第二駒 音の立てない刺客から。
「にしても――哀れな部屋だ。汚れるのは慣れているが、人間如きに私のこの羽を汚されるのは、実に不愉快よな」
窓の縁から降り、幅の少ない足場目掛けて降りてくる。ボロいアパートだというのに、ギシりと物音ひとつないのは、こいつの背中にあるもののおかげなんだろうか。――だとしたら、ほんの少し、羨ましく思える。
「それに服も……汚すと怒られるんだからな、上のクソ野郎どもに」そう純白のミルクのような布をはたき、俯きながら愚痴を零す。
「さて、いい加減その陳腐な縄から首を外せ。それともなんだ? 目の前にいるこの私より、そんな安い物に殺されたいと?」
細く長い針が刺す先が、縄なのか、俺の首なのか。どっちが先に殺られるか。次に駒を蹴るのはこいつらしい。
こいつはいわゆる天使、というやつなのだろうか。
天使というの大抵、穏やかで、優しくて、綺麗で。そういうものを想像するもんだ。世には素敵な人を「天使みたいな人」だなんて例えもあるくらい。
なのにこいつときちゃあ、綺麗しか合っていないじゃないか。むしろ、こんな奴を綺麗だとも思いたくない。
綺麗な白に身を潜めるは、本当は暗濁な泥だろ。それを隠す真似もしないところは、不服だが感心する。
仮にこいつが天使だとしたら、俺はちゃんと死ねたのか? いや、そんなはずはない。
何故なら俺は今こうして、倒れかけた処刑台の上に命を持って、存在しているのだから。
死に損ねた頭がよく回る。そして呼吸と共に、忘れかけていた感情が身体に廻る。
「は? ――いや、いきなり来てなんだよお前。人の自殺を邪魔した挙句、勝手に部屋に入ってんじゃねえ!」
「そう怒るでない。さて、まずこの汚い部屋をどうにかしろ。せめて座れる場所を作れ」高貴な足が塵に触れないようくっつけこちらを睨む。
「いやだから!」
「なに、名か? 仕方のない奴よ」
エリス・プラシィ=カルティリア。
「さきも言ったが……。私が貴様への贈り物であり、おまけに生きたいと思わせてやる」
「どうだ? 理解は出来たか?」
全く話が通じない。言葉と言葉の理解は出来ているのに、それを成立させる気がない。こいつは俺に、ただただ言葉を投げ続けているだけ。
なのに俺の言葉は受け取らない。足元に転がる俺の言葉に、見向きもしていない。そしてまた違う言葉を、俺に投げかける。
「して貴様、名は何という」
「修兎……。五十嵐修兎」
とりあえず、相手の言葉に書き加えて返すことにした。こちらの意見を言ったところで、また無に帰すだけなのだから。
「ふむ。では修兎。さっさと座れる場所を作れ」
「作ったら、帰んのか?」
「いや? 帰らん」
あたかも当然かのように言ってのける。おまけに頭も傾ける。その目はまさに「何言ってんだこいつ」の目だった。
「だから言っておるだろう。贈り物だと」
「もしや貴様、貰ったものをいらないと送り返すタイプか?」
「心無い奴よ」
「わかったわかった。座る場所作るからそれまで黙れ」
片目をひそめ、すこし苛立ちの表情を見せたが、やっと言うことを聞くのだなという呆れの方が大きい様子だった。
こちらも、その溜息で苛立ちが増していく。器に注がれていく赤い液体を、止められる術はない。




