう。
本当に復讐されると思っているあのバカは、きっと、あの女達から向けられる想いに気付きもしていない。
自分には分かる。
だって、自分もあいつに、同じような目に遭わされたから。
入学式で。屋上で。校庭で見かけた、彼女達の目。
情緒も、男性観も、自分という存在すら一度壊された、あの目。
あいつを見る時だけ浮かび上がる——想いに焦がれた、女の目。
見るだけで、自分には分かった。
きっと、明日には、全員が、仕掛けてくる。
リンには、その確信があった。
「——骨くらいは、拾ってやるよ」
リンは呟いた。
そして、不敵な笑みを浮かべる。
——ああ、拾ってやるとも。
骨だけで足りるものか。
あの祭りの夜。歩けない自分を背負ってくれた時に感じた、暖かくて広い背中。
あの公園の夜。ずっと自分に寄り添ってくれた時に感じた、少し骨ばった手。
あの冬の夜。すっかり冷えた自分の体を温めてくれた時に感じた、ごつごつとした身体。
出会ったその日。一緒にシャワーを浴びた時に、初めて感じた——異性への、強烈な欲望。
あの日の公園で。
女であることを呪っていた、女であることを否定していた——宇城鈴という存在が壊された瞬間から。
ずっと。
ずうっと、欲しくてたまらなかった。
あの、八代団十郎という男の、全てを、手に入れてやる。
——そのためにも、今は我慢だ。
リンは自身に、そう言い聞かせる。
あいつの、初恋の人。
あいつが、不器用なりに、一生懸命捧げた幼い想いを踏みにじった挙句消えた、あの女。
ヤシが、『自分に逆らわない、従順な彼女』以外を信じられなくなった、原因になった女。
あの女の時も我慢した。
そして、あの3人の時も、今日も、我慢したのだ。
我慢して、男友達として、ヤシに付き合って。
10年かけて、今自分は——ヤシに一番近い”女”になったのだ。
絶対に、逃がさない。
そして、誰にも渡さない。
例え、誰が相手でも。
煮えたぎる想いと、どろどろと粘りつく劣情を、いつものようにやる気なさげな態度でコーティングして。
あいつに見てもらいたくて、わざと、自分の体のラインが出るようなシャツとハーフパンツを身に着けて。
今日もしっかり準備をして。
リンは、カーテンを開けて、窓越しに見えるいつものとぼけた面に話しかけた。
「今度はどうした、我が相棒?」
実は一番ヤバかった人。
続編予定ないです。




