第一駒 生きたいと思える未来。
それは、汚れのない土足な天の使者からの。これからの終わりを見せる、始まりの一言だった。
「ごきげんよう、愚かもの。そんな汝に、贈り物を授けに来てやった」
喜べ? ――生きたいと思える未来、だ。
最低最悪な出会い。死にたいという気持ちに拍車がかかる、そんな日の出来事。
死のうと思ったきっかけなんて、些細なものだった。
悪いことの立て続け。不幸という名の灰が空から降り出し、俺を埋めていく。
それが数日、一週間、一か月なんてものなら甘いもんだと。そう言う輩が出てきたっておかしくはない。前の俺なら、きっとそう言う。
――でも今の俺は違う。俺は、そんな言葉に耳を貸してやれるほど、余裕なんてものは残っていない。
俺の場合十数年、悪いことが雪崩のように舞い込んできた。高校生に上がった辺りから、次々に。一から話していたら日が暮れてしまうほど、色々あった。
趣味、落ち着けるもの? ない。
相談相手? いない。
きっと良いことがある? そんなものはない。
ない、ない、ない、ない。何もない。俺の人生に価値なんてものはない。生きる意味も気力もない。
俺だって、最初はなんでもいい良い方向に考えていた。「この状況は今だけ」「これから良いことが起こる」「これらは全てその幸せの前触れだ」なんて。
神頼みだってやった、占い師に見てもらって、不吉なものは全部避けてきた。
――なのに今がこれ。
ごみの散乱したぼろいアパート。深夜にうるさい隣人。倒産した会社。つい最近浮気されて別れた彼女。亡くなった親友。親も兄弟も、とうにこの世にはいない。
今日だって、車に轢かれかけて警察行き。そのせいで仕事の面接に遅刻して即不採用。犬に吠えられる。赤ちゃんに泣かれる。挙句の果てには、転んだ先で鳥の糞をかけられる。
これらこそ些細? そうなのかもな。
だけど、こんなの毎日続いてたら、嫌にもなるだろ。
せっかく生まれたのだから、せっかく産んでもらったのだから。こんなくそみたいな世界も、頑張って生きてやろう、って。
自分に説得して、言い聞かせて、洗脳して。――――そんなのも、もう疲れたんだ。
だから俺は諦めた。
カップ麺のごみ、コンビニ飯のごみ、ペットボトルの山、4空き缶の音を押しのけ、椅子を置き上る。既に準備された編まれた輪っかに、首を通す。
空いている窓から入る冷たい風に、カーテンが揺れる。
一瞬だけ眼を刺す、眩い月夜の光。――今更、死ぬ恐怖に目を眩ませるというのだろうか。
影を引く自分が、どうも滑稽に見えた。この世に未練を残すかのように、尾を引く自分に。
でもその光が、俺には救済に見えたから。その影が、俺の生きた証になるように思えたから。
「連れてってくれ、此処じゃないどこかなら、地獄でもいいから」
死への時間切れまでのドミノ。その最初の駒を足で蹴るだけで、俺は救われるから。もう、終わりに出来るから。
手に痕つくほど握りしめる命綱に、思い切り駒を蹴る寸前。
「待て、愚かもの」
あと一歩、ぐらつく駒が横に倒れた。そして、これから至る自分の姿を想像し、呼吸を荒げる俺を前に、話しかける声があった。
「その願い、聞き届け私が来た――そしてサービスだ」
「私が、生きたい未来をくれてやる」
――これまでにないほど、幸せであろう?
窓に座り、縁に背を預ける。なびくカーテンと共に、揺れる大きな羽があった。潔白の証明の白い服。編まれていない輪っか。月の色をした淡い黄色の目。目の色よりも暗いグレーの髪。
月夜に照らされ映るその姿は、俺には、眩暈を感じてしまうほどに――眩しかった。




